暗闇の中で見つけた恋 - 左近編 |
「…ごめんなさい、きっと…きっと、思い出すから…ごめんなさい…」 涙を拭い続ける時に見た己の左腕には真新しい包帯。 「姫、そんなに自分を責めなさんな」
労ってくれる婀娜っぽい男の声に安堵する。それと同時に、彼の声を聞いて、彼に優しくされればされる程、胸の中に空いた穴が大きくなってゆくような気がした。 「……ごめんなさい……ごめんなさい…忘れたくなんかないの…。 それが悲しいと、悔しいと、切ないと、は泣き続けた。 「伝令!! 西の城壁全面崩壊!! 城下が完全に水没致しました!! 城内へも水が!!」 瞬間、が目を大きく見開いた。 "……一日…遅れで………こっちにも同じ事が起きてる……?" 現代とは似ても似つかない脆い平屋造りの家屋を見下ろし息を呑み、
"バカか、お前はっ!! 周りを見なさいよ!! こんだけ天候が荒れてくれば、いい加減分かるでしょ?! もめ事を起こした大工の棟梁を素手で殴って叱責した。 "ああ、それよりも聞いてくれ。旧城は一先ず無事だ。 "早速だけど補強手伝って!! 今は一人でも力のある人が必要なの!! 帰還した慶次から得た情報と自分が下した命令。 "落ち着け、一体どうした? 何があるというんだ。言ってみろ" "……あ、あ…み、三成…どうしよう……どうしよう……またくる…" "なにが?" "台風……それも、この前のより……ずっとずっと大きいの……沖合いで三つの低気圧が一つになっちゃったって…!!" 『…そうだ、台風だ……今、ここは…台風に脅かされてる…!!』 入り乱れる記憶に翻弄されて呻いた。 "……四日後……四日で来る…" "よし、迎えうつぞ" "どうやって?! 自然災害なのよ?!" "だがこの前は乗り切った。こっちは兵糧も薬もある、怪我人も少ない。 『…備えなきゃ……また来る……備えないと……皆が死んでしまう…!! そんなの、ダメだ!! 護らなきゃ!!』
痛みに耐えかねて両手で頭を抱えて身を捩れば、周囲が尚のこと、慌てふためいた。 『…知ってる…私は、この人達を知ってる……困難になる度、私は、この人達に守られてきた…』 天に轟いた雷鳴。 "様、どうか動かないで下さい!! 崩れますっ!!" 『!!!』 若武者に呼ばれた名こそが、自分の名だとはっきりと自覚した瞬間、は大声で叫んだ。 「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 呼び覚まされた記憶の本流が、苦痛を越えて、その先を事細かに見せて行く。 "慶次さん、これ、力一杯外へ投げてっ!! 今すぐっ!!" 慶次に向けて投げ放ったツール。 「あ、ああああ!! あ、ああ、ああ、あああ!!」 は腹の底から声を上げ続けて、己の体を掻き抱いて、のたうち回った。 「医者じゃ!!」 「誰ぞはよう医者を呼ばぬかッ!!」 秀吉、家康が血相を変えて叫び散らすのを、が掌を突き出して留めた。 「必要ない!! それよりも、今は対処が先!! 「ハハッ!!」 皆が目を丸くしての動向を見守れば、は何時もの調子を取り戻したように、すぐさま立ち上がった。 「って、皆、こんなところで何してんですか!! 早く、持ち場に戻るっ!!」 バランス感覚を取り戻したは、呆然としている面々の前を夜着のまま通り抜けた。 「な、おい、こら、待て!!」 「姫?!」 「様!! お体は…」 「お、おい!! 思い出したのか?!」 「さん、ちょっと待ってって」 慌てて追い縋ってきた面々を無視して、は階下の評議室へと向うべく歩き続ける。 『……そうか……そういう事ですか…』 その中において、唯一左近だけが複雑な眼差しでの小さな背中を見つめていた。
「とにかく、皆、気を引き締めて!! まずはこの状況を打破する事が先決です!! 『まぁ……よしとしますかね……振り出しに、戻っただけだ』 「左近さん、ぼやっとしないで!! 情報の統制、お願いします!!」 の言葉を受けて、左近は肩で息を吐くとすぐに何時もの飄々とした色を顔に貼り付けた。 「承った、左近の手腕、御覧に入れましょう」 左近だけではなく、の一声でその場に揃った城家臣団全てが改めて顔に覚悟と闘志を貼り付ける。
四方八方を滅茶苦茶にして去った台風二連発を凌ぎきり、復興へと動き出した新生城天守閣に座すは、目の前に座る左近に対して苦笑いを見せた。 「えーと、その………ごめんなさい…本当に何一つ、覚えてないです」 記憶を失ったと言った瞬間に見せたような落胆した表情はない。 「その…左近さんには色々お世話になったみたいなのに…本当に、ごめんなさい」 「構いませんよ。で、姫はどの辺まで覚えてるんですかね? 念の為に、聞かせて下さい」 元より諦めの境地だ。 「ええと……そう、あのツール! 慶次さんに投げてもらって…それから……っ…!」 それ以上を考えようとすると、酷い頭痛を引き起こすのか、は顔を歪ませる。 「姫、もういいです」 「う、ううん……大丈夫…もう少し…」
無理をしているのが分かるから、それ以上を求める事は出来なくて、押し留めようとするのに、は突っぱねる。 「…そ、そう……それで……その後は……気が付いたら、ちゃんが抱き付いてきて……」 苦しそうに肩で息を吐くの傍へと進み出て、背を撫でて落ちくように促した。 「もういいですから。本当に無理だけはしないで下さいよ。すぐに記憶が戻っただけでも運がいいんだ」 「で、でも…」 「いいんですよ、死にかけてたんだ。正に極限状態って奴です。 「そう……そんな事になってたんだね…」 過ぎた事、忘れていた事とはいえ、恐ろしいと身を竦ませるを左近は宥めた。 「もう気にしなさんな。天災は過ぎ去ったんだ」 「う、うん……でもね、左近さん……やっぱり、悪いよ…そんな思いまでしてくれたのに…」
「姫、記憶は記憶ですよ。必要だと思えば、姫自らきっと取り戻す。だから焦る必要はありません。 「左近さん」 「だから、もうそんな顔、左近の前ではしないでもらえませんかね?」 無意識に溢れていたらしい大粒の涙を左近は指先で拭い、笑う。 「左近さん…本当に、ごめんなさい、それとありがとう」 左近の着物を掴めば、瞬間、左の手首に巻かれた包帯が目に入る。 「伊賀の秘薬を侮りなさんな、跡形もなく、消えますよ」 「そうじゃなくて……何か、思い出せそうだったの。とてもとても大事なこと、なのに上手くいかなくて…」 表情を曇らせるの言葉に左近は息を呑み、それからすぐに苦笑した。 「姫、左近は、その言葉だけで充分ですよ」 が漏らした言葉で満足したのだろう。 「さて、それじゃ、そろそろ左近はお暇しますか。でないと、そろそろ殿が乗り込んで来る」 「うっわ、それ、凄い嫌。今は太刀打ちする元気ないよ」 想像しただけで顔を顰めるを見て、左近は笑う。
の私室を後にして、ほんの少し歩くと、左近は歩みを止めた。 「で、何の用ですかね?」 天上へと視線を走らせれば、左近の前に半蔵が降り立った。 「あの夜あった事は仮初でもなく幻でもない。少なくとも、影が知っている」 「…あんたに気遣われるとは…左近もヤキが回ったかねぇ…」 顔を顰めれば、半蔵は首を微かに横に振った。 「否定、無用。お前がそれだけ主に懸想する証というだけだ」 「言うねぇ。ま、否定のしようもないんですがね」
左近は眉をほんの少し動かして、溜息とともに自嘲したような笑みを貼り付ける。 「仮初じゃない…か。女心を考えると秘め事にしときたい話なんですがね…今回は救われたな」 半蔵が紡いだ言葉に妙に安堵した左近は、その場で一人独白した。 「左近!! 左近、どこにいる!!」 階下から三成の声が響く。 「はいはい、今行きますよ」 階段を降りる左近の声は、少し明るい。
"遠い未来との約束---第三部" 了
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一時の蜜月は霞のように消えてしまった。けれども彼女はそれを嘆いてくれた。彼にはそれだけで、充分だった。(09.02.21.) |