嫁取り騒動 |
「殿、姫を責めても始まらない。完全に向こうの作戦勝ちだ」 「分かっている、だがっ!! 許せぬのだっ!!」 ぎりぎりと歯軋りしている三成からへと苦しげな視線を向けて、左近はゆっくりと問いかけた。 「…読めなかったんですね? 誓約書の中身。 言われたは、こくんと静かに頷いた。 「だって、心変わりされたら困るから……そういう感じだったし…。 「期限は無期限、金利もほぼない。担保も必要ない…そう言われた。そうですね?」 こくりと頷くは、左近の視線を見て、声が苦しみを秘めている事を感じ取ったようだ。
「ご両人、少し落ち着かれてはどうか。茶でも飲んで…そのような剣幕では姫様がお可哀相ですよ。 「半兵衛殿」 「……そうですね、俺や殿じゃ…姫を追い詰めるだけか…」 半兵衛の提案を受けた二人は、を評議場におかれた巨大な机の中央に座らせた。 「幸村です、入ります」 最初に入って来たのは、名乗りを上げた通り真田幸村で、 「で、どうしたんだい?」
続いて入って来たのは、前田慶次。二人とも復興と外回りの最中に呼び戻された形だった。 「いやー、お待たせしました。普通にすんません。思った以上に手間取っちまったんさー」 「いやはや、お待たせしました」 入って来た面々は、の酷くしょげかえっている様子を目にし、次に離れた位置に座す三成、左近の二人が冷徹でありながら烈火の如く怒り狂っている様子を目にすると、目を瞬かせた。 「どうされましたか?」 幸村と慶次がの傍へ行き、フォローを入れようとすれば、左近が無言で立ち上がった。 「あ、も、申し訳ありません、様!!」 幸村が慌てて取り繕うとするものの、やはりそれ以上の言葉を続けることが出来なかった。 「…なんちゅうこっちゃ…三成、左近!! おみゃあさんらがついてながら、どうしてこんな誓約させたんさっ!!」
慶次から受け取った書面の中身を改めた秀吉は、一気に慌て始め、憤慨を露にした。 「…凡その事情は分かりました。だが、皆、ちゃんと様に説明はされたですのかな?
流し読みではなく、きちんと書面を読み切った家康が問えば、誰一人として無反応だった。 「様、宜しいですかな?」 「うん」 こくんと頷いたの頬を撫で、涙を指先で拭った。 「皆、様の独断に怒っているわけではありませぬ。 「…そう…みたい…ごめんなさい…」 「いいのですよ、謝らずとも…真にあくどい者は、時として良く知恵が回るものです。 家康は相槌を打ちながら、が無自覚に結んだ契約の中身を明かした。 「様、この誓約で交わされた資金援助には、確かに期限はなく、金利もほぼなく、担保も必要ない。 「え?!」 そんな話はされていないと、が驚いて顔を上げれば、家康は「分かっている」との掌を強く握った。 「…当然なのですよ、この待遇は……」 「どうして?」 「…一言で言ってしまえば、これは婚礼祝いなのです」 「婚礼…祝い?」 「はい。様が斎藤龍興に嫁ぐことが、条件なのです」 「そんなっ!!」 嫌だと大きく首を横に振ってから、は皆を見回した。 「この書に認められている条件は二つに一つ。 「通常、この程度の額で全権限を投げ渡す君主などいない。これは巧妙に仕組まれた罠だ」 怒りに打ち震える声で、三成が言った。 「…この書面、半蔵さんに言って取ってこさせたらどうだい?」 「…無理でしょうな。今回も第三者を介在させてるんだ。 慶次が言えば、左近が首を横へと振った。 「第三者を介在させたことを逆手に取られたんか」 「…はい、申し訳ありません…秀吉様…」 三成が断腸の思いを露にするように擦れた声で詫びる。 「…様…」 心配そうな幸村の視線を受けたは、今の今まで事情が飲み込めず恐縮していた。 「ねぇ、ちょっと待って」 「どうした?」 「今さ、二択って言った??」 「ええ」 「ならさ、別に問題ないよね??」 急に軽い調子になり始めたを、皆が怪訝な眼差しで見下ろす。 「これさ、"私が嫁ぐか、出て行け"って書いてあるんだよね?」 「ああ、そうなるな」 「皆の事までは書いてないんでしょ?」 「ええ、まぁ……」 の考えそうなことに気がついた面々が顔を強張らせ息を呑むのと同時に、は言った。 「ならさ、私が出て行くよ」 想像通りの言葉を紡いだのあっけらかんさに、全員が目頭を押さえて唸るしかなかった。
「様、どうかお考え直し下さい!! を捨てると仰るのですかっ?!」 「そうじゃなくて、皆は残るわけでしょ? なら問題なくない??」 「問題ないって…大有りでしょう!」 「ないよ、別に。いくらあの人が乗っ取ろうとしたって、この状況よ? 皆の事遠ざけられるはずないもの。 解決策が見えたとは安堵の溜息を漏らし、覚悟は決めたとばかりに一人で頷いている。 「そっかー、おかしいと思ってたんだけど…あのオッサン、最初からを乗っ取りたかったのね…」 『…違うぜ、さん… 』 『…姫……あいつは、本当に姫と寝たいだけですよ』 『様……どうしてそう…能天気なのですか…』 『…どこまでも鈍い女だな…』 喉元まで出かかった突っ込みを呑みほして、慶次、左近、幸村、三成は目頭を揉み解した。 「うん、決まり。私が出て行くよ。それでこのお話はおしまい。 すっかり出てゆく気満々になっているを止める術はなく、刻一刻と刻限は迫る。 「くっくっくっ…これほど巧く行くとはな…。やはり、女子は女子よ。 彼の独白を隣室で聞かされている家臣・稲葉一鉄は辟易するとばかりに顔を顰めた。 『このガキ…あんな小娘相手に……正気なのか…。 戦国の習いが憎い。 『を乗っ取る目的ならばまだいい。だが、なんたる卑劣さよ。 物思いに耽る一鉄を呼びつけた龍興は、が腰入れしてくることを想定し、どの部屋で事に及ぶのが良いかと舌なめずりしながら問いかける。 「殿のお好きなようになさいませ」 「そうか? そうだな、なかなかいい体をしておったし、日毎に場を変えればそれでよいか」 「そうですな、それで宜しいかと思います」 『斬りたい…斬り殺したい…!! この助平小僧め…』 口先でそう答え、腹の内で一鉄は唸る。
「ハイ…?」 「ですから、私が、出て行きます」 「エ…?」 理解に及ばぬ価値観を炸裂させられて絶句する龍興と一鉄には構わず、現れたは言った。 「なので資金援助の件、くれぐれも宜しくお願いしますね。 「…何を言っているのか…」
「あ、そうですよね。いきなりそんなにぽんぽん言われても分かりませんよね?
「出来れば、早いうちにお城においで下さいね。こんな時ですもの、主不在じゃ皆不安になると思うので」と 「…そんな……こんな面倒な土地、わしはどうでもいいのだが……」 「良かったではないですか、殿…拡大中の領がそっくりそのまま手に入りましたぞ」 嫌味をたっぷりと含ませて一鉄が言えば、龍興は慌てて己の失言を呑みこんだ。 「そ、そうだな。わしの計算通りだ」 『嘘つけ、この助平小僧が!!』 こうして、冒頭のように、は城を追われることになったのだ。
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嫁取り騒動の決着は次章で。(10.03.06.) |