暗闇の中で見つけた恋 - 幸村編

 

 

「え?! 何? どうしたのっ?!」

 問いかける前に幸村はを隣室へと押し込み、板戸を引いた。

「幸村さんっ?!」

 彼の行動が意味した事は、すぐに体が教えてくれた。

「ッ!!」

 爪先に冷たさを感じて、視線を落とす。
そこにはじわじわと染み込んでくる水がある。

「うそ……ちょ、ちょっと待って…これって…」

「…そちらから…隙間を封じて下さい…しばらくは、もちましょう」

 引かれた板戸に誰かが寄りかかったような衝撃を感じて、は息を呑んだ。

「止めて………こんなの……やだぁ!!」

 自分を盾にして、重しにして戸を開かぬようにする幸村を見捨てることなど出来ない。
は身を引くと質の中を再度くまなく家探しした。
その間にもじわじわと浸水は続いている。

「あった、これっ!!」

 見つけ出した木箱の中にあった金槌を両手で掴み、板戸の前へと戻った。

「幸村さん、座っててね!!」

 そう叫んで、返答を得る前に金槌を振り上げた。
数回力を込めて打ちつければ、上部の板が外れた。
金槌を放り出して両手でそこから板をべりべりと剥がしに掛る。

「なっ! 様!!」

 自分の気遣いなどなんのそのという様子のは、刺の立つ木片と格闘して白い掌を傷つけている。
咄嗟に手を伸ばして掴めば、は腰を落とした。
引き剥がした板が作った隙間の向こう側から互いに視線を合わせる。

「お願い、幸村さん。ここを開けて、私の傍にいて」

「…様…」

「どんな事になっても…この選択で、命を落としたとしても……私、幸村さんと離れ離れは、いや」

 涙を零しながらも気丈に微笑もうとするを見て、幸村は眉を八の字に寄せた。

「しかし…」

「こうして穴開けたら、同じだよ。逃げ場なんかないんだから……同じ。ね? ここ、開けて。一緒に、待とう?」

「…様」 

 自分の腕を掴む幸村の掌へともう一方の掌を乗せて、は額を寄せる。

「お願い、一緒にいさせて。最後まで…一人にしないで…」

 幸村は天を仰ぎ、きつくきつく両の瞼を閉ざした。
頼られていることが嬉しかった。
同時に、非力な自分を恨んだ。

『天よ…私は……なんと果報者なのか…』

 例えの言葉の奥に特別な意味がなかったとしても充分だった。
こうして最後の最後まで傍にいる事を望まれ、命を惜しまれて、他に何を望めばいいというのだろうか。
もう充分だと思った、これ以上は何もいらない。
ただただ、今は、だけを護りたい。
例え悲しませてしまったとしても、彼女の生存確率を高める為ならば、嫌はない。

様……お許し下さい…私は、ただ一度だけ…貴方の命に背きます」

 幸村は繋いだ手を振り払って、を突き飛ばした。

「きゃぁ!!」

 転んだが顔を上げれば、幸村がが作った穴を塞ぐように立つのが見える。

「どうしてよ…分からず屋!!」

 金切り声を上げて叫んだの声を聞き、幸村は苦笑する。
けれども彼の横顔は、どこか満足げだった。

 

 

 刻一刻と浸水は進み、の膝上まで凍てつくような水がたゆたうようになった。
もうじき軒下を超えて、畳の上へと浸水して来るだろう。
何か出来る事はないか、方法はないかと室の中を歩き回る。
一向に進展はなくて、時折、戸に駆け寄って、まだ幸村に息がある事を確かめては安堵する。

「どうしよう、どうしたらいい? 誰か、誰か早く気がついて…このままじゃ…幸村さんが…」

 悪い想像に押し潰されそうな心をなんとか奮い立たせて、また狭い室の中を彷徨った。
家探ししつくした棚の前で何度なく行き来する。

「…寒い……早く、逃げ出さないと…」

 己の手で腕を擦りながら歩き回り、ふと気がついた。

「え? …あれ?」

 確かめるように棚の前を一度、二度と往復する。

「風…? 風が…吹き込んでる?」

 出所を確かめるべく歩き回り、備え付けになっている棚の横に据え置かれている箪笥の前に立った。
何かを探すように腰を落とせば、吹き込む風に髪が揺れた。

「これ…ここ? 間違いない……ここ、向こう側が空洞だ…もしかして、ここ通路?!」

 箪笥へと手をかけて揺さぶったが、女の力では限界があるようで、なかなか動かなかった。
ガタガタと音を立てるだけで、進展はない。

「幸村さん!! 戻って、通路!! 通路みつけたよ!!」

 締め切られた扉の前へと戻ってバシバシと戸を叩いて声を掛けた。
だが戸の向こう側からは何の反応も得られない。
は業を煮やし、再び箪笥の前へと立った。

「使えるもの…何か、この箪笥を壊せるもの…」

 現代のクローゼットとは違い、重厚でしっかりとした作りの箪笥から視線を外して、再び棚を漁った。
今の今までこの場での使い道にはならないであろうと判じていた火薬の詰まった粉を見つけ出す。
は迷わずその火薬袋を取り出すと箪笥の中へ少量をぶちまけた。
幸村と自分の服を乾かすために張っていた縄を解き、導火線代わりにする。
火種が絶える事がないように少量の火薬を走らせて火打石をその導火線の上で打った。
囲炉裏に火を入れる事こそ出来ないだけで、火花くらいならばにも充分に散らす事が出来た。
一回、二回、三回と根気よく石を打つうちにコツが掴めてきた。
挑戦する事二十五回、散った大きな火花が導火線の上へと落ちて火花を走らせた。
 はすぐにその場から逃げだして、固唾を呑みながら動向を見守った。
火花が着々と距離を詰めて、箪笥の中へと消える。
それを確認してから膝まで浸水して来ていた水の中へと息を止めてから飛び込んだ。
軒下へと転がり込んで、目と耳を塞ぐ。
 瞬間、轟音を立てて箪笥は弾け飛び、室内を木片が舞った。
次いで、体を覆い隠していた水が一気に引いて行く。
 音が鳴りやんで静けさを取り戻すまで、は息を殺して待ち続けた。
舞い上がった粉塵や木片が落ちいて来たのを見計らい、軒下から這い出した。

「やった!! やったよ、幸村さんっ!!」

 が想像した通り、吹き飛んだ箪笥の向こう側に、空洞が開いていた。
人一人が辛うじて通れる程度の空洞だが、進める道が見つけられた事に自然と喜びが湧き上がった。

「幸村さん、ごめんねっ!!」

 叫ぶが早いか、は畳の上へと上がり、狭い室の中で助走をつけると板戸へ向かって体当たりを入れた。
戸の向こうに立っていた幸村が倒れたと思しき音が上がる。向こう側にたゆたう水がいいクッションになっていてくれればいいと願いながら、もう一度、助走をつけてぶつかった。
幸村が守っていた戸は爆破の影響で脆くなっていたのだろう。
の力でも簡単に打ち破る事が出来た。

 大人の腰の辺りにまで及んでいた水が、一気に流れ込んでくる。
その水を掻き分けながら、は幸村の体を引き寄せた。

「幸村さん!! 助かるよ、私達、助かるんだよ!!」

 声をかけながら、は意識のない幸村を肩で支えて歩き出す。

「帰れるよ、きっとお城に私達、帰えれるんだよ」

 励ましながら、どこへ続くかも分からぬ暗くて薄暗い通路の中をは手探りで進み続けた。
時に段差に足を取られ、流れた水に足を滑らせかけながらも、意識のない幸村へと向かって話しかけ続けた。

「お城に戻ったら、また一緒に城下に行こうね。
 お汁粉食べて、お買い物して……それで、私はお風呂で替え歌、歌いまくって、幸村さんが見張りして…
 三成とかにバレて怒られても、何時ものようにフォローするんだよ」

 肩で息を吐いて、額に滲む汗を拭う事も忘れて、懸命に話しかけ続けた。

「幸村さん、私達、帰るんだよ……だから、だめ、諦めないで……目、開けて…」

 次第に声が弱くなる。
声が嗚咽へと変わってゆく。
 現状は変わった。
悪い想像になんか負けてはならないと、己を叱咤激励するものの、競り上がってくる不安は拭えない。

「幸村…さん……お願い、頑張って……もう少し、後少しでいいから…頑張って…」

 石を積み上げて作った通路はでこぼこしていて歩き難い。
時折、転がっている石で足の裏が傷つき、痛みでよろめき、幸村ごとその場へと転んだ。
その度に、抜けてゆく力を奮い起して立ち上がった。
何度かそうした行動が続くうちに、肩で彼を支えるだけの力を出す事が出来なくなった。
それでもは諦めず、幸村の事も見捨てようとはしなかった。
幸村の体を羽交い絞めにする要領で引き摺りながら、着実に通路の中を進み続けた。

「…そろそろ…明るくなって来たよ…出口かもしれないよ。頑張ってね、幸村さん…」

 肩で息を吐きながら話しかけて、続く通路の向こう側を目指した。
幸村を引き摺りつつ長い長い暗闇の中を進み続けて、ようやく、広めの地下道へ出た。

「………ついたよ、幸村さ…」

 一時休憩をしようと腰を下したは、そこで顔を上げて、次の瞬間には言葉を失った。

『そんな……振り出しに……戻った?』

 そこは、幸村とが流れ着いた室の前の個室よりも広さはあるものの、あの場と作りは全く同じだった。
ただ今度は、四方どこを眺めても、次の道へと続く扉が存在していなかった。

「………そんな……そんなぁ…」

 人は真に絶望すると涙など零れはしないんだなと、冷静に思った。
微かであっても見えていた一条の光は潰えて、胸には虚しさだけが広がる。

「……なんか…もぅ…疲れちゃったかな…」

 はそう呟くと、引き摺ってきた幸村を頑丈な壁へと寄り掛からせた。彼の隣りに腰を下ろす。
自分達が来た場所から流れ込んでくる水で体がかじかむ。
遠くで聞こえている水の音と、広がる暗闇の前に心細さが拭えない。
流れ込む水量も徐々に増えている気がした。

「……さ…ま…」

 の肩に、幸村の頭部が凭れかかった。

「……さ…ま…」

「幸村さん?」

 見上げれば、薄く瞼を開けた幸村が朦朧とした状態のままで、何かを言おうと懸命に口を動かしてた。
言葉にならない内容にもどかしさを覚える事はなかった。
ただ今は、彼に一時でも意識が戻った事が嬉しかった。

「……ごめんね…ここまで…みたい…」

 は疲れたと、倒れてきた幸村の肩へと額を寄せた。
幸村が眉を寄せて奥歯を噛み締める。
額に大粒の脂汗を滴らせながら、震える腕を上げてを労わり慰めるように撫でる。
そんな幸村の大きな掌に自らの掌を重ね合わせて、は言った。

「…でもね、安心なの…だって、死ぬ時は、幸村さんと一緒だからね。
 もう先に行けとか、一人で生きろとか、言わないでね。そう言ったって、もう遅い……ここ…袋小路だから……。
 ごめんね…巻き込んで……何時も、無茶ばかりして…迷惑掛けて……」

 視線をほんの少し上げれば、幸村は無理に微笑んで、視線でそんな事はないと示した。

「でもね、幸村さんと何時も一緒にいれて楽しかった。
 ずっとずっと、安心してたんだよ。だから、置いていかないでね」

 幸村が何かを言いたそうに唇を動かせば、は「無理をしないで」と幸村の口元へと指先を重ねた。

「…そうだ、どうせ死ぬなら……もう、いいかな」

 視線で何事かと問いかける幸村に向い、は自嘲の笑みを浮かべて言った。

「…ドラマのね、遭難した人同士の恋がどうの〜って話。あれさ、本当は嘘。やっぱり、惹かれるね」

 瞳を大きく見開いた幸村の前で、は襲い来る緩い眠りに意識を委ねるように瞼を閉じた。
幸村の唇に添えていた手も同時に崩れ落ちる。

「私の場合は……隣にいるの幸村さんだったけど…うんん、幸村さんだからこそ…かな…。希望を捨てずに済んだ。
 …本当、助けに来てくれたのが……幸村さんで良かったなぁ……」

「……さ…」

『………もういいだろうか…もう許されるだろうか… 』

「…今さらだけどね……勝手な思い込みだけどね……何時も無茶出来たのは…
 …何かあった時、必ず、必ず幸村さんが私を助けてくれるって……私、信じてた……うんん、知ってたの…
 …だから、無茶、出来てたんだなぁ……ごめんね、何時も何時も巻き込んで……本当に…ごめ…ん…ね…」

「……さ…ま……」

『…いや…許されずとも…よい……私は、ただ…今は…この方を…ほしい』

 幸村は瞼を閉じて、肩から力を抜いた。
倒れた二人の体が自然と重なり、続いて唇も重なる。

「…愛して……います………私は、貴方を…ずっと…ずっと前から……貴方だけを…」

 擦れた声でようやく紡いだ告白。
緩いまどろみの中に意識を任せたが、それを受けて、ほんの少し安心したように笑ったように見えた。
それだけが救いだと、幸村もまた微笑み、意識を闇の中へと落とした。

 

 

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