囚われの姫君

 

 

「しかし、参りましたな…姫の自虐行為か…見過ごせませんな、流石に」

 左近は首をゴキゴキと鳴らしながら肩を回し、体の節々のコリを伸ばすように伸びをする。
それから文机へと両手をついてから立ち上がった。

「左近が一つ、説教でもしましょうかね」

「助かるぜ」

「いいえ、気にせんで下さい。俺もそろそろ姫の顔が見たいんですよ」

 

 

「あ、左近さん! お久しぶりです」

 慶次と共にの私室へと足を踏み入れれば、幸村の背が影を背負っていた。
慶次の懸念を察したらしい幸村がを説き伏せようとして失敗した直後だったようだ。
幸村は部屋を一時開けていた慶次と同じ、苦悶に満ちた顔をしていた。

「ご機嫌如何ですかね、姫」

「もう大丈夫ですよ。ちょっと、眩暈はあるけど…それ以外は全然平気。
 ああ、でも……最近は…お城が静かな気がして、少し寂しいかな」

 薄く微笑むの顔には疲れと同時に憂いが貼り付く。
それを見てしまえば、慶次、幸村が抱えた苦しみが良く分かる。
左近はの傍へと腰を降ろした。

「寂しい、とは?」

 文机の上へとが筆をおいて、答えた。

「お城を引っ越す前までは、皆と頻繁に会ったりして、お茶したり、一緒に会議したり、晩御飯とかも食べたり…。
 でも引っ越してから、そういうのなくなっちゃったから」

「ああ…そういえば、そうですね」

 所帯が大きくなるにつれて仕事が増えて、その為に現代のシフト制を取り入れた。
結果、皆と一緒に朝餉、夕餉というわけにはいかなくなった。

「最近は、細かい事は皆に任せきりで、私は判子押してるだけだから。
 なんか偉く、領が大きくなるにつれて、皆との距離が出来ちゃうみたいで……ちょっと、寂しいかな」

様!!」

さん…」

 幸村と慶次が驚いたように目を丸くする。
二人の言葉を視線で奪っておいてから左近は言った。

「姫、そりゃ、違いますよ」

「え?」

「こんな風に距離が出来てんのは、災害の処理があるからですよ。乗り切りゃ、また賑々しい日々に戻りますって」

「本当にそう思う?」

「ええ、きっとね。兼続さんも政宗さんも戻ってきて、顔を突き合わせりゃぶつかって。
 次に殿が戻ってきて、孫市さんも戻って…また姫は説教と口説かれる日々です」

「うえぇぇぇぇ!! また血の雨が降る!!」

 は想像したのか、蛙が潰されたような声を上げて、顔を盛大に崩す。
左近は軽くの事を眺めてから口の端を歪めて笑った。
それは瞬時に物事を判ずる左近が、にも分かり易くわざわざした仕草。
そこに気がついて、は首を傾げた。
視線でどうしたのか? と問えば、左近はさらりと答える。

「まぁ、戻ってきた時には確実に説教されるでしょうから、覚悟がいるでしょうな」

「え、どうして? なんで? 仕事もきちんとしてるのに?」

 今の自分の何がいけないのか? と、は己の周りをきょろきょろと見回した。
すると左近は指で指示しながら、あっさりと答えた。

「それがまずい」

「え?」

「まだ血色も良くないのに、仕事なんかして。療養も一つの仕事ですよ、姫」

「で、でも、本当に平気なんだよ?」

「ひーめ」

 首を緩やかに横へと振って、左近は釘を刺すようにいう。

「精神が高ぶっていると、体の悲鳴に気付かないもんですよ。
 今の姫は、どう見ても病床です。殿や孫市さんが戻ってきて今の姫見たら、大騒ぎですよ。
 下手すりゃ、何してたんだっ?! って左近達が責められます」

「そんな、大袈裟な…!!」

「姫、ちゃんと食べてますか、寝てますか?」

ちゃんのご飯はおいしいし、夜もちゃんと寝てるよ」

「でも、疲れは取れてないんですね?」

「それは…そうだけど……でも、家康様や秀吉様や、左近さん、幸村さんだって、皆々、無理してくれてるでしょう?
 私一人休めないよ」

「男と女じゃ体の出来が違いますよ。気にしなさんな」

「そうかもしれないけど…」

「な、頑固だろ? 俺達じゃ手に負えなくてねぇ」

 慶次の横やりに、が目を丸くした後に頬を膨らませた。
左近が笑い、ほんの少し真面目な顔をする。

「ねぇ、姫。したい事、やらなくちゃならない事があるなら、体を大事にしなきゃだめだぜ?」

 珍しく、対等な、否、それ以上の、諭すような口調で言われて、が目を見張る。

「前にも幸村さんが言ってたように、姫の代わりはいない。それは常々左近も思ってます。
 って事は、姫、貴方にもしもの事があれば、貴方が成しえたかったこと、成しえなきゃならんことは、
 他の誰にも引き継げないって事だ。もっと、自分の身を案じなきゃな」

「引き…継げない…」

 指摘を受けて、は目を見張った。

"お前は優秀だ、今までに送り込まれたどんな者よりも"

"外から来たお前は…この時空への干渉は出来ても、この時空からの干渉を受け付けない"

 不意に、脳裏に使者の言葉が蘇ってくる。

「もし…私の身に何かがあれば……あの結末は……回避出来なくなってしまう…そういう事?」

 が喉を鳴らし独白すれば、三人が眉を動かした。

「姫?」

 追求しようとしたのも束の間。
は身を固くすると、小さく悲鳴を上げた。
両手で頭を覆い隠して身を捩る。

様!? どうされましたかっ?!」

「家康っ!!」

 発作かと、幸村が顔を青くして身を乗り出した。
同時に慶次が立ち上がって、廊下まで飛び出し、階下へ向けて声を張り上げる。
その声で我に返ったのか、は叫んだ。

「ま、待って、違う…大丈夫!! 平気だから…!!」

 全身は何かに脅え、小刻みに震えていた。
眦に浮いた涙を拭い、は肩で息を吐きながら、懸命に何かを押し殺そうとする。
 程無く慶次の声を聞きつけて、階下から家康と秀吉が息せき切って上がって来た。
二人の姿を目に捉えたは申し訳なさそうに視線を伏せた。
体は未だ震え続けていて、呼吸も荒いままだった。

「姫…?」

様、どうされたんじゃ?! また何かに?!」

 秀吉、家康が進み出てくると、は気だるげな動きで身を起した。

「ごめんなさい、本当に大丈夫…発作じゃないの…今回のは、違うの…。
 …ただ、怖いの…怖くて…震えが止まらないだけ…」

「え?」

 動揺しているのか視線を彷徨わせながらは手を伸ばした。
伸ばされた手を気がついた慶次がとる。
ここにいると安堵させるように大きな掌で、小さな掌を撫でてやれば、安堵したように小さく頷く。

「前に見たものが……今までのとはちょっと違って……発作の出方も何時もとは違ってて……怖かった…痛かった」

 幸村がの言葉から何かを掬い上げようとでもするかのように、息を呑み真剣に耳を傾ける。
その真剣さに心を打たれたようには、懸命に言葉を探し、紡いだ。

「今まで見て来たのも、すごく、すごく、怖いこと。でも、それとは違う怖さがあったの」

「違う、怖さ…ですか?」

 何度となく頭を縦に振って、は言う。

「人が出てきた」

「人?」

「良く姿は見えなかったけど、その人が、とても怖かった。いけない事をしてるんだと…思う、きっと……」

「その者を討てば、よろしいのですか」

 幸村が低い声で問うた。
身を改めて、底冷えするような殺気を纏う。
やるのならば自分が、と暗に示しているのだ。
は気がついて、慌てた。首を大きく横へと振り、言う。

「そうじゃないの、というか、多分…討てない、今は、まだ」

「まだ、ですかいの?」

 頷いて、は言う。

「おぼろげに見えただけなの。ただ、私は、咄嗟にその人の事を怖いと思った。
 あの人の手が、全てを脅かしているんだ…って思ったら、なんでそんな事が出来るのかとか、 
 どうして平気なのかとか…。あの子だって、あんなに苦しんでいたのに…。
 なぜ、笑えるのかが分からなくて…怖かったの…。

 その怖さが、あの時感じた悪寒が、たまに蘇ってくる…それが……ちょっと、苦しくて…」

「あの子? 苦しんでいる…とは??」

「なるほど、それで、眠るに眠れなかったってわけか」

 よく掴めないと顔を強張らせる幸村の背後で、ようやく合点がいったと慶次が頷いた。
彼の言葉を否定しようと視線を巡らせたものの、言葉を見つける事が出来なかったのか、は小さく頷き肯定した。

「全てが終わるまで、この感覚とは付き合っていかなきゃならないんだ…って、もう分かってるから…。
 だから弱音を吐いたり、逃げてても仕方ない…。
 なら、休んで甘んじて待つよりは…何かをしていた方が気が紛れるし、現実的に捗るし…
 いいんじゃないかな? って、そう思ったの…」

 「心配ばかりかけてごめん」と言ったの頭を左近の大きな掌が包み込んで撫でた。

「本当に、左近の姫は気丈だ。御見それします。でもね、やっぱり今の姫には静養が必要です」

 左近はそう言うと、すぐに身を引いて立ち上がった。

さんを、呼びましょう」

「え?」

「彼女も半蔵さんが傍にいなくて寂しいはずだ。また昔のように女同士、仲良く一緒に寝たらどうですか?
 きっと、今度はよく眠れますよ」

「そうだな、あのお嬢ちゃんが横で寝てるとなりゃ、よっぽど自殺願望のある忍でもない限り、
 ちょっかい出してこないだろ」

 己の膝を打って豪快に笑った慶次の言葉に、も思わず納得して微笑んだ。
台風以来久々に見せた、気の抜けた笑みだった。

 

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第四部始まりです。まだまだ先は長いんだぜーって事で、これからもお付き合いどうぞよろしくです。(09.10.10)