鬼軍師の涙 - 左近編 |
それから一刻後。 「……嘘だ……こんなの…嘘……どうして………なんで…?」 生き伸びた兵が看護兵に連れ戻される。 「姫様……お耳に入れたき議がございます」 の前へあの天幕を預かっていた医師が現れ、膝をつく。
「………左近さんが……命じた? 怪我した人を……前線に送ったって言うの?! 感情のまま叫んだの手と絡む死兵の手に力が籠った。 「…わしらの…意志じゃ……」 「何を!」 横槍を入れようとする医師の言葉を無視し、死兵は話す。 「姫様……左近…様を……責め…んで…くれ…」 「そうじゃ……誰かが……いわなきゃ…ならんことじゃ……」
「姫様……わしら…あんたの為に死ぬんじゃない…。あんたの…政が大好きなんじゃ…。 掴まれる腕から徐々に力が抜けて行く。 「…左近…様は……正しい………必要な……ことを……しただけ…じゃ……。責めんで……」 それきり、死兵が口を開くことはなかった。 「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 が絶叫し、兵の胸に顔を埋めて死を悼む。 "毛利・北条に、絶対死を!!!!!" 謀らずも、の嘆きがの兵の士気を上げた。
「お呼びだと伺いましたがね」 医療用の天幕に顔を出した左近の前には、息を引き取った死兵の亡骸が横たわっていた。 「…左近さん…これはどういう事? 私は許していないはず」 泣き腫らした顔もそのままに、は問うた。 「ええ。だから俺がやりました」 全てが露見する事は目に見えていたとばかりに、左近は平然と、己の越権を肯定した。 「どうして…? なんで?」 「勝つ為ですよ」 左近は歪んだ表情を顔に貼り付けて、はっきりと言い切った。 「姫、優しさは美徳だ。だが戦場にはあってはならないものだ」 「でも…!」 「いいですか。あんたも良く聞きな」 から視線を移し、医師を睨む。 「人が死ぬのが嫌なら、最初から戦わなきゃいい。 医師は沈黙を護り続け、左近は答えを待たずして先を続ける。 「簡単な摂理だ。慈愛の国を作る女と共に生きたいからだ。 「姫様の命は絶対のはずでは? かような事がまかり通っては…」 医師が指摘すれば、左近は平然と言う。 「ええ。まずいね。だが必要な事だ。 「身勝手な事を言うな!! ならば我らは何の為に召集された?! 「綺麗ごとだけじゃ、戦は終わらないんですよ!」
左近の言葉を詭弁ととったのか、医師が食ってかかれば、左近が珍しく声を荒げた。 「戦場においては、兵は命じゃない。兵は一つ一つの駒なんです。 胆の据わった男の一言一句に医師は言葉を失う。 「左近さん」 左近の弁を聞き、医師の弁を聞き、今まで沈黙を守ってたが口を開いた。 「はい」 「……軍師としての……弁はもういい」 左近が怪訝な顔をして座ったままのを見下ろせば、は悲しみに潤んだ瞳でまっすぐに左近を見上げた。 「…島左近として…一人の人間としての……言葉は? それを聞かせて」 虚を突かれたように二人は目を見張る。 「私に出来ない事だからしたって、そう言ったよね? 軍師だからって。……なら、左近さん自身はどうなの?」 「……………っく…」 真摯な眼差しを向けられて、左近は敵わないとばかりに背を向けた。 「………好きなわきゃ、ないでしょう。こんなん………」 唾棄すべき愚策だと、左近は吐き捨てる。 「姫が一番厭う方法だとしても……今、勝つ為には…他に方法がない……それだけの話です」 視線を落とした左近の背へとは進み出て、背中に額を預けた。 「ごめんなさい……私が…無力だから……こんな…辛い仕事ばかり…させている…」 背に感じた感触に、左近の口元に僅かだが歪みが現れた。 「それが、俺の仕事だ」 「うん」 は左近から離れるとぶるぶると震える指先を押さえるように、自身の指先を組み合わせた。 「…左近さんは、不問にします」 「姫様!!!」
驚愕したと、やはりこの人も他の君主と変わらないのかと、医師は打ち震える。 「…遺言なの」 「え…?」 「貴方も聞いたはず。彼らの…遺言なのよ、これは」 「しかし、それはその男が!!」 は首を強く横へと振った。 「分かってる!!!」 ぎょっとして医師が言葉を呑めば、眼前に立つは懸命に涙を堪えようとしていた。 「…理不尽な事ばかりだって分かってるのよ。 は抑揚を抑えた調子で話す。
「今、必要な事は……同じことを繰り返さない事。繰り返させない事だと思う。 違うかと視線で問えば、医師は視線を落とした。 「皆が命を掛けて護ろうとしてくれた国よ。 自身に言い聞かせるかのような声色に、医師は息を詰まらせた。 「……左近殿、これよりは誰を死兵にするのかは、私に許可を取ってからにして頂きたい」 驚いて目を剥いた左近に、医師は本来ならば受け入れ難い言葉だと全身に怒りを漲らせる。 「人の生死は、私の領分だ。軍師の仕事じゃない」 「……はい、すいません…」 左近が目礼をすれば、医師はへと礼をして天幕を後にした。
櫓に上がり満天の星空を眺めるの横には左近の姿があった。 「…俺を許せますか…?」 左近が低い声で問えば、は眼下に広がり続ける戦禍を見つめて同じことを問い返した。 「左近さんは、私を許せるの?」 横眼でを見下ろせば、の頬を一滴の涙が伝う。 「頼りなくて、綺麗事しか言えなくて……汚い事には何一つ手を出さない。 「そんなに卑下しないで下さいよ。俺が選んだ道だ」 「でも……」 「姫」 左近が手を伸ばして自身の腕の中にを抱き寄せる。
「貴方は元々ただの鍼灸師だ。それを祭り上げたのは、この時代の人全てです。 伝う涙を両の親指で拭えば、あるがままに任せたが口を開こうとする。 「自分が契約の対価に選んだ…ってのはなしです。 言葉を呑んだから左近は自ら距離を取った。 「…姫、長生きして下さい。でもって幸せな天下、築きましょう」 「うん、そうだね」 膝をついては死者を悼み黙祷する。 『聖女の伴侶に…鬼軍師は似つかわしくないね…』 何かを諦めたと言わんばかりに、左近はの背から視線を逸らす。 「様〜!! どこにおいでですかいの〜?」 陣の中から秀吉の声がする。 「……似つかわしくなくても……想うのは自由、だよな?」 誰に問いかけるでもなく、彼は眉を寄せて瞼をきつく閉じる。
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