帰るべき場所

 

 

「許さぬ…もう、許さぬぞ……斎藤龍興……目にもの見せくれよう…」

 何が理由なのか定かではないが、キレた半兵衛の決断と行動は、恐ろしいほど迅速だった。
彼はこれから自分が弄する策が失敗しても、自分一人の首で済むようにと考えたのだろう。
常と違わぬ口調、振る舞いで、密かに龍興包囲網を固め始めた。
 彼がまず第一にしたことは、龍興の名を語った朝廷への官位獲得に関する嘆願と、別領を任される面々への課税命令を記した書面送付だった。
 この書面には、もれなくの近況報告が添えられていた。

課税命令の書が半紙一枚、たった三行で済むのに対し、雑談に分類されるはずのの近況報告の長さは、巻物一本にも及ぶ超大作だった。
 しかもその内容がまたよろしくない。
 城を追い出されたは雨風を凌ぐのがやっとな舘へと送られ、日々の食いぶちを稼ぐ為に粗末な着物に身を包み、鬼のような形相の板前が包丁を握る飯屋で、朝から晩まで働き続けている。
 お陰で顔には疲労がくっきりと浮かび、手は荒れ、その内若くして頭髪に白いものが混じるのではないかなどと、事実からはかなりかけ離れた、誇張表現塗れの日常風景が羅列されていた。
 真実は、見た目こそ古いが日当たりのよい巨大な庭付き一戸建てに、天下御免の傾奇者と雑賀衆の頭領を番犬として飼いながら住みついて、鬼瓦のような形相でも温かい心根を持つ商人の飯屋で、現代のシフト制よろしく日によって昼夜問わずに働いているだけである。
 必要な記述をあえて削除し、いらぬ装飾をふんだんに織り込んだこの書面を見たら、各領地の復興を任されている将兵がどんな誤解をし、怒り狂うのか。英知の極みを手にしている彼であれば、分かりそうなものである。

「申し訳ありませんが、お二方…これから数日、こちらで政務願います」

「なんじゃ、半兵衛。どうしたんじゃ?」

「龍興殿が、内装を見直したいと……」

「またか…全く…様がこの城の中を見たらなんと嘆かれるか…」

「私も同じ気持ちですよ、家康殿」

「まぁ、しゃあない。時を待つかしかにゃーで。今わしらに出来る事は、出来る限り食い止める事だけじゃよ」

「その通りです。龍興殿のお守りはこの半兵衛にお任せ下さい」

「済まぬな、半兵衛殿」

「いえいえ」

 続いて彼は、城に残る家康、秀吉を「城の内装を見直す」と称して蔵の中に閉じ込めた。
食事や仮眠から入浴の手配まで、女中達に上手く言い含め、彼ら二人に気付かれぬ内に蔵の中へと軟禁し、執務を押し付ける。こうする事で邪魔される事もなければ、賛同させる事もしなかった。

様が近々祝言と聞きましたよ」

 次に彼は、左近と三成を煽った。
財政業務と距離を置く仕事へと飛ばされた二人は、自分の仕事を大抵の場合午前中に終えてしまって、暇を持て余している。それを知っていて、わざと過剰反応するような話を振ったのだ。

「半兵衛殿!!」

「はいはい、具合が悪いのですね? 事情も事情ですし、非番扱いにしておきましょう」

「すまん、この礼はいずれする」

 真意を確かめるべく飛び出して行った左近を見送り、続いて同じことを三成にいう。
強いショックを受け、敗北感に打ちのめされた三成を励ました彼は、何時もと変わらぬ穏やかな笑みで言った。

「今からならば、間に合うのでは??」

「し、しかし……俺は…」

「三成殿、こう言ってはいかんのかもしれないが……略奪してしまいなさい」

 仰天し、息を呑む三成の目を真っ直ぐに見据えて彼は言った。

「三成殿のお気持ちはよく分かる。姫様が選ばれた婚姻であれば仕方がないのかもしれぬ。
 だが相手は牢人ですぞ? 様がこのまま苦しい生活を送られる事を、貴方はこのまま見過ごすつもりか?」

「っ!!」

「仕事なら御気になさいますな。元々三成殿は働き過ぎですよ、ほら、様が制定した有給休暇。
 こんなにも余ってござる。いい機会ですから、消化されるとよい」

「そうか………………………そうだな。すまん、恩に着る」

「いえいえ」

 こうして二人を体よく邸へと追い出しておいて、同時に龍興にはこう囁いた。

「どうも最近邸へ旧臣が集まっているようでござる。何か企み事でもあるのでは??」

 政の中心から遠ざけていても家の家臣は皆、才知溢れる者ばかり。
それが外に出た猛者と結託して事を起こすとなれば、面倒な事になると考えた龍興は、慌てて邸へと押しかけた。

「…では、始めるとしようか…」

 誰憚ることなく牙を剥いた半兵衛は、豊臣秀長、蜂須賀小六、山本勘助、馬場信春、高坂昌信らを巻き込んで、城内で我が物顔にふるまう斎藤家家臣団に突然襲いかかると、あっという間に簀巻きにした。
それと同時に、龍興の名を語り、城下には更なる増税令の公布をする。
しかもよりによってその令は、が務めている飯処の目と鼻の先に立てた。
今この城下町で人が一番集っているのがそこだと、知った上での行動だ。
当然、それを見た民は溜めに溜めていた怒りを爆発させた。

「もう我慢できねぇ!!」

「そうだ、そうだ!!」

「わざわざこんなトコに立てやがって!! 姫様への当てつけかよっ!!」

 民、職人集、大工衆が声を掛け合い、我も我もと手に農具や道具、石を持って城へと詰めかける。
折しも、この暴動よりも一刻程早く、主不在となった城に朝廷から訪れた使者が入ったていたことは言うまでもない。

「こ、これは何事ぞ?! いかな理由があってのことか??」

 官位を与えるはずの来訪が、とんでもない面倒事に巻き込まれた。
こんな事になるなど予測もしていないから、当然何一つ用意がないと、慌てふためく使者の前で、半兵衛はしれっとした顔で言った。

「さぁ…以前の主であればこのような事は一切起きませなんだが、今の主は暗愚故仕方がありませぬ」

「こ、この地は主が変わったのか? 届けられた書には斎藤龍興殿の領地とあったはずだが…」

「いえ、それはここ一月の間に起きた事にございます。
 以前の主・は、聡明ですがいかんせん人を疑うという事を知りませぬ。
 それ故、先の自然災害の復興の策を講じておりました所、斎藤殿に資金援助との名目で騙されまして…」

「なんとっ?! で、では、その者は今どこにおるのかっ?!」

「斎藤殿のせいで身包み剥がれて一介の民となり下がり、城下にて慎ましく暮らしております」

「おおおお、なんと嘆かわしい!!」

「この騒ぎ、様ならば諌める事も可能でしょうが、斎藤殿では…到底どうなることか……」

「何故じゃ?!」

「知れたこと。家臣一同、今の主に膝を折りたくて折っているわけではありませぬ。
 城を出る折り、様自ら我らの手を取り「民の為にここに残ってほしい」と命ぜられたからこその
 骨折りにござる。元々この騒ぎは斎藤殿の度が過ぎた専横が呼んだもの。
 ならばその内様を慕う家臣も加わりましょうな」

「…た…竹中殿、そなたは麿に何を求めるのじゃ…」

「何を仰いますか。私のような者が朝廷からの使いである貴方様に嘆願などと、怖れ多いにも程がございます。
 私は貴方様の問いに、貴方様が無事にこの城を出るにはの一声なくしては無理だと、
 お答えしたまでにございます。他意などあろうはずもございません」

 息を呑む使者に対して、たてた茶を奨め、半兵衛は言う。

「生憎、この騒ぎの中にあって現在主・斎藤龍興はどこ吹く風でございますが、早々に戻りましょう」

 渇いた喉を潤そうとしたのか使者が茶器を取り上げて、口元へと運ぶ。

「な、何故それが分かるのじゃ?」

「大方、様の元へと押しかけている頃でしょうから」

 唇に触れる寸前まで器を掲げていた腕の動きが、そこでぴたりと止まった。

「押しかける…? 鎮圧目的か?! この騒ぎはその者の起こした騒ぎなのか?!」

 仰天した使者が問い、半兵衛が緩く首を横へと振った。

「いいえ…様がそこまで腹黒ければ、元よりこの城を明け渡したりしておりませぬ」

「む、そ、それもそうじゃな…では、何故?」

 一時、間をおいて、半兵衛は答えた。

「振られた腹いせに、嘲笑いに行っているのでございますよ」

「……な…なにを…していると? この…騒ぎの中で…??」

「…最近はそればかりにございますれば…相違ありますまい。
 どうか御気になさいませぬよう、ただの日課でございます。

 主が戻るまで、お使者様におかれましては、ごゆるりとお過ごし下さいませ。ささ、どうぞ」

 半兵衛の淡々とした言葉を聞いた使者は、思わず茶器を取り落とした。
城外から聞こえてくる暴徒の声も、投石の音も、全ての原因が誰にあるのかを知れば、否応なしに言葉を失う。
 まして自分はただの使者。下々の者にとっては馴染みのない存在。
そんな者が、この城で、このように煌びやかな束帯を纏い、優雅に茶室に篭っている。
しかも悪政を敷いた者への官位授与の書まで持参していると知ったら、彼らはどう思うだろうか。
いや、心配の種は彼らだけではない。
この騒ぎを声だけで鎮圧する事が出来るという姫に仕えていた武士達がそれを知ったとしたら…?
 使者の喉がごくりと鳴った。眉間を玉粒の汗が伝い落ちて行く。 

「………それとも……何かご決断がございますでしょうか?
 貴方様は、朝廷からのお使者様。貴方様のお言葉は帝の御意志と言って何ら問題はございますまい。
 御用向きがございましたら、なんなりと、お命じ下さいませ」

 使者の反応を見越した半兵衛が、落ちた茶器を拾い上げて後始末をしながら、淡々と問う。
向けられた底冷えするような眼差しを前に、彼は再び言葉を失い、喉を鳴らすしかなかった。

 

 

「……えーと、これって一体…どういうこと??」

 意味の分からぬ来客に翻弄されるを前に、左近もまた拍子抜けしたように目を丸くしていた。

「姫、結婚するんじゃないんですか??」

「一体誰とよ??」

「結婚しない?」

「その為に城を出たんだけど」

「いやいや、あのバカ殿の事じゃなく…」

「あ、そうなの?? なら、全然分かんないかな。そんな予定もなければ、相手もいないし」

 安堵したとばかりに胸を撫で下ろす左近に、は座布団と茶を勧めた。

「どこから聞いたデマか知らないけど……折角だからお茶でも飲んで行って」

「はぁ…どうも……おかしいな…半兵衛さんが教えてくれたんですけどね…」

「ふーん…半兵衛さんも誰かに騙されたんじゃないの? ほら、人がいいじゃない。半兵衛さんて」

「ああ…言われてみりゃ、そうですね。半兵衛さんも担がれたのか」

 二人で縁側に座ってお茶を飲んでいると、板垣の向こうが妙に騒がしくなった。
人々が何やら叫びながら大通り目掛けて駆けて行くのが気配で分かる。

「なんだろうね?」

「さぁ…? またバカ殿が税率でも上げたんじゃないですか?」

「えー、ちょっと勘弁してよ〜。これ以上上げられたら、私首括るしかなくなるよ」

 軽い調子で二人は会話を交わして、長閑な一時を楽しんでいた。
そこへ突然斎藤龍興が押しかけて来た。

!! はいるかっ!!」

「何? 一体何なのよ…」

 門を蹴破って入って来た龍興に嫌悪丸出しの顔でが応対する。
龍興は癇癪を起した子供のように辺り構わず叫び散らした。

「おのれ、島左近!! 貴様やはりその女狐と結託しておったか!!」

「ハァ?!」

「ア? なんか言いましたかね?」

 濡れ衣にが呆れた顔をすれば、を貶された左近の顔に修羅が宿る。

「聞いたのだぞ、私はっ!! この女が旧家臣を誑かし、良からぬことを考えていると…!!」

「どこのどいつが吹いた話か知らないが、笑えない冗談ですな。龍興殿。
 左近は今日は非番です、何してようと自由のはずですが?」

「ええいっ!! 往生際が悪いぞ!! 島左近!! 庇い立てするならばその女共々首を撥ねてやる!!」

 こんな大声で喚いていれば、外に内容が筒抜けになる事は当然で、騒ぎを聞きつけた近隣住民が立ち上がった。

「テメェ、いい加減にしろよ!!」

「姫様を卑怯な手で追い出して、今度は何奪う気だっ!!」

「これ以上姫様に付きまとうなら、俺らがブチ殺してやるっ!!」

 重税に次ぐ重税。それだけでも腹立たしいというのに、今度はわけの分からぬ理由で、慎ましく暮らしているの生活まで脅かそうとする。
いくら振られた腹いせだとしてもやり過ぎだ、これ以上は到底見過ごせるものではない。
流石に自分達でも我慢の限界とばかりに、民が邸を取り囲む。
彼らは手に鍬や鎌、火箸に鉈に包丁と、武器になりそうなものを手にとり、今にも襲いかからんばかりの勢いだった。
 この反応に龍興は大層驚いていたが、それはも同じだったようだ。
突拍子もない出来事の連続について行けずに、目を丸くしたまま息を呑んでいる。

「龍興殿、人聞きの悪いこと言わんで下さいよ」

 取り合えず、が扇動して悪だくみをしてるという妄想だけでもどうにかしようと、左近が釘を刺した。

「そうさな、龍興殿の言うとおり、姫と左近はもう主従じゃない。って事は、誰に憚る事もないはずだ。
 ずっと惚れてた女が、生活に苦しんでいる今、あれこれ気を利かせて貢いで、何が悪いってんですか?」

 左近の発言を受けて、龍興は息を呑む。
彼を軽蔑の眼差しで見た左近は徐に手を伸ばすと、隣に座っているを己の腕の中へと抱き寄せた。
そしてそのままの頬へと唇を寄せる。

「要はこういう事なだけですよ、無粋な真似はしないでもらいたいんですがね?」

「あ、あのさ…さ…左近さん…み、皆見てるから…」

 ギャラリーの多さに焦るに対して、左近は気に留める様子もなく、平然と甘い言葉を囁いた。

 

 

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