帰るべき場所

 

 

 色情狂の姑息な罠に嵌って城を追われてから二週間が過ぎた。
領下の民は突然の君主交代劇に慄き、動揺を隠せずにいた。
別領に着任している兼続、政宗、長政、信玄からも何がどうしてそうなったのかという詰問の文が度々届いた。
 対応に四苦八苦する重鎮達の思惑を余所に、事の顛末は意外な経路から民間に広まって行った。
それ即ち、主婦の井戸端会議。出所を追ってゆけば、この人へと行き当たる。

「それは誠ですか、様!!」

「ええ、そうなのです。様は人を疑う事が苦手な方ですから、復興の為の資金援助という言葉にすっかり
 騙されてしまったみたいで…。代わりに嫁ぐか、お城から出て行くかのどちらかを選ばされるとは考えても
 みなかったようなのです。皆で反故にしてはどうかと申し上げたのですけれど、約束は約束だからと仰って…
 少しでも復興資金の足しになるのならと……自ら城を後にすることを選ばれたのですわ」

「まぁ!! なんてことっ!!」

「腰入れを条件にしている事を伏せていたなんて!! 酷過ぎますわ!!」

 城の奥向きを預かる服部半蔵の愛妻・服部は、の親友である。
彼女は時として、その辺の重鎮より深い事情を知っている。
何せ寝食を共にするような間柄なのだから。
そんな彼女の口に封をしなかったのがまずかった。
「話すな」と言われてさえいれば、はずっと貝になり続けていた事だろう。
だが今回はあまりにも忙しくて、誰も彼もが、その点について配慮する事を忘れていた。
となれば、当然こうなる。

「嗚呼…様……私に出来る事は何かないでしょうか……私、私、こんな事辛くて…」

 天然を絵に描いたようなは、の境遇を憂い、心配だと事あるごとに涙ぐんでいた。
そんなを見ていれば、周囲が気にして声をかけるのは自然な流れで、そこで全ての経緯が露呈するのだ。
 が城から出たその日の内に、食材を入れている問屋に話し、御用伺いにきた反物屋の番頭に話し、年貢を納めにきた近隣の農村の複数の民に話し、生活用品を納品した帰りの職人と、給料を貰いに城に来ていた大工にまで話した。悪気がないにせよ、正直なところ、いくらなんでも話し過ぎだ。

「なんでこんな事になってるんだ?! 情報の広がりが早過ぎないか?! おい、左近!!」

「知りませんよ、左近に当たらないで下さいよ!!」

 こんな事が続けば、おひれはひれがついた噂が公式発表よりも早く蔓延するのは当然だった。
将器のない君主を頂く羽目になった三成、左近を始めとした元領の重鎮は、頭が痛いと唸った。
 それもそのはず。新君主・斎藤龍興は、政に関しては何一つ、興味を示さなかった。
それどころか、城を後にしたが、外でのひもじい生活に根を上げて自分の元へ戻って来ることだけを思い描き、城の中で好き勝手にだらけた生活を続けていた。
 この頃になると、いい加減こんな主君には付き合いきれないと、稲葉一鉄は斎藤領へと引っ込んでしまった。
代わりに龍興の傍へと出てきた安藤守就もまた、数日と経たずに暗愚な君主に辟易して、帰郷した。
今、城にいる斎藤家の家臣は斎藤龍興と同じ価値観の者ばかり。一言で言ってしまえば、パラサイト家臣だ。
 彼らが仕事をしないのはまだいい。が返り咲いた時に、妙な手間を増やされるくらいなら、怠惰に過ごしていてくれて構わないと左近、三成、家康、秀吉は考える。
 だが困るのは、何もしない癖に彼らはよく食う、よく飲む、よく遊ぶ。総じて言える事は贅沢だという事だ。
ただでさえ傾きかけているの国庫は、彼らのお陰で刻一刻と擦り減り、内部崩壊も時間の問題という有様だった。

 

 

 一方で、城を追われたはどうしているのかというと…。
退職金代わりに得た廃屋で、慶次と二人で細々と暮らしていた。
 としては、まさか慶次が牢人してしまうなどとは思ってもみなかったようで、大層驚いていた。
だが君主であった頃ならばまだしも、ただの女になり下がった自分がこの戦乱の世を一人で生き抜けるとは思えない。
それだけに慶次が「居候させてくれ」と転がり込んできた時には、心強かったに違いない。
は涙ぐんで喜んで、すぐさま慶次を邸宅へと上げた。二人の同居はそのまま成立したのだ。

「姫さんよ〜、木材が余ったんでな。板垣、直してやるぜ〜」

「あ、棟梁さん! どうもありがとう、色々してくれて…でももう私は姫でも何でもないからね。
 普通にでいいよ?」

「何言ってんだよ、俺らの姫はやっぱりアンタだよ」

 日頃の行いがいいからだろうか。には想像以上に求心力があるようだ。
廃屋での新生活のはずが、あまり困っている様子はない。
というのも、転居して来たその日の内に、農夫がこっそり米や野菜、調味料に五穀を差し入れ、仕事帰りの大工が壊れた戸や土壁を直す為に無料出張してくれた。
贅沢を好まず、国の為、民の為に骨身を削って尽くしてきたの働きを知っている人々は、今のの境遇に同情こそすれ、「無責任だ」などと詰るような事はなかった。
それよりもを騙して追い出した新たな君主への苛立ちを抱えているくらいだ。

「戻ったぜ、さん」

「あ、お帰りなさい。慶次さん。今日ね、隣のおばちゃんに教えてもらって、煮込み作ってみたの。
 まだ竈の火の調節の仕方に慣れてないから、あんまり美味しくないかもしれないんだけどね」

「いいや、俺はさんの手料理食えるってだけで、幸せだぜ?」

「本当? そう言ってくれると、すごく嬉しいな」

 やる事もないからと大工仕事で日銭を稼ぎ帰宅する慶次に教えられながら竈と格闘するの姿は、傍から見れば新婚夫婦のようで微笑ましいと、すぐさま第二の噂になった。
 無論、こんな噂を流されては、面白くないのが城に残らざる得なかった面々だ。
の復帰を信じ、その方法を探す為、から預かった領での斎藤龍興の専横を抑え込める範囲で抑え込もうとする面々は、こんな形で大差をつけられては敵わないと密かに激怒する。

、暇だろう? 暇だな、暇な筈だ。
 気にせずの所で茶を呑んできていいぞ。なんだったら泊ってこい」

 痺れを切らした三成に詰め寄られて、は有無を言わさず城外へと放り出された。
元より誰かに逆らい争うような事は出来ないは、三成の尖兵となり、度々邸を訪れた。

「どうでしたか、さん」

 結局日帰りしたを、茶の時間に取り巻く三成、左近、幸村の形相は必至だ。
彼らの思いを知っているのかいないのか、は見て来たことをそのまま答えた。

「そうですねぇ、とても楽しそうでしたわ。最近では、行水する慶次様の裸も見慣れた…なんておっしゃってました」

「行水?!」

「はい。お風呂がまだ直っておりませんの。ですから、庭先で…こう上半身を脱いで…」

「まさか姫まで行水してないだろうな!!」

「その心配はありませんわ。ご近所の方がお湯を貸して下さいますもの」

「そ、そうか…良かった」

「全然良くはないだろう。まぁ、ボロ屋だからな…なんとかして早く直させんと……」

「気に揉む事はないかもしれませんわ。
 御近所の皆さんのご尽力のお陰で、雨戸の穴はもうありませんし、襖も入りました。

 柱や屋根の補修も済んでおりましたし、昨日は植木職人の方が余った木々を植えて下さって、庭も整っていました。
 気掛かりがあるとすれば、それは様が寒がりな事ですわ。あ、でも…大丈夫かしら…?
 朝の冷え込みに耐えられないと仰っていましたけれど……最近は、慶次様にくっついて、同じ布団で寝ている
 そうですし………お風邪も引いていらっしゃらないから、きっと大丈夫ですわね」

 

 

さん…寒いのかい? 』

『うん…凍えそう…』

 小さな行燈の灯りで辛うじて視界が利くこ汚い室の中で、二人は向かい合う。
隙間風が入るのか、たまにカタカタと破れかけの襖が鳴った。
がその度に身を縮めれば、慶次が手を伸ばしてを抱き寄せた。

『じゃ、俺が温めてやるよ』

『慶次さん…だめだよ、こんなの…!』

『そうかい? だが俺もあんたも、もう主従じゃない…誰に遠慮しなきゃならない? 』

『で、でも…こ、こういう事は…』

 慶次の腕から逃れようとするを慶次は巧みに捕まえて、床の上へと押し倒す。

『…観念しなよ……あんたの細腕で、この乱世を生き抜けるはずないだろう? 』

 言われて硬直したの頭を慶次が撫でれば、の頬を涙が一粒伝い落ちた。

『慶次さん…最初から、これが目的だったの…?』

『ああ、そうさ。そうやって従順になってなよ。そうすりゃ、ずっとずっと、俺が護ってやる 』

 悲しげな眼差しで問うに、慶次は薄く笑いながら頷く。

『俺の手に抱かれた瞬間から、あんたはこの前田慶次の"女"だ、さん』

『あ…だめ…あ、あ…』

 そのまま重なる二人の男女の姿。
揺れていた行燈の灯が消えた。

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

「姫、だめだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

様っ!! 流されてはなりませぬーーーっ!!!」

「おみゃーさんら、頭は大丈夫か?」

 突然黙ったかと思えば、今度は発狂する。
を溺愛する三人を余所に、筆を取って執務に従事していた秀吉は冷や汗を流した。

「…す、すいません、大殿。左近、腹痛なんで午後は休みます」

「右に同じです。真田幸村、頭痛になりました」

「秀吉様、私もです。寒気と眩暈がします」

 口々に飛び出す仮病報告に、秀吉は呆れて言う。

「おみゃぁさんら……仮病報告はとりあえず武器を置いてからにするんさ。普通にバレバレじゃよ?」

「あ、あの…」

「まだ何かあったのか?」

 不機嫌塗れの三成に詰問されたは、脅え縮こまりながら言った。

「皆様が心配されているような事にはなっていないと思います」

「それはまたどうしてですか??」

「昨日、帰る時の事なのですけれど……政宗様のところから孫市様が飛び出して来て…そのまま居候に…」

 

 

『待たせたな、俺の女神』

 囲炉裏の傍で慣れぬ繕いものに取り組むの元へと、孫市が進み出た。

『孫市さん? あれ? 慶次さんは??』

『あ、慶次? さぁな、さっきそこで寝入ってたぜ?? 飲み過ぎなんじゃないか』

 彼の言葉通り、縁側には一服盛られてくたばる慶次の姿がある。

『そうな……きゃ、ま、孫市さん?! 何するのっ?!』

 慶次の姿を確認しようとしたを、孫市が背後から両手で抱き、捕まえた。
抗う間もなくは、奥座敷に敷かれた布団の上へと放り出される。

『怖がらなくていいさ、俺はただ貴方を身も心も溶けさせてやりたいだけだ』

『え?』

 揉み合う二人の姿は、すぐに布団の中で崩れて、重なってゆく。

『や、だめ…こんなの…いけないよ!』

 涙ぐむの腕を片手で軽々と抑え込んで、孫市はの着物の帯を解いて行く。

『だ、だめ……だめぇ…』

『ほら、素直になりなよ……俺だけの女神……桃源郷、見せてやるぜ』

 羞恥で耐えられなくなったが両の瞼を閉じて顔を背けた。
目尻に一滴の涙が伝う。
 そこで、何故か縁側に干されていた乾し柿が一つ落っこちた。

 

 

「姫ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」

「離れろ、色情狂ォォォォォォォ!!!!!!」

様っ!! 諦めてはなりませぬーーーっ!!!」

「ちょ、ええ加減にせんかいっ!! 回想を止めんか、回想をっ!!!
 全く、しょうのない奴らじゃのっ!!」

 秀吉が叫んで三人を正気に戻せば、三人は切羽詰った様子で叫んだ。

 

 

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