二つの海 |
疲労による深い眠りを経て目覚めたは、三の丸の中に造られた茶室にいた。 「様、お茶が入りましたわ」 「うん…有り難う…」 空は快晴。 「……様…」 「あ、うん…ごめん…考え事してた…」 一向に食の進まぬの身を案じるの前で、は無理に微笑もうとする。 「ちゃん?」 「そろそろ板場を見て参りませんとなりませんから…」 「そっか」 「はい、すぐに戻りますわ」 幸村に対して一礼して、は茶室を出る。
そよ風に艶やかな黒髪を遊ばせて、は空を見上げ続けた。
涙は光る勇気の滴に替えて一歩づつ〜♪
どれくらい経ったのだろうか。
いらない物を捨てたらこんなにも♪ 心の中が無限に広がったよ♪
うろ覚えなのか、たどたどしく綴られる歌詞、音曲に、耳馴染みがある。
一人静けさの中で目を閉じる♪ そんな時間が自分を育てて行く♪
「…幸…村さん?」 音曲を奏でていたのは、ずっと無言のまま背後に座していた幸村だ。 「やはり、私では様の紡ぐ歌は、上手く歌えませんね」 視線を合わせた幸村は、気恥かしそうに下を向いて言った。 「…え?」 「…何時だったか、風呂で奏でられた音曲……耳について離れぬのです。 口下手な彼なりの必死の慰めだと知り、胸が熱くなった。 「様…元気を出して下さい。大丈夫、きっときっと、上手く行きます」 幸村の言葉に励まされる一方で、心に刺さった棘の痛手は深い。 「幸村さんはさ、自分の"存在"について考えた事はある?」 「"存在"…ですか?」 「そう、自分が"存在"するから、代わりに誰かが不幸になる。とか、そういう事」 漠然とし過ぎている話では、理解を求めるのは難しい。 「それは禅問答のようなものではないでしょうか?」 「禅問答?」
「はい。"甲"が存在するから、"乙"が不幸になる。これは残念な事に世の常です。 すっぱりと切り伏せられては息を呑む。 「理解出来ませぬか??」 が視線を動かし肯定すれば、幸村はの頬を伝う涙を指先で拭った。 「簡単な事です。人は、米を食べます。時として鳥も…必ず何かを犠牲しています」 「食物連鎖?」 「…様の世界ではそう表現するのですね」 こくりと頷くに幸村は諭すように語りかけ続けた。 「ではその食物連鎖だと思って下さい。 「…それは、そうかもしれないけど…。 言いたい事は分かるが、そういう事でもないと、は懸命に言葉を探し問いかける。 「どうでしょうか」 「え?」
「入って来た違う要素にもよります。それにその要素は、どうして現れたのでしょう? 「うん、巡り合わせ…だね、きっと。 「では、交換こだったのですね」 「交換?」
「はい、要素の願いを叶える代わりに、その要素を仲間にしたい何か……"丙"とで申しましょうか。 「つまり??」 こんがらがりそうな内容に、幸村はぎこちなく微笑んだ。
「"甲"の"存在"は不可抗力であり、"甲"に落ち度はありません。むしろ巻き込まれているだけですね。 幸村の回答を聞いたは、しばし口篭った。まだ釈然としない様子だった。 「…でもさ、幸村さん。"乙"の数の方が多かったら?」 「数の多さが正義ではありませぬ。様、本質は"甲"を求める意思が存在する事にこそあります」 「それじゃ、まるで"甲"を呼んだ"丙"と"乙"の戦いみたい…」 独白すれば、幸村は「そうかもしれませんね」と相槌を打った。
「私は武士であればこそ、戦場においては、迷わずに敵を斬り伏せます。相手の事を思いやる事などしません。 「幸村さん、なんてこと言うの?!」 「様、それがこの世の理です。 「難し過ぎますか?」と問われて、は言葉を失った。 「私達武士の感覚は、様のような方からしたら、到底理解が及ばぬものでしょう? 幸村がぎこちない仕草での頭を撫で、柔らかい声で言った。 「だから、こうした話は、禅問答なのです。 「信念の問題…そういう事?」 「そうです。折り合いがつかず、争わねばならぬのならば…打ち勝つのは思いの強さのみかと…」 迷いがあるのか、瞬きを繰り返し、言葉を呑むに幸村は問う。 「時に…気になっているのですが……」 「え?」 「"甲"の望んだ事はどんなことなのでしょう? そして"甲"は今、何を望んでいるのでしょうか??」 「……平和が…ほしい……。穏やかな、世界…。 「そうですか、それは悪くない"わがまま"ですね。私は共感します」 「…幸村さん……」 「はい?」 「"甲"はこのままでもいいんだと……思う?」 「はい。というよりも…その信念であれば、私も"乙"にとっては"甲"となるのでしょう」 幸村が何気なく紡いだ言葉には驚いて、目を大きく見開いた。 「いけませんか? "乙"が沢山いるのなら、"甲"が沢山いても不思議ではありませんよ」 問われてはふるふると首を横へと振った。 「…一人じゃない……同士がいる……どうして…忘れてたんだろう……呑まれてしまったんだろう…」 「突然存在そのものを否定されたら、誰でも混乱すると思います」 「そっか、そうだね。混乱しちゃうね」 「大切な事は、そのまま我を見失い続けない事です。誰かに折られてしまうような"信念"は"信念"とは言いませぬ」 「もう大丈夫ですか?」と視線で問いかける幸村に対して、は何度となく頭を振った。 「ありがとう、幸村さん…なんだか、良く分かった気がする……」 「そうですか、良かったです」 を抱く幸村が腕を動かして、己の羽織を脱ぐとの肩に掛けた。 「少し、冷えてきましたから」 「うん、そうだね。その通りだね……ごめんね、幸村さん……でも……もう少し、このままでいていい?」 「はい、何時何時までも…様のお望みのままに……」 頑なな"憎悪"には、それに揺るがぬ"信念の槍"を持って対抗する。
"遠い未来との約束---第四部" 了
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途中で幸村が奏でた音曲は「Fight!/高橋由美子」です。知ってる人はどれ位いるだろ?(09.12.27) |