新築した城へとが移って数日が経った。
旧城へは浅井長政・市夫妻を新たな城主として残した。
それ以外の主だった面々は、皆揃いも揃って新生城へと移り住んだ。
旧城は四階建てだったが新生城は高台に六階建ての建造物で、の希望もあって地下室も作られた。
先々を見据えて、廓を三重にしたり、城下や廓のあちこちに井戸を掘ったり、上水道と下水道の確立をしたりと、奇抜ではあったが一見するとそれだけの物を作れる余裕が家にはある事を示したような城だった。
実際は、他所の城主が見目や娯楽品に注ぎ込む金を、一切合財建築へと費やしたからこそ成しえた築城だ。
あの呪われた城の跡地が、住む人間が変わるだけでこんなにも形を変えるとは思っていなかった土着民は、築き上げられた城を見て、大層驚いたものだった。
それもそのはず。風の噂で伝え聞いたの人となりは、破天荒であっても質素さを好み民を愛しむ謙虚な女というものが多かった。
そのような女が築いた城が、このように大きく堅牢で奇抜なものだったともなれば、誰だって驚く。
だが驚くべき点はそれだけではなかったと、新たな民は我が目を疑い、また同時に彼女に心服した。
それだけの出来事が引っ越し早々六日目にして起きたのだ。
そんなこんなで、話はその六日目、ちょっと前へと遡る。
「うわぁ……今日でこれ、何件目?」
「様、お気になさるな」
「いや、でもさー。ここまでとは流石に思わなかったよ? 人の思い込みって時に怖いなぁ…」
新生城へと引っ越して、の私室兼執務室を六階、政務階を五階、家臣団の私室を四階と定めて、荷解きと大まかな備品配置が済んだ後の事。
それぞれが執務へと取り組もうとしていた矢先に待ち受けていたのは、他勢力―――――この場合主に毛利―――――に踊らされた民の起こした一揆と、寄せられた膨大な苦情処理だった。
元々あるものをとことん再利用した築城だったわけだが、新築には変わりなく、しかも見目も立派な六階建てともなれば、見る者の受ける先入観は凄まじい。
「民を省みることなく血税を費やした」と風潮された為に起きた一揆の頻度は近年類を見ないもので、その度に幸村や兼続が一軍を率いて出陣せねばならなかった。
この一揆は、大抵旧北条領から発生した。
望まれて旧北条領を平定したはずなのに、結果的には掌を返されたようなものだった。
だとしても仕方がない。の政がかの地に及ぶ前に、先手を打つ形で扇動は行われていたのだから。
新たな土地でやらなければならない事は山とあるのに、人員を割かなくてはならない現実に、頭が痛い。
それだけでも面倒だというのに、新生城門前に設置した目安箱へ投げ込まれる書簡の数は尋常じゃない量だった。
しかもその内の過半数が、根も葉もない噂からきた誹謗中傷だった事も、疲労感に追い討ちをかけている。
投げ込まれた書状の検分に当たる、慶次、家康、政宗の間では適切な内容の書簡を探し出すことの方が困難で、度々溜息と愚痴とが口からは零れた。
「お、これは結構まともだね」
「何? どれ? どんなの??」
「山から暴れ猪が降りてきて畑を荒すってさ」
「あらまー、そりゃ大変ね」
「俺が行ってくるかね」
善は急げだと慶次が鉾を片手に立てば、は頷いて「いってらっしゃい」と笑顔で見送った。
「…逃げたな」
「ハッ!! しまった!!」
慶次がいなくなって数分後、書簡を掻き分けていた政宗が呟いた。
彼の言葉を受けて、初めてその可能性が含まれていた事に気が付いたと家康が手を止めた。
が、時既に遅し。慶次は今頃松風とともにどこ吹く風だろう。
「はぁ………ま、まぁ…仕方ないよね。猪はちゃんと退治してくれるだろうしさ…。三人でなんとか頑張ろう」
「ですなぁ」
溜息を吐いてからと家康は再び書簡へと向かう。
十五通片付ければ、三十通の新しい書状が届くという現実に、目頭が熱くなる。
負の感情に負けぬよう、互いを励まし合いながら従事する。
「皆様〜、お茶ですわー」
一向に減らない書簡と格闘するうちに、何度となくが茶を運んでくれた。
それを口に運びながら、三人は手だけは動かし続けた。
そうでもしなければ、評議場どころか隣室にまで渦高く積み上げられた書簡を片付けられそうになかったからだ。
「とりあえず、先に言っておくけど…二人とも肩が凝ったら言ってね。私が指圧するから」
「それは嬉しゅうございますが…」
「殿の肩が凝ったら誰が揉むのじゃ、そこを考えろ」
「ああ、それもそうか……ねぇ、これやっぱり三人じゃ終わらないよね? 三成か左近さん呼ぼうか?」
また根も葉もない中傷だったとが手にしていた書簡を丸めて屑籠へと投げ入れてから伸びをする。
の言葉を受けた政宗と家康は、引き続き手を動かしながら答えた。
「左近殿の方が宜しかろう」
「じゃな、三成なんぞにやらせたら、新築の城に風穴が開くぞ」
「それもそっか……で、左近さんは今日何してるんだっけ?」
はゴキゴキと首を鳴らして、評議場の隅に作った勤務表を見た。
現代人ならではのの発案で作られたそれは、木簡の名札を従事する職務欄に合わせて引っかける形になっている。
これを見ればその日、誰が何をどこでしているのかが一目で分かるようにしてある代物で、機能性は抜群だ。
「あ。ダメだ……左近さんには新生城城下町の区画整理と住んでる人達の戸籍確認してもらってんだった…」
「秀吉殿は如何されているのか?」
「秀吉様? えーとね…秀吉様は……ダメね。建築に関わった大工衆引き連れて城壁整備中」
「「城壁整備?」」
二人が顔を上げれば、が答えた。
「町の周囲に、ちょっとした壁を作ってもらったじゃない? 縮小版万里の長城みたいな感じのやつ。
あれ、想像以上に高さがなかったからさ、少し増強してもらってるんだよね」
「ああ、なるほど。来る戦に備えて…ですか」
「うん。でもきっとそういうのが、煽られる原因になってるんだよね〜」
溜息を吐けば、政宗が珍しく労ってくれた。
「気にするな、小物には大器のしている事など分からぬ。得てして狂気と履き違えられがちよ」
「有り難う、政宗さん」
「しかし兼続も幸村も何時まで鎮圧に時間かけとるんじゃ!!」
「あー、その事だけど……山賊討伐とかもついでにこなしてもらってるから、そう簡単に戻ってこないと思うよ?」
顔を上げた政宗に指先だけで処理済の書簡の束を示した。
「一揆が起きた村の近くで山賊の略奪騒動が起きてるって苦情があったから、任せたの」
「そうか……ならば孫市はどうだ?」
「残念、技術力支援に従事してもらってる。
これだけ人が増えると治安も不安だし、そうなると警吏の人とかにも相応の防備は必要でしょ?
町の商業技術の向上も忘れられないしさ。当分、外回りから戻れないんじゃないかな。
ついでに言うと三成は引っ越しの残務一手に見てくれてるし、半蔵さんにはあらぬ噂を流してるバカを
シメてくるようにお願いしました」
「むぅ…やはり儂らでやるしかないのか」
「そうなりますなぁ」
ふぅふぅと息を吐いて、額の汗を拭う家康に、は申し訳なさそうな顔をして見せた。
「家康様、財務管理の途中に駆り出しちゃって、本当にすみません」
「いえいえ、帳簿の計算は少し時間をおいても出来まする。お気遣い下さいますな。
まずは足元を固めることこそ肝要」
「はい、頑張ります」
「それにしても……随分な数になりましたなぁ…」
「はははは……まぁ、いいですよ。後で掻き集めて焚き火して芋でも焼きますから」
「前向きじゃな」
「でなきゃやってられねー!! っていうか、豚女ってなんだ、豚女って!!」
ビリビリビリ!!! と音を立てて広げたばかりの書簡を破り捨てる。
続いて「誰が婚期逃したごうつくババァだ!! この野郎!! 三成みたいなこと書きやがって」と吐き捨てて、書簡を力一杯丸めて、屑籠へ向かい渾身の力を込めて投げつけた。
一事が万事この調子だ。いっそのこと全てを火にくべて巨大なキャンプアフイヤーでも作り出してみたい衝動に駆られるが、時として、まともな陳情が含まれているから侮れない。
「あーもー、本当、ムカつくなー!!
こっちとらここに来てから自然食続きで、炭水化物に餓えてるってのに、ブタとかデブはないでしょうよ!!
少なくとも体重5kg落ちてるってのに。憶測だけで悪態を吐くなっーつの、全く…」
そこで窓際においていたの携帯端末が鳴った。
かつて贈られてきた針のように私物かと思われていたそれは、実はそうではなかった。
こちらの世界の未来の技術で開発された多機能ツールだったのだ。
何故それを知る事が出来たかと言うと、その事を記したメモが本体の中に残っていたからだ。
用途は限られるが太陽電池で充電が可能な分、現代で流通する携帯端末よりよっぽど使い勝手がいい。
現代のネットとも機能は限られてはいるが、繋がるには繋がる。
自分を導く未来人がこの品を送って、自分に何をさせたいのかはいまいち掴めない。
だが利用できる物はした方がいいに決まっている。
その為には常々こうしてツールの充電だけは怠らないようにしていた。
「しかし何時鳴ってもその音には慣れられんの」
政宗の言葉に「ごめん、ごめん」と言ってから、ツールを取り上げる。
「あ。そっかー、向こうはまだ猛暑日なんだ〜。こっちも暑いけど、きっと向こうよりはマシなんだろうな」
開いたツールのディスプレイに表示される天気予報と湿度の表示は、現代のもの。
時たまそこに緊急ニュースが配信されて来る。
今となっては遠い世界の出来事ではあるが、自分がいた世界のことを知る事が出来るのは、純粋に嬉しかった。
重責を背負い、常に命の危険に晒されるが、あの薄桃色の箱を開く時は、ほんの少しの安堵を示す。
それに気が付いてしまえば、それを非難したり取り上げる事は酷だ。
政宗と家康はから視線を逸らして眼下の書簡へと向き直った。
「ふーん、ところにより一時的な雷雨あり…か。大変ねー。
あらら、季節外れの台風まで来てるの? それも結構大きい…異常気象もとうとうここまで来たかって感じねー」
ぶつぶつと独り言を繰り返し、それからふと我に返って、はツールを閉じた。
「もう宜しいので?」と家康が視線で問えば、は「どの道、今私に出来る事は、ないからね」と苦笑した。
「さ、私には私の今出来ること。ちゃっちゃっちゃっ! とやっちゃいましょう!」
実に前向きで健気な人だと、二人は小さく感嘆の息を吐く。
そういう人だからこそ支えたいと思った。
この人の導く世界を見てみたいと思ったのだ。
「こんな罵詈雑言、早々続かないよね。
半蔵さんが流してる人をシメてるだろうし、元になってるであろう毛利は、その内私が直に拳でシバクから
いいんだ、うん。見てろよ、毛利め!! 向こう数日、起きられなくなるくらい殴ってやる」
の独り言に政宗と家康は同時に笑った。
「毛利も後悔先に立たずじゃな。あの三成すら撃沈した拳ぞ」
「違いない」
結局その日だけでは舞い込んで来た苦情の処理は終わらなかった。
二日目も丸まま費やして、それでも三分の一も処理出来ないまま日は暮れた。
新居生活三日目。朝から兼続、幸村、左近を加えて取り組んだが、進展らしい進展はなかった。
というのも、力仕事の陳情を見つけた慶次が、またさっさと出て行ってしまい、家康は一昨日から放置した財務管理に戻らざるえなかったからだ。
だとしても生真面目に取り組んでくれそうな兼続と幸村が加わってくれた事は力になるはず。
そう踏んでいたのに、それは大きな間違いだった。
彼らは誹謗中傷の的になっている以上に罵詈雑言に反応した。
投書した者を見つけ出してきて、命で償わせてやると度々席を立ったのだ。
幸村が無言で槍を取ればが慌てて宥めて、兼続が立ち上がれば政宗が釘を刺す。
勿論、この時に二人の間には険悪なムードが生まれる。
片方が落ち着けば、必ずもう片方が過剰反応をするという無限ループに、と政宗の忍耐の限界はあっという間に臨界点寸前となった。次に何かがあれば、問答無用の鉄拳制裁になるだろう。
これでは何のためにここにいるのかが分からないと、一人黙々と処理していた左近が眉間に皺を寄せて口を開いた。
「もうあんたらいいですから。兵の鍛錬でもしてきて下さいよ」
左近の有無を言わせぬ迫力に負けた二人は、力になるどころか昼前に評議場を追い出された。
「……全く……本当、腹が立つ!!」
「半蔵は何をしてるんじゃ!! ちっとも減っておらんではないかッ!!」
もう誰に怒っていいのかが分からないと頭を抱えて唸ると、この場にいない忍軍頭領へと八つ当たり し始める政宗に、左近は言った。
「あの大将のことだ、触れ回ってる奴はとっくの昔にシメてるでしょうよ。
問題は、吹き込まれてる民の口に塀は立てられないってことだ」
「はー。そっかー。人の噂も七十五日って言うしね、今は忍耐ですよ。政宗さん」
標的になっている本人の言葉に政宗は感動を禁じえないが、にも確実に限界は来ているようではあった。
作った拳をわなわなと震わせたかと思えば、空気に向って何度か拳を突き出していたくらいだ。
「姫、徳政令でも施しますか? すれば一発ですよ」
「んー、それは無理。それを今ここでやっちゃうと、今度は他所の地域から不満が出るでしょ。
治める全ての地域に徳政令を出す余裕はないし……家康様の仕事をこれ以上増やせないしね。
昨日だって、途中からこっちの仕事を手伝ってくれて、そのせいで殆ど徹夜だったのよ?」
それもそうかと、三人は同時に溜息を吐いた。
「…はー、流石に肩凝ってきた……」
誹謗中傷が記された書面を丸めて屑籠へと放り込んで、伸びをする。
そこへが本日の昼食となる盛り蕎麦を持ってやって来た。
「皆様、お昼ご飯ですわ〜」
「あー、有り難う〜。ちゃんのそののんびーりとした声と朗らかな笑顔だけが今の私の癒しよ〜」
自分の周りに散乱する書簡をさっさっと片付けて、三人は支度された蕎麦をすすった。
「そういえば、様。明日はまた新しい陳情書が沢山届くかもしれませんわ」
「え、なんで?」
「先程、お葱を仕入れた時に聞いたのですけれど……昨日、この付近の村で落雷があったそうですの」
「落雷?」
「ええ、なんでも通り雨のようなものだったらしいのですけれど、その雷に打たれて倒れた老木が
村と街道を繋ぐ道を塞いでしまって、ちょっとした小火騒動もあったそうですのよ」
「うわぁ……マジで?! まぁ、でも自然災害だから仕方ないね」
「慶次さんが明日姿を消す理由はそれに決定ですかねぇ」
左近の冷静な言葉に、と政宗は同時に噴出した。
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