嫁取り騒動

 

 

「殿、姫を責めても始まらない。完全に向こうの作戦勝ちだ」

「分かっている、だがっ!! 許せぬのだっ!!」

 ぎりぎりと歯軋りしている三成からへと苦しげな視線を向けて、左近はゆっくりと問いかけた。

「…読めなかったんですね? 誓約書の中身。
 ただ、金利の部分だけを拾い読みして、判じて、署名した…違いますか?」

 言われたは、こくんと静かに頷いた。

「だって、心変わりされたら困るから……そういう感じだったし…。
 それに、前に私が切れたあれで目が覚めて……少しでもお詫びに、復興支援になればいいと思うから、
 資金援助させてほしいって…そう言われて…」

「期限は無期限、金利もほぼない。担保も必要ない…そう言われた。そうですね?」

 こくりと頷くは、左近の視線を見て、声が苦しみを秘めている事を感じ取ったようだ。
居た堪れなくなったように縮こまる。
 そんなの姿を見ていれば、見過ごす事は出来ぬと、同室で執務に勤しんでいた竹中半兵衛は口を挟んだ。

「ご両人、少し落ち着かれてはどうか。茶でも飲んで…そのような剣幕では姫様がお可哀相ですよ。
 私が、秀吉様達を呼びます故、しばし、お待ち下され」

「半兵衛殿」

「……そうですね、俺や殿じゃ…姫を追い詰めるだけか…」

 半兵衛の提案を受けた二人は、を評議場におかれた巨大な机の中央に座らせた。
自分達も定位置となる席に着き、二人で手にした書面を見下ろし、険しい顔で思案に暮れている。

ああでもない、こうでもないと会話をしてくれればまだ救いがあるのかもしれないが、二人は黙りこくったままで、それこそ当事者であるを蚊帳の外にして頭を抱え続けていた。
 張り詰めた空気が優に半刻は続いて、沈痛な空気と沈黙とに耐え兼ねたが泣き出す寸前。
締め切られていた襖が開かれた。

「幸村です、入ります」

 最初に入って来たのは、名乗りを上げた通り真田幸村で、

「で、どうしたんだい?」

 続いて入って来たのは、前田慶次。二人とも復興と外回りの最中に呼び戻された形だった。
その後に城内外を行き来しながら書類整理に明け暮れている豊臣秀吉と徳川家康が続いた。
婚姻問題に決着がついていると思い込んでいる秀吉は、心なしか足取りが軽かった。

「いやー、お待たせしました。普通にすんません。思った以上に手間取っちまったんさー」

「いやはや、お待たせしました」

 入って来た面々は、の酷くしょげかえっている様子を目にし、次に離れた位置に座す三成、左近の二人が冷徹でありながら烈火の如く怒り狂っている様子を目にすると、目を瞬かせた。

「どうされましたか?」

 幸村と慶次がの傍へ行き、フォローを入れようとすれば、左近が無言で立ち上がった。
彼はずっと睨み続けていた書面を二人の前へと放りだす。
慶次が取り上げて、斜め読みした直後に、を見下ろして息を呑んだ。
横から覗き読みしていた幸村も同じ反応だ。
 益々居た堪れなくなったのか、が体を竦ませて、眦にじんわりと涙を浮かべる。

「あ、も、申し訳ありません、様!!」

 幸村が慌てて取り繕うとするものの、やはりそれ以上の言葉を続けることが出来なかった。

「…なんちゅうこっちゃ…三成、左近!! おみゃあさんらがついてながら、どうしてこんな誓約させたんさっ!!」

 慶次から受け取った書面の中身を改めた秀吉は、一気に慌て始め、憤慨を露にした。
詰られた二人は返す言葉もないと、寧ろ、だからこそ腹に据え兼ねてこの状況に陥っていると、表情で語った。

「…凡その事情は分かりました。だが、皆、ちゃんと様に説明はされたですのかな?
 これでは様が委縮するばかりですぞ」

 流し読みではなく、きちんと書面を読み切った家康が問えば、誰一人として無反応だった。
家康は「やはりか」と眉を八の字にして、の横に腰を下ろすと、の手を取った。

様、宜しいですかな?」

「うん」

 こくんと頷いたの頬を撫で、涙を指先で拭った。
幼子を宥めるように手を撫でて、安堵を与えながら彼は語る。

「皆、様の独断に怒っているわけではありませぬ。
 様はの民全てを考えて、この選択をしたのでしょうから。

 不用心であったのかもしれぬが、様の事……敵の口車に乗せられてしまったのでしょうな」

「…そう…みたい…ごめんなさい…」

「いいのですよ、謝らずとも…真にあくどい者は、時として良く知恵が回るものです。
 事前に牽制出来ぬ我らに非があろう」

 家康は相槌を打ちながら、が無自覚に結んだ契約の中身を明かした。

様、この誓約で交わされた資金援助には、確かに期限はなく、金利もほぼなく、担保も必要ない。
 ですがは、代わりにあるものを差し出さねばならないとあります」

「え?!」

 そんな話はされていないと、が驚いて顔を上げれば、家康は「分かっている」との掌を強く握った。

「…当然なのですよ、この待遇は……」

「どうして?」

「…一言で言ってしまえば、これは婚礼祝いなのです」

「婚礼…祝い?」

「はい。様が斎藤龍興に嫁ぐことが、条件なのです」

「そんなっ!!」

 嫌だと大きく首を横に振ってから、は皆を見回した。
誰一人、家康が紡いだ言葉を否定しなかった。

「この書に認められている条件は二つに一つ。
 様が斎藤家へ嫁ぐか、様が領全てを彼に譲渡するか。

 このどちらかでござる」

「通常、この程度の額で全権限を投げ渡す君主などいない。これは巧妙に仕組まれた罠だ」

 怒りに打ち震える声で、三成が言った。

「…この書面、半蔵さんに言って取ってこさせたらどうだい?」

「…無理でしょうな。今回も第三者を介在させてるんだ。
 斎藤家にある書面は、もう第三者の目に触れてる筈だ。

 半蔵さんを派遣したら、の家名が汚れるどころの話じゃないぜ」

 慶次が言えば、左近が首を横へと振った。

「第三者を介在させたことを逆手に取られたんか」

「…はい、申し訳ありません…秀吉様…」

 三成が断腸の思いを露にするように擦れた声で詫びる。
彼の胸中には冷めやらぬ怒りに満ちていることは明白だ。

「…様…」

 心配そうな幸村の視線を受けたは、今の今まで事情が飲み込めず恐縮していた。
が、自分が結んでしまった誓約の中身を知ると、ふと何かに気がついたように掌を打ち鳴らした。

「ねぇ、ちょっと待って」

「どうした?」

「今さ、二択って言った??」

「ええ」

「ならさ、別に問題ないよね??」

 急に軽い調子になり始めたを、皆が怪訝な眼差しで見下ろす。
は机の上に置かれた書面を取り上げると、示しながら言った。

「これさ、"私が嫁ぐか、出て行け"って書いてあるんだよね?」

「ああ、そうなるな」

「皆の事までは書いてないんでしょ?」

「ええ、まぁ……」

 の考えそうなことに気がついた面々が顔を強張らせ息を呑むのと同時に、は言った。

「ならさ、私が出て行くよ」

 想像通りの言葉を紡いだのあっけらかんさに、全員が目頭を押さえて唸るしかなかった。

 

 

様、どうかお考え直し下さい!! を捨てると仰るのですかっ?!」

「そうじゃなくて、皆は残るわけでしょ? なら問題なくない??」

「問題ないって…大有りでしょう!」

「ないよ、別に。いくらあの人が乗っ取ろうとしたって、この状況よ? 皆の事遠ざけられるはずないもの。
 は官位こそないけど、所領数、家臣の数、共に斎藤家よりは上なのよ?
 自然災害の復興も真っただ中だし、こんな時に皆をリストラしたら、それこそ国自体が立ち行かなくなるわ。
 そんなことしたら、人心だってあっという間に離れるだろうしさ。
 体裁ばかり気にするような遊び人が、仕事を丸投げ出来る優秀な部下達を追い出すわけないでしょ。
 こんな時だからこそ、こっちの言い分もそれなりに通るはずよ。
 それにさ、騙された私がいうのもアレだけど…あいつ、バカだもん。きっとそこまでは頭回らないよ」

 解決策が見えたとは安堵の溜息を漏らし、覚悟は決めたとばかりに一人で頷いている。

「そっかー、おかしいと思ってたんだけど…あのオッサン、最初からを乗っ取りたかったのね…」

『…違うぜ、さん… 』

『…姫……あいつは、本当に姫と寝たいだけですよ』

様……どうしてそう…能天気なのですか…』

『…どこまでも鈍い女だな…』

 喉元まで出かかった突っ込みを呑みほして、慶次、左近、幸村、三成は目頭を揉み解した。

「うん、決まり。私が出て行くよ。それでこのお話はおしまい。
 あ、でも…行くところないから、せめて退職金としてお家の一つくらいは欲しいかな。ぼろいのでもいいから」

 すっかり出てゆく気満々になっているを止める術はなく、刻一刻と刻限は迫る。
一方で宿場に腰を落ち着けている斎藤龍興は、家臣団が想定した通りの人物だったようだ。
彼は言葉巧みに騙したを褥に上げる方法ばかり考えて、いやらしい含み笑いを漏らしていた。

「くっくっくっ…これほど巧く行くとはな…。やはり、女子は女子よ。
 しかしあの小娘、随分と跳ねっ返りのようだ…躾けてやるのが今から楽しみだ」

 彼の独白を隣室で聞かされている家臣・稲葉一鉄は辟易するとばかりに顔を顰めた。

『このガキ…あんな小娘相手に……正気なのか…。
 氏家にも聞いていたが、あの娘の方がずっとまともではないか』

 戦国の習いが憎い。
生まれてこの方こいつの家名の元で禄を食んでなければ、あのような卑劣な行為、叩き斬ってでも止めさせたものを…と、稲葉一鉄は内心で舌打ちする。

を乗っ取る目的ならばまだいい。だが、なんたる卑劣さよ。
 目新しい女を抱きたいという理由で、こんな時期に足元を見て金を餌にするとは…。
 不憫な娘よ……しかしあの家臣どものあの目…ただ事ではないな……。あれはきっと…』

 物思いに耽る一鉄を呼びつけた龍興は、が腰入れしてくることを想定し、どの部屋で事に及ぶのが良いかと舌なめずりしながら問いかける。

「殿のお好きなようになさいませ」

「そうか? そうだな、なかなかいい体をしておったし、日毎に場を変えればそれでよいか」

「そうですな、それで宜しいかと思います」

『斬りたい…斬り殺したい…!! この助平小僧め…』

 口先でそう答え、腹の内で一鉄は唸る。
部下からも信用のない龍興の妄想は、それからきっかり三日続いた。
いい加減辟易していた一鉄を驚かせる展開は、四日目の朝、宿場に現れた自身の口から紡がれた。

 

 

「ハイ…?」

「ですから、私が、出て行きます」

「エ…?」

 理解に及ばぬ価値観を炸裂させられて絶句する龍興と一鉄には構わず、現れたは言った。

「なので資金援助の件、くれぐれも宜しくお願いしますね。
 私は明日にでも城を明け渡しますので、龍興さんが城に入られるか、そうでもないのなら、
 家臣団に任せる形でいいですか? それと一応ここまで色々と自分なりに尽力はしてきたので…
 この城下町のはずれの廃屋を一つと、米俵数年分は、退職金として頂く事にしました。
 勝手に持って行くと後で色々困るだろうから、先に伝えておきますね」

「…何を言っているのか…」

「あ、そうですよね。いきなりそんなにぽんぽん言われても分かりませんよね?
 でも大丈夫ですよ。城に行けば、三成と左近さんが今回の事、ちゃんと書面にしてますので…。
 それじゃ、これで私は失礼します」

 「出来れば、早いうちにお城においで下さいね。こんな時ですもの、主不在じゃ皆不安になると思うので」と
言いおいて立ち去ってゆくの背を龍興は茫然と見送った。

「…そんな……こんな面倒な土地、わしはどうでもいいのだが……」

「良かったではないですか、殿…拡大中の領がそっくりそのまま手に入りましたぞ」

 嫌味をたっぷりと含ませて一鉄が言えば、龍興は慌てて己の失言を呑みこんだ。

「そ、そうだな。わしの計算通りだ」

『嘘つけ、この助平小僧が!!』

 こうして、冒頭のように、城を追われることになったのだ。

 

 

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嫁取り騒動の決着は次章で。(10.03.06.)