囚われの姫君

 

 

『…助けて…苦しい………誰か…私を助けて…』

『分かった、助ける!! 私に出来る事があるなら、言って!! 助けるから、どうにかするから!!
 薬は? 貴方のお父さんとか、お母さんはどこ?』

 再び手を差しのべて球体に触れた。今度は包み込もうとするように両手だった。
例外なく、両手に打たれたような痛みが走る。
それでも差し伸べた掌を引っ込めようとは思わなかった。
目前の少女の苦しみに比べれば、何という事はないと、そう思ったのだ。

『助けて…人の子………私を……助けて…』

『え?』

 変わった物言いをすると怪訝な面持ちをするの体が急に揺れた。
足場を失って、どこかへと落とされるような浮遊感を覚えて、無意識の内に球体に爪を立てた。
球体ごと落ちているのか、それとも落ちていること自体が錯覚なのか、定かではなかった。
 ただ不安になって、現状を把握しようと、視線を己の足元へと移した。

『…え? こ、これって……何時も…見る…世界?』

『痛い……痛いよ……痛いよ…』

 以前見た時よりも進んだ崩壊。
天にも薄らと雲が広がり、世界へと闇が戻り始めている。

『痛い…よぅ……助けて…人の子……痛い…苦しい…』

 世界が荒れる度、球体の中の少女は苦しむ。
その様から、彼女の正体を感じ取ったは息を呑んだ。

『……あ、貴方は…もしかして…この世界なの? ……この世界……そのものな…の?』

 馬鹿げた想像だと心のどこかで否定する。
だが自分自身が時空を超えていること自体、想像を絶する出来事だ。今更、何が起きて、現れてもおかしくない。
 は胸に浮かんだ疑念を振り払い、懸命に問いかけた。

『どうしよう…どうしたら…どうしたらいい? 何が必要なの? どうすれば、貴方を救えるの?!』

 の言葉を聞いて、少女は苦しみを堪えながら、切々と願った。

『…助けて…人の子………壊れたく……ない…よ………昔のように……人と……動物と……みんなと…暮したい…』

 少女の言葉を聞き、答えなくてはと言葉を探す内に、強い引力では大地へと引き摺り落とされた。
掛る圧力から身を守る様に自分を抱き、襲い来る自然の脅威が恐ろしくて瞼を閉じて、耳を塞ぎ悲鳴を上げた。
 強い衝撃はなく、大地に降り立てた事には安堵したが、ようやく降り立った大地は、またしても砂漠。
緑は当然のことながら、建造物など影も形もない。

『た…すけ…て………人の…子……私は……まだ…壊れたくない…』

『……あ、待って……待って、助けるから!! 頑張って!! 絶対、私がどうにかするからっ!!』

 こみ上げる不安と戦い、溢れて来た悔し涙を振り払い天を仰いだ。
遠く遠く、遥か彼方に見た暗闇の奥で、少女の身を包む青い球体を何者かの掌が覆い隠そうとする。
圧倒的な存在感、身が竦むほどの覇気を持つその掌を前にすると、自然と全身が震えた。
抗いようのない恐怖を覚えながら、同時に、そこから逃れようとでもするかのように声を発した。

『あ、あんたなんかに負けない!! 未来は、その子は、この星は、私が護る!!』

 絶叫したの前から青い球体が消える。
それと同時に、の意識もまた現世への道を辿り始めた。
無重力状態で時空を流れながら、は薄れゆく己の意識を繋ぎ止めようと、必死で目を凝らした。
の意識が遠い時空の先から切り離される瞬間に見たのは、青い球体を覆い隠そうする掌と舞い散る黒い羽根。
はその向こうにニヒルに笑う男の口元を見た気がした。

 

 

様!!」

 気だるさを全身に纏いながら、視線を彷徨わせた。
皆の元へと戻ったのだと判じて、肩から力を抜いた。
察して逸早く秀吉が手を離せば、慶次が進み出てきてを抱き上げた。
秀吉が放したの掌の上に、火傷のような赤みを帯びた傷が薄らと浮かび上がる。
こんな形で余韻が出る事も初めての事で、皆は互いに顔を見合せて、息を呑んだ。

「…少し、休んだ方がいいな」

 慶次の言葉を聞いた幸村が頷いて、薬師を呼ぶ為に室を後にした。
すっかり慣れてしまっている面々の中、これを初めて目にすることになった孫市だけが真っ青な顔をしていた。

「…慶次さ…ん…」

「大丈夫かい? さん」

 なんとか辛うじて頷いて返事をして見せて、それからは左近へと視線を移した。

「どうしました? 姫」

 震える唇を懸命に動かして、は言う。

「六ヶ国…出来るだけ…多く………受け…入れ…」

 言葉は最後まで続かず、の意識はそこで潰えた。
慶次が評議場を出るべく歩き出し、家康が後に続く。
と似たような肉体的疲労を抱え込んだ秀吉がその場で大の字にひっくり返る。
秀吉は大きく胸を揺らし、肩で息を吐きながら言った。

「左近、三成…なんとかせにゃならんわ………きっと…これが……今度の試練じゃ…」

 三成が頷き、すぐに身を引いた。

「孫市、一刻の猶予もない。すぐここを発つぞ」

「そりゃ構わないが…何だよ、アレ? 一体何が…」

「時間が惜しい、道中話してやるからさっさとしろ」

 歩き出した三成は孫市の髪を引っ掴むと室を出て行った。
続いて兼続、政宗が身を引いた。方法論でこそ相反していても二人の考えた事は同じだった。

「旧領下の再興、北条も含めて我らに預けてもらおう。行くぞ、政宗」

「ふん、言われるまでもないわ」

 

 

「左近、ちぃとばかしいいかの」

「大殿」

 三成、兼続、政宗の担っていた仕事を一手に引き受ける事になった左近の元へと、秀吉が訪れた。

「どうされました、珍しいじゃないですか。大殿がそんな顔してるなんて」

 広げていた書簡をかたし、茶器を引っ張り出す左近の前に腰を落とした秀吉は珍しく険しい顔をしていた。

「いやな…お前さん、今どれだけ人を頼れるかと思うての」

 手際よく茶を入れて、秀吉へと差し出しながら、左近は唸った。

「牢人生活は長かったんですけどねぇ…今となっては顔見知りは散り散り、行方知れずです。
 しかし、なんでまた急にそんな事を?」

 秀吉は湯呑を傾けながら、眉間を押さえた。

「信長様をはよう探さにゃならん気がしての」

「ああ、それで…ですか。半蔵さんに依頼してますが、難渋してるみたいですね。
 まぁ、手掛かりが何もないんじゃ無理もないだろうが…」

 意外と牢人の情報網は侮れないと相槌を打つ左近に対し、秀吉は首を横へと振った。

「そうじゃないんじゃ、左近」

「ハイ?」

 秀吉は手にした湯呑を下した。

「後で慶次にも言うとくつもりじゃが、おみゃーさんら、覚悟せにゃならんよ」

「何をです?」

様の事じゃ」

 いまいち掴めないと眉を動かす左近に、秀吉は珍しく真剣な眼差しを向けた。

様が意識をなくした時、わしゃ、様の後を追った。
 わしには今回は様が見たものはよくは見えんかった。見えんかったが…これだけはよく分かった」

「は、はぁ…」

「ありゃ、とんでもない憎悪…いや、殺意じゃ」

 持ち上げていた湯呑を左近が下す。

「前とは違う、何かとんでもない…とてつもない意思が動いとるんさ」

「意志…殺意ですか?」

「ああ、様に何かを課した者がおると、家康殿は言うとった。
 だがその天意は、同時に、様を殺そうとしとる」

「馬鹿な!! なんでそんな事をっ?!」

 思わず声を荒げれば、秀吉は視線で左近の動揺を制した。
事が事だけに、周囲へ漏れる事を恐れたのだ。

「分からん、まだよくは見えとらん。じゃが、わしはこう思うんじゃ。
 あの意思は、様を疎んじておる。様におられちゃ、迷惑なんじゃ」

「なんでですか、姫は天下を平らげ普く者へ安寧を与えようとしているだけだ。
 第一、うちの姫ですよ?! あんな平和ボケした私欲の薄い女を、誰が疎まにゃならんのです?!
 兼続さんの言葉じゃありませんけどね、疎む奴がいるとしたらそいつの方が不義でしょうに」

「わしもそう思う。じゃがあの意思は恐ろしいぞ。徹底的に様を排除する気じゃ」

 左近の顔に、冷徹な怒りが浮き上がってくる。
秀吉は、と繋いでいた己の掌を見下ろし、腹の底から息を吐いた。

「この間の台風もな、様を排除しようとする天意が起こした策みたいなもんじゃ」

「まさか」

 自然災害を策と言い切られて、左近が引き攣った笑みを浮かべれば、秀吉も同じように笑った。
互いに引き攣った笑みだった。

「言うたろう? 得体の知れぬ天意が抱いた殺意じゃ、生半可なもんじゃないんさ」

「確かに…姫は危うくあの天災で命を落としかけましたが…」

 が城壁から転落した瞬間を思い出したのか、左近が強く首を横へと振った。
あの時の抱いた恐怖を振り払いたいと、無意識に起こした仕草だった。

「あれは序幕に過ぎんのやもしれん……今日わしが感じた殺意は、もっともっと性質が悪い」

「根拠がおありで?」

 左近が眉を動かして問いかける。
秀吉は、なくてはこんな話は出来ぬとばかりに眉間に皺を寄せた。
彼は掴みどころのない何かが、愛娘のように愛でている君主を脅かしている事が腹立たしくて仕方がないのだろう。

「あの天災で様は一時は命を危ぶんだが、結果的には命を繋いだ。じゃが、本番はきっとこれからじゃ」

「冗談よして下さいよ、ただでさえ人手が」

 言いかけて、左近は気がついたように息を呑み、目を見張った。
視線を合わされた秀吉がゆっくりと頷く。

「そうじゃ、本当の狙いはそこじゃ。
 天意は、様から守護する者を遠ざける為に、あの災害をに齎した…そう思えてならんのじゃ」

 一呼吸おいて、秀吉はいう。

「今、は激動の中におる。領地が増えるかどうかの瀬戸際、増えた所でそれは望ましい形じゃないんさ。
 ちゅーことは、常に反乱・裏切り・簒奪の危険と背中合わせじゃ」

「元の領地は復興に追われ、人手が足りないのは誰の目から見ても明白…」

「じゃろう? ここんところ、機動力、腕力に秀でてるっちゅー理由で慶次までが復興に駆り出され続けとる。
 おみゃーさんらが代わる代わる様の守護を担って来てたが……」

「…今日……一度に…四人抜けた」

 二人は同時に息を呑んだ。背筋を冷たい汗が流れ落ちる。

「ち、ちょっと待って下さいよ」

 左近は湯呑をおいて、片づけたばかりの書簡を引き寄せて、何かを探し始めた。

「…おいおい、冗談じゃないぜ…」

 見つけ出した数枚の書簡を代わる代わる眺めた後で顔を上げた左近の顔面は、蒼白だった。

「今の状況じゃ、幸村さんは明日から延々外に貼り付くことになる」

 

 

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