功名が辻

 

 

「じゃ、何か? 君主が暗愚であったが故に、に下ったというのか」

「そうじゃよ」

 政宗が問えば信玄は軽く相槌を打った。すかさずが後を継ぐ。

「政宗さん達の気掛かりは充分承知してる。
 復興はまだ済んでいないし、これから色んな国を併呑しなきゃならない。

 財政の余裕なんか全然ないって事も、分かってる。でもね、信玄公も必要みたいなの」

「姫、それは初耳ですよ」

 左近が眉を動かせば、もどこから話したらいいのかが分からないという様子で顔を顰めた。

「う、うん。不在だった皆さんにはもっと分からない話だろうから順を追って説明するね。
 三成、孫市さん、兼続さん、政宗さんが領を出て、二週間くらいした頃のことかな。
 そうだ、丁度三成から文が届いた日だったんだけ……あの日ね、は毛利に侵攻されたのよ」

「なんとっ!!」

「我が君、どうしてそのような大事に!! お呼び下さればすぐにでも駆けつけましたものを!!」

「ごめん、長政さん。連絡したかったけど、気がついた時にはもう手遅れだったの。
 皆を呼び戻したり、援軍を依頼してる暇なんか全然なくて…半蔵さんが文をくれなければ、
 本当に危なかったと思う」

「そんな事になっていたのか…」

「おのれ、毛利め…このような時期を狙い定めて侵略してくるとは…不義な!!」

 忌々しげに三成と兼続が顔を顰めた。

「でもね、その危機を救ってくれたのが…」

「武田騎馬隊、だろ?」

 孫市に言われて、は頷いた。

「孫市殿は知ってたんですか?」

 幸村が目を丸くして孫市を見やれば、孫市はすぐに頷いた。

「毛利の侵攻云々は知らなかったが、信玄、謙信の動きは小耳には挟んでたんだよな。
 謙信、信玄共に今の君主を見限ってどこか別へ流れよう、なんてどうか…なんて話が出てるってさ。
 ただ裏付けもなかったし、酒の席で耳にした話だったからなぁ…。確証が掴めるまでは伏せようと思ったのさ」

 そこで一度言葉を区切った孫市は、を見て困ってると言わんばかりに顔を顰めた。

「なんせ俺の女神は、ただでさえ色々抱え込み過ぎる。その上意地っ張りだ。
 に直に関係がないのであれば、当面は、女神の負担になるような事は言いたくなかったんだよ」

「孫市さん……そうだったんだね…。色々気にしてくれてるんだね。有り難う」

「いや、こっちこそもっと早く動いとくべきだった。すまない」

 軽い調子の中に真摯な眼差しを潜ませて孫市が言えば、はほんの少し照れたように頬を染めた。
こうした彼の変化、自分にだけ見せる眼差しに、まだ慣れられないのだ。

「左近、肝心の毛利はどうしてる?」

 三成が問えば、左近が視線を信玄へと移した。

「当面心配はないと思いますよ。武田勢が出城を築いて睨みを利かせてます」

「その数、およそ二万」

 具体的な数値を秀吉が口にすれば、信玄が不敵な笑みを口元へと湛えた。

「あれを越えての侵攻は無謀だと思うがのぅ」

「残りの一万三千は?」

「領に入ってもらって、復興に従事してもらってる。信玄公の指導がいいみたいで、皆さん凄く紳士的。
 領下の人達にも好意的に受け入れてもらえてるよ。もっと混乱するかと思ったんだけどね」

「出城と領とで入れ替え制にしてんのがいいんでしょうな。
 一度に受け入れなかった分、民には余裕が出来る。
 受け入れられる兵の方も入れ替えによってこの地を踏めることもあって安堵する。姫の采配勝ちですよ」

「そうか。で、改まって話さなくてはならない事があったわけだな?」

 左近からの報告を聞いた三成がへと視線を移せば、はほんの少し表情を険しくした。

「うん。実は…胸を撃たれた時の事なんだけど…。以前、ツールが届いた時の事、覚えてる?」

「あれか」

「もしや、また発作がっ?!」

 政宗が相槌を打つ横で、兼続が顔色を変えて身を乗り出した。
が慌てて首を横へと振れば、兼続が安心したように腰を下した。

「そうじゃなくて。まぁ、似たようなものかもしれないんだけど……。あの時、本当なら私は死んでたんだと思う」

「だが我が君は生きていらっしゃる。喜ばしい事です」

 長政の言葉には頷いた。

「ツールの時のように、誰とは言えないけど、助けてくれた人がいる」

 兼続、政宗、三成、長政が顔色を変えた。

「あの時私の意識はまたこの世界からは離れた。辿り着いた先で説明だけ受けた。
 現実、何が起きたのかを知っているのは、ここにいる皆の方」

 肩代わりしてくれた幸村へが視線を流せば、幸村が相槌を打った。

「お舘様が認めた誓約書を様が手にした途端、様の意識は消えました。
 何者かが代わりに中に入ったとしかいいようがありません。
 その者は言った。"自分には対象しか変えられない"と」

 わけが分わからぬという様子で三成が眉を動かし、兼続達が顔を険しくする。

「言葉通り、対象を変えんたんですよ。姫の胸にあった凶弾を、そのまま幸村さんの左肩に移した」

「その者の配慮で貫通で済みました」

「そんな事が本当に出来るのか?」

 左近の説明に幸村が言葉を付け加える。
黙って聞いていた面々は突拍子もない話だけに疑心暗鬼丸出しだ。
中でもそうした感情を臆面もなく出してしまう三成の言葉に、幸村が懸命に食い下がった。
彼に同調したのは慶次だ。

「はい、我らはこの目で見ました。具体的にどういう方法なのかは分かりませぬ」

「まぁな、あれを説明しろと言われたって難しいだろうよ。奇跡みたないもんだぜ。
 あんな事が早々起きても困るが、今は乱世だ。またどっかで見るかもしれないしねぇ…焦りなさんな」

「よかろう。で、それだけか?」

「私が邂逅した人は、私達の味方よ。それだけは間違いない。
 でも何時如何なる時も手を貸してくれるわけじゃない。したくても、出来ないの、色々事情があるから」

「随分といい加減な話だな」

 不満げな三成の声には苦笑する。

「そう言わないで、向こうも向こうで必死なんだと思う。色々とあるみたいだから…。
 ここではっきりさせておきたい事は、信玄公と私との間で誓約が成立したから、私が命を繋いだという事よ」

「それが帰順を認めた最たる理由なのだな?」

「そういうわけでもないんだけど…そう思ってもらった方が一番早いかな」

「改めて聞くまでもないのかもしれないが、念の為だ。二心はないだろうな」

 三成が信玄へ鋭い視線を投げかければ、信玄は己の首をバシバシと叩いた。

「そうした素振りがあれば、おことが我が首、撥ねれば良いよ」

「そうさせて貰おう」

「…もう、三成。ちゃんと仲良くしてよね? 信玄公、本当、すみません。この人万年反抗期だから…」

「おいっ!!」

 三成が眉間に皺を寄せ、「何よ?!」と受けて立つの様子を見て信玄は豪快に笑った。

「いやー、おことら仲がええのぅ。幸村、頑張らねばならんよ〜」

「おや、信玄公は幸村押しですかいの?」

「ん? んー、そうじゃのぅ。面白そうじゃしの〜」

 秘蔵っ子談義でも始めそうな秀吉と信玄の間を割って入るように、兼続が一つ咳払いをした。

「三成、お前達の方はどうなのだ」

「ああ、そうだな。いい機会だ、少し報告してから発とう」

「そっか、視察中に飛んできてくれたんだもんね。ごめんね、面倒かけちゃって…」

「気にすんなよ、貴方を失えば何かもが意味をなくすって、それだけの話さ」

 孫市が睦言を囁き、三成が扇を構えようとするのを、兼続が呆れたように制した。

「三成、それは後でやれ。我らも話が済めば復興に戻らねばならんからな。時間が惜しい」

「…くっ、分かった。話そう」

 懐へと扇をしまった三成は、そこから一冊の帳面を引っ張り出した。

 

 

「流石に三成は仕事が早いよねー。
 まだたった一ヶ国しか視察してないはずなのに、余所の国の評判なんかも聞き出して来ちゃうなんて…」

「口を割った連中にもそれなりに思惑があるだろうから、全てを鵜呑みには出来ませんがね」

「しかし兼続殿、政宗殿、長政殿が戻ってこられたのは僥倖でしたね、様」

「うん、そうだね。武田勢を三人と一緒に派遣出来たのって凄く大きい気がするよ。
 自領の安定は、これで予定より少し早く済むかもしれないね」

「期待してくれて構わんよ。活躍の場を欲してる者は多いしのぅ。ワーハハハハハッ!!」

 報告、連絡、相談を終えた三成、孫市、兼続、政宗、長政の五人は、早々に城を後にした。
名残惜しさはあれど、今は優先すべき事が五万とある事を彼らは知っていた。
少なくともの健勝な姿を見れただけで満足だったのだろう。
 彼ら五人を送り出してから、評議場では残っている諸将が顔を突き合わせて今後の事について相談していた。

「ええと、まず再確認ね。帰順を求めてきているのは同盟国九ヶ国の内、六ヶ国」

「他三つは余所へ帰順した」

「うん。三成から届いてる書や、さっきの話を総合すると……一番、被害が大きいのが、この国…」

 広げた地図にが指をさせば、すかさず幸村が朱色の墨で言葉を書き添えた。

「城主さんは誰だっけ?」

「…不在ですよ」

「へ?」

 左近の即答に驚いてが顔を上げれば、左近は届いた書面を確認して言い直した。

「不在です。城主の家系は、例の台風の時、我先に逃げようとして皆死んでる」

「じゃ、今ここって誰が切り盛りしてるの?」

「家老達です。お陰で城内はかなり混乱してますな」

「混乱?」

「政権争いってところだろうねぇ」

「こんな時に?!」

「逆だぜ、さん。こんな時だからこそ皆、権力が欲しいのさ」

 慶次の声には顔を固くした。

「この分ならここを呑むのは楽勝じゃ。こっちからの指図がかなり効くじゃろ」

 秀吉の言葉に、は頷いて、それから再び左近を見た。

「そこにまともな人っている?」

「マトモかどうかは別として、過剰期待はしない方がいいでしょう。
 仁者がいれば、こんなに混乱はしていないはずだ。

 殿の来訪を併呑と勘違いして、かなり引きとめてた様子もある」

「そう、ここは早く手を打たないとヤバイんだ…ねぇ、三成が置いて行った冊子に家老の名前とか記載されてる?」

「ええ」

「見せて」

 が左近から書面を取り上げて、指で書をなぞりつつ文字を追った。
十人ばかり並んでいる名を一通り呟きながら流し読んで、途中でふと動かしていた視線と指とを止める。

「ン?」

様、どうされましたか?」

「何か、お気づきになった事でも?」

 幸村と家康の問いかけに、は掌を突き出して言葉を止めた。
書面をじーっと睨み、「うーーーん」と唸る。
何かを思い出そうとする仕草なのか眉間をぐりぐりと親指でこねくり回し、苛立たしげに爪先でたたらを踏む。

「えーっと…なんだっけ、ここまで出てきてんだよね……えーと、うーん…と……うーーーーん…」

「姫?」

 を取り囲む慶次、左近、幸村、家康、秀吉、信玄の視線を一身に受けたは、数分唸り続けて、ようやく閃いたようだ。指先を打ち鳴らし大きく叫んだ。

「山内一豊!! そうだ、この人"功名が辻"の人だ!!」

「はっ?」

 よく分からないと周囲が目を丸くする中、は三成が認めた冊子を放り出す。

 

 

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