誓約書 |
城に及んだ被害の後始末を終えている最中、凱旋した面々は、予想外の分捕り品を持ち帰って来た。 「こ、こりゃ、どういう事じゃっ?! 様は無事なんかっ!!」 「おお、何という事だ!!」
方々がすすけ、大工衆までもが暴れた惨状が残る城を一目見て、何があったのかを悟った秀吉と家康は顔を真っ青にして、その場に崩れ落ちた。 「まぁ、お帰りなさいませ。皆様」 「おお、おお、か…これは一体…」 家康の心配の種を察したは微笑んで答えた。 「ご安心下さいませ。様はご無事ですわ」 「そうか、そりゃ良かった!!」 秀吉と家康が安堵の溜息を漏らす。 「おやおや、驚かしてしまったかのぅ。すまんねぇ、お嬢さん」 「は、はい……い、いえ…あ、あの…」 おたおたするに左近と幸村が言う。 「左近が軍略の師と仰ぐお方でね、姫にお目通りする」 「まぁ…」 「今回の危機を、救って下さったのです」 「まぁ、まぁ!! それはそれは…大変な粗相を致しましたわ。申し訳ございません」 が身を改めて、頭を垂れる。 「さんは、半蔵さんの細君でしてね。の奥向き一手に仕切ってくれてんですよ」 「ほほぅ!! こりゃまた驚きじゃの〜」
朗らかな声を上げる信玄の人となりに触れて、すっかり安心しきってしまったのだろう。
「なんか階下が騒がしくありません?」 「さて、なんかあったのかねぇ…」 評議場に戻ったは、用意させた薬箱を開いて慶次の手当に勤しんでいた。 「でも、さっき入った報告聞いて、少し安心した」 「そうかい? そりゃよかった」 名立たる将は誰一人失わないで済んだ事には安堵していた。 「…予算、ちゃんと組まなきゃね…」 小さく独白すれば、慶次は大きな掌を動かしての眦を拭う。 「逝った奴らも幸せさ。さんは、ちゃんと胸に刻んでる」 「…そうかな、足りてるかな?」 「足りないって言うのかい?」 問われては大きく頷いた。 「だって人の命は、本当に重い……これくらいじゃ、全然足りてないんじゃないかって、不安になるよ」 「そうか。けどな、胸に刻む事、感謝する事。それだけで充分だろうさ。 「そっか……有り難う、慶次さん」 「いいや、気にしなさんな。それよりもな」 慶次の声色が僅かに変わった事に気がついたは、腕に刷り込んだ薬の上から巻く包帯から視線を反らして、慶次の目を見上げた。 「さっきのアレ、ちゃんと皆に言うんだぜ?」 「アレ?」 慶次は自分の唇を示し、言った。 「助け賃として風魔に唇奪われたって話だ」 「あー、あれやっぱ言った方がいい?」 「ああ、特に左近、幸村、三成、孫市にはな」 そうする事で防衛網を強化しようとしている慶次の思惑には気がつかないは、眉を寄せて苦笑する。 「不意打ちだったし、それに助けてくれた事を考えたら、安いもの…。 「伏せててもいいが、後々奴さんの口からバレた時の方がきっと面倒だぜ?」 「あー、それもそっか……分かった、ちゃんと話とく」 「そうしな」
全く気にしていないような口ぶりで、本当はかなり癇に障っているのだろう。 「やだ、もー、何かついてました? くすぐったいですよ」 「あー、うん…煤がな」 言葉を濁す慶次と円らな瞳を瞬かせているの元へと、左近が現れる。 「姫、戻りましたよ」 「左近さん!! お帰りなさい!! 無事で良かった!!」 声を聞いただけで花のように顔を綻ばせて、は喜ぶ。 『そうだ、この笑みの為なら、俺はなんだって出来る』 左近が咄嗟に抱いた感想は、今となってはを慕う全ての人の総意だ。
細かい経緯を聞いて、客間である青龍の間に入れば、いかにも胡散臭い風体の男が座していた。 「おやおや、おとこもおったんかい?」 「こりゃまた驚きだな」 「えーと…あの…?」 の前に立つ左近の肩越しに男の姿を認めた慶次が、目を丸くする。 「お初にお目に掛る」 「あ、は、はい」 先に口を開いたのは男の方だった。 「わしは武田信玄、おことが殿かのぅ?」 「エッ?! あ、は、はい…です。ほ、本当に本当に、あの、信玄公ですかっ?! 風林火山の?!」 目を丸くするの前で、男はカッカッカッ! と声高らかに笑った。 「ああ、そうじゃよ? しかし意外じゃの。風説ではおことはこの世の理には疎いと聞いておったんじゃがの」 「うっ…す、すみません」 「……ふぅむ」 思わず謝ってしまうをまじまじと眺めて、信玄は己の顎を掻く。 「綺麗じゃのー」 「お、お舘様!!」 幸村が過剰反応し、の後方に座した慶次が顔を顰める。 「ふむぅ…モテモテじゃの」 「はい?」 意味が分からないと瞬きを繰り返したは、信玄のペースにすっかりハマっている事に気がついて、首を横へと小さく振った。そうする事で己のペースを取り戻そうとしているのかもしれない。
「あ、あのですね、信玄公。お世話になった事は感謝しますが、出来ればご用件を伺いたいのですが…。 「ああ、ああ、分かっとるよ。猫の手も借りたいのじゃろ?」 「え、ええ…」 「ふむぅ……おこと、おじさんをどう思うかね?」 「ハ、ハイ?」 「おじさんをどう思うかね?」 同じ言葉を言われて、は顔を顰めた。 「どうとはどのようにでしょう? 好きかとか嫌いかとかですか? もう少し具体的にお願いします」 「すまんのぅ。んー、では、どうかね。おこと、おじさんと武田騎馬軍団の頭になる気はないかね?」 左近を除いて、場に居合わせた全員が目を丸くして信玄を凝視した。 「で、どうかね?」 「んー…止めておきます」 一方、問われたはというと、しばし考えた後に首を横へと振った。 「おや、駄目かね」
「駄目というか…なんというか……申し出はとても嬉しいんですけれど……そこまでの余力がないんです。 ふんふんと相槌を打つ信玄をまっすぐに見つめて、は問いかけた。 「左近さんに聞いた話では、信玄公は以前いた領地や主君を見限って、この地へといらっしゃったそうですね?」 「そうじゃよ」 「なら尚の事、ではなく余所へ行かれるべきです」 「断言かね?」 二人のやり取りを聞く立場にある幸村は不安そうに忙しなく視線を動かす。
「武田騎馬軍は、戦国最強の騎馬軍団よ。私にだってそれくらいの事は分かってる。 目を見張った幸村から信玄へと視線を戻し、は言う。 「隠してもどの道耳に入るでしょうから、先に暴露しますけど…。 「自領の後始末すら出来ぬ国よりも、おじさんの騎馬は役に立つと思うよ?」 「信玄公…つまらない揺さぶりは結構です」 「おや?」 「"人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵"をモットーとする貴方が、そんな事を本気で言うとは思えない」 「カッカッカッ!! こりゃ、一本取られたの〜」 大きな声で笑い、信玄は肩で息を吐く。
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