嫁取り騒動

 

 

 住み慣れた城、苦楽を共にした家臣達を前に、が名残惜しむように視線を投げかける。
正門の敷居の内と外。内側に居並ぶ諸将の苦虫を十万匹は噛み殺したような顔に、外側に立つは笑顔を向けた。

「皆ならきっときっといい政をしてくれるって、信じてる。だから、最後は笑ってさよならしよう…ね?」

 小さく傾げた首元に艶やかな頭髪が流れおちた。
決定事項を覆そうと、皆が口を開く前に、は己の身を二つに折った。

「色々とお世話になりました。皆さん、本当に、今までどうも有り難う」

 時間をたっぷりかけてのお辞儀。
それを見てしまうと、もう誰も何も言えなくなってしまって、息を呑む。

「それじゃ、私、そろそろ行きます」

 身を翻して籐で編んだ駕篭一つを背に、城を後にした。
怒りで打ち震えるしかなかった諸将は、殺気の籠った眼差しを二の丸へと向けた。

 

 

 一方、その二の丸・展望室では…。
出て行くを見下ろし、一人の男が忌々しげに舌を打った。
彼の視野の中を慶次が松風を連れて通り過ぎる。
男は目を剥いて思わず叫んだ。

「どこへ行くつもりだ、前田慶次!!」

「どこ? 勘違いしないでほしいねぇ。俺はさんの護衛だ。それは今も昔も、これから先も変わらない。
 さんがいなくなったこの城に、俺の居場所なんかありゃしないぜ。
 せいぜい、励んでくれよな。新城主様」

 鋭い視線を向けて答えた慶次は相手の言葉を待たずに松風を駆って、城を後にした。
 季節は睦月、寒さが一層厳しくなる季節。
全領地の復興の目処が立ち、恙無く所領数を増やしたはずの家を突如として襲った悪夢のような君主交代劇は、この日より遡る事一ヶ月前に届いた文に端を発する。
 そんなこんなで、その日を振り返って見る事にする。

 

 

  

 帰順を申し出ていた六ヶ国の内、二つが痺れを切らして別の国へと併呑された日。
は受け入れる四ヶ国用の再建案をようやくまとめ上げ、お触れ書きで領内に正式発表した。
復興最中にお荷物となる国々の受け入れを密かに遂行したとなれば、後々人心に響き兼ねない。
そこを踏まえて、は、先手を打ったのだ。
 救いを求めてくる国々の惨状と共に、自領の被害状況。
何もかもを踏まえた上で作り上げた、この先の全所領に関する再建案。
それらと共に"運良く回避できただけ"、"自分の身に起きた事として考えてほしい"と人の情に訴えかけた。
 お触れを目にした領の民は、再建に関して不安はあっても、あの自然災害が齎した凄惨な被害を簡単に忘れる事は出来ず、まして他人事とは考えられなかったようだった。

「まぁな、様の取り決めた事だ…間違いはあるまいよ」

 こうして四ヶ国の帰順は、自領の中に否を唱えるに唱え難い空気を作り出してからの執行となった。
結果的に、長い目で見れば、辛抱強く待った四ヶ国は、粘り勝ちというところだった。
忍耐を知らなかった二国は、よりにもよって悪い噂の絶えない国に二束三文で身売りをしたようなもので、復興とは名ばかりの、過酷な再建と搾取案に直面する事になったようだ。
 対してに膝を折った四ヶ国は、の閃きからきた長期計画を受け入れて、希望を胸に再建案に従事している。
幸いだったのは、慎ましく行われた帰順式で一番最初に目録を手渡され帰順を認められた地域の新たな主となった山内一豊が、が示唆した通りの世渡り上手だった事だ。
彼はが提案した再建策に否を唱えるどころか、嬉々とした様子だった。
 最初に目録を手にした者がそのような反応だったものだから、後から手渡される者も、表立っては感謝を示すしかなかった。
 信玄の言葉を借りるとするならば、

「やれやれ、皆、自領に禄を少しでも多く貰おうと必死じゃね」

 というところだ。
 ただ、山内一豊のような人物がいなかったわけではない。
帰順を認められた国の内、最年少の君主は、齢九歳という若さで、政治の駆け引きなど分からぬ様子だった。
彼の父は、例の台風からの復興作業中に命を落とし、母もまた、夫の後を追うように病床でこの世を去ったという。
彼は一目見たの美しさと穏やかさに幼心ながら焦がれたようで、より一層に近づきたかったのだろう。
 その場で補佐としてついて来た叔父の制止も振り切り、嘆願した。

「私はまだじゃくはい者です、なにとぞ、様のごしなんをいただきたく思います」

「こ、これ、若君!!」

 慌てて制止する叔父の様子から、新君主の身に危機を感じたは、そのままその場でその願いを聞き入れ、彼の後見役として信玄を派遣することを約束した。

「わしかね?」

「あの坊やを守れるのは、信玄公くらい軍略がないとダメだと思うんですよ。
 あの叔父さん、きっとあの坊やの事を殺すわ。そういう目をしてた」

 式典の後、問いかけてきた信玄に「思い過ごしか?」と視線で問えば、信玄はの考えを肯定した。

「流石に鋭いのぅ。あの坊主の母の病というのも、キナ臭い気がするよ。しかし本当にわしでいいのかね?
 わしが言いたいのは、下ったばかり男によく領を任せる気になったね、という事じゃよ?
 おこと、わしがそこを基盤に割拠したらどうするつもりだね?」

「その時はそれで構いませんよ。
 信玄公ならどの道国をきちんと建て直すだろうし。
 信玄公に限って、あの坊やを殺したり、皆を苦しめるような政をするとは思えないから。
 ただその時は事情を知った三成から嫌がらせの手紙が何通かは届くと思うので、その辺は覚悟して下さいね」

 明るい笑顔で即答された信玄は、肩を揺らして笑った。

「やれやれ、おことには本当に敵わんね」

「は?」

「いいや、なんでもないよぅ。殿、約束しよう。
 彼の地をわしはきっちり一年で立て直し、おことの元に戻ると…」

「はい、信じてます」

「そうそう、何かあると困るからね。こっちには昌信と勘助を残して行くよ。
 書記は勿論じゃが、出城で毛利に睨みを利かせる将も必要じゃろう?」

「色々有り難うございます、宜しくお願いしますね」

「うんうん、気をつけるんじゃよ」

「はい」

 

 

 こうした調子で併呑を難なくこなし、改めて執務に取り組もうとしていた矢先のこと。
の元へと聞き慣れぬ国の主から一通の書簡が届いた。
その国は、折しも信玄を派遣した領の山一つ隔てた向こうに位置する国だった。

「えーと…何て読むんだろう…この名前? 斎藤……?」

「斎藤龍興…サイトウタツオキですね」

「そう、で、その斎藤さんが、何だって?? 同盟の話なら、こんな時期だから嬉しいんだけどな」

 意気揚揚と午後のお茶と洒落こむの横に座る左近は、届けられた書面を改め、顔を顰めた。

「…ほぉ…」

「ちょ、何?! どうしたの、左近さん。なんで突然、機嫌悪くなってんの?!」

 とり落とした書面を拾い上げて家康が中身を確認し、納得したとばかりに頭を振った。

「姫、ちょっと左近を牢人させて下さい。こいつ、斬り殺して来たいんで…」

 しれっとした顔で物騒な事を云う左近を宥め、中身について家康に問いかければ、一連の出来事を遠巻きに見物していた慶次、幸村、秀吉が納得したとばかりに頷いた。

「見合い状ですな、これは」

「見合い状?」

「はい」

「ふーん…で?」

 よく分かっていない様子のに、幸村が訴えた。

様、結婚を申し込まれたのですよ」

「えっ、何!? どうして、なんでっ?! 私、この人の事全然知らないのにっ?!」

 ようやく理解が及んだらしいが慌てふためけば、慶次が宥める。

「乱世じゃよくあることだ。調略の一種なんだよ、さん」

「どうします?」

「いや、そりゃ勿論断るよ。そんな顔も知らない人と結婚なんかしたくないし」

 の即答に、内心で安堵する慶次、左近、幸村。
彼らを余所に、家康の隣から書面を覗き込んでいた秀吉は、顔を強張らせた。

「こりゃ、ちーとばかしマズイのぅ」

「え、何? なんでですか??」

「その…申し上げ難いのですが……相手の方が官位が上です」

 家康が眉を寄せて、心底困ったという様子で言った。

「で? だから、なに?」

 現代感覚丸出しのには、それが意味するところが分かるはずもなく、瞬きを繰り返している。
見兼ねた左近が不快感丸出しの口振りで言った。

「所領数はこっちの方が上、石高も上。
 だが向こうには家柄があり、朝廷から頂いている官位がある。
 つまりこの申し出は、そう簡単には断れないって事です」

「……えーと…それって、向こうから反故とか言わせなきゃ、ダメってこと?!」

「だから左近が牢人すると言ったんですよ」

 絶句したの耳に、中庭に造られた獅子落としが奏でた音が、重苦しく響いたのは言うまでもない。

 

 

「どけ、あの女はどこだ!!」

 それから数日と経たずに、城に三成の声が轟いた。
帰順国の監査を担っていた彼は、一通りの仕事を終えた後、孫市と共に兼続、政宗、長政と合流し、元から持っていた領の復興に尽力していた。
それが突然戻って来たとなれば、誰でも驚く。

 皆が目を丸くする中、三成は肩を怒らせて闊歩し、ついには皆が詰めている評議場へと続く敷居を跨いだ。

「三成〜!! お帰り!! 私、ずっとずっと貴方の事待ってた〜!!」

 華やいだ装いのが三成の声を聞いて、感涙し、溢れんばかりの笑みで出迎える。
それこそ両手を広げて抱きしめそうなの前まで突き進んだ三成は、手にしていた扇での頭を張り倒した。

「いたっ!!」

「貴様、自分が何したか分かってるのかっ!!」

 凄まじい形相で怒る三成を、慌てて幸村が背後から羽交い絞めにした。

「お、落ち着いて下さい、三成殿!! 一体何があったというのですか!!」

「これが怒らずにいられるか!! こいつ、よりにもよって特急便を使ってこんなものをよこしたのだぞ!!」

 幸村を振り払った三成は、怒り冷めやらぬ様子で懐から取り出した書面を床へと叩きつけた。
因みに"特急便"というのはが発案した国の大事にだけ出す最優先事項を記した飛脚便の事だ。
この飛脚便はどんな内容のものよりも優先され、重要視される。
それこそ先日のように、大災害直後の敵国からの侵攻を知らせ、別領に火急の救援要請を出す時に使う様な代物だ。
 その特急便が使われた事に、周囲は驚いたが、中を改めて更に絶句した。
広げられた書面の中には、三成に宛ててただ一言、

 

馬 鹿

 

 と、書かれていた。

「…姫……」

「だって、こうすりゃ速攻で来ると思ったんだもん!!」

 額を押さえたが涙声で周囲に理解を求める。

「もうさ、この際、これしか方法が思いつかなかったのよ」

「しかしですなぁ…」

「分かってる、分かってるけど…でも、でも…どうしても嫌なんだもん〜!!」

 子供のように涙ぐんで地団駄を踏むを見ていると、怒りも薄れて行くようで、三成はその場へと腰を下した。

「で、用件は何なのだ。説教は後回しにして聞いてやる」

「ありがとう、三成!! 突然だけどさ、私と婚約してくんない?!

 円らな瞳をきらきらと輝かせてが言った言葉に、周囲の空気が凍りついた。

 

 

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