傍にいるということ |
「……う、ぅう……」 悪い夢だ。全ては昔の出来事だ。 「……う、うぅ……っ……うーん……」 苦しさに呻き、薄らと眦には滴が浮いた。 「……う…ん…ん…」 鮮明な夢が、緩々と揺らいだ。 「…ん…」 どれだけそうして眠ったのだろうか。 "…これは…? この景色は…"
不思議だったのは、常に変わらぬ結末を紡ぐ悪夢の中に、何時もとは違う情景が紛れ込んで来たことだ。
『様!! 見てくだせぇ、おらの畑で採れた大根だ!!』 『わー、美味しそう〜!! 頂いちゃっていいんですか?』 すっかり見慣れた長屋の細道の中間で、人々に囲まれて談笑する。 『かまやしないよ、いつも良くして貰ってるお礼だよ。さ、家の魚も持ってっておくれよ』 『おばちゃん、ありがとう!!』 『姫様、ヤベェ!!』 『え、何?! 甚六さん、どうしたの?!』 不意に掛けられた威勢のいい声は、現代人にはない闊達さに溢れていた。 『幸村様と三成様に城抜け出してんのバレたぞ!! 二人ともものすごい顔で探してるッ!!』 『ゲッ、やばい!! どっちがどんな表情? 』 『ええと…幸村様は今にも泣きそうだけど……三成様は……多分眼力だけで鬼も殺せるんじゃないかな…』 『ゲゲゲッ!! ご、ごめん!! おじさん、おばさん、私もう行かなくちゃ!!』 受け取りかけていた野菜を返して、慌てて踵を返す。 『見つけたぞ!!』 『様ッ!! 供も連れずにお出かけするのは止めて下さいと何度も申し上げているでしょうッ!!』 『あらいやだ、人違いですわ!! お武家様!! 』 『様!! そのような三文芝居では、この真田幸村、絶対に騙されません!!』 咄嗟に顔を背けて笑い飛ばしてみたが、そんな対応が効く相手ではない事は、誰の目から見ても明白だった。 『あ、やっぱり?! じ、じゃー、そういうことで……撤収ーっ!!』 『ふざけるな!! お説教だ!!』 『ひぃぃぃぃぃ!!! 暴力反対ー!!!』 『黙れ!! 素行を正してやる!!!』 『ひぃぃぃぃぃぃぃ!!! 慶次さん助けてー!!!!』 『許しません!!!』 『この期に及んで、口にするのはあのデカブツの名か!! 断じて許さん!!!』 『ひぃぃぃぃぃ!!! なんで二人してそんなに本気で怒ってるのよー!!!! 誰か助けてー!!!!』 痛みに塗れた記憶の中に自然と滑り込んできた数々の出来事。 『おやおや、捕まっちまったんですかい?』 『新記録達成まで後一時だったらしいんだがねぇ、残念だったな。さん』 『…うん…』 暮らし慣れた私室。
『新記録じゃありません!! お二人ともどうしてそう、能天気なのですか!!
『幸村の言う通りだ。帯刀もせず呑気にあちこちほっつき歩きおって……分かっているのか!!! 『ごめん〜。でもさ、長政さんや幸村さんのお陰で、の治安って凄く良くなってるじゃん。 『少しも懲りていないようだな…思い知らせてやろう…』 長々と続く厭味塗れの説教に付き合わされる内に、日は傾いて行く。 『あ、あのさぁ…三成……。足が痺れたんだけど…… 』 『知らんな』 『そんな事言わないでよ〜、痛いよ〜、もう許して〜』 『黙れ、痛くなくては罰にならん』 『幸村さん〜』 『だめです。今日と言う今日は聞いて頂きます』 『左近さん、慶次さん助けて〜』 『まぁ、夕餉までの辛抱でしょう』 『ハッハッハッ、今日の所は観念するしかなさそうだねぇ』 『鬼ー!! 皆、悪魔ーッ!!』 『誰が鬼だ!! 人が優しくしてやればつけ上がりおって!! 眼前で少しも姿勢を崩さずに座り続けていた三成がの声に激怒する。 "…あ、そう言えば……あの時、三成、本気で怒ってたなぁ…" 不器用な彼なりの優しさ、心配からくる怒りなのだと、今なら理解する事が出来る。 "…でも、あの時の私は逆ギレしたんだよねぇ…それで更に三成がキレたんだっけ…" 今まで悪夢に囚われて、険しく歪んでいたの顔がほんの少し柔らかく緩んだ。
『ちょ、なんでよっ!! ちょこーーっと抜け出して皆と仲良くしてきただけでしょっ!! 『説教が嫌だというから、一瞬で済む仕置きにしてやろうと言っているのだ。 『三成殿、ですから私はあのような刑罰はしませんから』 『黙れ幸村。というかお前もの横に正座しろ。 これは特別でも何でもない。この世界での日常そのものだ。 『…大変だねぇ、さんは…』 『私は…何かとんでもないものを押し付けてしまったのではないかと…』 『ややを、沢山産んだらどうですか?』 『俺にはお前を元の世界に帰してやる力はない。だが俺にだって与えてやれるものはあるんだ』 『安心しなよ、貴方からの見返りは求めてない。俺が欲しいのは、貴方の笑顔だ』 『傷は…消える…』 彼らと共に紡いできた時間の中に、何時の間にか痛ましい記憶の数々はぼやけて、溶けて、消え落ちて行く。
諦めて、拒絶すらしていたものがある。 『…ねぇ、彼は…今どうしてるの…?』 『…忘れた方がいい、あんな奴…』 『え…?』 『忘れた方が、ちゃんの為だよ』 それら全ては、自衛本能だ。 『可哀相にね…まだ待ってるんでしょ?』 『あー、302号の患者さんの話?』 『うん。…あんなにも一途だと…なんだか不憫でね』 『…まだ若いから…変な男に引っかかっちゃったのね…』 『…あれでしょ? 体だけが目当てのさ…』 『目的達成出来たから、はい自然消滅ってどんな神経してるのよ。本当、腹の立つ男よね』 『…自然消滅するにしても、何もこのタイミングでねぇ…』 『彼女が運び込まれて、一番危ない時に別の女といたらしいわよ。
『ああ、それ多分お姉さんのフィアンセよ。多忙なお姉さんの代わりによくお見舞いに来るのよ。 あの凶事を経験し、待ち焦がれた男の本性を他人の言葉で知り、絶望した。 "…信じない…もう…恋なんて……しない…。私は、一人で生きて、一人で死ぬんだ……" あの瞬間に決めた事。変わる事はないと思い込んでいた事。 『必死ですよ、あの方を失わない為に』 『全く……何があったのか知りませんが、こういう時は、まず左近の所へ全力で逃げてきて下さいよ』 『貴方に次が来ちゃ困る。その為にも頑なな心を開いてほしい』 『忘れるな、我は何時如何なる時もうぬを見ているぞ』 『世界を変え、場所を変えても…日常は自分次第で作れるものだ』 『俺は、あんたを護りこそすれ、あんたを泣かせるような真似、出来なくてねぇ』
"忠節"という言葉だけでは片づけられない多くの思いに支えられて生きてきた。 "……捨てたものじゃないかもしれない……諦める事はないのかも…しれない…"
彼らの誠実さに触れて、優しい眼差しを見て、声をかけられる度、頑なに閉ざしていた何かが解放されてゆく。
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