人は石垣 |
「…姫…」 呼ばれて左近へと視線を向けて、は大丈夫だ頷いて見せる。 「私は、大丈夫。慶次さんもいてくれるし。全然平気。 何を言い出すのかと、目を見開く左近や幸村には言う。 「生きていれば、きっと、きっと、また会えるから。何でも出来るから…だから、皆、無理はしないで…ね?」
彼らが蹴散らされて、落ち伸びるという事は、即ち自分の身の危険を意味するというのに、それでいいという。 「安心しろ。さんには手は出させない」 「慶次さん」 「松風がなくたって、ここに火の粉が及んだら、命がけで地の果てまで逃がしてやるさ」 「うん、信じてる。皆の事も、信じてる。だから本当に無理だけは、しないでね」 慶次を見上げて頷き、続いては己の中に湧き上がってくる不安を抑え込み、皆を鼓舞するべく表情を改めた。 「先発で出ます。この状況では奇襲の意味すらないかもしれませんが…」 「やらないよりゃマシってとこか。頼みますよ、幸村さん」 六文銭の文様が刺繍された額当てをつけて、幸村が槍を取る。
幸村達が出立して半日と経たずに、半蔵が届けた書簡は事実であると分かった。 「…慶次さん、お願い、ちょっと私室に…お願い……」 初めて経験する負け戦。 『どうしよう…怖い…苦しい………怖い…』 は周囲に不安を与えぬ為、混乱を呼ばぬ為に、自ら身を引こうと考えた。 「真田幸村様、敗走!! 生死不明!!」 「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 響いた言葉を耳にした瞬間、はその場に崩れ落ちた。 「嫌だ、嫌だ!! 死んでない!! 死んでなんかいないっ!! 沈痛な面持ちでの肩を抱く慶次の瞳からは肯定も否定も汲み取れない。 「お願い、私が必要だというのなら、私の臣を護って!! 誰の目から見ても、今のは半狂乱だった。 「さん、さん!!」 人目もある。 「生きてる。幸村は、生きてるよ。大丈夫だ。だから落ち着くんだ、な?」
「わ、分かってる…分かってる、ごめんさい…取り乱しちゃいけないって知ってる。でも!! 「ああ、分かってる。分かってるよ」 「お願い…お願い、誰か助けて!! 幸村さん達を護って…!!」
まだ夕暮れであるはずなのに、復興すら済んでいない森林の中では辺り一面が暗闇と同じだった。 「しまった!! 罠か!!」
気がついた時にはもう遅く、伏せられていた兵から弓矢を射かけられていた。 「何という卑劣な行為を…!!」 唯一の救いは、少数精鋭だった事、ただそれのみで。今更歯軋りしても、全ては後の祭だった。
「何?! 幸村さんが敗走したっ?! そうか、先行してたのは囮か…」 敷いた本陣の中で左近が舌打ちする。 『そうだな、護れればそれでいい…俺がいなくても…まだ殿が、兼続さん達がいる』 「火計だ」 「そりゃいいけどよ、どこでやるんだよ?」 「ここでやりますよ」 「ここって、本陣を捨てるのかっ!?」 補佐官としてついて来た蜂須賀小六に迫られて、左近は言った。 「ええ、捨てますよ。幸いこっちは布陣したばかりだ、捨てるにしたって捨て方を選べる。運がいいね」 「お前、正気か?!」 日々の激務と劣勢に直面し、乱心でもしたのかと小六が顔を強張らせれば、左近は首を横へと大きく振った。 「正気ですよ」 「だったらなんだってこんな…」 「愚策を…ですか? けどね、小六さん。俺達には後がないんですよ。 左近の言葉に多くの兵が息を呑んだ。 「お前ら、姫から受けた恩を忘れたか!? 「そうだ!! 俺は見たぞ!! 姫様は民の為に自らを犠牲にされた!!」
「俺も見たぞ!! あんな事、なかなか出来るものじゃない!! まして姫様は生きて帰られた、これは天意だ!! 「そうだ、そうだ!! これはその為の戦だ!! 俺らの命は、姫様の…の為に使うんだ!!」 「護るぞ!! 死を恐れるな!!」 「姫様の為、ひいては我らの護るべき人の為の戦よ!!」 従軍していた兵の間から次々に声が上がり、咆哮となる。 「敵をおびき寄せて、本陣ごと焼き払う」 「分かった。だが囮はどうする?!」 小六の問いに、左近は不敵に笑い答えた。 「囮は、この俺だ。の軍師・島左近」 揺らぎのない強い眼差しで言われて、小六は一瞬息を呑む。 「兵を伏せる」 「頼みますよ」
「本陣炎上!! 島左近様、陣中に落ちたとの事!!」 「後詰め、戦闘開始しました!! ですが旗色悪く……何卒、援軍を!!」 慶次に支えられ、に励まされながらようやく我を取り戻していたは、続いて齎された報告に息を呑んだ。 「儂が行こう。ここは頼むぞ」 家康が評議城を出れば、もしもの時の為として残されていた竹中半兵衛が出兵の支度を整えて待っていた。 「お供致します」 「うむ、参ろう」 「あ…あ……あぁ…」 何か言おうとするものの、適した言葉が出てこない悔しさで泣くの背を大きな掌で撫でて、慶次は慰めた。
差し迫る夕闇の中。 「さても…どうするかね……天意はどちらに味方するのかのぅ」 彼は戦の匂いにいきり立つ馬の鬣を撫でて落ち着かせた。 「…如何なさいますか」 「ふむぅ…もうしばらく、見てみようかね」 「御意に」 彼の視線は、ぶつかり合う数多の兵から本陣へと移った。
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