囚われの姫君

 

 

「ええええっ?! ちょ、ちょっと待ってよ! それってさ、財はあるって言ったけど…
 一言で言うと今のより被害が凄いし、自分達じゃ面倒見切れなくなったから面倒見てね、
 ってそういう事でしょ?」

 が思わず立ち上がって家康や秀吉を見やった。
視線を受けた二人も否定はせず、先の事を考えてでもいるように思い悩み、顔を顰めるばかりだ。

「なっ、無理だよ、無理!! 助けてあげたいとは思うけど、そんな事、急に言われても簡単にはいそうですかって
 受け入れられるわけないじゃん?! だって赤字覚悟の買占めだったのよ?!
 これだけ大地が荒れちゃってんだし、農業再開にだって時間はかかる。

 となけば今ある兵糧の放出なんか、そう簡単に出来るわけもないし。
 第一こっちだってまだ立て直し済んでないじゃない! そんな捨て猫拾ってくるのとはわけが違うんだから、
 頼られったてさ……ああ、もう!! 一体どうしろってのよ?!」

 その間に三成が左近の手から書簡を引っ手繰った。ざっと中を読んで三成は舌打ちする。

「余力がある事を隠せたら良かったんでしょうがねぇ」

「やってくれたな、長政め……まさかと思ったが、ここまでやったか」

「え? 何? どうしたの?」

 左近が代わりに答えた。

「命には忠実な長政さんの事だ、念には念を入れて責務を全うしたんでしょうな。
 御丁寧に防波堤の増強の為に再建設中の天守閣を潰して、全ての材料を補強材に回したようです」

「という事は…」

「ええ、あの災害を食らっていながらにして、被害状況が最小過ぎるんですよ」

「もしかして…それで目をつけられたって…そういう事?」

「ご名答」

「出来の差はあれ、どの国にも子飼いの忍の一人や二人はいるからな。
 事が済み、街道が回復してもの者が誰一人、物資調達に出ていないとなれば、 誰だって不審に思う。
 派遣された者が足を伸ばし領の現状を見れば、余力がある事は一目瞭然だ。
 何せここより遅れて行動した旧城ですら、最小限の被害で済んでいるのだからな」

「旧城へ届いたのが幸いだったな。
 こちらへ届ける時間、こちらに来てからの議論の時間という名目で、当面返書を遅らせられる」

 兼続が言い、安堵したのは束の間だった。慶次が冷静に言う。

「いや、どうだかな。あんな災害の後だ、どこもかしこも躍起になってるはずだ。
 旧城へ書簡が届いたのは、引っ越し先であるこの地への道がまだ開けていなかったからだろう?
 って事は復旧した途端、直でこっちに使者が来るぜ」

「ええっ?! そ、そんな…困るよ…こっちにはこっちの都合が…!!」

「…姫、だから書簡を見た時に左近は言ったんですよ。"思ったよりずっと早い"って。
 まぁ、何時かはバレるとは思ってたんだがね…しかし……意外な経路からバレたな」

 左近の言葉には顔面蒼白という体で息を呑む。
一度深呼吸をして、心を落ち着けて周囲の意見に耳を傾けようとするものの、の口を吐いて出た言葉は少しも落ち着きを取り戻せずに上擦った状態のままだった。

「ちょ、どうする? どうしよう?」

「姫はどうしたいですか?」

「どうしたいって…そりゃ、さっきも言ったように助けられるものなら助けたいけど……。
 でも、まだこっちだって全領の被害状況を把握してるわけじゃないし…。
 早期解決の為にも兼続さんや政宗さん、三成には領地の立て直しに行ってほしいと思ってたところなわけで……。
 そんな時に一国ならまだしも、一度に六ヶ国なんて面倒見切れるわけないじゃん!!」

「なら、断りゃいいんじゃないのか?」

「慶次さん?!」

 慶次が顎を擦りながら言う。

「何もさんが背負う話じゃないだろ。元々は他人の土地の話だ。
 予測云々の前に、さんのように事前に備える事はどこだって出来たはずだ。
 少なくともごたごた続きのよりゃ、連中の方が余裕があったはずだぜ?
 俺からしたら、こんな事になった途端誰彼構わず尻尾振るってのは、気に入らない話だねぇ」

「誰彼って…」

「姫、慶次さんの推測は正しい。きっと連中、あちこちにこれと同じ話を持ちかけてますよ。
 実際、書の中には九ヶ国の内の残り三国は、別の国に帰順したらしいとも書いてある」

 は何か感じ取ったのか、口元を押さえ、視線を伏せた。

様? どうかされましたか?」

 の心の動きを察した幸村が心配そうに問えば、は眉を寄せる。
己の中で考えをまとめようとしているようだ。

「これさ……きっと断ると、その六ヶ国もどっかへ帰順しちゃうよね?」

「でしょうね。一度膝を折ると決めたんだ、今更方針の撤回はないでしょう」

「台風被害にあってない連中も、そこを見越して動くだろうしな」

 孫市の言葉を受けて、は益々きつく眉を寄せた。

「…これ…それこそ全部断ったら、後々、を脅かす事になると思う。
 逆恨みを買う事になるかもしれないけど、でも、赤字になりそうもない所…もしくは、赤字であったとしても、
 今ので許容出来るかどうかを見て、自軍に組み込まないと……全てが片付いた時、今度は
 余所からやられる………そんな気がする」

 「この直感はとりこし苦労か?」と顔を上げて全員には問いかけた。
誰一人として、の直感を否定する者はいなかった。
それよりもこの短期間でがここまで政治について機敏に考えられるようになった事に驚いているようだった。

「こんな時じゃ、諸手を振って無条件降伏を受け入れるわけにはゆかんさ。かといって放りだす事も出来んわな」

「利に寄る者は、利が消えれば容易く寝返る。見極めは肝心だ」

 秀吉、兼続が険しい顔で言えば、が黙りこくる。
緊張しているのか、表情に陰りが生まれていた。
それを見取った三成が、何かを考えるようにふと視線を動かすと、次の瞬間には顔を上げた。

「分かった、俺が全土を回ってこよう」

「え?」

 驚いて顔を上げれば、進み出てきた三成がの横へと立つ。
彼は差し伸べた掌での頬を包み込むと、柔らかく微笑んだ。

「案ずるな、憎まれ役ならば慣れている。俺がこの目で見てきて判じよう。
 お前は俺からの文を待ち、ここでを皆と共に立て直していればいい。
 文が届いた時に改めて、この件を判じよ」

「…み、三成…?」

 今までとは打って変わった接し方に驚き、同時に戸惑っていると、孫市の声が上がった。

「善は急げだな、付き合うぜ」

「ま、孫市さん?」

「情報収集は、俺の専売特許だろ? 三成には君主側の対応を、俺は現実を見て来るぜ。
 離れ離れは寂しいかもしれないが、しばらくは我慢してくれよな、女神」

 孫市はそれこそ投げキッスでもしそうな勢いだった。

「じゃ、当面、殿の業務は左近が担いましょうか」

 の頬へと差し伸べられた三成の掌を左近がやんわりと掴んで下ろさせる。
三成と左近の間で、冷戦が勃発するのと同時に、の体が大きく震えた。

「えっ?! …ちょ、やっ!! こんな…と…き…」

さん!? 家康ッ!!」

 逸早く気づいた慶次が立ち上がるよりも早く、の意識は時空を飛んだ。

 

 

 机の上に突っ伏してがくがくと震えるの瞳は大きく見開かれていた。
額には大粒の汗が噴き出し、呼吸は荒く、眦には一筋の涙が浮かぶ。
全身が痺れてでもいるかのように、小刻みに揺れていた。

「…あ……ぁ……かはぁ………うっ…ぁぁ……」

 頭上で皆の声がするのに、酷い耳鳴りがしてよく聞き取れなかった。
何時もと違うと思った。
今まで経験したこの発作の圧迫は、必ず事が終わった後に襲いかかって来た。
このように痛みや負担の方が先行で襲い来るケースは初めてのことだ。
それだけに、自然と恐怖が湧き上がり、全身を覆い尽くした。

「う…っ……あ…ぁ…」

 視界が色を失う。
またあの世界へ、遠い遠い未来へと誘われる。

「「様!!」」

 進み出てきた家康と秀吉がそれぞれの手を取った。
家康は懸命に語りかけ、秀吉にはと似通った症状が表れだす。

「ぐぅっ!!」

「秀吉様!!」

 三成が支えようとすると、秀吉は三成の肩を掴み唸った。

「なんじゃ、こりゃ………前より……酷い……うぅ…ううう…
 …様……そっちに行っちゃいかん……戻るんじゃ…」

 

 

『え?』

 遠のいた意識の向こうで秀吉の声を聞こえた気がして、ふと立ち止まった。
振り返ってみたものの広がるのは暗闇ばかりで、幻聴だったのかと再び前を向いた。

『あ、あの!! 来ました、どこですか?! 用があるのでしょう? あの…聞こえませんか?』

 何時もならばすぐに導き手が現れる。
時間をおいたとしても、呼びかければ降臨してくれる。
それが今回はままならなかった。

『…冷たい……とても……寒い……ここは、どこだろう? 今までとは、全然違う世界のような気がする……』

 導き手降臨の気配はなく、崩壊した世界もこの場にはない。
ただ延々と無明荒野ばかりが広がっている。
その中では無意識の内に願った。

『ここはどこだろう? 誰か、いないのかな……誰でもいい、会いたい…』

 突然、頬に何かが当たって驚いて目を閉じた。
それは一度、二度と続いた。

『え? 何? なんなの?』

 生温い何かが頬を伝い、不快だった。
堪らなくなって、掌で拭ったそれは、真っ黒な液体だった。
気味の悪さに震えながら気がつく。その液体には血のような匂いがある事に。

『…ここ、本当に…一体…?』

 身を引いて目を凝らせば、垂れてくる液体の量は徐々に増えて、滝のような流れになった。
もしこれが血だとしたら、これ程出血しては、命に関わるだろう。
漠然と心配になり、流れる液体の元を確認しようと、恐る恐る頭上を見た。
次の瞬間、は息を呑んだ。
 どす黒い液体の中心に、青く美しい球体が浮かんでいた。
その中に、白銀の衣装を着た美しい少女が横たわっていた。
お伽話にでも出てきそうな、か弱い印象の幼い姫君だ。
毒でも盛られたのか彼女の指先はどす黒く変色していた。
いや、それだけではない。彼女の体から流れ出る血が、あの黒い液体だったのだ。

『なっ!! あ……だ、大丈夫?! どうして?! なんでこんな…!!』

 救わなくてはならないと咄嗟に判断して掌を差し伸べれば、青い球体の表面が波紋のように揺れた。

『水? 水に覆われてる? これは…一体、何?』

 だがこれが水であるのならば、中で横たわる彼女を引き摺りだす事は容易いだろうと手を中へ入れようとした。
けれどもの差し伸べた掌は今度は球体に拒絶されて弾かれた。

『っ!!』

 掌に叩かれたような痛みを覚えて顔を顰めれば、球体の中の少女が閉ざしていた瞼を開いた。
右目は透き通るような青。
左目は毒に侵されたような漆黒。
その瞳でを見た少女は、己の着物で口元を押さえた。
酷い咳が続いて、吐き出された黒ずんだ液体で、純白の着物が汚れる。

『だ、大丈夫?! ねぇ、平気?!』

 居た堪れなくなって、胸が熱くなった。
何かしてやりたいのにそれがままならぬ現状が歯痒い。
無意識の内に苛立ちを覚え、無力感に苛まれて、目頭が熱くなる。
 そんなの心の動きを表情から察したのか、少女は泣いた。

 

 

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