帰るべき場所

 

 

 その日からまた数日が経った。

「あのさ、あんた最近、ここにばっか顔出すけど…いいの? こんな所で油売ってて…」

 飯屋に来て焼き鳥を食っている三成にがお茶を出しながら問えば、三成は引き攣った笑みを顔に貼り付けた。

「俺はお役御免なのだそうだ」

「えっ?! 何それ、どういうこと?!」

 が驚いて身を乗り出し、声を潜めれば、三成は忌々しげに焼き鳥を噛んだ。

「…奴の素行を咎めた。食いすぎ、飲み過ぎ、遊び過ぎだ。
 斎藤家の金であろうが、の金であろうが、国の金であれば無駄遣いは唾棄すべきものだ」

「それを言ったら…?」

「今までの役職を解かれ、平に落とされた」

「マジで?! ……あいつ、どんだけバカなのよ…」

 呆れたとばかりにが身を起こせば、事情を知らない目当ての浪人がを呼ぶ。
注文とかこつけた自身の売り込みだ。

「追加入ります〜!!」

 てきぱきと机の上を片付けて、出来あがった商品を机へと運び、手を開けてからまたは三成の元へと戻る。

「三成さ、気持ちは分かるけど…あまり自棄にならないでね」

「なったりはしない。こんな事、何時までも続かぬ」

「まぁね、そうかもしれないけどさ……今は、復興が第一よ」

「分かってる」

「うん、ならいいの。頑張ってね」

 肩をぽむぽむと撫でてから離れて行くの掌が、城にいた頃に比べてずっとずっと痛んでいる事が不憫でならない。彼女はようやく自分らしい生活を取り戻したと笑うけれど、そんなはずはない。
彼女の口から出る価値観や生活認識からしたら、この世界は、とてつもなく不便で過酷であるに違いないのだ。
そんな世界の中で、騙され、奪われて、尚、は気丈に微笑む。

『…どうにかしてやる……この手を汚しても……必ず、お前を城に帰らせてやるからな……』

 きつく眉を寄せて焼き鳥を食い尽くした三成は、代金を机に置くと静かに席を立ち、店を後にした。

 

 

 同時刻。城内では左近と斎藤龍興が激論を交わしていた。

「いい加減にして下さいよ、龍興さん。
 いくら斎藤家からの資金が回ってくるとは言え、これ以上の浪費は認められない」

「左近、お前の主はわしのはずだが?」

「ええ、そうですがね。国あってこその主でしょう? 再建に次ぐ再建で、国庫は厳しい。
 なのにこんな役にも立たない物を、商人の言い値で買っちまってどうするつもりです?

 どこにこれ以上使える金があるって言うんですか?」

「ならば、税率を上げれば良い」

「あんたなッ!!」

 怒り心頭とばかりに左近が立ち上がった。
彼からしたら、が骨身を削って築いた国の理を、根底から覆すような事を言われて堪りかねたのだ。

「さ、左近、これ!! よさぬかっ!!」

「そうです、落ち着いて下さい!! 左近殿!! 貴方まで幸村殿のようになられるおつもりか?! それでは…」

 視線で訴えてくる秀吉と半兵衛の制止を振り切り、左近は評議場を後にした。

「俺は、関知しませんぜ。こんな増税…間違ってる」

 腹の底から吐き出された言葉を受け流し、斎藤龍興は自身の部下に増税を言い渡した。
廊下を歩く左近は、様変わりした城内の装いを見て、胸が焼けるとばかりに顔を顰めた。

「本当、最低な趣味だな…ガラクタばかりじゃないか。度が過ぎた倹約家だが姫の感覚の方が、まだマトモだぜ」

 

 

 三成、左近がこうして斎藤龍興と揉めている頃、件の幸村はどうしていたかというと…。
とっくの昔に、国元を追い出されていた。
が口にしたように品行方正、実直な士である彼は、左近や三成よりももっともっと早い段階で龍興を諌めて彼の怒りを買い、所払いされていた。要は見せしめにあったのである。
 彼は今、信玄の元に身を寄せて、の不遇に心を痛め、斎藤龍興の専横を打ち砕かんと時を待っていた。

「なるほどのぅ。そんな事になっとったんか…少しも情報が入ってこないからね。気にはなっとったんじゃよ」

 この土地の元の君主の家系である若君の後ろ盾として派遣された信玄は、軍配で己の面をコツコツとつついた。
隣でせっせと執務に向かう若君の暗殺を企む一派に睨みを利かせる意味も込めてこの地に来ている以上、信玄もおいそれとは動くことが出来ない。
 それだけに現状が歯痒くて仕方がないらしい。

「信玄殿」

「どうしたのだね、若君」

「私は、まだよく分からないのだが……姫がを去られてしまっては、私の土地も民も、未来はないように思う。
 そこでどうだろう?? となりの斎藤家の城を、信玄殿が落とし、姫に差し上げては…」

「若君、その方法は…」

 若干九歳とは思えぬ言葉に、幸村が目を丸くすれば、若君はいう。

「悪いことだろうか?? 彼も我が君をだまして追い出したのであろう? あいこではないか」

「そうじゃな、あいこだが…いいかね、若君。それをしては、人がついてこんようになるんじゃよ」

「人心がなくなると?」

「そうじゃよ。相手が悪だから、こちらも悪では、いかんのじゃよ。悪だからこそ、正義はカッコ良く勝たねばね?」

「そうか……そうなのだな……正義はとても、むずかしいな…」

「何か、手立てがあればよいのですが……」

「本にのぅ…きっかけが欲しいものよ…。
 せめて殿がきゃつの手の届くところから離れられれば、良いのじゃがのぅ」

「そうですね、決起しても姫を人質にされては…意味がありませんから…」

 沈痛な面持ちで言葉を交わす武田主従の悶々とした日々は、もう少しだけ続く事になる。

 

 

 突然ではあるが、世の中には、決して怒らせてはいけない人というのがいる。
それは旧家臣団の中にも例外なくいえる事だったようだ。

「…おはよう、花子…」

 朝の日課とばかりに自分の盆栽に水をやり、から預かる初心者用のミニ盆栽の世話をする竹中半兵衛。
彼こそが、その人種の代名詞のような人であった。
 実のところ今回の問題を決着させるのは、に懸想する面々でもなければ、を愛娘のように可愛がる秀吉、家康、信玄でもないし、別領に腰を落ち着けて再興に従事する頼もしき若武者達でもない。
何を隠そう、この地味で、温厚で、平和主義の塊のような竹中半兵衛なのである。
 後には語る。「竹中半兵衛の本気を見た。彼はきっと本質的には三成よりも鬼だ」と。

 

 

「えっ、マジで重税?? どっかの国の再建案に支障でも出たのかな??」

 貼り出されたお触れ書きを慶次と共に見るが心配そうに顔を顰める。
そんなの横顔を見た慶次は、眉を動かした後、の肩を抱いて帰り道を急ごうと促した。

「それにしても…いきなり三割増しなんて……皆困るよね。貯えがある人ならいいけど、なかったら本当に大変」

「全くだな、理由も書かれてないしねぇ……その内、面倒な事になるかもしれないぜ」

「面倒なこと??」

「その内分かるさ。では、見れなかったもんが見れるだろうよ」

で…見れなかった、もの…?」

 分からないと首を傾げると共に慶次は邸の門を潜った。
すると玄関の隅に使いの者が座って二人の帰宅を待っているのが見えた。

「あら、ごめんなさい。二人で出てたし、孫市さんは用事で不在だから、待ちぼうけさせちゃったわね」

「いいえ、いいえ。当方こそ突然の来訪にて大変失礼致しました。
 本日は主より姫様にお届け物がありまして、お邪魔させて頂きました」

「届け物?」

「はい、今宵より夜はもっと冷えるようになります。つきましては……これをお納め頂くようにと…」

 男が立ち上がり、中庭に声をかければ、庭で待機していたらしい使用人達が動いた。
台車の上に乗せていた包みががさごそと開かれてゆく。

「あ! お布団だ!!」

 が嬉しそうに頬を綻ばせ、目を輝かせれば、使用人は問う。

「お気に召しましたでしょうか?」

「うん、とっても!! ねぇ、誰? 誰から?」

「はい、左近様です」

「左近さんか〜、うわぁ…嬉しいなぁ…こんなに気を使ってくれて……この前も、お店で簪くれたばかりなのに〜。
 ありがとう、大事に使いますって伝えて下さいね」

「はい」

 使用人はに礼を尽し身を引いて、それから慶次に一通の文を渡した。
慶次が中を改め、苦笑する。

「なに、どうしたの?」

「いや、これやるから添い寝は止めろってさ」

 暗に男と男の戦いだ。
だが全く分かっていないは、呑気に呟いた。

「その提案は却下だよね。囲炉裏にくべる炭だって、ばか高いしさ。
 あの布団使って一緒に寝れば、更に温かいじゃん」

「そうだねぇ。俺としては、さんの案を採用だな」

「だよね、税まで上がったんだもん。知恵を使わなきゃ、だよね」

 意気揚揚、布団と共に邸へ入って行くの背を見て慶次は、ほんの少しだけ寂しげに笑った。
お邪魔虫はいるが、とのこのままごとのような生活も、そろそろ終わりかもしれない。
戦事の予兆に人一倍敏感な彼は、その時が刻々と迫りつつあることを肌で感じ始めていた。

 

 

「正気なのか、あの男…これで何度目の課税だ!!」

 あれから暇を開けずに増税が三回も行われた。
用途や理由が全く開示されぬ課税に、人心には不満と不信感が募る。
街にはの返り咲きを渇望する声が出始めていた。

当のはというと、例の飯処で日々汗水垂らして、その日の食いぶちを稼いでいる。
 皆と同じ境遇に身を置くは、民の生活苦を憂う事はあっても、新城主をけなすような事は極力控えて来た。
それをしてしまえば、余計な災禍の種となる事を理解していたからだ。
そうしたの聡明さが一層、復帰待望論を後押ししていた。

「くっそ…ただでさえ、人手が足りないってのに…重税なんか課すから強盗騒ぎが起きる!!」

 民の生活が圧迫されるという事は、同時に治安が悪くなる事を意味する。
折しもこうした面に力を発揮できる幸村を所払いした後だ。
一度悪化した治安は、そう簡単には元には戻らなかった。
 治安が悪くなるという事は、必然的にお上の仕事も増える。復興作業が完遂していない内から治安維持の為に人員を割かねばならないという現状は、お上に仕える者にとっても不満となったようだ。
彼らを指導し預かる小六や半兵衛らがその都度、話を聞き、上手く抑えてやらねばならない状況を招いた。

「もう我慢出来ぬ…あのガキ……!!」

「落ち着け、一鉄。我らとて思いは同じだ」

「守就、何か手立てはないのか!? このままでは斎藤領の財政すらも危ういぞ…!!」

 は何時まで経っても音を上げず、己の腕の中にも飛び込んでこない。
焦れた斎藤龍興の浪費癖は留まるところを知らなかった。
最近は朝から晩まで飲み続けているという。
 君主がこの調子だから、斎藤家の財源も刻々と食い潰され続けるばかりか、性質の悪い商人に付け入られる。
斎藤家の一部の家臣の間でもこのままは非常にまずいと考え始めているようだが、いかんせん、距離があることと、龍興の暴走を諌められる家臣が彼の傍にいない事が痛恨だ。
家にとっても、斎藤家にとっても現状は悪くなるばかりで、一向に好転する気配がなかった。
 そう、あの日あの瞬間、斎藤龍興が、竹中半兵衛をキレさせるまでは。

 

 

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