暗闇の中で見つけた恋 - 幸村編

 

 

『誰でもいい、様の瞳が孤独に曇る事がないように、誰か、誰か、早く様のお傍へ』

 の瞳が悲しみで歪むのが怖い。
自分の身を案じた時に瞳に刻まれたのは、心配や配慮だけではない。
当人は無意識なのだろうが、その瞳にはありありと孤独への恐怖が浮かび上がっている。

『死ねない…私は、このような所では……少なくとも…様の御前では、死ぬ事は許されぬ』

 外敵から、彼女の心を煩わすもの全てから、護ると誓った。
その誓いを違える事だけは出来ない。
けれども、現実は、その思いに反して厳しい。
 外には巨大な台風。
誰一人としてその存在を知る事がなかった通路。
その最中に隠し部屋のように作られた場所。
唯一の進路は流れ込んだ水で塞がれていて、身動きが取れない。
 食料もなく飲み水もない。
辛うじて暖を取れてはいるが、それとて何時費えるか分からない。
 そんな中にあって、彼女がまだ微笑んでいられるのは、誰かと共にいらるからだ

『嗚呼……天よ。もしこの方が世に必要というのであれば、伏して願い奉る。
 どうか、どうか、この方が無事に城の敷居を跨ぐまで、私の命を……この灯火を消すことがないように…』

 暗い眼差しのまま密かに願っていると、が声を発した。

「ねぇ、幸村さん」

「は、はい。なんでしょう?」

「あのさ、もし迷惑じゃなかったら、なんだけど」

 視線で先を促せば、は己の腕を擦りながら言った。

「隣に行っていい?」

「え、あ…」

 動揺する幸村へ、両手を合わせては願う。

「こういう状況だしさ、まるで誘ってるみたいでよくないって思うには思うんだけど……寒くて…やっぱ、ダメ?」

 「幸村さんの事信じてるし、幸村さんなら安心出来るからお願いするんだけど」とは強請る。
それを受けて、この時ばかりは自然と溜息が洩れた。
彼女の発想を咎めるつもりはない。仕方のないことだ。
ただ、今は、彼女の信頼が重かった。答えられる自信がなかった。
 けれどもそれを口に出すにはあまりにも非常事態過ぎて、憚られた。

「仕方ありませんね、今だけですよ?」

「うん、ありがとう」

「いいえ、どうぞ」

「はい」

 上座を立って下座となる幸村の隣へと移る。
幸村に寄り添うように腰を下したは、小さく笑った。

「どうしました?」

「うん、ちょっと考えた」

「どのようなことをですか?」

 話す度に腹部に痛みが走る。
けれども話し続ける事で、意識を繋ごうと思った。

「私の世界だとさ、こういう遭難してるみたいな状態の劇があるんだけどさ。
 劇中の主人公は必ず助かるのよ。それでその時に知り合った人と、絶対に恋に落ちるのよね。
 それでね、子供の頃は純粋にそういうシュチェーションに憧れたんだよね。
 極限の状態で素敵な男性に守り導かれて生を繋いで…っていう運命的にも思える展開にさ」

 そこで言葉を区切り、は苦笑する。

「でも、あれダメだね」

「だめですか?」

「うん。自分で体験して、すっごーーーく、実感した。
 だってさ、極限状態で、素敵な人は傍にいるけど、安心も出来るけど、恋なんか芽生えないよ? 全ッッ然」

 力一杯の否定に、少し寂しさを感じて見つめれば、はがっくりと肩を落とした。

「だってさ、怖いもん。すごく。助けは来るのかな? とか、皆は平気かな? とかさ。
 全然先が見えなくてさ、隣にいる人を愛しいとか思える余裕ないって。あれって、やっぱり作り事なんだなぁ」

 独白に思わず苦笑した。

「え、何、なんか変?」

「いいえ、ただ…」

「ただ、何?」

「余裕がないと仰っている割に、たまに様は大胆ですよね」

「え?」

「余裕がない、怖い。その通りなのでしょう。けれども、同時にそのようなことを考えてもいらっしゃる。
 充分、余裕があるように見えますよ?」

 幸村の言葉に、思わず押し黙ったは、次の瞬間には「違いない」と笑った。

『ああ、この笑みを見続けられることができなら、どんなにかいいだろう。
 こうして様が微笑み続けてくれるなら…私の命など、惜しくはないのに……』

 自身の体に掛る負担、限界の訪れを感じながら、幸村もまた微笑んだ。
不本意な現実を前に、揺るがぬ結末を予期したが故の、悲しみを押し殺した微笑みだった。

 

 

「……ん、あ、やば…寝てた?」

 どれくらいたったのだろうか。肌寒さを覚えては目を開けた。
幸村と他愛無い会話をしている内に、安堵に誘われて、何時の間にか寝入っていたようだ。

「あ…火、消えちゃってる…」

 生暖かい感触に心地よさを覚えながら、視覚から得た情報を整理した。
囲炉裏に入っていた火は消えて、室内は一層薄暗く肌寒い。

「そうだ、幸村さん?」

 顔を上げれば、幸村は座したままだった。
はそんな彼女の膝に上半身を預けて眠っていたようだ。

「あ、ごめっ!! 足、痺れちゃうよねっ」

 慌てて起き上がろうとして、座したままの幸村に意識がないことに気がついた。

「…幸村…さん?」

 自分と同じように寝ているのならばいい。いや、寝ているだけであってほしいと願いながら掌を伸ばした。
頬に触れれば、幸村の肌に生暖かさはあるものの、呼吸が弱くなっている気がした。
よくよく眼を凝らしてみれば、額には汗が浮き出ている。

「幸村…さ…」

 身を起すと同時に、幸村の体が傾いた。
咄嗟に両手で受け止めると、幸村の横顔がほんの一瞬、苦悶に歪んだ気がした。
 慌てては幸村をその場へと横たえた。

「えっ、何? どうしたの? どこが痛いの?! 怪我?! それとも肌寒いの?! ね、幸村さん、ねぇ!!
 目を開けて、教えて!! どうしたの?! どこが苦しいの?!」

 外傷がない分どうしていいのかが分からずに焦りが募った。
自分の無茶が呼び込んだ現実に、当然自責が湧き上がってくる。

「ごめんなさい、私のせいで…何時も何時も、迷惑ばかりかけて!!
 ごめんなさい、幸村さん!! お願い、目を開けて…!!」

 声をかけても幸村の意識は戻らず、治療しようにもどこが悪いのかも分らない。
かといって動かしてしまう事で一層状態を悪化させるかもしれない事を考えれば、触れるに触れられない。
 何も出来ない無力さを痛感し、は己の唇を強く噛んだ。

『ううん、だめだ。こうしてたって、何も始まらない!!』

 どうしたらいいのか、どうする事が最善かと考えて、はその場から立ち上がった。
室を出て、隣室へと出る。

なみなみと溢れる水面へと視線を凝らして、肩を落とした。
ほんの少しの隙間でもあれば、立ち泳ぎでもして出口を探せたかもしれない。
けれどその考えは叶うものではないと、すぐに理解した。
 階下に溢れる水は、流れ込んでくる濁流が循環しているのか、徐々に澱みを持ち始めていた。
仮に潜って進もうとしたところで続く回廊の長さは計り知れず、視界は悪い。
呼吸とてそう長く続くものではないだろう。

 現状としては八方塞な事に何ら変わりはないのだ。

「誰か…!! 誰か、お願い、気づいて!! お願い!!」

 狭い三畳四方の壁をくまなく触れて歩いた。
どこかに隙間はないか、この濁流の溢れる通路以外の出口はないかと、必死だった。

「お願い、誰でもいい!! 気づいて!! 助けて!! 幸村さんが大変なの!! お願い、助けてッ!!」

 一人になってしまう事への恐怖。
何時如何なる時も自分を信じて、自分の為だけに身を粉にして働いてくれた男の身に迫る死の影。
それを振り払いたいと思うのに、明確な手立てはなく、自身の無力感だけが際立つ。
それら多くの感情に、悪しき予感に打ち勝つことが出来ず、冷静さを欠いて、声を張り上げた。

「気づいて、お願い!! 私、ここにいる!! 幸村さんと、ここにいるの!!
 ねぇ、誰か答えてッ!! 誰か、誰かぁ!!」

 無意識のうちに泣きながら岩壁を両手で叩いていた。
荒削りの岩で肌が痛み、白く華奢な腕が傷つく。
それでも差し迫る恐怖には勝てなくて、泣き叫んだ。

「お願い、お願い!! 怖い…怖いよ…誰か…幸村さんを助けて……!! こんなの、やだぁ…」

 岩肌に爪を立てて、喉が枯れるほどの声を張り上げた。
それでもその場に反響するのは自分の声ばかり。
他にする音と言えば、濁流が紡ぐ不穏な音ばかりだ。

「お願い、誰か、助けて!!」

 痛切な叫び声を上げて叫ぶと同時に、の背へと両手が伸びた。
突然背後から掻き抱かれて、驚きで息が詰まる。

様…どう…されました…か…」

 擦れた声は幸村のもの。
安堵と恐怖を綯い交ぜに、息を呑み振り返れば、真っ青な顔をして幸村が立っている。
焦点の合わぬ眼差し、荒い呼吸、力の抜けおちんばかりの足。
それらを見て、彼は抱きしめて来たのではなく、寄りかかる場所を欲しているのだと悟った。
 はすぐさま手を伸ばして幸村を抱きとめた。

「ゆ、幸村さん…だめ、隣でて寝てて、無理しないで、私なんかのために」

 嗚咽で上手く言葉を紡げずにもどかしさを噛み締めていると、幸村は悲しそうに眉を寄せた。

「…幸村さん?」

「…ああ…やはり………私は、未熟だ…」

「え?」

 ずるずるとその場に崩れ落ちる幸村を支え切れず、もまた、その場へと膝をつく。

「貴方を…守りたいと……泣かせまいと……願うのに……何時も、何時でも…泣かせてばかりで…」

「違う、違う!! 幸村さんはすごいよ、ちゃんとしてる人だよ!!
 私が泣くのは…幸村さんが、私のせいでこんなに大変なことになってるのに、それでも優しいからだよ…
 …そんな幸村さんを失うことが怖いからなの!! 私のせいで、私の為に…こんな!!」

「…本望です、貴方の為ならば……私は、死など……怖れません…」

 ほんの少し嬉しそうに柔らかく微笑んで、幸村はの頬を撫でる。
慰めるように、勇気づけようとするように、懸命に唇を動かすのに、彼の喉からはふり搾られた呼吸が漏れるだけだ。

「だめ、死んじゃだめ……私を一人にしちゃ、だめ…絶対に、絶対に許さない……
 幸村さんがいなきゃ、私は全然幸せじゃないんだからね…」

 なんだかとんでもないことを言っている気がしたが、それどころではなかった。
ただただ、今は、己の肩を抱く彼の意識が費える事を怖れた。

「必ず、外に出れるから。出る方法はあるはずだから、だからもう少しだけ頑張って、お願い!!」

「…様……約束を…して下さ…い……」

「え?」

「もし…道が開けたら……一人で先に…」

「いやぁ!! そんな事言わないで…!!」

 ぼろぼろ溢れてくる指先で涙を拭い、幸村は言い聞かせるように言う。

「私は、ここを動きません……だから、助けを呼んで下さい……二人より、一人の方が早い…」

「だめ、絶対にだめ、一緒に行くんだよ。一緒に、出るの!!」

 力なく幸村は首を横へと振った。

「貴方は…人々の希望………私などに構ってはなりませぬ……様、どうか…どうか…」

「やだ……幸村さんをおいて行ったら、私は後悔する。先に進めなくなる!!
 幸村さんが何時も一緒に歩いてくれるから、進めてるの!! そこのところ、ちゃんと分ってる!?
 私が迷走した時に、自分で言ったよね? 叱ってくれたよね? 
 『何かを守る為に、何かを犠牲にする事は時として必要です。けれど私の知っている貴方は、
 それが出来ないお方だ。何もかもを守る方法を探す人です』って。それが今だよ? どうして分からないの!」

 懸命に訴えれば、幸村は薄く微笑む。

「ええ、言いました……だからこそ、願うのです……」

「え? 何言って…」

「何かを犠牲にする時……それが今です。貴方を救うために、私の命が必要なのであれば…」

「そんなのいらない!! 諦めないで、そんなの…勝手に決めないで!!
 いい?! もし勝手に死んだりしたら、許さないからね!!
 私、ずっとずっと、泣いて暮らすことになるんだからね…!!」

 叫んだところで、幸村の目が一瞬大きく見開かれた。
彼は渾身の力を込めて立ち上がると、の肩を掴んだ。
混乱するを押しやりながら隣室の前へと戻る。

 

 

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