帰るべき場所 |
「…秀吉様っ!!」 「大殿!!」 「秀吉殿っ!!」 秀吉は深い溜息を一つ零すと、目頭を押さえ、積み上げられた書簡の山を指し示した。 「分かった、分かったから。もーええわ、これを片付けてから、行って来い」
詰め寄られ悲鳴を上げる秀吉の姿を、遠巻きに見ていた竹中半兵衛が溜息を吐く。 『はぁ……姫がいた頃は…破天荒でも……充実感があったのだがなぁ…』 彼の手には一つの鉢植え。 『…姫様……戻られないものか…』
"花子"を眺め、再び肩で溜息を吐いた半兵衛の視線の先の窓枠には、三つの小さな鉢植えが並ぶ。 『半兵衛さん、この子達の事、宜しくお願いします…。 元々自分の盆栽に"花子"と半兵衛が名づけたのだって、の一言がきっかけだ。 『あ、盆栽ですか?? 凄く綺麗ですね〜。ワビサビの世界』 『お、お分かりになりますか??』
『うんん、詳しい事は全然。でも、この子が半兵衛さんに沢山愛されてるって事は分かりますよ。 『…姫様…』 『半兵衛さん、この子に名前つけてみたらどうですか??』 盆栽に名前など、思いつきもしなくて、瞬きしかできなかった半兵衛には言った。 『私の故郷でも、生活に余裕のある人は盆栽とか造園をします。 『そうですか、名ですか』 『うん』 『あの、姫様…姫様ならどのような名をつけられますか…?』 『そうねぇ…もし私が盆栽を始めるなら……諭吉・稲造・漱石辺りかな? 何時も愛でてたいもの』 その時の会話がきっかけになったのだ。 『あの盆栽はどうなってます? ちゃんと世話できる時間はとれてますか??』 と柔和な笑みで語りかけてくれた。
「いっらっしゃいませー」
再建が進む大通りの真ん中に、古くからある飯処がある。そこは牢人、民、商人、大工衆、職人集から武士までが幅広く利用する飯処で、外で仕事をする面々はよく世話になる店だった。 「お客様何名様ですか??」 「…姫…何してるんですか??」 茫然とする三人の前で、襷掛けに前掛けをしたが笑顔で言う。 「ん? バイト。働かないと食べて行けないからね、ここで雇ってもらってるの。で、お客様は何名様ですか??」 「さ……三人…だ…」 「はーい、では奥の机へどうぞ。三名様入りまーす」 現代で茶店に努めていた事もあるというの働きぶりは、実に良かった。
「注文入りますー。熱燗二本、きつね、たぬき、各一丁! 続いて焼き鳥、全て塩で…鳥皮、つくね、砂肝。 「はいよ!!」 「お客様、ご注文お決まりですか??」 颯爽と動き回るの姿に見惚れ、「様になっているな」と思う一方で目頭が熱くなり、眩暈を覚えた。 「お客様、ご注文お決まりですか??」 「あ、ああ……かけそば…」 「左近は、うどんを」 「わ、私は……そうですね、天婦羅そばを」 「はい、畏まりました。ご注文を復唱させて頂きます。ご確認ください。 「…そ、そうだな……違いない」 「はい、お料理が出来上がるまで少々お待ち下さいませ。 席から離れて次の席へと注文を取りに行く。 「…姫様…」 居た堪れなくなって、半兵衛が胃を押さえると、気がついたが白湯を持ってきた。 「サービスですよ、これからもどうぞご贔屓に」 言葉もなく、己の拳を握り締めるしかない半兵衛に対し、はふと思い出したように問うた。 「そうだ、"花子"は元気ですか??」 「は、はい。とても…お預かりしている"諭吉"も"稲造"も"漱石"も、健在です」 「本当? よかった!!」 嬉しそうに微笑んだは、それからすぐに別の客に呼ばれて、身を翻して行ってしまった。 『…私は……何も、出来ないのか……何故、この方がこんな目に……』
それからまた五日が経った。 「いらっしゃいませー」 今日もは現代で叩き込んできたマニュアル接客をし続ける。 『それにこの時代の建物って大抵100年はもつって言うもんね。台風さえ来なきゃ万々歳じゃない?』 元より権力に興味がないからしたら、今の生活は元々営んでいた生活に近いだけで、そんなに苦痛でもない。 『、現在君主やってますが、本来は鍼灸師です』 それこその感覚は、彼女が以前三成の前で語ったこの一言に集約出来てしまう。 「これはこれは、麗しの姫」 「いらっしゃませ、何名様でしょう?」 面倒な奴が来たなと思いながら、は努めて笑顔で対応する。 「貴方も何もこんな薄汚い店で働くこともないでしょうに…」
「お客様、これはこういう内装なんです。敢えて、風情を出しているだけですよ。 「気丈な方だ…そんな貴方だからこそ、わしは惹かれて止まぬ」 そこで龍興は勝手にの手を取って撫でつける。 「あらいやだ、お上手なんですから」 『…帰れ、テメェ、この野郎!!』
「貴方の心一つでこんな薄汚い、ドブネズミのような生活からはオサラバ出来るというのに…。 「ほほほほほ、有り難うございます〜」 『キモイキモイキモイキモイキモイキモイ… 』 ねちねち口説かれて、いい加減がキレそうになった矢先、天の助けが入った。 「待たせたな、女神。そろそろ上がる時間だろ?」 職人集と仕事をしている孫市が顔を出したのだ。 「あ、うん。そうだね、でもお茶碗洗っちゃいたいから、もう少しだけ……孫市さんさ、その間、何か食べててよ」 「相変わらず営業上手いなぁ。で、今日は何が美味い?」 「魚屋さんが新鮮な貝持ってきてくれたから、漁師汁がお奨めだよ」 「じゃ、それで定食貰おうか。後、女神の頬笑み付きで」 「もー、またそんなことばっかり言って。ま、いいか。ちょっと待っててね」 席に着いた孫市と笑顔で会話を交わし、は奥へと引っ込む。 『さっさと帰りなよ、旦那。まぁ、喧嘩なら何時でも普通に買うけどな?』 代金を机に叩きつけるように置いた龍興は、奥で洗い物に精を出すを見て、一度口の端を吊り上げて笑った。
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