功名が辻

 

 

「ねぇ、左近さん」

「なんです?」

「大事に取っておく書面ってどんなもの? 普通さ、昇進の辞令みたいなのって大事にするよね?
 末代まで残ってたりするもんだよね?」

「するっちゃー、するが……末代とまでなると…どうでしょうね。今回のように直筆の日記じゃな…。
 誰かが間違って焼いたり、破いたり、潜入した乱破に盗まれる可能性もありますからねぇ」

「ああ、そっか!! だからダメなんだ!!」

「じゃ、何が何でも末代まで残る可能性のある物ってどんなの?!」

「そりゃ、思い人から認められた恋文とか…」

 そこで昌信が閃いたように口を挟んだ。

「お舘様や姫様からの直筆の文などではないでしょうか!!」

「それだっ!! って事は、今、信玄公はっ?!」

「今日は復興に尽力してるはずですよ」

 左近の即答に、は瞬時に反応した。

「行きますよ、昌信さん」

「は、はい!! ただいま!!」

 が駆けだし、昌信が後を追う。

「やれやれ、相変わらず活発なお嬢さんだ」

 遠のいて行くの背を見た左近は、肩を竦めて笑ってから二人の後を追った。

「ん? なんじゃい」

「し、信玄…公…」

 城から城下町外れの復興現場まで駆けて来たのか、はぜーはーと肩で息を吐く。
そんなの後ろに立つ昌信は、呼吸一つ乱れはておらず、心配そうな顔をしていた。

「ちょ、ちょっと…お願い…が…」

『やだ、私…なんかすごく……虚弱体質に…なって…る?』

 苦しそうなの姿を見かねて、信玄が竹の水筒を差し出した。
は素直に受取って、中に入っている水を一口飲んで、呼吸を整えた。

「信玄公から、昌信さんにお願いしてほしい事があるんです」

「あ? ああ、構わんよ。で、なんだね? 何をしでかしたね?」

「いえ、そうじゃなくて…」

 叱責でもしそうな信玄に慌てては訂正する。
復興計画図を広げている机の上へと、は信玄の水筒を置いて、昌信へと向かい掌を差し出した。

「昌信さん、筆記具、筆記具」

「は、はい、ただいま!」

 差し出された筆記具を広げて、は言う。

「なんでもいいんです。浮気の謝罪でも、日頃の感謝でも、叱咤激励でも。とにかくお手紙を書いて下さい」

「ここでかの? 本人がいるのに?」

「手紙になってないと、困るんです!!」

 強い口調で強請れば、信玄は益々話が見えないと、首を傾げる。
妙な空気がはびこり始めたそこへ、の後方から助け船が入った。追いついた左近だ。

「先日の姫の閃きが空振りに終わりましてね。次の策を模索中なんですよ」

「ああ、なるほどのぅ。なら、折角じゃし…浮気の謝罪文にでもしておくかね」

「お、お舘様!!」

「相変わらず、人がお悪い」

「ワハハハハ!! まー、わしじゃからの〜」

 左近の言葉に信玄は豪快に笑いながら、さらさらと筆を走らせた。

「はい、署名したら…二枚目、二枚目」

「今度は何を書けばいいのかのぅ?」

「先日の、昌信さんにお願いした書面と同じ内容の文を上手く不自然にならないように…」

「ついでだから、昌信さんももう一度書き直して、一緒に封じたらどうですか」

 左近の声に、は「それもそうだね」と相槌を打った。

「これでいいかね?」

 それから間もなく書面は出来あがって、達筆を読み解けないの代わりに左近が内容を確認する。

「ああ、まぁ、いいだろ」

「ありがとうございました!! これで上手く行くといいんだけど…」

「まぁ、失敗した時はそれでまた別の方法を考えりゃいいでしょう」

「そうだね。それじゃ、そろそろ城に戻ります。信玄公、お仕事中、お邪魔しました〜」

 颯爽と戻ってゆくの後を、昌信と左近が追ってゆく。
見送った信玄は再び軍配を手に取った。

「やれやれ、忙しないお嬢さんじゃの」

 復興作業の監督に戻る信玄は、ふと足を止めた。
彼はそのまま、己が見限って来た地を思い描くように天を仰ぐ。

『しかし…不思議じゃな…あの娘からは王道の匂いしかせん…。珍しい話じゃ。
 じゃが、こういうのも悪くはないかのぅ………宿敵よ………きっと、こっちが"極楽"じゃよ 』

 

 

「姫様!! 様っ!!」

 それからきっかり三日後の事。
寝ぼけ眼でが朝食を取っていると、高坂昌信が脇目も振らず、の元へと駆け込んできた。

「ん、おはようございます。昌信さん」

 まだ寝ぼけモードのは茶碗を抱えてぐらぐらと揺れている。
だらけ切っている姿と言えばそうだが、それも三成がいないからこそだ。
きっと彼が帰ってきたらこんな姿のにはお目にかかれまい。
護衛として傍に座す慶次は役得みたいなもんだと、深く気に留めずに、一緒になって朝餉を楽しんでいた。
 寝ぼけ真っただ中のと、しっかりと覚醒して背筋を伸ばしている慶次。
対照的な二人の前で膝を落とした高坂昌信は、頬を紅潮させ、胸が高鳴っているのが見て取れるような様子で訴えた。

「く、蔵が!! 蔵に…!! 苗が!!」

「やったっ!! ついに来たっ!!」

 驚愕と感動のあまり、ちゃんとした報告になっていない昌信の声。
それを聞いた瞬間、の意識が、一気に覚醒した。
はその場で立ち上がった。
膳で強かに膝を打ちつけて、膝小僧を押さえながら、よろめきつつ室を出る。

「だ、大丈夫ですか、姫様!!」

「へ、平気……ちょっと足打っただけ…」

 とは言ったものの、痺れが走ったようで、はあちこちへふらふらと歩き回る。
ついに床にぺたりと座りこんだは、叫んだ。

「慶次さん、お願い、蔵まで抱っこしてっ!!」

 いい年をして抱っことは情けないにも程があるが、成果を見たいという欲求には打ち勝つことが出来なかった。

「あいよ、これでいいかね」

 の後をついて来た慶次が、願いを聞き入れて軽々と抱き上げる。

「じゃ、行くとしようか」

 流石に慶次の足だと一歩が大きい分早い。
昌信を引連れて、三人は蔵目指して突き進む。
が、慶次に抱き抱えられて移動するとなれば、目立つのは当然の事。
すぐにの姿を目にした、左近、幸村、秀吉、家康、信玄が追いかけてきた。

「姫、何やってんですかっ!!」

「慶次殿、主君を何とお考えかっ!!」

 恋敵となる二人は当然、怒りを露わに、

様、何が始まるんじゃ??」

「何事ですかな?」

「オジさんも混ぜてほしいのぅ」

 後者三人は、興味本位だ。

「あ、皆さんおはようございますっ!! この前のアレ、成功したみたいなの!!」

 慶次に抱かれながらが後方へ続く面々に訴えれば、五人はそれぞれ目を丸くした。

「それは祝着ですな」

 蔵の前に辿りついた頃には足に走っていた痺れも取れて、は意気揚々、大地に降り立つ。
蔵を預かる役人が、重鎮どころが揃いも揃って現れた事に目を白黒させていたが構ってはいられなかった。

「で、どこ? どこ?!」

「こちらです。気になってあれから日々、朝昼夕と覗いておりました」

 昌信が言い、が相槌を打ちながら蔵の中を改めた。
すると、空だったはずの蔵の中にはが指定した大量の植物の苗、肥料、それどころかスコップやジョウロと言った農作業に必要となる道具類もあった。

「やった〜!! 届いたんだ〜!!」

 後から続いていた面々が所狭しとばかりに置かれている道具や苗を前に息を呑む。
そんな中、は嬉しそうに昌信の手を取って飛び跳ね、喜びを示す。

「やったね、やっぱ思った通りだ〜!!
 何時も何時も向こうの都合に合わせきりだもん、たまにはこういうのもありかな?

 って思ったんだけど、大正解〜!!」

「姫、これって一体…」

 左近が床に置かれている苗を避けるように跨ぎながらの隣に立てば、は満面の笑みで答えた。

「はい、必要だった、茶葉の苗!! これで財政圧迫はなしにして、帰順先の再興に尽力出来るでしょ?!」

「いや、そりゃそうだが…」

様、どうやったのですか?」

 幸村が見慣れぬ道具を手に取り問いかける。

「どうって……暗殺の時の事と、ツールが届いた時の応用」

「しかし、それは別々者が尽力していいると…そう仰っていたのでは?」

 果樹の苗を手に取り家康が言う。

「うん、そう。別々。だけど、もしかしたら本人達の方には繋がりがあるかもしれない。
 私と違って、連絡を取り合う事も出来るかもしれない、って、そう思ったの。だから試してみた」

「…なるほど…」

「問題があるとしたら、ちゃんとこの世界でも育つか? って事かな。でも試してみる価値はあるでしょう?」

 嬉しげなが茶葉の苗へと手を伸ばす。
それを見た幸村が顔を強張らせて叫んだ。

「お待ち下さい、様!! 触れては…」

「あっ!! ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 幸村の直感は的中した。
の手が苗木に触れると同時に、発作が起きた。
の手から苗が落ちてる。
は何かに抗おうとでもするかのように、己の体を両手で掻き抱いて、大きくよろめいた。
 横にいた左近がすかさず抱きとめる。

「大殿、家康!!」

「「様っ!!」」

 左近に呼ばれた二人が同時に反応した。
彼らは手にしていた見慣れぬ道具や、植物の苗を放り出すとの傍へと駆け寄る。
 の白く細い華奢な両手を二人が同時に取った。
次の瞬間には秀吉が苦しげに呻き、膝を落とす。

「うぐぅ…!! なんで…じゃ………どうして、こうも……疎んじる……様は…!!
 様の何がいかんっちゅうんじゃ…!!」

様、様!! 家康の声が聞こえますか、様!!」

 慣れ始めているとはいえ、心構えもなく襲ってきた発作。
その頻度の多さに、旧重臣の誰もが顔を険しくしていた。
 間近で見た高坂昌信や蔵の外に立つ信玄にとっては初めての事だが、呑気に構えていられるような事でもないのだと、誰に説明を受けずとも分かるから、彼らの顔からも血の気が引いて行く。

「……これは、一体……どういうことなんじゃ?」

 信玄の問いかけに答えられる余裕は、誰にもなかった。
それもそのはず、の体に現れた変化は、今までとは異なり、あまりにも大きいものだった。
 額には球粒の汗。
引き攣る顔には血管が浮く。
首から腕にかけて、火傷のような赤みが浮き上がり、見るからにして痛々しい。

さん!? 部屋へ戻すぞ!!」

 外傷までが現れた事に焦ったのだろう。
慶次が秀吉、家康、左近の腕の中からを奪い取ろうとした。

「待ちな、慶次さん!! 大殿と家康から引き離すのはまずい!!」

 珍しく左近が声を荒げれば、慶次も一時動きを止めて、相槌を打った。

「…すいませんがね、幸村さん。慶次さんと一緒に人払いしてもらえますか。
 ごたごた続きので、姫がこんなんじゃ、人心に影が差す」

「わ…分かりました。慶次殿、行きましょう」

「あ、ああ…そうだな、ここは頼むぜ。左近」

「任せてもらいましょう」

 慌ただしく動き出した面々を見た信玄が踵を返した。
一度だけ振り返り、苦しむの姿を見た信玄は、思い悩むかのように独白した。

「…極楽か…地獄か…か…」

 

 

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んと…タイム・パラドクスとかあんまり考えないでもらえると有り難いです。
尚、途中で出来た山内一豊さんは、後々の輸送隊メンツ1号です。あんまり深く考えないで貰えると…以下略。(09.12.12)