人は石垣 |
同盟国からの帰順願いを受けて、実情を見る為に三成、孫市が領を後にして二週間が経った。 「ようやく…一ヶ国か…」
松風を借りたものの、一日での往復は無理だと判じた三成は、視察は続け様に済ませてくる事を決めて、その旨を示した書簡を城へと送った。 「それにしても……」 「どうしました?」 「うん、奇麗な字だと思って……もうね、神経質なのが目に見えて分かるくらいの達筆」
真剣に書簡を見ているから何か考えがあるのかと思ったのに、蓋を開けてみれば他愛無い感想だった。 「さて、どうしましょうかね。この国は…」 「そうねー。人的被害が少ないみたいだけど、代わりに田畑の復興は厳しそう」 「人的被害が少なければ、兵力増強に役立ちますな。ただ兵糧で足を引っ張られそうだが…」 「これから視察する別の国の田畑の被害が小さいといいんだけど… 「ですなぁ…」 「まぁ、でもいいんじゃないか」
二人の間で胡坐をかいていた慶次が手にしていた書簡を二人の前へと放った。 「現地じゃ三成が顔出したこと、純粋に喜んでるらしいぜ。の姫様の手が入る可能性が出てきてるってな。
「うん、そうだね。ただ…手を入れるのはいいけど……城主の人がどう思うかが問題…。 「そこは左近が上手くやりましょう」 「なんだかダークな仕事させてるなぁ……ごめんなさい、左近さん…」 申し訳なさそうにが眉を寄せれば、左近は肩を竦めた。 「何言ってんです、軍略家の腕の見せ所ですよ。 孫市からの書簡を取り上げた左近が口の端を歪める。 「どこにいても色男さんは手は抜かないって事かな? でもこういうのって、なんだか孫市さんらしいよね?」 左近、慶次が盛大に顔を歪めた所で、廊下を小走りで進む足音と小さな鈴の音がした。 「あの足音は…」 「様!!」 「「「ちゃん」さん」」 三人同時に同じ名前を上げて、寸分違わず言い当てた。 「様!! 失礼致しますわ」 歩みを進めて、の前へと後数歩というところで、例によって盛大に転ぶ。 「きゃう!!」 顔面から畳にぶつからなかったのは、先を読んだ慶次が片腕を差し出して受け止めてくれたからだ。 「あ、も、申し訳ありませんわ」 慶次の手を借りて姿勢を改めた所で、は胸元から一通の書簡を取り出した。 「わぁ…綺麗〜。こういうのもいいね」 「旦那様が…この鈴と一緒に送って下さったのですわ〜」 呑気なの反応に、は嬉しそうに頬を綻ばせた。 「ハッ! そ、そうではないのでしたわ。様、逃げましょう!!」 「逃げるってどこへ?」 にしては突拍子もないなと思いながらも、は顔色一つ変えずに対応する。 「それにしても…これ綺麗だね。いいなぁ」 押し花に指先を走らせて褒めるの表情の柔らかさを盗み見て、二人は、女はやっぱりこの手の物に弱いと納得する。こういう配慮をきちんとするから、服部夫妻は夫が館をあけがちでも、夫婦仲においては常に円満なのだろう。 「見習うべきかねぇ」 「かもしんないですね」 しみじみと呟く二人との前にいるは、脱線する話を本筋に戻したいのか、涙目になり始めた。 「様〜!! の話を聞いて下さいませ〜」 「あ、ご、ごめん! ごめん! で、何? どうしたの? 半蔵さんが怪我でもした??」 「そうじゃありませんわ!! 旦那様が文で…」 「うんうん」 半蔵に限って怪我だのなんだのありえまい。 「様にお知らせしなさいって」 「何を?」 「毛利がこの機に乗じて攻めてきます!!」 「ぶーーーーーーーーっ!!!」 「だから早く逃げましょう!!」と叫ぶの前では、飲んだばかりのお茶を盛大に噴き出した。 「えっ?! うぇ?! ハァアアアア!? 何? それ、どうゆうことっ?!?!」 は己の口元を拭い、懐から取り出した手拭いで汚れた文机の上を拭いた。 「書簡、ここです。ほら、ほら、御覧下さい!!」 文面は、行商にある夫が妻へと宛てたただの近況報告に過ぎない。 「私達、二人の間でだけ交わす隠語があるのです」 「それでなんて書かれてんですか?!」 我に返った左近が湯呑を取り上げて、に習うように机の上を片付けながら問う。 「今、旦那様は行商に扮しているのですけど、既に毛利の陣中にいらっしゃるようです」 「陣中って事は…もう布陣してるって事?! マジで? 攻めてくる?? このタイミングで?!」 「はい、私宛の…」 「そうか、奥さん宛ての文に偽装したんだな」 「はい、きっと。これらの一節をご覧下さい」 の言葉に従い、、左近、慶次が文へと視線を落とす。 「"法事は桜の節句に世話になったお寺"に"五升のお酒"に"お餅の購入は万全"?」 「敵は五万、兵糧も万全とあります。距離も、間がありません」 の言葉を受けて、左近が相槌を打った。 「この寺ってのが場所ですね?」
「はい、里で唯一の寺の事を示し、南西にあります。里から寺への距離は二日と掛りません。 「って事は、奴ら、被害の少ない獣道を見つけたって事か?!」 「かもしれませんわ。それに気がかりなのは、この一節もです」 「えーと…"駕篭を用意せよ"? これが何?」 「…申し上げ難いのですけど……」 こくんと喉を鳴らして、は言った。 「多分、この地はもう囲まれつつあるという事ですわ」 顔面蒼白になると左近の横で、二人の反応を見取ったの顔が不安一色に染まった。 「ですから、逃げましょう!! せめて旧城へ下がって、皆様をお呼び下さい。 それぞれの思惑を察した慶次が溜息を吐いた。
「俺じゃないってのはどういう事だ! 幸村はこれまで復興に従事してきた。俺の方が余力があるだろう」 一刻と経たずに評議場に集った、左近、幸村、家康、秀吉の前で、慶次が吼えた。
「慶次さん、言ったでしょう。あんたには姫の護衛役がある。この場を離れて貰うわけにはいきませんよ。 話が見えずにが視線を巡らせれば、慶次は珍しく険しい面持ちをしていた。 「どうあっても俺はここってことかい」
「冷静に考えてみて下さい。殿に松風を貸してるんですよ? あんたの機動力、えらい下がりようだ。
「何、心配には及ばんさ。復興すら済んでない荒地に攻めてくるって事は、敵も騎馬じゃない。 「違いますね。敵はこっちより兵が多く、疲弊している者も少ない。 「だから、俺が蹴散らして出鼻を挫くって言ってんだ。どけよ」 ギラギラした眼差しで睨み合う慶次と左近の間に秀吉が割って入った。 「まぁまぁ、その辺にするんさ。二人とも。様が怖がっとるわ。 ぐっと拳を握りしめ、息を呑む慶次にが寄り添う。 「大丈夫です、様。すぐに蹴散らして戻りますから」 注がれる視線に気がついた幸村は、安心させようと微笑む。 「慶次さん…ここは皆を信じよう……それしか、ない気がする…」 は擦れた声で訴えた。
「慶次さんの言う事、尤もだと思う。でも左近さんが言うからにはこれが一番いいんだよ、きっと。
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