嫁取り騒動

 

 

「ええ、御覧の通り、私はアバズレです」

様!! い、言い過ぎではっ!!」

 この一言で我に返った家康が慌てて止めようとするのを振り切り、は絶叫した。

「いいのよ、どうせこの手の性格の男って裏ではそういうこと平気で言ってんだから。
 こういう男は、女を大切になんかしないわ!!
 少なくとも、本妻にはもっと家柄のいい女を…って思ってるものよ!!」

 痛いところを突かれたのか、相手方の家臣の顔に動揺が現れる。

「ほら、ごらん?! 言った通りじゃない!! ところで、慶次、そこにいる?!」

 そこで区切っては絶叫し、慶次を呼びつける。
別室に控えていた慶次が、姿を表せば、は彼を示して豪語した。

「まぁね、そういうアバズレなものですから? 男の好みも特殊なわけですよ!!
 少なくともね、こういうね、慶次みたいに背も懐もでかくて、三成みたいに顔が良くて頭が切れて、
 幸村みたいに実直且つ品行方正で、左近みたいに臨機応変で大人の男の魅力に溢れてて、
 孫市みたいにユーモアが溢れててサバイバルにも強くて、兼続みたいに義に熱くて、
 政宗みたいに世渡り上手な、才気あふれる男じゃないと嫌なの!! 分かった?!」

 茫然とする面々の中、を見下ろす慶次の目が柔らかく緩む。

『なるほどねぇ、俺を連れて来たのはこの為か』

「いい? 私にモーションかけたいなら、せめてここにいる慶次以上にデカくなってからにして!! 
 分かった?! 分かったら、一昨日きやがれってのよ!! このバカ!!
 今日ここに来たのだって、家康、秀吉、信玄、長政が義理堅くって"もう一度会ってみろ"って、
 "立会人の顔を潰すな"って、いうから来たのよ!!
 でなきゃ、誰が来るか、こんな馬鹿馬鹿しい席に!! 勘違いも大概にしろ!!

 そもそも周囲の国と自領の復興支援で忙しい時に、下らない話でいちいち何度も呼び付けんなってのよ!!
 アンタが時世を見る目がなくて、周囲を省みない性格なのは構わないけど、私を巻き込まないでよね!!
 私はね、貴方と話してる暇があったら、自領立て直すために十日十晩寝ずに尽力してた方がまだマシなのよ!!」

 そこでは一度膝を折って、茶器を取り上げて一気飲みしてから口元を懐にしまっていた袱紗で拭った。
丁寧に袱紗を折り直してから懐にしまう。
それから一つ、こほんと咳払いをしてから、は姿勢を改めた。

「…と、言う事で……斎藤様がご寛大な殿方で助かりましたわ。
 女子の戯言を"無礼講"として聞いて下さるなんて…。

 でもわたくし、この通りの女ですので、貴方様には不釣り合いだと思います。どうぞ振って下さいませ。
 御清聴、誠に有り難うございました。それでは、これにて失礼致します」

 はぺこりと頭を下げて、立会人にも「ご足労有り難うございました」と頭を下げる。
それからすぐに立ち上がって颯爽と席を後にした。
の後を追うように席を辞した慶次が、駕篭に乗ろうとしているに追いついて手を貸す。

「…相変わらず、傾いてるねぇ」

「ありがとう。褒め言葉として聞いとく」

「いいや、本気だぜ? あの啖呵にゃ痺れた。思わずイっちまいそうになった」

「慶次さん?」

 珍しく下ネタだなと思い、横目で慶次を見れば、彼は不敵に笑う。
慶次の顔を見たはすっかり毒気が抜けたように、微笑んだ。

「ま、それはそれとして……三成辺りが後日改めて謝罪の文でも送って、破談を確定させそうだねぇ」

「それが狙いよ」

「計算高い話じゃのぅ」

「信玄公」

 後方から声がして振り返れば、信玄と家康が歩いて来る。

「ほんにおとこは型破りじゃのぅ。まぁ、そうでなくては面白くないけどね」

「お二人には赤っ恥掻かせちゃってすみませんでした」

「気にせんでいいよ。わしも、あの手の男は好きになれんでの」

 同意見だと家康が頷き、言った。

「さ、戻りましょうか。後始末は、我ら家臣の務めですぞ、様」

「はい、お願いします」

 と。ここまでが、今回の騒動の前哨戦だ。
が城を追われる事になる本戦は、この後に待ち受けていたのである。

 

 

 暴言をきっかけにして斎藤家から持ち込まれていた結婚話を御破算にして数日と経っていないある日の昼下がり。

「随分と派手にやらかしてくれたそうだな。詫びに行ったこっちは針の筵だったぞ」

 お義理的な詫びに行き、帰省した三成の声は、言葉と裏腹に軽い。
家康や慶次から聞いたの啖呵に少なからず心擽られたようだ。

「悪かったわよ…でも、いい加減しつこいんだもん…。もううんざりしちゃってさ…」

「まぁな、終始あの調子ではな…分からないでもない。
 相手方もこちらを下に見過ぎていたと、鑑みる点があったのだろう。
 家老集の助言もあってそこまで揉めずに済んだぞ」

「そっか、良かった。三成、ありがとう。それとごめんね、面倒なことさせて」

「気にするな。だが…多少面倒な事にはなった。それは了解してくれ」

「面倒なこと?」

 お茶を飲みながらが首を傾げれば、三成はほんの少し眉を寄せつつ言った。

「もう一度だけ、会いたいそうだ」

「ハイ?」

 の掌から湯呑みが落ちた。
文机の上に茶を撒き散らして転がる湯呑を、左近が横から取り上げて、片付ける。
まるで化け物でも見たかのような眼差しのに、三成はゆっくりと言い聞かせた。

「もう一度だけ、お前に、会いたいんだそうだ」

「え。何、あのオッサンまだ何か用なの?! ってゆーか、普通会いたがる?! あれだけ罵ったのに?!
 あのオッサン…………もしかしてマゾ?!」

 身の毛もよだつと、は己の体を掻き抱いて身震いした。

「そうではない。詫びたいと、しょげていた」

 片付けている左近を見やれば左近は湯呑を片付けて、腕を組んだ。

「…左近さん、どう思う?」

「どうでしょうねぇ…まぁ、復讐されないように配慮すれば、問題ないとは思いますがね」

「左近殿は、賛成なのですか?」

 幸村が問えば、左近は頬を掻いた。

「賛成なわきゃないでしょう。
 でもねぇ、借りを作ってる感は否めない。随分と派手に罵ってきたようだし?

 世間知らずなお転婆姫の暴言として受け流してくれてる以上、こっちも一回くらいは折り合いをつけないとな」

「私、謝んなきゃなんないの?」

 が不満げに左近の羽織を引っ張って問いかけた。
幸村から視線を外し、へと視線を合わせた左近は苦笑した。

「姫、気持ちは分かりますが…社交辞令だと思って下さいよ」

「…分かったよ…じゃ、会う前に…山葵丸齧りしとく」

「何故ですか?」

 幸村の問いに、は淡々と答えた。

「嘘泣きする為」

「全く、仕方のない女だな。こういう時ばかり頭が働く」

 呆れたような口調で言いながら、三成は左近に言った。
を窘めているようで、彼の心も殆どと同一のようだった。

「出来るだけ早い方がいいだろう。場所は今回はにする。さすれば暗殺も容易に封じられよう。
 時間は…昼過ぎが良いか、夕刻前までには片付けるぞ」

 

 

 今回の件で、何が失敗だったのかといえば、の暴言でもなければ、城で斎藤龍興と会わせたことでもない。
一重に、ほんの数分だけであっても、と斎藤龍興を二人きりにさせた事だ。

「先日は…本当に申し訳ない事をした……目が覚め申した……」

「は、はぁ…こ、こちらこそ…ちょっと言い過ぎました。すみません…」

 失敗を知らぬエリートにありがちな、一度の挫折でへこたれてしまう様子を全面に押し出した龍興の来訪に、気持ち的には臨戦態勢だったもすっかり毒気を抜かれてしまった。
周囲が気を揉むような暴言騒動に対する仕返しの気配も微塵もなかった事だし、それだけに盲点だった。
自身もそうだが、の禄を食む諸将も、龍興がとの婚姻を諦めていないとは微塵も考えていなかったのだ。

「では、殿。何時、当家に腰入れするつもりか? 私としてはこれからすぐでも構わぬが??」

 あれだけ落ち込んで殊勝な態度を見せていたくせに、龍興は面会を終えて、さぁお開きという時間になって本性を現した。予てよりが言っていた通りの、下卑た視線での全身を舐め回すように見ながら問うたのだ。

「ハイ?」

 が硬直し、の後方に控えている三成の顔に緊張が走る。

「何の冗談ですか、斎藤殿。今度の謁見は和解であって見合いではないはずですが?」

 三成がを庇うように進み出れば、もまた素直に三成の背に隠れた。

「それはどうかな、三成殿。殿は心変わりされたのだよ。大体家臣風情が出過ぎた真似をするな」

「なっ!」

 がカチン! と来たのか、前に出ようとするのを、の背に立っていた左近が手で制した。

「俺の事はどうでも良い。だが我が君への無礼は許さぬぞ」

「貴殿も若いようだの。そういきり立つな、これは正式に姫と私との間での合意の取り決めよ」

 合意だと強調されて、三成はの事を見下ろした。
は身に覚えがないと、大きく首を横へと振る。
すると龍興はここぞとばかりに、一枚の書面を取り出した。

姫、先程の誓約…まさかお忘れだとでも??」

「え、あ…それは合意した。だっていい条件だったから…」

 ちらつかされた書面を見て頷くの様子から、嫌な予感がすると三成と左近は互いに目配せする。

「拝見してもよろしいですかね?」

「構わんよ。先に申し上げておくが、それは家用のもの。例え今ここで破こうとも、無意味ですよ。
 我が方で取り置く書面はもう国元へ送りましたからな」

 引っ手繰りたいところを自制して、丁寧に書面を取り上げる。
広げた書面に目を落とした三成と左近は、文面を改めた後、真っ青な顔をしてを見た。

「……まさか、合意したのか? これを?!」

「え…う、うん…なんか、まずい? だって、金利凄く良心的でしょ? 殆ど無担保と一緒…だし……」

 二人の顔色から相当まずい誓約をしてしまったのだと判じたは、しどろもどろと言い淀んだ。

「おやおや、お二人とも顔色が悪いようだが……あまり我が妻を責めないで頂きたいな。
 大体、女子に政を強いるなどと、この国の家臣どもはなっておらんな。不憫だとは思わぬのか。
 元より女子は常に室に侍り、よき声で鳴いていれば、それで良いというものを……」

「殿」

 「貴様!!」と吐き捨てて斬りかかりそうになる三成を、咄嗟に左近が抑えた。

「何? どうしたの? 三成?」

「………様……」

 の動揺が露になる眼差しを見れば、我慢など出来ようもなくて、三成は己の懐へと手を差し入れる。
公式の場である事を忘れて、思わず地が出そうになるところを、三成は辛うじて堪えた。
彼が取り返しのつかぬ行動を起こす前に、左近が前へ出た。
豪腕にものを言わせて三成の腕を抑え込み、「ここで行動すれば、姫もただでは済まない」と、視線で抑制する。

「殿!」

「…っ…分かっている、だが、左近……俺は…!!」

 気持ちは分かる、寧ろ自分も同じだと相槌を打った左近は、憤怒の眼差しで龍興を見た。

「斎藤殿、しばしの猶予を頂きたい。姫とて初めての事、用意も必要になりましょう」

 向けられる殺意にも似た感情を薄ら笑いで受け流して、斎藤龍興は頷いて身を引いた。

「私は当面、領下の宿場に居りますよ。出来るだけ早く、連れ帰りたいのでな」

「…承知しました…ご足労頂き、恐縮です…」

 龍興は素直に城を出て、復興中の城下町の中へと消えてゆく。
遠のく龍興の姿を確認して、左近はようやく三成の腕を放した。
くっきりと痕がついた手首を三成が擦る横で、左近は珍しく感情を大きく露にした。
振り下ろされた拳に、打たれた窓枠が壊れる。
 がその様子に慄けば、三成がギラついた視線でを見た。

「ちょっと来い」

 謁見の間からの手を引いて、執務に従事する面々の詰める評議場へと引き上げて来た三成は、
室に入ると全ての襖を閉めて、そこで一気に秘めていた怒りを露にした。

!! どうして勝手にこんな話を決めた!!」

「え、何? なんで怒るの?! 悪いことしちゃった?!」

 狼狽するの肩を抱いた左近が、三成を宥めた。

 

 

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