剣豪の望むもの

 

 

「あ、あの…」

「な、なぁ……兄貴、戻していいか?! 一瞬、ほんの一瞬でいいんだ!! その事伝えないと…!!」

 台座に齧り付く彼に対して、は険しい表情を見せて言った。

「うんん、多分……ダメ…」

「え?」

「そろそろ、限界みたい……多分、また入れ替わっても、今回はこれ以上は…無理…」

「ええっ!?!」

 絶叫する彼の言葉を最後まで聞く暇もなく、の意識は時空を泳いだ。

 

 

「…くっ…今は退く…!!」

 肩を押さえて忌々しげに撤退してゆく武蔵を見送り、は歪んだ笑みを浮かべた。
の体を預かる彼にも、異変は分かっていた。

『どうしてだ? …何故、こんなにも簡単に息が上がる? ……それに、体が重い……』

「ようやく、二人きりになれたね」

「あまり嬉しくはないんだけれどね」

 抜けてゆく腕の力、ぶるぶると震える足に叱咤し、体裁を保つ。
意識ははっきりとしているし、技量的にも眼前の顔色の悪い美剣士に劣るとは思わない。
けれども、状況は刻一刻と不利に傾きつつあると分かった。

『救世主と僕、シンクロ率が悪いのかな』

 漠然とそんな事を思う間に、奮われた刀での剣撃を数回いなした。

「ところで…ずっと気になってたんだけど……本当に、君は誰?」

 武蔵を撤退に追い込んだだけでも御の字かもしれない。
血色の悪い面持ちの美剣士小次郎は、武蔵と違い常に冷静冷徹であり、容易に挑発に乗る口ではない。
まして物事の本質しか見ない性質なのか、の体を預かる自分に興味津々という体だ。
寧ろ、それを吐かせる為に、攻撃は緩く、執拗になってきている。

『参ったな、面倒なのに興味をもたれたぞ……救世主の為にも、ここでどうにかしないと…』

「答える気がないの? それとも……そんな余裕はない?」

 ちらりと震える足を一瞥されて、足を狙った一閃。
すかさず構える槍を軸に、大地を蹴り、身を宙に踊らせる。
 放った足蹴りを軽やかに避けた小次郎の頭部を、着地と同時に軸にしていた槍で穿てば、軽々と弾かれた。

「さっきと違って、本当に焦ってるね。どうしたの?」

「…困ってるのさ、君みたいなのに好かれたくないからね」

「そう? でも、僕は興味があるな。だって、君は………武蔵と同じだ!!」

 踏み込みが強くなり、奮われる刀の動きが早くなる。

「君はその女とは違う!! ここにいる人々とも違う!!
 君は弱くない!! 僕が斬り殺して楽にしてあげなきゃならない存在じゃない!! 僕や武蔵と対等だ!!」

「君に好かれるくらいなら、その辺の石と一緒でいいよ」

 身を捩り、槍を奮い応戦するものの、足の震えは止まらず、手からも力が抜けて行く。
背筋にも強い痛みを覚えて、思わず体は前のめりに折れた。
辛うじて首を狙った刀の軌道は避けたものの、次はないと思った。
何故なら、意識がの体から離れるのを感じたからだ。

『な、馬鹿な!! まだ、だめだよ!!』

 幽体離脱のように、意識は宙に浮いた。
焦り慌てながら動かなくなったの体を見下ろせば、入れ替わるように当人の意識が入ったのだろう。
操り糸を失った人形のように倒れるはずの体が、咄嗟に大地に両手をついて転倒を避けた。
 ほっとするのも束の間の幻想でしかなかった。
弱っている腕では自分を支えることもままならないのか、の体はそのままその場にずるずると崩れ落ちる。
意識がないまま首を取られるという最悪の事態は避けられたものの、今のでは次の一撃を防げるはずもない。
それだけに焦りが募る。

『だめだ、その子は最後の希望!! 屠ってしまったら、未来が!!』

 誰に届くともつかない声を上げながら、彼の意識もまた己のあるべき時代への道を辿り、たち消えた。

「も、戻って来た…」

 耳の奥に焼きついた叫びを噛み締めて、顔を上げる。
目の前へと静かに立った小次郎は、介錯でもするように刀を構える。

「お帰り、。色々聞きたい事はあるけれど…その様子じゃ答えるのも無理だよね? なら、仕方ないよね」

 ならばする事は一つだと、彼の冷徹な眼差しが語る。

「覚悟はいい?」

 問いかけられて、唇を噛み締めた。

『考えろ、何でもいい!! 今、この場を凌げる方法を、考えるんだ!!』

 心で己を叱咤しても、これぞという策は浮かばない。
己の非力さ、無力さに打ち拉がれるを見下ろす小次郎の目には、既に色はない。
先程まで斬り結んでいた好敵手がこの場にいない以上、頓着する事もないと、現実だけを取ることにしたようだ。

「…あ…」

「命乞いでもする? 無駄だけど」

 何か言おうと唇を動かせば、小次郎は残忍な笑みをへと向けた。

『ごめん、皆……私、ここまでかもしれない…』

 が辛うじて動く指先で玉砂利を握り締めて、奥歯を噛み締めて、瞼を閉じた。
瞬間、小次郎の満足気な声が頭上に響く。

「いい心掛けだね。そうしてる方が、早く、キレイに済むよ。さようなら!!」

 強まる語尾、じゃりっと踏みしめられた玉砂利が音を上げる。
次いで振り下ろされた刀が頭上で何かにぶつかったような金属音が上がった。
はっとして瞼を開けて顔を上げれば、小次郎の太刀を、横から振り込まれた大太刀が受け止めていた。

「感心しないね、女性は丁寧に扱わないとな」

「左近さん!」

 修羅の眼差しを宿し、左近が口の端を歪めて笑う。

「目障りなのだよ!!」

 続いて、動きを止めた小次郎へ、横から扇が打ち込まれた。
同時に隕石がそこかしこに降り注ぐ。三成の無双秘奥義だ。

「愚かだな!」

「三成!!」

「済まん、多少梃子摺った」

 翻した扇を己の掌中に収めた三成は、しれっとした表情での前に立った。

「なんだ…またお守り役? せめて前田慶次なら面白かったのに」

 三成の放った無双秘奥義をガードしきった小次郎は、刀を一閃し、構え直した。

「…逆上せ上がるな、下郎が。貴様程度の相手に、わざわざ慶次を差し向けるには及ばん。
 男、俺の目が黒い内はこの女に手出し出来るとは思わぬ事だ」

「ま、そういう事ですな」

 大太刀を構えて左近が不敵に笑った。

「ふぅん……言ってくれるね……」

 小次郎の顔から表情が消えて、代わりに刀に宿る殺気が鋭さを増した。

「じゃ、やって見せてよ」

 奮われる刀をかわして三成が扇を翻した。
片や舞いでも舞うように扇を巧みに操り、片や自身の身の丈にもなる刀を軽々と扱う。静と静の闘い。
力で小次郎に分があるとするならば、速さは三成に分があった。
手数で稼ごうとする三成を、力でねじ伏せて小次郎が一歩強く踏み込む。

「っと、勝てば官軍ってね!!」

 三成が致命傷を負う寸前、小次郎に向い背後から左近のアーツが炸裂した。
紙一重でかわして後退する小次郎を、今度は左近が追いかける。
戦いは静と動、力と力のぶつかり合いに変わった。
 その間に三成は腰を落としたままのの傍へと来ると、小次郎を見据えたまま問いかけた。

「動けるか?」

「ごめん、ちょっと…無理っぽい」

「そうか、無理はするな」

 珍しく労ってくれるなと、が思ったのは束の間だった。
左近と三成の連携の意図に気がついた小次郎が左近をかわしてこちらへと駆けてくる。

「ふぅん、わざわざ僕からその子を引き離す作戦? 御苦労様!! でも…無駄だったね!!
 君ごとキレイに斬ってあげる」

「遠慮しよう」

 小さく震えたの前から離れて、三成が前へ出る。
扇が華麗に宙を舞い、数回小次郎の刀を打った。
小次郎もまた怯まずに応戦。
三成の足を狙い、顔を狙い、暇なく切っ先が掠める。

「三成!!」

「いちいち騒ぐな、気が散る」

 奮われた刀の切っ先に斬られたのか、三成の頬に赤い線が浮き上がった。

「実に男らしいねぇ。綺麗な顔してるのに、勿体ないよ? じっとしてて、そうすればすぐだから!!」

 動じぬ三成に対して、小次郎が喜々として打ち込み続ける。
彼の繰り出す重い一撃を扇を閉じて受け止めて、三成は不敵に笑った。

「?!」

 小次郎が動く前に身を屈めて一歩深く踏み込み彼の横に回り込むようにして逆手で刀を握る小次郎の腕を掴んだ。

「逃がさんぞ」

 冷徹な眼差しで言葉少なく告げ、三成が己の掌に力を込めれば鈍い音が上がった。

「うぐっ!!」

「悪いな、どうも俺は怪力らしい」

 小次郎が忌々しげに腕を振り払おうとするものの、三成の腕は頑として動かない。
ギャリギャリと小次郎の刀と三成の扇が擦れる音だけが不穏に鳴り響く。
鍔迫り合いにも似た均衡を崩したのは、二人ではなく左近の一撃だった。

「待たせたな!! 加減なしで行くぜ!!

「なっ!!」

 小次郎が我に返ったように目を大きく見開き、声のした方を見れば、左近の大太刀が目前へと差し迫っていた。
絶妙のタイミングで三成が小次郎から離れる。

「うっあああ!!」

 余さず無双奥義を食らう小次郎へ向かい、三成が扇を振り上げる。

「これは、の分だ!! 朽ちるがいい!!

「やっちまったな!!」

 左近の秘奥義が帰結するも、時間差で重ねられた三成の奥義が続く。
動と静を重ね合わせたような連携に穿たれ、小次郎はついに顔を苦悶に歪ませた。

……次は殺すよ? 必ず…。"彼"にもそう言っておいて」

 小次郎は肩で息を吐きながら眉を寄せる。
三成に砕かれた腕を庇い後退する小次郎は、左近の後ろに庇われるを見て、薄く笑った。

「今度は双剣を用意するといいよ」

「え?」

 意図を掴み切れず、が目を瞬かせたのも束の間、小次郎は陣中から姿を消した。
差し迫った危機は一先ずは回避出来たのだと実感すると、張っていた気が抜けた。
同時に全身に強烈な痛みが走り、疲労感が襲いかかって来た。

「姫?!」

!! おい、しっかりしろ!!」

 遠のく意識の隅に残った左近と三成の声。不思議と、それをとても心地良く感じた。

 

 

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