二つの海 |
「死ね…死んでしまえ!!」 「そうだ、お前さえいなければ、綺麗に収まるのに!!」 「消えろ!!! 消えちまえ!!」 静寂、暗闇、強烈な敵意。 『なんで……どうして……どうしてそんな事言うの…? 「黙れ!! 偽善者め!!」 「お前の行いの裏で、泣く者がいないとでもいうのか!!」 「消えろ!!」 「死ね!!」 『なんで…どう…し…て………?
押し寄せる沢山の悪しき感情に翻弄されて、意識を繋ぐことが敵わなくなる。 「そうだ、眠ればいい」 「…そのまま、身を任せて……」 「無に落ちろ……そうすれば楽になる…」 「このまま、全てを手放し、諦めて眠りに…」
酷く冷たい世界に取り込まれているのに、流されてしまえばその冷たささえ心地が良い。 『もう…だめなの? どうにも…出来ないの?? …もう…諦めるしか…ない…の?』
抗わねばならないと思うのに、思うように意識は保てず、体の自由も利かない。 『…う…うぅ…くっ……ここには、誰もいない……助けなんか…こない…』
押し寄せる憎悪に、雑言に、身を締め上げ打ちのめす痛みに耐えかねて、心が折れそうになる。 『逃げたい……全てを忘れて……何もかも……』 力が抜けて行く。心が悪しき感情に呑まれてゆく。 『…会いたい…皆のところに…帰りたい… 』 頭に響く声は諦めだけを促し、の存在そのものを否定する。 『…逃げ出せない……あの人達の…世界だもの……。 その光を頼りに、折れかけた心を叱咤激励すれば、再び襲い来る憎悪が牙を剥いた。 『ひっ!! うぁぁぁぁぁっ!!』 恐れて悲鳴を上げれば、 「去ねぇい!!!!」 瞬間、聞き慣れぬ声が耳に届いた。 『……誰…? 誰なの…?』 限界を超えた精神では、視界を標準に保つことなど出来なかった。 "…戻れ、まだここはうぬには早かろう……"
向けられた阿鼻叫喚で聴覚機能が麻痺しているのか、男の声を直に聞くことは出来なかった。 『誰…? 貴方は…一体……誰なの??』 が懸命に目を凝らせば、横たわる大地は、荒廃した未来のそれ。 『……羽根? どうして……こんな…ところに…?』 疑問を抱いたまま、の意識はそこで途絶えた。 「失せよ、時に弄ばれし亡者共よ…」 横たわり、消えつつあるの姿の後方には何者かの影。 「…うぬらの死も……また必定よ」
影が淡々と話し、手を振り上げれば、彼から生じた漆黒の気が液体を切り裂いた。
「様っ!! 様!! どうか、どうか目をお覚まし下さいっ!! 様っ!!」 擦れるまで自分を呼び続ける家康の声に導かれて、は意識を取り戻した。 「…あ…っ!! んっ…うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 目覚めた瞬間に目にした家康の安堵した顔、耳にした彼の優しい声。 「いやっ!! やだぁ!! 知らないっ!! 私、わた……あ、いやだ…助けて……助けてっ!! 私っ!!」 「様、様!! 様っ!!」 両手でしっかりと抱きとめて、家康は叫ぶ。 「お気を確かに!! 分かりますか、家康はここにおりますぞ!! 様!!」 「あ、あっ…あっ……影が……液体が……首に…」 家康はを何とか落ち着かせようと、大きな掌で背を撫でて、真剣な声色で語りかけ、相槌を打った。 「どうされたのですか、何が恐ろしかったのですか。家康にお聞かせ下さい、様」 喉を鳴らし、何度となく息を呑んで、乾いた唇で言葉を探した。 「……殺され…かけた……」 「なんと!! それは誠ですか、様!!!」 目を剥いて息を呑んだ家康の前で、は唇を強く噛んでいう。 「…こんな事、初めて………誰か…分からないけど……助けてくれた……その人がいなかったら…私……」 「…そうでしたか、それは…恐ろしかったでしょうな。よく耐えられました、ほんに、よく…」 強く手を握り、相槌を打つ家康の声は、震えている。 「…様、生きて帰られてほんにようございました。ほんに……」 「家康様……家康様は…私の事、必要って言ってくれるんだね…」 「何を言われますか!! 当たり前でしょう!! 「本当? 私は、このままで…いいの?」 「当然です、貴方は貴方なればこそ、皆が貴方につき従い、貴方を支えようとするのですよ!!」 家康の言葉を聞いて、は安心したとようやく全身に込めていた緊張を解く。
「どうかお忘れなきよう。御身は尊い、皆、貴方を慕っております、貴方が必要なのです。 「…有り難う……」 がゆっくりと瞼を閉じれば、家康は無言で頷きながら繋いだ掌にほんの少し力を込めた。 「ゆるりとお休み下され。家康は、ずっとずっとお傍に居りますよ」
「家康殿…今、ええかの?」 「おお、秀吉殿」 が眠りに落ちてからしばらくすると、秀吉が顔を覗かせた。 「何か、あったのかの? 殿が泣いとったが…」 問われた家康は、の事を見下ろすると、小声であった事を語った。 「なんと!! そんな事が!!」 仰天する秀吉が、困ったように眉を寄せる。 「…ついに自覚されてしまったか…」 「そのようです」 「こりゃいよいよもって早く、信長様を見つけ出し、頼らんとならんな」 相槌を打った家康が、改めて問うた。 「時に、どうされたのですか?」 「あ、そうじゃった。実はな、信玄公が様の発作について発見したんじゃよ」 「なんと!」 「信玄公の発見で、様のご心痛を少しでも軽く出来るとええんじゃがの」 「そうですな……ですが秀吉殿、どうかその前に…貴殿からも様に"必要だ"とお伝え下され。 家康の言葉を受けて秀吉は何度も頭を振った。 「そうじゃな、こんな世界じゃ。様のようなお立場で、存在を否定される事がどれ程、不安でお寂しいことか…」 秀吉は疲れ果てたの寝顔を見ながら、苦しげに視線を伏せた。 「このお方には、常に微笑んでおってほしいものじゃ」 「同感です。儂らの言葉で、御心が晴れれば良いのだが…」
家康の気落ちした声色に、これはなかなか手強そうだと考えた秀吉は、しばし考え込むように腕を組んだ。 「そうじゃ、家康殿。こういう時はあいつに任せよう、きっと適任じゃ!」 「適任者…ですか?」
「うむ、真田幸村。実直、律儀、でもって堅物の代名詞じゃ。そういう男ほど、こういう時は強い!! 「尤もですな、彼に、賭けてみますか」
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