誓約書 |
凶弾を受けて倒れたはず、命を落としたはずなのに、たった一枚の紙片に触れた瞬間、不可思議な現象が起きた。 『……え? え? 何、ここ? 天国? それとも地獄??』
思うように体が動かないのはともかくとして、状況把握に努めようと視線を走らせれば、光の中に人影を見た。 「…よ、良かった…間に合ったみたいだ…」 問いかけようと口を動かすのに、声らしき声が出なくて、もどかしい。 「ああ、無理しないでいいよ。救世主さん」 仰々しい肩書だと、息を飲めば、逆光の中に現れた影は一方的に話し続けた。 「いいかい? 時間がないから、説明だけする。今はただ聞いて理解出来るように努めてくれ、いいね?」
体の自由は効かず、声すら上げられないのであれば、自分に出来る事はない。 「まず、確認だ。僕達の世界は、一人の科学者の戯れによって一度滅んだ、それは知ってるよね?」 何時だった邂逅した女の使者に教えられた話を思い出し、瞬きで肯定を示した。 「よし、いいぞ。僕達が送り込まれて失敗したことも、知ってるね??」 また瞬きで答える。 「僕達の時間は一度、消えてしまった。皆、諦めるしかないかったんだ。 それも知っている。今知りたい事はそれではないと、視線で懸命に訴えた。 「ああ、怖がらないで。大丈夫だよ、僕達は君の味方だ。 意味が分からないと、目の動きで訴えた。 「見て、君と武田信玄との間で交わされた誓約書だ」 にとってはつい先程取り交わしたはずの仮の書面を、どうして彼が持っているのか。 「そう、ここは未来だ。君が降臨した時代から、ずっとずっと先の世界」 そんな世界へと飛ばされたのか。
「慌てないで。君は一時、こっちへ精神が来ただけに過ぎない。体の方はまだ元の世界にいるよ。 は懸命に肯定の瞬きを繰り返した。 「うん、良かった。彼は、君へと物資を送れるだけの技術を手にしてるよね。 は大きく目を見張った。 「そうだよ。君は今、弟の体の中にいる。逆に弟は君の体の中。
彼の言葉が本当であるならば、元の時代に残されている自分の体には一体何が起きているのだろう。 「大丈夫、動揺しないで。対象を変えると言っても、命は奪わない。 そこで言葉を区切りの理解を確認すると、彼は先を紡いだ。 「だから誰かが君の代わりを務めなきゃならない。 視線で懸命に「本当か? 本当に大丈夫なのか?」と問いかければ、話しかけていた声が固さを纏った。 「いいかい、救世主。よく聞いて。 懸命に理解しようと高ぶる感情を抑えようとした。
「この世界には、君の名前はまだ伝わっていない。という事は、この時代も、まだ不安定という事だ。 上がる息を堪えて、歯を食いしばる。
「いいかい、よく覚えおいて。僕達は君が成した事を記した神託の書を辿って君を見つけ出した。
瞬きを繰り返し、どんな書なのか、それを記したのは誰なのかと視線で問いかけた。 「…ああ、もうタイムリミットだ…」 へと懸命に語りかけていた声が遠のき始める。 「弟が、戻ってくる。君も、元の体の中へと戻る。 このまま引き離されるわけには行かないと、は両目を閉じて渾身の力を込めた。 「…だ…れ………本……の…主……名前………教え…」 擦れた声を耳にした者が、驚いたように目を丸くした。 「春日源助!! この手記の筆者は春日源助だ!!」
「…さん…」 意識の戻らぬを取り囲んで、諸将は皆沈痛な面持ちだった。 「う…うぅ…ん…」 「姫?!」 「様!!」 呻いて、ゆっくりと両の瞼を開けた。 「…ただいま…」 はにかむように告げて、身を起こす。 「あの…誰か、身代わりになったよね? 誰?」 皆が一様に言葉を呑み、答える事を嫌がった。 「お願い、教えて。知りたいの。だって、私、死ぬところだったんだよ?? お願いだから、誰なのかを教えて」 哀願すれば、自然と家康との視線が幸村へと流れた。 「幸村さん…なのね?」 「はい。ですが、お気遣いなさいますな。左肩を痛めただけです」 「見せてもらってもいいですか?」 無言で頷いて幸村は進み出る。 「ご安心下さい。貫通しておりますし、処置も迅速でしたから炎症等の心配もありません」 「……有り難う、幸村さん…本当に、有り難う。何時も何時も、ごめんなさい」 は身を改めると幸村の手を取った。 「いいえ、貴方を護れた。身に余る栄誉です。 「でも…でも、痛かったよね? 苦しかったよね? こんなに血が出て…」
「それは貴方も一緒だ。いいえ、胸に凶弾を受けたのですから私以上に苦しかったはずです。 「ない、大丈夫。びっくりしたけど、もう平気。痛くないよ。仮に傷口が残ってても、それくらいへっちゃらだよ」 ぼろぼろと大粒の涙を零してが言えば、秀吉が横から口を挟んだ。 「ああ、その心配はないんさ。傷口一つ残っとらん。綺麗なもんじゃったわ」 「え?」 何故知っているのかと、顔を上げれば、慶次の拳によって秀吉が壁際まで吹っ飛んでいた。 「秀吉様…?」 「な、なんでも…ない…んじゃ…」 「あ、はぁ…」 未だ尽きぬ涙を流すの頬を、幸村の指先が拭う。 「もう泣くのはお止め下さい、様。私は、生きております故。心配は御無用です」 「幸村さん……本当に、本当に有り難う」 「はい」 鼻をすすって、己の掌で溢れる涙を拭った。
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