人は石垣

 

 

 攻め上げてきた敵兵を上手く陣中へと誘き寄せた左近は、頃合を見計らうと水瓶に用意した水を被り、叫んだ。

「よしっ!! 火を放てっ!!」

 陣を囲むように伏せられていた蜂須賀小六の兵が本陣目掛けて火を放てば、一気に本陣が燃え上がった。
巻き起こった火炎地獄の中で逃げ惑う敵兵を一人、また一人と左近が斬り伏せる。
彼の陣羽織から弾ける水滴の中に、敵の血飛沫が混じった。

「逃げなさんな、地獄まで一緒に来てもらうぜ!!」

 大太刀を奮う左近の雄姿に奮い立たされているのか、伏せられていた兵が小六の号令とともに追撃を開始する。
陣の中では左近が悪鬼の如く武を奮い、陣の外では小六の兵が逃げ惑う兵を駆逐した。
けれども攻め寄せる兵の数は多く、敵もおめおめと味方の敗走を許しはしない。
即興で組まれた敵兵が、本陣に放たれた火を消そうと、水を、土を、本陣へと向けて放った。
徐々に威勢が削がれてゆく火計は、意表こそ突けたが、その後の一手に繋がるものではなかった。

 

 

 自然災害の爪痕生々しい森林に、本陣から上がった火の手が及ぶ。
逆巻く火炎と煙が、夕暮れの空を更に赤く、そして黒く染め上げる。
その様を遠巻きに見降ろして、動向を見守る男が呟く。

「ほほぅ、火計かね」

「しかし周囲はまだ水が捌けておりませぬ…消えるのも時間の問題かと」

「そうじゃのう」

「それにしても本陣で火計とは…狂気ですな」

「……それだけ護りたい者があるという事かね。じゃが囮には何を使ったやら…」

 自身の配下武将と言葉を交わす男の元に、毛利勢の鎧つをつけた兵士が駆け込んで来て何かを告げた。

「ふむぅ…これはまた……驚きじゃな……下策も下策か」

 後方に控える騎馬に跨る将が、主の意向を汲もうと視線を向ければ、男は口の端で薄く笑った。

「軍師自らを囮とはのぅ…左近も変わったのぅ…。もう良いよ。窮屈じゃったろぅ?」

 斥候として毛利勢に扮していた兵に声をかければ、兵はすぐさまその鎧を脱ぎ捨てた。

「お下知を」

「まだじゃのぅ……もう一手、欲しいところじゃ」

 騎馬の上で軍配を弄ぶ男は、仮面に隠した眉を動かして暮れてゆく空を眺め続けた。

 

 

「…やっぱりこうなるわけね…?」

「…秀吉の読みに間違いはなかったみたいだねぇ…」

 慶次の背に庇われながら、は引き攣った笑みを浮かべていた。

「まぁ、新築の城だけあって、時間はそれなりに稼げたみたいだが…」

 評議場を逃れたを取り囲むのは、毛利から放たれたらしき乱破だ。
旋忍、突忍、飛忍、爆忍とで形成された混合部隊が、を庇う慶次目掛けて容赦なく襲いかかる。

「そう易々と抜けると思いなさんな!! 前田慶次、まかり通る!!」

 慶次が吼えて、鉾を奮った。

「急げ、こっちだっ!!」

「姫様をお守りするんじゃー!!」

 階下では城に残された僅かな手勢と、町民で構成された義勇兵が奮戦するものの、こちらも旗色が悪かった。
というのも乱波は城のあちこちに火薬壷を仕掛けたらしく、それがあちこちで時限発火したのだ。
そのボヤ騒ぎが災いとなり、城内の統制は乱れに乱れていた。
 何をどうしたらいいのかと混乱する兵に向い、自らが声をかける。

「こっちはいいから、消火を急いで!!」

「は、ははっ!!」

 階下では水桶片手に走り回る兵と、いたちごっこのように上がる小火。
階上ではの命を我がものとせんが為に、多くの敵が暗躍する。
 パワー型なのが見て取れる慶次を翻弄するのは、旋忍と飛忍だ。
ちょこまかと逃げ回り、足下から繰り出される攻撃に、自然と慶次の中で苛立ちが募る。
振り回した鉾が宙を斬り、隙が出来た直後に、突忍が押し寄せてくる。忍ならではの連携だ。

「くっ…!!」

「慶次さん!!」

「気にしなさんな、下がってな!!」

 繰り出される攻撃に手を焼きながらも、慶次は敵の魔手がに伸びる事だけは防ぎ続けていた。
の眼前へと敵が進み出ると同時に敵を掴み、渾身の力を込めて投げ飛ばす。
 とて全てを慶次任せにしているわけではない。出来うる限り、自分の足で逃げ回っている。
北条の忍びと共に風魔が襲いかかって来た時のように天守へと脇目も振らずに逃げれればよいのだろうが、残念ながら今回は兵力差があり過ぎて、それがままならなかった。
は逃げ回りながら悔しげに歯軋りし続けた。

「せいっ!!」

 掛け声とともに複数の突忍が突進してくる。

「きゃぁっ!!」

 慶次のガードを崩せず、進路を僅かに逸れた突忍はそのままの勢いでへと迫った。
まずいと焦りが顔に浮く慶次の耳に、予想外の声が飛び込んできた。

「オラァ、待てやァァァァァ!!」

 突忍との間に割り込んだ野太い二の腕は、をしっかと庇い、徒党を組む猛者の中へと覆い隠した。

「へっ?! え、えっ? と、棟梁さん?!」

 が目を白黒させながら見上げれば、を囲う半裸のいかつい男達は、己の腕や首周りをガキゴキと鳴らしながら剣呑な眼差しを見せた。
予想外の助太刀は復興作業に従事しているはずの大工衆によるものだった。
彼らは城での騒動を聞きつけると、逸早く反応した。
を護るべく復興作業を放り出して、城へと詰め寄せたのだ。

「おう、姫さん。何時ぞやは世話になったな!! 今度は俺らが助けてやるから、安心しな!!」

「おうよ!! 棟梁の言う通りだ!!」

「そうだ、そうだ!!」

 ヤクザばりの風体の悪さと眼光の鋭さで、彼らは凄む。

「やい、テメェら!! 忍だかなんだか知らねぇが、俺らの姫さんに汚ねぇ手で触るんじゃねぇよ!!!」

「何のつもりかしらねぇが、俺らの目が黒い内は姫さんには指一本触れさせねぇ!!」

「かかってこいやぁ!!!」

 粋な啖呵と共に、男達は前へずずいと進み出る。

「皆…」

様! さ、こちらへ…」

「う、うん……皆、本当に有り難う!! 無理しないでね!!」

 肩越しにを見降ろして頷いた大工衆は、と共に突忍の包囲網から逃れたのを確認すると同時に、

「こっちとら力で飯食ってんだ!! 舐めんなっ!! デカブツゥゥゥゥゥ!!」

 襲い来る突忍と真っ向から取っ組み合い始めた。
武士ではないとはいえ、本人達が口にしたように力で飯を食っているだけはある。
刀を奮われれば不利かもしれないが、取っ組み合いとなれば、突忍の力に勝るとも劣らない。

「お、頼もしいねぇ。じゃ、こっちも本腰入れようかっ!!」

 切った口の端を拭い、慶次が旋忍へと標的を定める。
一人一人を確実に仕留める事に決めたようだ。

様、こちらですわ!!」

「うん!!」

 奮戦する彼らの邪魔にならぬようにと、は部屋の隅から隅へと逃げ続けた。

 

 

 一方戦地では、後詰が豊臣秀長の指揮の元、統制のとれた動きで毛利軍本隊とぶつかり合っていた。
遠目に見ると黒い点描が蠢き合うような構図だ。
敵兵を討てば、こちらも誰かが討たれてを繰り返す。
ただ疲労が見て取れるの旗色の悪さは変わらない。
そこへ、一人の将が名乗りを上げた。

先駆け・真田幸村ここにあり!! 我こそはと思わん者は前へ出よっ!!」

 奇襲後の敗走で行方知れずになっていた幸村が、民を安全な地へ逃がした後でこの地へと戻って来たのだ。
彼は勇猛果敢に叫び、力の限り槍を奮った。
敵が彼を取り囲んでいるのだろう。
天から見下ろせば、彼の周りだけに円を作るように空間が出来た。
その空間が、幸村の動きと共に忙しなく移動してゆく。

「幸村殿に負けるな!! の兵よ、今こそ正念場ぞ!!」

 後詰を率いる秀長が叫び、続いて兵も咆哮する。森林を盾に陽動作戦よろしく奇襲と戦略的撤退を繰り返していた蜂須賀小六が、手勢を率いて幸村を救うべく進撃し始める。
 負けじと毛利勢も圧倒的な兵力差を持って、これを併呑しようと包囲網を敷く。
一進一退を繰り返す戦いの中、徐々に勢が取り囲まれてゆく。
もうだめなのか、と。天意は味方してはくれないのか、と。
懸命に立ち向かう兵達の心に微かな影が差した瞬間、毛利の後方より火の手が上がった。

「立て直される前に、兵糧を焼き払うんさっ!!」

 秀長率いる本隊を囮にした秀吉が、少数で敵の兵糧庫を見つけ出し急襲したのだ。
これに呼応するように、毛利陣中で誤報が飛び交い、続いて火の手がぽつぽつと上がり始めた。
行商に扮して伏していた半蔵が牙を剥いたのだ。
 圧倒的な兵力差がありながら、未だ併呑できずイラつく毛利の将兵と、死に物狂いで立ち向かう兵。
彼らの動きを高台から見下ろしていた男は、軍配で己の額を掻いた。
 未だ決め兼ねているらしい彼は、"時"を待っていた。

 

 

「なっ!! ちょ、冗談でしょ!?」

「まぁ…ど、どうしましょう…!!」

 と手を取り合って逃げていたは、階上へと上がる階段を駆け上がって飛び上る程驚いた。
敵の忍が仕掛けた火薬壷は階下だけかと思ったらそれは大間違いで、階上にも大量に仕掛けられていた。

「慶次さん、気をつけて!!」

 背を護ってくれている慶次へと声をかければ、慶次は視線だけで答えた。
己の身だけならばまだしも、二人の女を庇って、一人で襲い来る数多の敵と切り結んでいる為に余裕がないのだ。
そんな慶次を見て、意を決したようにが身を翻した。

様、私、参ります!!」

「えっ?! ちゃん、どこに?!」

「階下へこの事を伝えに行きますわ!! 大丈夫です、敵はきっと私になど目もくれないはず!!」

 消火隊を呼びに行くと言って登って来たばかりの階段目指しては壁伝いに小走りになる。
そんなを追おうとは手を伸ばす。

だがの前へと旋忍が身を躍らせて、それを阻んだ。
咄嗟に身を引いて旋忍の攻撃を避けたは、の言葉通り、敵の狙いは自分だけだと判じた。

「無理しないで!! 出来れば逃げるか隠れるかしててね!!」

 は叫ぶと後ろ髪引かれる思いを振り切り、踵を返して駆け出した。
視線での背を見てから舌打ちし、慶次がの後を追う。彼もまた、の身を案じていた。

 

 

 威勢こそ落ちただけで本陣の火計は未だ燻り続けていた。
それというのも、の領地を上座として微風が吹き始めていたからだ。

「んじゃ、こっちもいっちょ行きますか!!」

 焼けた板を蹴り飛ばして、左近が立ち上がる。
彼の陣羽織からはまだ水滴が落ちている。

「ひっ!! 鬼左近だ!! 左近が来るぞ!!」

 脅える敵兵を蹴散らしながら進軍を開始した左近を囲うべく、新たな隊が送り込まれてくる。
左近の周囲にも円状の空間が出来て、左近の動きに合わせるように敵兵の波も動いた。
違う場所で出来た二つの空間は、縦横無尽に蠢いて、毛利の隊列を掻き乱した。
 やがて左近と幸村の働きに鼓舞された兵の猛攻を受けた毛利軍は森林地帯から後退し始めた。
秀吉が毛利の兵糧庫で起こした騒ぎと、本陣の中で孤軍奮闘する半蔵の働きもあって、毛利の情報系統は混乱し、兵の間に心の乱れが生じたのがまずかったようだ。

『おい、この戦…勝ち戦じゃなかったのか?!』

『どうしてだ?! なんでこいつらこんなに強いんだ…!!』

『疲弊してるのはあいつらのはずなのに…!! 勝てない!!』

 災害に乗じての出兵であれば、併呑も楽に済んだはず。
そう高を括っていた毛利軍は、勝てるはずの戦で必要以上に時間がかかる事に焦りを、そして死すら恐れずに立ち向かってくる兵の覇気に恐れを感じていた。
 結果、毛利軍は劣勢であるはずの軍に森林地帯から、台風被害の薄い丘陵地帯へと押し返され始めた。
その変化にダメ押しをするかのように、戦場に吹いていた微風が、徐々に強さを増してゆく。
鎮火されたはずの火計が再燃し、熱風と黒煙を伴って毛利勢を脅かす。

『…ここで火が戻るかね…』

 

 

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