嫁取り騒動

 

 

さん?」

「姫?」

様…」

 ゴゴゴゴ…と地響きでも聞こえてきそうな殺気を、慶次、左近、幸村が纏う。
彼らを余所に、三成はの言葉を脳裏で反芻しているのか、ほんのりと頬を朱に染めた。

「な、何を…いきなり、そんな、何を言っているのだ!!! お前はっ!!」

 可哀相に。事情を知らぬ三成は、今世紀ではこれ以上はないくらい、動揺し、また喜んでいる。
そんな三成の思いなど露知らず、は一気に捲くし立てた。

「だって、三成って一応、顔だけはいいじゃん?! 牽制できるかもしれないでしょ?!
 そうじゃなくったってさ、ナルシストで厭味っぽくて、自信家で、根性ねじ曲がってて、性格は最悪なのよ?!
 そんな男だからこそ、婚約してれば、"お前どんだけ男の趣味が悪いんだよ?  ひょっとしてマゾか?!"とか
 思われちゃったりなんかして、"名家にはそんな女願い下げた!!"とか思ってくれるかもしれないじゃんっ?!」

 逃れたい一心からか、本人を前に言いたい放題だ。
立て板に水とばかりに繰り出された三成の人物評を聞いていた周囲は言いえて妙だと大爆笑だ。

「ほぅ…?」

 当然、三成が殺気を身に纏い、立ち上がる。
スパン! と心地よい音を奏でて、扇が開かれ、再度掲げられた。
は瞬時に反応を示し、己の頭を庇いながら、泣き叫んだ。

「怒らないでよ、これでも必死なのよっ!!
 三成がよしって言ってくれなきゃ、私、本当に結婚させられちゃう!!」

「結婚?! どういう事だ?!」

 広げた扇を閉じて懐に戻した三成の殺気が、笑い転げている面々一人一人へと向く。
背筋に冷たいものを感じた面々は、自ずと笑いを噛み殺した。
 凍てついた室の空気に耐えられなくなった家康が、せっせと事の顛末を語り聞かせた。

「…つまり何か、政略結婚を持ち込まれたのか」

「そうなの…でも私、そんなの嫌なの!! いくら乱世の習いだからって…そんな顔も知らない人と……!!」

 そんな事をするくらいなら、「後ろ指さされようとも家臣と駆け落ちでもします!!」とでも叫びそうな悲壮感漂うの声に、三成は呆れたように溜息を吐いた。

「どうせなら孫市を呼び戻して暗殺すれば良かったんじゃないのか」

「アンタさ、時々、左近さんと発想が似てるよね」

 呆れたとばかりにが呟けば、三成が左近を見やった。
左近が苦笑して、の言葉を肯定する。

「まー、その方法も普通に有りっちゃ有りじゃが…この件の後に暗殺なんぞしたら、すぐにバレるわな」

 秀吉の言葉を受けて、が両手をぶんぶん振り回して訴える。

「そうなのよ!! ね!! だからさ、婚約っ!! すぐに破棄していいからさ、ねっ?! お願いっ!!」

「…あのな、

「何よ?」

「お前の考えに水を差すようで悪いが、俺と婚約した所でこの難題は乗り越えられんぞ」

「どうして?!」

「そもそも家臣と婚約するなどと前例がない。仮にあったとしても、家臣であれば主君を思い、譲るのが道理だ」

 頼みの綱の三成にすっぱり説き伏せられたは、力が抜けたようだ。
その場に膝からずるずると座り込むと、畳に向って顔面から突っ伏した。

「元気だしなよ、さん。きっと何かいい方法があるって」

 そんなを慶次が慰めれば、はすぐに顔を上げて慶次の腕を取った。

「お願い、慶次さん!! やっぱり私には慶次さんしかいない!!
 だから私の事連れて地の果てまで逃げて!!」

 三成が広げた扇での後頭部を打つ。

「変わり身が早過ぎだろう!! 更に言うなら、もっと冷静になれ。お前は家の当主なんだぞ!!」

「でも嫌なものは嫌なのよ!!」

 ヒステリックに絶叫したは感極まって来たのか、そのまま慶次の胸板に顔面を押しつけて泣きだした。

「絶対に何が何でも、こんな結婚は嫌ーっ!! そんな事になるくらいなら、死んでやるーっ!!」

「あー、よしよし、泣きなさんな…」

 慶次が宥め、幸村が慌て、左近がやはり暗殺しかないか? と顔を険しくし、家康、秀吉、三成が目頭を覆う。
こんな調子であーでもない、こーでもないと話し合う間に時間はあっという間に過ぎて、ついに無策のまま見合いの日はやって来てしまった。

 

 

 見合いの話はどういうわけか秘密裏に進められ、場所は先日信玄を派遣したばかりの領で行う事になった。
出迎えた若君は、の見合いと聞いて大層気落ちしていたが、現れたがそれ以上に落ち込み、顔に死相すら
浮かべているのを見ると、微かに安堵したようだった。

「おひさしゅうございます、我が君」

「あ、うん……ごめんね、こんな大事な時に、こんなどうでもいいイベントの為に…」

 家康に連れられてやってきたの様子から、およその経緯を見取った信玄は、見合いの席に同席する事を望んだ。
はこれを迷うことなく受諾。それどころか、嘆願した。

「どんな方法でもいいから、この見合いをブチ壊して下さい!! お願いしますっ!!」

「これはまた無理難題じゃのぅ。ま、善処するとするかね?」

 国元に残されている愛弟子である左近と幸村の思いを察している信玄は、出来うる限り力になるとだけ答えた。
結果、その日の見合いは顔見せだけで終了した。信玄が上手く立ち回ってくれたお陰だった。
進展こそしなかったが、御破算になったわけでもない見合いには、二回目がある事は明白で、大層を疲れさせた。
 それもそのはず。と見合い相手・斎藤龍興とでは根本的な価値観において、全く折り合いがつかなかった。
が民を慈しむ心を持つとするならば、斎藤龍興は民は自分の為にあるもの、財産の一つとしか見なさなかった。
他者を慈しむ事を知らず、思いやることなど思いつきもしない。
親が築いた地盤に胡坐をかき、これまた親や家臣の働きで得た官位に傘を着て、日々好き勝手に過ごす。
搾取出来るところからは徹底的に搾取し、取り上げた物は自分の為だけに使う。
 決して褒められたものではないこの観念を、彼は臆面もなく口に出来る男だった。
それが表立って行動に反映されないでいたのは、親の代から禄を食む凛然たる家臣の諌めが効いているからである。
古参の家臣達が彼の元を去れば、一気に斎藤家は乱世に呑み込まれて費える事だろう。
 だが残念な事によっぽど暗愚なのか、斎藤龍興はそのことにすら気が付いていないようだった。
彼が興味を持つことは、賭博を打つ、酒を飲む、女を買うの三点のみで、それ以外はない。
今回こうしてを求めたのも、戦国乱世の世を生き抜く為の同盟ではなく、目新しい女を抱きたいという性欲だ。
 交わされる言葉の端々、送られる視線の端々からそれを悟ったの斎藤龍興に対する印象はすこぶる悪く、会ってものの数分もしない内に、彼に対する好感度は氷点下へと落っこちた。
 どう足掻いても、二人の間で婚姻がよりよい形で成立する可能性はなかったのである。

 

 

 信玄や若君の奨めもあってその日は彼の城に一泊し、ついでとばかりに復興状況の視察もこなした。
これだけはめっけもんだとは考えていたが、斎藤龍興は何か勘違いしているようで、度々「会いたい」と言って来た。天然なのかそれとも素なのか知らないが、間の悪い事に変わりはなく、は「そんな暇はない」と否を唱え、これ以上居座ってはこの領の復興にも障害が出るだろうと判断を下して、さっさと撤収した。
 城に入ったは、住み慣れた城に戻った安堵からか気が抜けたようだ。
門前を潜った瞬間は、ぼーっとしていた。

 だが安堵を噛み締めてしまえば、次の瞬間には、見合いでの時の事が一気に蘇って来たようだ。
一の丸を過ぎる頃には、我慢ならぬとばかりに、絶叫した。

「三成!! 三成ーっ!!」

 は姫にあるまじき姿―――――肩を怒らせ、大股歩き―――――で廊下を突き進んだ。

「三成、どこにいるのっ?! いるんでしょっ!! 出てきなさいっ!!」

「何事だ、一体?」

 結果がどうなるか分からずにやきもきして、仕事も手についていない諸将が詰める評議場では、あのまま城に居残った三成が極悪な顔をして執務をこなしていた。
今日の三成の機嫌の悪さは類を見ないもので、無能な部下への八当たり率も五割増しだった。
 人手不足と急速に増えて行く仕事量に辟易しているのに、付け加えて、降って湧いた想い人の婚姻騒動だ。
彼がキレるのも無理はない。

「三成っ?! 三成ったらっ!!」

 彼はの怒声を聞くとほんの少しだけ安堵した。
だがそれは彼だけではない。
怒りを漲らせて闊歩するの姿を見れば、見合い相手がの眼鏡に適う様な男ではなかった事は明白だ。
 問題こそ解決していないものの、に思いを寄せる面々としては嬉しい事実だ。

「三成、ようやく見つけた!! お前、ちょっとそこ座れっ!!!」

「…俺は最初から座っているが??」

 烈火の如く怒り狂うの雄叫びに、三成は淡々と対応した。

「んと、じ、じゃぁ、服脱げ、服っ!!」

 今にも地団駄を踏んで「ムキィーーー!」と叫び出しそうなの言葉に、周囲は目を丸くした。
執務をするための評議場で、部下に対して服を脱げなどと怒鳴れば無理もない。
けれども三成は動じることなく、溜息を一度吐くと、手にしていた筆を置いて立ち上がった。
羽織を脱いで、の前へと自分が座っていた座布団を差し出すと、背を向けて再び座した。
何が始まるのかと、皆が息を呑み目を丸くする中、は足元に突き出された座布団を二つ折りにして座る。
 それから両手を伸ばして、三成の肩を揉み解し始めた。

「で、何があった?」

「あいつ、すごいムカつくの!!」

「日の本の言葉でしゃべれ、意味不明だぞ」

「だから、ムカつくの!! 三成よりもずっとずっと性格悪くて腹立たしい奴って事、分かったっ?!」

「ああ、なるほどな」

 本来鍼灸師であるのストレス解消法と言えば、こうして三成の背や肩を揉み解す事だ。
それが人目憚らず炸裂するという事は、相当、嫌な思いをしたに違いない。

「一体、何があったのですか? 様」

 幸村が労うように茶菓子を勧め、左近が茶を入れる。

「あいつ、想像を絶するぼんくらなのよ。なのにすごい自信家で自慢屋っ!!
 もう鬱陶しいったらありゃしないっ!!」

 懸想する面々に取り囲まれたの愚痴は、それから延々二時間は続いた。 

 

 

 一体何があって、どうすればそうなるのかは分からない。だがこれだけは事実だ。
は二回目の見合いが始まる前から「この話は今日中にぶっ潰す!!」と豪語した。

「ふふふふふ、見てなさいよ…目にもの見せくれる……。
 それが駄目なら…半蔵さんか孫市さんに頼んで暗殺してやる…」

「ですから、それやったらバレますって」

 見送りと称して街道までついて来た左近と三成の前で、は俄然殺る気満々だ。
握り拳を作ると、天高く腕を突き上げた。

「悪評万歳、官位なんぞ知った事かっ!! 事と次第によっては全面戦争もやむなしっ!!」

「…その情熱をもっと別の所に回せないのか、お前は…」

 呆れ果てる三成と、苦笑する左近の元から、出迎えに来ていた信玄と、あの若君へとは身を寄せた。
今日の彼女のお供は家康と慶次だ。
何故このような場に慶次なのか? と誰もが首を傾げた。
だががこれだけは絶対に譲れないというのだから仕方ない。そこにそこはかとなく危険なものを感じながらも、皆、の烈火の如き剣幕を前にしては止める事が出来なかった。

 

 

 その後、この見合いは、が口にしたように、その日の内に御破算となった。
猫を被り続けていたに対して、斎藤龍興が焦れに焦れて、

「無礼講だ、本音で話そう」

 と、しつこく迫ったのが、きっかけだった。

「はい、今聞きましたね? 貴方も、貴方も聞きましたね?」

 くだらない自慢話と、家臣や民を人とも思わぬ発言。
そして乱世を見る能力のなさには元より閉口ものだったが、何よりもの中の嫌悪感を煽ったのは、龍興の目から注がれる品定めするような下卑た視線だった。
彼はと出会ってから一度たりとも、の目を見ない。
彼が見ているのは、の首筋や胸、腰回りといった女性らしさを示す曲線だけだ。
何を考えているのか、たまに目を細めて舌なめずりをするように口を動かす。その無意識の仕草がまた気色悪い。

『うぇぇぇぇぇ…キモイキモイキモイキモイキモイ…』

 引き攣り、内心で悲鳴を上げ続けていたは、彼のこの言葉を聞くと、ここぞとばかりに本性を露見させた。

「お許しが出来たので、私の本音を申し上げさせて頂きます」

 すぅと一息吸い込んだは、龍興の部下、朝廷に顔が利く立会人、更には自身の部下の前で確認を取り付けると、一気に捲くし立てた。

「貴方、さっきから口を開けば、誰かを悪く言ったり、人を軽んじてばかりだけど、それって人間として最悪よ?!
 大体貴方のお家が今の地位にあるのは、貴方のご先祖様の威光と、それを支えた家臣の力あってこそでしょう!!
 その家臣を支えたのだって、禄をきっちり納めてくれる民がいたから出来たことじゃない!!
 それを何よ、後を継いだだけの癖に、自分の力みたいに鼻にかけて!!
 家柄こそ全て、官位こそ全てとでも思っているのかもしれないけど、人にはもっと大切な事は沢山あるのよ!!」

 突然牙を剥いたの豹変ぶりに目を白黒させる男達。
彼らの視線のど真ん中で、鬱積が貯まり続けたの剣幕は留まる事を知らない。
それこそ「無礼討ちでもなんでも、やれるものならやってみろ!!」と言わんばかりだ。

「悪いけど、私は、そういう有り難味を全く感じない男との結婚なんて冗談じゃないから!!
 頭下げられたってこっちから願い下げよ!! 家柄が良くたって、もっといい家柄と、武力、知力、
 素晴らしい部下を持つ人に併呑されたら、それで終わりでしょ!! 
 確かには貴方や朝廷の耳には届き難い配下ばかりかもしれないわよ? でもね、の禄を食む部下は、
 先祖代々の地に胡坐かいてるバカに軽んじられるような小物じゃないのよ、お生憎様!!」

 絶句する男達を前に、ぜーはーと肩で息を吐いて、それからは再び口を開く。

 

 

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