帰るべき場所

 

 

 が龍興の肩に手を置いて問うものの、

「そのような提案は認めぬ!!」

 城内から鶴の一声が上がった。
聞いた事もない声だ。一体、どこの誰だろう? とが首を傾げて声のした方を見やった。
軋んだ音を上げて城門が開き、風光明美な束帯に身を包んだ一人の男が進み出て来る。
 上擦る声に震える足。見るからにひ弱そうだ。

「斎藤龍興殿、貴公の行い、手腕は我が目でよくよく見せて頂いた。
 此度の騒動は都に持ち帰るまでもない!! 今ここで、我が権限を持って調停させて頂く!!」

「誰? あのオッサン」

「…これ、姫。朝廷からのお使者の方ですよ。
 とってもとっても偉い人ですから、言葉には気をつけませんとね?」

「ええっ、そうなの?! ご、ごめんなさい」

 の失言を慌てて左近が窘めた。
もまた無礼な発言だったと気が付くと、すぐに頭を垂れた。
 二人のどこかコミカルなやり取りを気にしている余裕はないらしい。
朝廷からの使者は龍興の前へと進み出ると、問答無用とばかりに叫んだ。

「斎藤龍興殿、この騒ぎは全て貴公の落ち度であるそうだな。
 名君を策略を用いて追い出し数多の領地を手にしておきながら、民を重んじないばかりか、
 反乱されるとはなんたる醜態!! そこもとも武士の端くれなれば、この失態を重く受け止め、潔く腹を切れ!!」

「え、えええ?!」

 真っ青な顔で恫喝した使者は、すぐに表情を改めた。
仰天するの前へと進み出て、懐から一枚の書簡を差し出す。

、これよりそなたには旧領・ともに斎藤家が要する領・石高、全てを与える。
 この騒ぎ、見事鎮めて見せよ。
 朝廷は、そなたの民を慈しむ政を評し、ここに官位を授ける。謹んで納められよ」

 が出向いてくるまで余程肝を冷やしていたのだろう。
使者は怒りと恐怖で擦れ切った声で命を下した。
 言われたが周囲を見やれば、皆が待ち焦がれたという目でを見る。
左近が使者の前へと進み出て膝を折り、書状を受取ってそれをそのままの前へと差し出した。

「………」

 たった一枚の紙切れが、全てを無に帰す。
その重み、威力には驚きを禁じ得ず、目を丸くした。

「姫」

 左近に呼ばれて、瞬きをする。
城を取り囲む全ての人が固唾を呑んで見守る中、の掌がゆっくりと動いた。

「あ。だめだ」

 受け取るのかと思いきや、寸前で止まった掌。
思いもよらぬ言葉に、皆に動揺が現れる。
するとは、自身の頭をポリポリと掻きながら使者を上目使いに見た。

「あの、私…今、余所で働いてて……そっちまだ辞職してないから…」

 また頓珍漢な事を言い出したと、三成が目頭を押さえる。
と、同時に群衆の中から一つの声が響いた。

「何言ってんだ! わしらの姫様はやっぱりあんたただ一人だよ!! 早く返り咲いてくれ!!」

 声の主はが務めていた飯屋の店主のものだった。

「そうだ、そうだ!」

「姫様を除いて誰がこのごたごた収められるってんだ! 俺ら、あんただからついてくんだぜ!!
 他の奴なんか、まっぴらごめんだね!!」

「おうよ!!」

「あたしら達の為にも、戻っておくれよ」

 彼の声を呼び水に、方々から嘆願の声が湧きあがる。
は店主の声を聞き、数多の民の肉声を受けて、ようやく納得できたようににっこり微笑むと、強く一度頷いた。
 姿勢を正し、改めて左近越しに使者を見やる。

、謹んでお受け致します」

 落ち着いた口調で述べた後、膝を折って、両手を差し出した。
左近の手の中から書状がの掌中へと移る。
瞬間、城を取り囲む一揆衆の間から、期待に満ちた歓声が上がった。

「御前にて無礼仕ります」

 一度拝礼したが身を翻し、後方に控える家臣らを見た。

「前田慶次」

「おう!!」

「本日この時より、護衛役への復帰を言い渡す。
 愛馬松風と共に領下出立、挙兵した各人に下ればよし、さもなくば全力で叩くと、帰順を促せ」

「任せな」

 慶次が捕まえていた龍興を一揆衆の中へと放り出して身を翻した。
続いては左近、三成を見る。

「島左近、石田三成」

「ハッ」

「はい」

「両名、休暇返上!! 本日この時を持って、元の職に戻す。
 税率を今すぐ引き下げ、取り過ぎた年貢は民へと返還せよ。
 一揆の最たる原因は、不当な搾取よ。さっさと取り除いちゃって」

「いいでしょう」

「左近の手腕、御覧に入れましょう?」

「で、このオッサンはどうする? 殺っとくか?」

 二人が城の中へと入って行くのを見送ってからの視線が孫市へと移った。
彼が龍興に銃の標準を合わせながら問いかければ、は首を横へと振った。

「いいえ、そんな必要ないわ。でも、この人には自分が使った国費は、実費で返してもらう」

 目を丸くし、首を横に振りながら「出来ない、無理だ」と、龍興は訴える。
そんな龍興に対して、は母が子を叱るかのような剣幕で怒鳴り散らした。

「出来ないじゃない!! 自分で使ったのよ、ちゃんと働いて返しなさい!!
 皆々、そうやってお金は稼いでるのよ!!

 ないから誰かに貰うって、そういうもんじゃないのっ!! 分かったっ?!」

「俺らの所で雇ってやるぜ? おっさん」

 絶句する龍興を大工衆ががっちりと捕まえた。
彼らに連行されてゆく龍興は顔面蒼白だが、そんな事は知ったこっちゃないとばかりに無視する。
当面の問題はこれで片がついた。
問題は、城内に残る古参の将の扱いだ。
事情が事情とはいえ、彼らは仮初であっても、主に牙を剥いた。
その事に変わりはない。無罪放免というわけにはゆかないのだ。
 こういう時ほど、人の本質ははっきりと表れる。
暗愚な男に策略で所領を奪われたとは言え、与えた官位に相応しい働きが出来る人物なのかどうか、しかとその目で見届けなくてはお役目は務まらぬとばかりに、朝廷からの使者は目を光らせる。
 彼の心の動きには全く頓着していないのか、は大きく息を吸い込むと、すぐに天守閣に向かって叫んだ。

「こらーーーーっ!!!
 竹中半兵衛、降りてこーーーーいっ!!!」

「は、ははー!! ただいまーっ!!」

 半兵衛が気がついて、天守閣の中に引っ込む。
城門の前でが腕組みしながら仁王立ちになり、待つこと数分。
竹中半兵衛を筆頭に、騒ぎに加担した豊臣秀長、蜂須賀小六、山本勘助、馬場信春、高坂昌信が現れた。
その後方には、彼らの行動に自主的に参加した多くの兵の姿がある。

「はぁ…こんなに賛同してるの? 全く、いい大人が揃いも揃って何してるんですか…」

 溜息をついたは全員に向い言った。

「とりあえず、正座」

 言われるまま、皆が腰を下す。

「姫様、今度の騒ぎはこの竹中半兵衛が起こしたもの、何卒、私の首だけでご容赦を…」

 帯刀していた刀を差し出して許しを乞う半兵衛に向い、は着物の袖をまくり上げて腕を掲げた。

「オイ、あれってもしかして…もしかするのか?」

「だよな…きっとそうだよ…」

「…出るぞ、出るぞ…」

 民の間でひそひそと囁きが起きる。

「半兵衛さんも皆も、上向いて、上」

「えっ…」

「何、文句あるの?」

「い、いえ…」

 まさか自分達がやられる日が来るとは思ってもみなかったのだろう。
正座している面々は青褪める。
が、今更、自分達だけがお咎めなしで済むはずもない。
彼らは覚悟を決めたように奥歯を噛みしめ、天を仰いだ。
すると次の瞬間には…

ゴッ!!

ガスッ!!

ドスッ!!

ボスッ!!

ガンッ!!

メキョッ!!

 鈍い音が天へと轟いて、食らった全員が大地へとダウンし、のたうち回った。
恒例のラリアートをかましたは、腕をぐるんぐるんと回しながら、これまた決まり文句を並べ立てた。

「皆、本当に運がいいわ。幸村さんにやられたら、間違いなく首の骨折れてたわよ?
 いい? これに懲りて、同じ過ちを繰り返すんじゃないわよ?!
 拾った命を大事にして、心を入れ替えて、真っ当に人生をやり直しなさい」

 整理運動を終えたは、警吏を数名呼びつけると今回の騒動に加担した一般兵にも同じ刑罰を一回だけ課すように言い渡した。兵達はする方もされる方も、端から覚悟の上なのか、苦笑いだった。

「それと皆は監督責任もあるって事で、全領の復旧が済むまでお給料は三割カットだからね。以上、おしまい」

「姫様…!!」

 謀叛と言われても不思議はない行動にも分け隔てることなく、公正な罰と慈悲を与えるの姿に、ラリアートの餌食になった家臣達は感動を噛み締める。

「ほら、皆、何を何時までもぼさっとしてるの。さっさと立って、立って。それで左近さんや三成の事、手伝って。
 三成に散々愚痴聞かされてたけど、城の内装、とんでもない事になってんでしょ?
 売れる物は早くいい値段で売り飛ばさないと、大変な事になっちゃうわ」

 言葉を失う諸将に随時命令を飛ばしながら、は歩き出す。

「はーい、一揆衆の皆さんも、生活に戻った戻った〜!! 当面の文句は、投書箱によろしくねー!!
 また皆で復興と、財政立て直し目指して頑張りましょー!!」

 民衆に声を掛け、民衆が賛同の歓声を上げれば、は応えるように手を振った。
身を翻して城中に入る前に、は民衆を掻き分けて今まで世話になっていた飯処の店主の前へと駆け寄って行く。
驚いた店主の前で一度だけきちんとお辞儀をして「短い間でしたが、お世話になりました。楽しかったです」と述べ、ついでに「昨日までのお給金、後で取りに伺わせますのでよろしく」とだけ言った。
店主は豪快に笑い、大きく相槌を打った。

「さてっと、仕事、仕事!!」

 モーゼのように民衆で出来た波の間を縫って城の前へと戻って来たは、未だその場に残って呻いていた竹中半兵衛の肩へと手を掛けると、立ち上がるのを手伝いながら言った。

「半兵衛さん、"花子"のことは残念だったけど…"花子"の二代目を造ろうね。
 大丈夫、またきっと綺麗に枝を伸ばしてくれるよ。だから元気出してね!」

 の言葉を聞いた半兵衛は、一度だけ目を丸くして、それからすぐに爽やかに微笑んだ。
彼の横顔は言っていた。「私の主は秀吉様唯お一人だ。けれども、この方もまた私の誇るべき主だ」と。
 これにて家を襲った悪夢のような君主交代劇は一件落着。めでたし、めでたし?

 

"遠い未来との約束---第五部"

 

- 目次 -
半兵衛さんを出すなら絶対に一度はやりたいと思っていたのさ。(10.04.11)