誓約書

 

 

「おこと、不思議じゃね」

「え?」

「初対面の相手に本音ばかりを話す。
 価値のあるものだと評しながら、その価値あるものを平然と放り出す。
 こんな面をつけて現れた男を訝しみもしない。用件も用件じゃしな、大抵は面を取れと怒るよ?」

 軍配でコツコツと己の顔を示せば、はほんの少し口籠る。言ってもいいかどうかを考えている様子だ。

「価値のあるものでも…諦めなきゃならない時は有ります。多くの人の命がかかっていたら尚の事…。
 それで、仮面の事は……その…もし、当たったなら御免なさい。こう思ったんです。
 あの信玄公相手ですよ? お顔を拝見出来たら、すごくレアで、小躍りしちゃうところだけど…。
 信玄公のお顔に大きな火傷とかがあって、それを隠そうとしていたらどうしようかな? って」

 前置きをしてからが自分の考えを口にすれば、信玄は耳を傾け何度となく相槌を打った。

「人は意味があるから行動に移します。
 無意味と思える行動にも、必ず理由や、無意識の内に決めた何かは潜んでいるものです。
 だから取りたくない人から、ちゃんとした理由もなく面を取ろうとするのはちょっと横暴なんじゃないかな。
 とる必要があると信玄公が判断すれば、ご自身でとるでしょうし…。
 それに今信玄公のお顔を見なくたって、私は死ぬわけじゃないんだし。
 何も仮面くらいで目くじら立てなくても…ねぇ」

 凄まじい極論をさらりと言ってのけるを見ていた信玄は、目を丸くし、口の端を小さく吊り上げた。
視線を動かして、自分とのやりとりを不安そうに眺めている幸村を見やる。
信玄と視線が合った幸村は、喉を鳴らして息を呑み、動向を見守り続ける。

「参ったのぅ」

 掌の中に収めた軍配で軽く己の手を打ち、信玄は上座に座すを視線だけで見上げた。

「おことに振られたら、わしら行くところないんじゃがのぅ」

「またまたぁ。信玄公の武田騎馬軍ですよ? 余所の国だって皆喉から手が出る程欲しがるはずですよ」

「いいや、おことは今、安売りをするなと、そう言ったじゃぁないかね?」

「え、ええ…言いましたけど…」

「じゃから、わし、に来たんじゃよ。わしはね、天下に王道を敷きたいのだよ」

「は、はぁ」

「でもね、わしの騎馬軍を欲しがる連中は、王道が好きじゃないみたいでのー。
 おことは、どうだね? 王道、嫌いかね?」

「…王道ですか…うーん、正直よく分かんない…かな?」

 視線を動かして、は左近を見やった。

「ねぇ、左近さん。王道って具体的に言うと、どんな事?」

「姫が知る必要ないでしょう、本質的にそれしか選択出来ない人なんですから」

 即答する左近の声に、信玄は再び笑った。

「やっぱりじゃのぅ」

「え?」

「禄は出世払いで構わんよ。おじさん達を、で面倒見てくれんかね? 殿」

 頑として譲らない信玄の言葉には困惑を見せて、家臣全てを見やった。

「いい機会じゃ!! 様の手足となって動ける人出が増えるにこしたことはないんさ。
 復興も早く済むし、それが武田騎馬なら毛利も当面おとなしくなるじゃろ?!」

 最初に視線を合わせた秀吉は達観し、対して隣に座す家康は浮かない面持ちだった。
黙してか語らぬ家康の顔色から判ずるに、

『内から食い破られたらどうするのか』

 というところだ。
秀吉、家康の意思は分かった。
では幸村、左近、慶次はどうだろう? と視線を移す。

様、お舘様と武田騎馬の力は、必ずや様の大きな救いとなりましょう!!」

 敬愛する本来の君主とともに働けるのであれば、こんなに心強いことはないと、幸村は懸命に取り成す。

「姫にお任せしますよ」

「俺もだ」

 一方で左近と慶次はあくまでの意思に委ねるという姿勢を貫いた。
左近としてはどちらかというと秀吉や幸村よりの考えのようだ。
が、同時に家康が抱えた懸念も否めないという様子でもあった。

 対して慶次は完全に"委ねる"と姿勢を崩してはいない。
ただ彼はどういう形であれ、に害が及ぶとすれば、それは看過しないと、眼差しが語っていた。
 多彩な見解を前に困ってしまったは、眉を寄せると己の頬を掻いた。

「三成と孫市さんと兼続さんと政宗さん、それに半蔵さんと長政さんと市さんにも聞いてみようか?」

「ここにいないのに?」

「あー、それもそうだよねぇ…。でも、すぐには決められそうもないから、一先ずはゆっくりと過ごしてもらって…」

 そう言いかけたへと掌を差し出して、結論を急かしたのは信玄本人だった。

「その必要はないよ。おことが不在の部下に問うてる間に、方々から余計な思惑が入る。それじゃぁ、意味はないよ」

 耳の痛い指摘にがそれもそうかと相槌を打つと、信玄は言った。

「のぅ、殿。利害の一致には一先ず目を閉じて、おこと自身の目で見て、心で考えて、判じてはくれんかのぅ」

「…信玄公…」

 しばし無言を貫いたは、一度深い溜息を吐くと、掌で膝をぽむっと一度打ちつけて、周囲を見回した。

「ご免、ちょっと信玄公と二人きりにしてくれる??」

 

 

「どういう風の吹き回しかのぅ?」

 人払いして、二人きりで向かい合った後、信玄が問いかける。
それを受けて、は沈痛な面持ちを見せた。

「信玄公、貴方は私を本音ばかり語る女と言いましたが、それは買被りですよ。
 これから私が語る事こそ、私の本音です」

「そうかい、実に興味深いのぅ」

 言葉は軽く、視線は鋭く。
掴みどころのない信玄を前に、は臆することなく語り始めた。

「武田騎馬軍は戦国最強です。それは認めます。でも、何時までも最強じゃないんですよ、信玄公」

「ほほぅ?」

 挑発や軽んじられているわけではないとの表情から悟った信玄は、の言葉を待った。
は隣室に人の気配を多く感じ取ると、ゆっくりと立ち上がった。
視線で自分の動きを追う信玄の前へと進み出て、座り、声を潜めて話す。

「貴方にどこまで明かしていいか分からない。
 けど、一つの事実、ううん、可能性としてでもいい。聞いて下さい。

 貴方の持つ騎馬は、貴方のご子息が舵を取る頃には意味をなさなくなります。時代が、変わるのです」

 信玄はの言葉に目を見張った。
想像も出来ない言葉を紡がれたものだが、相手が相手だけに、それも道理だという目をしていた。
 彼は山のようにどっしりと構え、の言葉に潜む意図を汲み取ろうと耳を傾け続けた。

「実に、興味深いね? おことはそれをまるで見てきたかのように語る」

「現実的には見てません。でも、私は知ってるんです」

「そうかね」

「はい」

 そこで互いに視線と視線を真っ向から交わす。

「なるほど、おこと相手では騎馬では売り込めんようじゃの」

「騎馬の事がなくても、私は貴方の力を借りたくても不安要素があるから借りるとは言えない」

「わしの何が不安だね? 自慢じゃないが、人に恨まれるような事をした覚えはないよぅ?」

「ええ、存じています。でも、貴方には生涯をかけて戦わねばならない宿敵がいるはずです。
 まだお会いになっていませんか?」

 の問いかけに、仮面に隠された信玄の顔が僅かに強張ったような気がした。
はここぞとばかりに掌を伸ばして、信玄の手を取った。
相手に生まれた動揺を見逃すことなく利用し、畳み掛けるつもりだった。
けれどもそう上手く事が運ぶことはなかった。

『急げ!! 急ぐんだ!!』

「え?」

 伝えるべきことを伝え、理解を求めようとしただけのはず。
なのに、信玄の手を取ると同時に、脳裏に聞いたことのない声が響いた。
は思わず身を固くして信玄の手を放した。

「どうしたんじゃ?」

 首を傾げたの顔を覗き込んだ信玄が、今度は手を伸ばしての肩に触れた。

『早く!! 躊躇うな、早く!! 認めろっ!! 急げったら!!』

 また響く声。
はいよいよ顔を顰めて、きょろきょろと辺りを見回し始めた。

「信玄公……誰かを伏せてます?」

「いいや? 隣におことの部下が大量にいるようだがね」

『何してるんだ!! 早く、早くしろよ!!』

「ですよね。なら、この声は…誰の声??」

「声? わしには何も聞こえんよ?」

 その一言で、は信玄へと視線を戻してまじまじと見上げた。

「えー、じゃぁ…この声って…もしかして……」

 試したいとばかりにが信玄の手を肩からおろす。

「うん…聞こえない」

 しばし間を開けて確認して、今度は自分から信玄の手を取った。

『早く、早く!! 取り付けろ!!』

「聞こえる……という事は…もしかして…貴方もなの?」

 手を放して、は独白した。
どうしよう、どうしたら一番いい選択なのだろうと、眉を寄せるに、信玄は問う。

殿、戸惑っとるところ悪いんじゃが、一先ず話を戻してもいいかの?」

「あ、は、はい。すみません」

 我に返ったは、すぐに相槌を打った。

「おことが言うわしの宿敵とは…上杉謙信の事かね?」

「そうです、謙信公の事です」

「おこと、何を知っているのかね?」

「…色々です。この世界では、どれくらい役に立つのか分からない事ばかり…。
 でも、看過出来ない可能性ばかりです。だからそこを無視するのは止めようと思います」

「その中にわしと謙信が含まれると、そういうことかのぅ?」

 は逡巡するように一度視線を彷徨わせて、それからすぐに意を決したように口を開いた。

「……川中島の合戦は、最低十年は続きます」

 聞いた事もない土地の名前だと信玄は仮面に隠した眉を寄せた。

「私の知っている事が、必ずしもこの世界に起きるとは限らない。
 でも、貴方がいて謙信公もいるのならば…それは回避出来ない事になるのかもしれない」

 ふむふむと信玄は相槌を打っての言葉を待った。

「私は、自他共に認めるくらい力のない君主です。
 この国の統治だって、皆の力を借りてようやく出来てるんです。

 そんな私だからこそ、一番恐れている事があります。それは自領に戦が持ち込まれる事です。
 貴方は確かに賢人なのかもしれない。でも、貴方が行動を起こす度に、きっと謙信公は兵を起して襲ってくる。
 …私は、その可能性の方が怖いんです」

「なるほど、それでわしを受け入れられぬというのか」

「はい。貴方の信念には感服しています。
 武田の騎馬隊も、ある人とぶつからない限り、戦国最強でしょう。

 けれど、その可能性を除外視したとしても、私は軍神と戦をしたいとは思いません。
 それは貴方の軍略を信じないのではなく、戦で傷つく人を見たくないからです。お分かり頂けますか?」

 真摯な眼差しで訴えれば、信玄は感嘆の息を吐いた。

「参ったのぅ……おことは不可解な事ばかり言うが……合点も行く。…あやつの話は……誠じゃったか…」

「え?」

「おことが腹を割ったのであれば、わしも割らんわけにはゆかぬのぅ」

 怪訝な顔をしたへと信玄は己の身を傾けて、耳打ちした。

 

 

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