千日戦争開幕 |
「なぁ、様は慶次様と夫婦になるんじゃないのか?」 「え? 雑賀の旦那だろ?」 「いやいや、左近様じゃないか? さっき舘で頬に接吻して…」 「でもよ、今は石田様が…」 税率引き下げを訴えていた一揆衆の間から上がった囁き。 「なっ、ち、違う!! みんな、誤解してる!! そうじゃない、私、まだ独り身だからッ!!」 裏を返せば誰でも選べるという状態である。
「そうじゃないの、今のは、今のは……まだ災害復興だってままなってないし、かつての味方はこの前の一件が 「「様!!」」 追い縋って来た家康と、秀吉が諌めるも時すでに遅し。 「……ご…ごめん……」 余計な事を言ったと、が顔面蒼白になれば、突き飛ばされて倒れていた三成が溜息と共に起き上がった。 「追って沙汰する。しばし待て。 ずるずると引き摺られるようにして連れて行かれるの姿を見た民は、口々に呟いた。 「やっぱり本命は石田様だ。でなきゃ、無礼討ちだろ。今の…」 「そうか? 何時もあんなだぜ? それで泣かされて慶次さんに泣きつくんだよなぁ」 の勤めていた飯処で昼飯を食っていたらしい職人がどんぶりを抱えて言い返す。 「って事はやっぱ前田様か?」 「妥当だろう、一緒に暮らしてたんだし?」 「それいうなら雑賀様だってそうじゃない」
「いやー、どうかねー。左近様じゃないのか? 色々身の回りの物用意してたのはあの方だぜ? 「俺、意外に真田様だと思うけどな」 君主も君主なら、民も民である。切迫した政治的事情などなんのその。 「……ううむ…わ、私はそろそろ…都に戻るとしようか…」 一人放置されていた使者が踵を返した。
半刻後、毛利からの宣戦布告状を前に、評議場に集った面々は渋い顔をしていた。 「ついに避けられない事態になったな」 「うん」 評議場の中央に置かれた巨大な机の上に広げられた地図を見下ろし、が溜息を吐く。 「で、どうする?」
「勿論、決戦しかないと思う…民を囮に使うような国よ? 降服勧告を受け入れるわけには行かないよ。 「確かに…」 「損失は大きかろう。覚悟せねばなるまい」 「は下らない、向こうもそのつもりのはずだ。もう準備が済んでいるかもしれないな」 「だがやんなきゃなんない。なら、普通に方法を探すしかないだろ?」 左近が独白し、場が静まり返ると同時に、遅れて現れた孫市の声が響いた。 「孫市さん」 「遅いぞ、召集令を聞き洩らしたのか?」 三成が不満そうに言えば、孫市はさらりと受け流した。 「まさか。情報集められるだけ集めてたんだよ」 「本当?!」 が身を乗り出し、孫市は相槌を打つ。 「雑賀衆を舐めてもらっちゃ困るぜ」 「それで、どうなの?」
躍動する胸を撫で下ろし、擦れる声で問いかければ、孫市は巨大な評議机の上に転がる指揮丈を取り上げた。 「入った情報から判ずるに、武田勢が詰めている出城から目と鼻の先に四万程度だな」 「…そんなに? どうして今の今まで、誰も何も言ってこなかったの!?」 がヒステリックに叫べば、三成が混ぜ返した。 「決まっている、あの男のせいだ。
「そんな!! 気持ちは分かるけど…だからって、どうすりゃいいのよっ?! 「どの道蹴るのだから問題はなかろう」
「だとしてもよ!! やりようによっては時間稼ぎ出来たかもしれないじゃない!! 八当たりのようにが頭を抱え込めば、秀吉が身を小さくした。 「普通にすんません、請求書の束に埋もれとったんじゃ」 「あの野郎…!! どうせならあいつもぶん殴っときゃよかった!!」 が孫市の手の中から指揮丈を奪い取り、忌々しげに叩き折った。
「どうすんのよ?! 四万よ? 四万!!!! 出城にいるのは武田騎馬隊二万だけなのよっ?! 皆分かってる?! がなり立てるを宥める家康や秀吉の間を縫って、左近が進み出た。 「申し訳ないんですがね、姫。これで終わったと思わない方がいい」 「え…どうして?」 「連中、わざわざ宣戦布告してきたんだ。今回ばかりは、本気ですよ」
じゃ、今までのは冗談か何かだったのかと愚痴りたくなったが、事はそんなに呑気に構えられているような 「出城に睨みを利かせるのに四万って事は、連中の後詰はその半数は固いでしょう」 「合わせて、六万?」 「遊撃隊もいるだろうな。実際に戦場に出てくる兵数はもっと多かろう」 三成が言えば、は喉を鳴らした。 「殿」 窘めるような視線を左近が三成に送り、三成はその視線をさらりと受け流した。 『本当の事だろう』 『そりゃそうですがね、いきなり言うことないでしょう。物事には順序ってものがあるんですよ』 『ふん』
二人の間で交わされた視線での会話を言葉にするとするならば、およそこのようなものだ。 「戦ってのは兵の数が全てじゃないさ」 「それは、そうだろうけど……でも、圧倒的に数で差が出来てる。そうでしょう?」
その場に居合わせている面々を見やれば、誰一人として否を唱える事はなかった。 「ごめん、皆…一晩でいい、一晩でいいから…私に考える時間をちょうだい…」 「分かった」 全員が身を引く最中、は低い声で言う。
「とにかく、どうにかしてこの事態を回避しないと……。とりあえず、挙兵した皆と連絡を取って、真意を確かめて。 「どうするつもりだ?」 「……民だけでも引き受けてもらえるように…とりなして…」 腹の底から吐き出された言葉は仁に溢れていた。
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