功名が辻 |
「幸村さん、地図地図。近隣地図と世界地図」 「あ、は、はい!」 近隣諸国を拡大した地図の上へ、以前購入した舶来製の世界地図を重ね合わせた。 「えーと、この国って、この地図で言うと、どの辺?」 「そうですね、ここでしょうか…」 幸村が示せば、はうんうんと頷きながら、放りだしたばかりの冊子を手繰り寄せた。 「ここ、農作物の出来高が悪いんだっけ?」 「ええ、山が多いからですかね、切り開くのが大変で…」 「そりゃそうでしょうよ。静岡だもん」 「ハイ?」 聞き慣れない地名に皆が目を瞬かせると、が「なんでもない」と首を横へと振った。 「そうか、一豊さんがいるんだ…この国…」 「姫、併呑をお考えですか?」 「そうね、うん。イケると思う。但し城主は山内一豊さんで、米作りは一旦止めてもらう事になると思う」 「復興を優先させるのですね?」 幸村からの問いをは否定した。 「うんん、現地は見てないけど、例の台風で土砂崩れが起きてるんだとしたら、それはそれでめっけもんなのよ」 「どういう事かの〜? オジさん達にも良く分かるように言ってもらわんと…」 「あ、そうですね、ごめんなさい」 信玄の問いかけを受けては言った。
「元々この地では米は育て難いんです。左近さんがさっきも言ったように、山が多いから起伏が邪魔するのよ。 はそこで筆を取り上げて、広げた半紙の上へと図解を作りだした。 「こういう形の畑を築くと、ある物が大量に育てられるようになるの。それはこの地の名産品になるものよ」 「そのような物がこの地にはあると?!」 「うん、皆もよく飲んでるし、私も好き」 全員がどれのことだろうと顔を見合わせる中、はにんまりと笑った。 「"お茶"よ。静岡と言えば、"お茶"!! これしかないって!! にこにこ微笑むに、全員が唖然としていた。 「様…そのように簡単に決めては…」 幸村が心配そうに声を上げると、は軽く肩を竦めて見せた。 「大丈夫、一豊さんは世渡り上手だから。美人で器量のいい千代さんって奥さんがいれば、もう全然問題なし!!」 「しかし……様」 「何? 秀吉様」 意気揚揚と次の国の事を考えようとするを秀吉が止めた。 「水を差すようで、申し訳ないんじゃが……茶を育てるとして、元になる木はどこで手に入れるんですかいの?」 「エ?」 「結構な値がすると思うんじゃが…普通に…」 「…そうなの?」 が全員を見回せば、誰も彼もがこくりと頷いた。 「………どうしよう……財源の元になるのは分かりきってんだけど……。 が頭を抱えて唸った。 「まぁ、そう気を落としなさんな、さん。着眼点は悪くないと思うぜ」 落ち込んだを労うように、慶次がの肩をぽむぽむと撫でる。 「…特権は、使える者にこそ与えられる…」 「ン? どうしたい?」 「慶次さん、前にそう言ったよね?」 「あ、ああ。言ったねぇ」 そこでは己の口元を掌で押さえて口篭った。 「さん?」 「……ねぇ、皆…もしも…の話だけどね…」 全員が考え事に没頭するの言葉に耳を傾ける。
「もしも…もしもね……きっと変えない方がいいかもしれない大切な決まり事があるのに、 それぞれが視線を合わせ問いかけの意味を模索していると、左近が最初に口を開いた。 「まぁ、時と場合によりますかね。人の命がかかっているとしたら…ねぇ」 「そうじゃのぅ。人の命が多く関わる場であれば、汚いも何も言っとられんからのぅ。 信玄が同調し、慶次も同じ意見だと頭を振った。 「まぁ、さんがしたがる程度だろ? 好きなようにやっていいんじゃないかねぇ」 「慶次さん!! 私、真面目に聞いてるんですけど?!」 がむくれれば、慶次は豪快に笑った。 「おー、すまないね。こりゃ。勘違いさせちまったかい? 「つまり…」 「そうさな、相談してる時点で、さんの場合は底が浅い。だから俺は心配せずに肯定出来るのさ」 慶次の言葉に、尤もだと秀吉、家康、幸村が頷いていた。 「皆してそういう目で私を見てるんですね」 「まぁまぁ、諸悪の根源扱いされてないんですからいいじゃないですか」 「分かんないですよ? 本当は、私のする事が良くない事かもしれないじゃないですか」 いやに突っかかるなと左近は眉を動かした。 「様、何を焦っておいでです?」 息を呑んだに、家康はゆっくりと、それでいて力強く語りかけた。
「御身は自らを省みず、多くの民を救ってこられた。今も、受け入れずともよい者の為、心を割いておられる。 「…家康様…」 「なぁ、様。それは今せんといかんことなんかの?」 秀吉がの顔を覗き込んで問いかける。 「…それは…そうじゃないだろうけど…でも、これが上手く行けば他の国を併呑する上で凄く楽になると思うの…」 「つまりは、方法としては悪くない。折角の閃きじゃから、やってみたい。けど、不安…そういう事かの?」 秀吉の言葉はまさにその通りだったのだろう。は無言のまま頷いた。 「そうかそうか、それは辛いの。様は、色んな事を知っていらっしゃる、そしてやろうと思えば出来ちまう。 秀吉が慰めるようにの頭をぽむぽむと撫でる。 「いよっし!! 決めたわ。様、これから様が起こす事、その共犯にわしがなろう!!」 「えっ?!」 「様が選んだこと、閃きが間違いじゃった時は、わしがその罪の半分を背負う」 「秀吉様」 「慶次が言ったように、様は様の思うようにやってみるんさ。 「さん」 「え、何、慶次さん」 「俺も付き合うぜ、とことんまでな。安心しなよ」 「二人揃って売り込んでますがね、姫の元にいる者は大抵同じ見解だと思いますがね」 二人の言葉にが感動していると、左近が引き攣った笑みで言い、幸村が「その通りだ」と相槌を打つ。 「話は決まったようじゃ。さて、どうするのかの?」 信玄の言葉を受けたは、全員の顔を一度見回して、それから覚悟を決めたように言った。
『…あの人は言った……宿命を変えられるなら、その先にどんな未来が開けていても、それでいいって……。 「山内一豊を城主に、この国の帰順は許可します。 「ハイ?」
今の今まで部屋の隅、下座でせっせと書記を務めていた高坂昌信が顔を上げた。 「あの…某は一体何をすればよろしいのでしょうか…?」 周囲から注がれる視線に慄く昌信に、は一枚の紙片を手渡した。 「これから言う通りに、筆記して下さい。但し、貴方の名は高坂昌信ではなくて"春日源助"で記す事」 「は、はい」 筆を構えた昌信の前では理路整然と言った。 「"今日は天気がいい。に下り、最初のお役目を頂いた。書記を務めるに当たり、蔵を一つ拝借する。"」 「はい」 さらさらと筆が進む。 「あ、まだ日付は入れないでね」 「畏まりました」 「次。"不思議な事が起きた。先日頂いた蔵いっぱいに、茶葉の苗、果実の苗、肥料が現れた。これも神のお導きか"」 「はい…」 筆が進み、見守る面々は首を傾げる。 「書けたら、最後に日付なんですけど…明後日の日付をつけて下さい。 「はい、畏まりました」 「左近さん、そういうわけだから、昌信さんに空の蔵一つを用意してあげて」 「承った」 「で、これが何になるのかの?」 信玄の問いに、は頬を掻きながら、答えた。
「後、私達に出来る事は、今は待つことだけです。私も確証があってしてることじゃないから…。
三日後、期待を胸には指定した蔵の前に立った。 「開けまする」 「うん、お願い」 軋むような音を上げつつ開かれた扉の向こうには、湿気を纏った木の匂いが充満し、薄暗かった。 「ありゃ、空だ…」 「失敗ですか?」 気になって様子を見に来た左近がの背後で溜め息交じりに問う。 「駄目だったみたい…届かなかったのかな…」 「届く? 誰にです??」 「うーん…それはその…」 口籠るの様子から、説明し難い事なのだと察した左近は、自分の隣でそわそわする昌信を労った。 「気にしなさんな、あんたは悪かないですよ。それに姫はこの程度の事では咎めやしない」 「は、はぁ」
書記を務めるようになってからというもの、高坂昌信は常に帳面と筆とを携帯していた。 「何がいけないんだろう? 方法が違うのかな…」 は独白し、眉間に皺を寄せながら頭を斜めに傾けた。
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