囚われの姫君

 

 

「配下武将はどうなっとる?」

「伊達・徳川勢は旧領下復興の為に一部の将兵を残して後は散り散りになりますね。
 一ヶ所に長くいられなかった豊臣勢はこの地に残るように手配してますが、復興に従事してて、
 とても護衛を担える状態じゃない」

「伊賀勢はどうじゃ?」

「情報統制、それから信長公探しに躍起だ……本当、冗談じゃないぜ……今、姫を守る為に動ける奴はごく僅かだ」

「ああ、そうなんじゃ。わしらじゃって、腕に覚えはある。けどな政務にかかりきりじゃ何時か限界がくるで」

 手にしていた書簡を放り出し、左近は秀吉と向かい合った。

「大殿、何かお考えがあるんですよね?」

「考えちゅー程のものんじゃないがな、明日から慶次には復興から一切手を引かせる」

「慶次さんを?」

「ああ、うちにいる武将ん中で、一番武に秀でてるンはあいつさ。あいつに賭けるしかない。
 当面、あいつには四六時中様にくっついててもらおうと思う。
 あいつは力仕事はともかく、書簡睨んだり政務を根気よくこなせるような男じゃないからの。
 全ての政務はわし、家康殿、幸村、左近。この四人で捌くんじゃ」

 左近は苦悶に顔を歪ませ続けた。
秀吉の言葉が一番適しているとは言っても、感情が追い付かないのだろう。

「大殿……一つ伺っても…」

「なんじゃ」

「…家康も大殿も何故そこまで信長公に拘るんですか? あの方を探さなきゃ、半蔵さんを呼び戻せる」

 もう一つの可能性を示唆すれば、秀吉は首を横へと振った。

「すまんな、左近。こればっかりは、言葉では言い表せんのじゃ。
 わしも家康殿も様と出会った時に、妙な縁を感じた」

「その縁が信長公にもあると?」

「ああ。わしと家康殿を導いたのは信長様じゃ。
 わしは、時々こう思うんじゃ。わしら二人は、信長様へと様を導く為の存在やもしれんと」

「それで…ですか」

「それだけでもないんじゃよ」

 怪訝な顔をした左近の前で、秀吉は掌を突き出した。

「家康殿は、様を呼び戻す。わしは、様が語れぬ事を語る。もし信長様と様に縁があれば…」

「そうか! 姫を支える何かが、信長公にも…」

 秀吉は大きく一つ頷いた。

「賭けかもしれん。ただの思い込みかもしれん。
 けどな、感じるんじゃ。様は信長様と、必ず惹きあっとる。

 物事には時節がある。じゃが、その時節が揃わぬ今、待つばかりじゃダメじゃ。
 人の輪をもって、引き寄せる以外ない」

「大殿、姫の敵は…まるで時節だとでも言いたげですよ」

 混ぜ返せば、秀吉は突き出していた己の掌を見下ろした。それから何度も頷いた。

「そうじゃな、そうかもしれん」

「え?」

様の敵は、時節の大きなうねり…ちゅうんかな…?
 捻じ曲げられた何かが、何かを元通りにしようと躍起になっとる結果なのかもしれんな。
 左近、おみゃーさん、面白い事に気がつくの」

 そんなつもりではなかったのだが、真に受けられた左近は苦笑した。
秀吉は手を下し、冷めてしまった湯呑を傾ける。

「じゃが、くだらん天意なんぞに好きにはさせん。
 皆が笑って暮らせる世を築けるお人は、今となっては様だけじゃ。

 それを護るのは当然じゃからな。普通に、ありじゃろ?!」

 秀吉の言葉を受けた左近は、その通りだと決意も新たに強く頷いた。

 

 

「…え…兼続さんと政宗さん、孫市さんに、三成が?!」

 意識を取り戻したの傍に座す慶次からの言葉を受けて、は顔を強張らせた。

「ああ。事情が事情だからね、三成には松風を貸したぜ」

「松風が慶次さん以外に背を貸すなんて…」

「想像できないかい?」

 緩やかな動作で頷くに対して慶次は笑う。

「実は俺も想像してなかったんだけどな…松風は松風で何か感じてたのかもしれないねぇ」

「え?」

さんが今日倒れた時の話なんだがな、突然、暴れだしたらしいんだ」

「あの利口な松風が!?」

 が目を丸くすると、慶次は肩を竦めた。

「何、外に出たかっただけだろうさ。ここのところ復興作業続きで俺が構ってやれなかったしね。
 さんが気にするような事じゃないさ」

 口先ではそう言ったものの、厩を預かる兵からの報告を受けた慶次は、聞き及んだ状況から察するに、
松風が起こした騒動がそんなに生易しいものではなかった事を知っていた。

 実際松風は、厩の一角を破壊し、廊の中を駆け回り、水回りの改修をしていた兵を巻き込んだ挙句、野菜を洗いに来ていた女中を危うく蹴り殺しかけた。
幸いだったのは、大惨事を引き起こす前に、松風自身が我に返った事だ。
顔面の前で寸止めされた大きな蹄に女中は大層驚いたようだが、松風自身もその状況に困惑したらしい。
蹄をきちんと女中から外して下した松風は、何が起きていたのかが分からないという様子のまま、自ら破壊した厩へと戻って行ったのだそうだ。
 動物独特の勘とでもいうのだろうか。
松風はが倒れた時とほぼ時を同じくして、何かに脅えるように興奮し、騒ぎを起こした。
ただそれを今ここで口にしたところで、誰にとってもいい結果になりはしないだろう。
そう判じて、慶次は言葉を濁したのだ。

「それに今機動力が必要なのは俺じゃなく…三成の方だろ?」

「それはそうなんだけど…」

「安心しなよ、さん。松風は利口だからこそ、背を貸したのさ」

「そっか」

「ああ」

「ならいいんだけど」

「それはそうと…」

「はい?」

 文机の上に広げられた書簡に向かうを見て、慶次は眉を寄せた。

「まだ続ける気かい? もう少し寝ててもいいと思うんだがね」

「う…ん……それは分かるんだけど……でも、どうしても、今日は何かしてたくって」

 以前から続く発作後ように、意識が戻らぬ日々が続くという事はなかった。
掌に浮かんだ赤い火傷のような傷も、薬師が来るころには自然治癒し、跡形もなく消えていた。
かといって安心は出来なかった。
今度の発作の余韻は、緩々と続いているようで、日が経ってもの顔は青白いままだった。
見せる動き自体にも俊敏さはなく、緩慢だ。
なのには寝巻の着物に一枚羽織っただけの姿で、無理やり持ってこさせた書簡の束と向かい合っている。

「しかしねぇ…」

 こんな時、三成がいればなんだかんだと言いながら、必要以上の無理をにさせはしない。
厭味と小言の連発で音を上げさせて、不貞腐れていても、きっちりとを休ませてしまうからだ。
だが許容の人である慶次には、の願いを許容出来ても歯止めをかけてやることが出来ない。
休ませなくてはならないと分かってはいても、に強請られてしまうと、ついつい許諾してしまうのだ。
それこそがそれぞれの持つ個性の違いだと頭では分かっていても、こんな時ばかりは、自分の気性とそれを踏まえているの要領の良さに、頭が痛かった。
顔を顰めた慶次は、心配そうにの事を横から眺めては、深い溜息を吐いた。
 現状維持が続いて三日が過ぎた頃、流石に慶次は音を上げた。

「なぁ、さん。こういうのはどうだい?」

「へ?」

「俺が書を一つ一つ読み上げる。だからさんは床に横になって、どうするかを決める。
 出た結果に合わせて、決済判を俺が押す」

「慶次さん…よっぽど暇なんですね」

 彼なりに考えた提案は、不発に終わった。
これ以上の無理をさせずに休ませたかっただけなのだが、には慶次のそうした思いは微塵も伝わっていなかった。
の身を案じて休ませたい慶次と、何かに追い立てられるの思いはすれ違い、時間だけが過ぎた。

 

 

「なぁ、左近」

「おや、慶次さん。どうしました?」

 いるはずのない人間が評議場に顔を出したことに驚き、その場に貼り付き続けている左近は目を丸くした。
慶次がここにいるという事は、今の傍には誰がいるのか?! と暗に視線で問いかけてくる。

「安心しなよ。執務報告ってんで、幸村がいる」

 機先を制して言えば、左近は安堵したように頷く。
左近は改めて姿勢を正すと、慶次を見上げた。

「で、なんです?」

さんの護衛は、俺じゃなきゃやっぱだめか」

 抱えている心情を鑑みれば、役得ともいえる立場だ。
それを放棄したがる慶次の言葉が気にかかり、眉を動かせば、慶次は大きな肩をほのん少しだけ落とした。

さんの傍にいるのには文句はない。けどな、あれだけ無理されると…な」

「止めりゃいいじゃないですか」

「止めたさ。だが俺は、あんたや三成ほど上手くない。それはさんが一番よく知ってる」

「なるほど……」

 左近が筆を休めて苦笑する。

「茶でも立てたらどうです? 慶次さんの腕、なかなかでしょうに」

「そりゃ、もうやった。焼け石に水だな。一週間と続かんさ」

 左近は文机の上に肘をついて手を組んだ。
頭を傾けて、親指で己の眉間を揉み解す。

「姫は…なんでそんなに頑ななんでしょうな…今まではこうじゃなかった気もするが…」

「ああ、焦りで自我を見失った事もあったが……今回のは、あれともちょっとばかり事情が違うだろうな」

「気になりますな」

「探りは入れてるが…」

「相変わらずだんまりなんですね?」

 こくりと縦に頭を振った慶次は、続いて口を開いた。

「しばらく、俺と幸村を変えちゃくれないか。体動かしてないと鈍っちまいそうだ」

「申し訳ないんですが、それは無理でね」

 即答し、左近は肩で息を吐いた。

「慶次さん、あんたも大殿から聞いたはずだ。この件に関しちゃ適任なのは、あんたですよ」

「まぁな…俺にゃ、お前さん程器用に采配は揮えんしなぁ…。けどな、お前さんらが言う懸念は、確証があるのか」

「ありません。だがそれだけに性質が悪い」

「…そうか…」

 

 

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