鬼軍師の涙 - 左近編

 

 

 それから一刻後。
始まった防衛戦で死兵隊は敵の進撃を防ぐ為に奮戦し、壊滅の末路を辿った。
彼らの犠牲の元、慶次が預かった前線部隊の負傷者は、両の手足に足りる数しか出なかった。
 多くの兵を火葬で送り出した直後の、目も当てられぬ敗戦を知り、が本陣で茫然と膝を落とした。

「……嘘だ……こんなの…嘘……どうして………なんで…?」

 生き伸びた兵が看護兵に連れ戻される。
その兵も足を失い、腹からは臓腑が抉りだされたような状態で、虫の息だった。
槍で腹部を突かれ、辛うじて出血が止まっていたのだろうが、手当の為に仲間が引き抜いた。
その為槍と共に臓腑が腹の外へと引きずり出されてしまったのだろう。
 なんとか救命を…と考えるものの、溢れだす鮮血はおびただしい量で。
誰の目から見ても手遅れなのは明白だった。

ならばせめて人の温もりに触れたまま他界させてやろうと、が手をとった。
堪えようとしても涙が後から後から溢れて、全身が悲しみで震え続けた。

「姫様……お耳に入れたき議がございます」

 の前へあの天幕を預かっていた医師が現れ、膝をつく。
が顔を上げて不思議そうに首を傾げれば、彼は左近が侵した越権行為を漏らさずに口にした。

「………左近さんが……命じた? 怪我した人を……前線に送ったって言うの?!
 私っ…私そんな事、許してない!!!!」

 感情のまま叫んだの手と絡む死兵の手に力が籠った。
渾身の、最後の力を振り絞ったと言わんばかりの握力に驚いて視線を移せば、今まさに事切れる寸前の死兵は言った。

「…わしらの…意志じゃ……」

「何を!」

 横槍を入れようとする医師の言葉を無視し、死兵は話す。

「姫様……左近…様を……責め…んで…くれ…」

「そうじゃ……誰かが……いわなきゃ…ならんことじゃ……」

「姫様……わしら…あんたの為に死ぬんじゃない…。あんたの…政が大好きなんじゃ…。
 …だから、わしらは……あんたの……政で…生きる、わしらの………子と、おっかぁの為に……死ぬんじゃ……」

 掴まれる腕から徐々に力が抜けて行く。
それが受け入れられないとばかりに、は両手で懸命に腕を握り返した。

「…左近…様は……正しい………必要な……ことを……しただけ…じゃ……。責めんで……」

 それきり、死兵が口を開くことはなかった。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 が絶叫し、兵の胸に顔を埋めて死を悼む。
その姿を見た陣中の兵全てが、目を見張り、同時に何があったのかを悟り奥歯を噛み締めた。
ある者は、友の死に打ち拉がれ。
ある者は、戦場の不条理に憤り。
ある者は、心優しい姫が下々の為にこうして感情も露に悲嘆する姿に意識を改める。

"毛利・北条に、絶対死を!!!!!"

 謀らずも、の嘆きがの兵の士気を上げた。
翌日の戦は、こうした士気の差が大きく表れ、側の優勢で幕を閉じた。

 

 

「お呼びだと伺いましたがね」

 医療用の天幕に顔を出した左近の前には、息を引き取った死兵の亡骸が横たわっていた。

「…左近さん…これはどういう事? 私は許していないはず」

 泣き腫らした顔もそのままに、は問うた。
彼女の傍には、あの天幕を預かっていた医師の姿がある。

「ええ。だから俺がやりました」

 全てが露見する事は目に見えていたとばかりに、左近は平然と、己の越権を肯定した。

「どうして…? なんで?」

「勝つ為ですよ」

 左近は歪んだ表情を顔に貼り付けて、はっきりと言い切った。

「姫、優しさは美徳だ。だが戦場にはあってはならないものだ」

「でも…!」

「いいですか。あんたも良く聞きな」

 から視線を移し、医師を睨む。
そこには人を屠る者と、人を救う者の一言では言い表せぬ確執があった。

「人が死ぬのが嫌なら、最初から戦わなきゃいい。
 だが戦いは起きた。なんでだと思う?」

 医師は沈黙を護り続け、左近は答えを待たずして先を続ける。

「簡単な摂理だ。慈愛の国を作る女と共に生きたいからだ。
 それを厭う者の侵攻を撥ね退けようと、一人一人が選んだ結果、起きた戦なんだ。これは。
 なら勝たなきゃ意味がない」

「姫様の命は絶対のはずでは? かような事がまかり通っては…」

 医師が指摘すれば、左近は平然と言う。

「ええ。まずいね。だが必要な事だ。
 俺は軍師だが、今求められているのは、治世の軍師じゃない。戦の為の軍師だ。
 姫の背には多くの命がかかってる。いや、命だけじゃない。
 姫が戦乱の世から消えれば、姫の掲げる慈愛がこの世から失われることになる。
 それはどんな肩書を持つ人間にとっても脅威だ。
 だからこそ、その時を阻む為にの兵は立ち、こうして戦ってる。

 戦は残酷なもんだ、そんな兵が相手であっても、時として、今回のように駒として見なくちゃならない」

「身勝手な事を言うな!! ならば我らは何の為に召集された?!
 人を息存えさせる為の従軍であるはずだ!! 命を駒などと言わないで頂きたい!!」

「綺麗ごとだけじゃ、戦は終わらないんですよ!」

 左近の言葉を詭弁ととったのか、医師が食ってかかれば、左近が珍しく声を荒げた。
医師が驚いたようにびくりと、体を強張らせる。
片や戦歴の猛者、片や手に職の医療者。
一触即発で武にものを言わされたらどちらに軍配が上がるのかは目に見えている。
医師の反応も当然と言えば当然だ。
 左近は全てを見越した上で一つ小さく溜息を吐くと、改めて己の考えを述べた。

「戦場においては、兵は命じゃない。兵は一つ一つの駒なんです。
 その駒を、駒として姫が見れないのであれば、俺がそう見て判じる。それだけだ。
 咎なら受けますよ? 放逐でも、断罪でも、好きにすればいい。
 但し、それはこの戦が終わってからで頼みます。今は勝つ事が優先だ」

 胆の据わった男の一言一句に医師は言葉を失う。

「左近さん」

 左近の弁を聞き、医師の弁を聞き、今まで沈黙を守ってたが口を開いた。

「はい」

「……軍師としての……弁はもういい」

 左近が怪訝な顔をして座ったままのを見下ろせば、は悲しみに潤んだ瞳でまっすぐに左近を見上げた。

「…島左近として…一人の人間としての……言葉は? それを聞かせて」

 虚を突かれたように二人は目を見張る。

「私に出来ない事だからしたって、そう言ったよね? 軍師だからって。……なら、左近さん自身はどうなの?」

「……………っく…」

 真摯な眼差しを向けられて、左近は敵わないとばかりに背を向けた。
ポーカーフェイスの下に隠していた本音が、隠し押せると思っていた感情の全てが、握り締めた拳に現れていた。

「………好きなわきゃ、ないでしょう。こんなん………」

 唾棄すべき愚策だと、左近は吐き捨てる。

「姫が一番厭う方法だとしても……今、勝つ為には…他に方法がない……それだけの話です」

 視線を落とした左近の背へとは進み出て、背中に額を預けた。

「ごめんなさい……私が…無力だから……こんな…辛い仕事ばかり…させている…」

 背に感じた感触に、左近の口元に僅かだが歪みが現れた。
彼もまた、多くの感情を噛み砕き、呑み込んでこの選択を下したのだと、指示していた。
 左近は息を深く呑み込んで、それから言葉少なく答えた。

「それが、俺の仕事だ」

「うん」

 は左近から離れるとぶるぶると震える指先を押さえるように、自身の指先を組み合わせた。
医師に向い、努めて落ち着いた口調で言う。

「…左近さんは、不問にします」

「姫様!!!」

 驚愕したと、やはりこの人も他の君主と変わらないのかと、医師は打ち震える。
するとは、横たわる亡骸に視線を向けた。

「…遺言なの」

「え…?」

「貴方も聞いたはず。彼らの…遺言なのよ、これは」

「しかし、それはその男が!!」

 は首を強く横へと振った。

「分かってる!!!」

 ぎょっとして医師が言葉を呑めば、眼前に立つは懸命に涙を堪えようとしていた。

「…理不尽な事ばかりだって分かってるのよ。
 でも、起きた事はもう取り戻せないの。こうして、命が失われてしまった後では。
 人を屠る人だって、好きで人を屠ってるわけじゃないの。
 人を救おうとする人と同じように、葛藤があって、覚悟がいるの」

 は抑揚を抑えた調子で話す。

「今、必要な事は……同じことを繰り返さない事。繰り返させない事だと思う。
 この人達は、の政の為に、命を捧げてくれた。
 その思いに応えるには、誰かを断罪する事ではなくて、憎む事ではなくて……この戦を早く終わらせる方法を
 探さなくてはいけないと……私はそう思う」

 違うかと視線で問えば、医師は視線を落とした。

「皆が命を掛けて護ろうとしてくれた国よ。
 内から崩壊しては…彼らの死は、本当に意味を失ってしまう」

 自身に言い聞かせるかのような声色に、医師は息を詰まらせた。
しばしの沈黙の後、彼は口を開いた。

「……左近殿、これよりは誰を死兵にするのかは、私に許可を取ってからにして頂きたい」

 驚いて目を剥いた左近に、医師は本来ならば受け入れ難い言葉だと全身に怒りを漲らせる。

「人の生死は、私の領分だ。軍師の仕事じゃない」

「……はい、すいません…」

 左近が目礼をすれば、医師はへと礼をして天幕を後にした。

 

 

 櫓に上がり満天の星空を眺めるの横には左近の姿があった。

「…俺を許せますか…?」

 左近が低い声で問えば、は眼下に広がり続ける戦禍を見つめて同じことを問い返した。

「左近さんは、私を許せるの?」

 横眼でを見下ろせば、の頬を一滴の涙が伝う。

「頼りなくて、綺麗事しか言えなくて……汚い事には何一つ手を出さない。
 人は私を神聖だと言うけれど……神聖なんじゃなくて、ただ、臆病なだけ…。
 力不足の私の為に、私がしなきゃならない汚い仕事を、代わりにしてくれてる人がいるだけの話よ」

「そんなに卑下しないで下さいよ。俺が選んだ道だ」

「でも……」

「姫」

 左近が手を伸ばして自身の腕の中にを抱き寄せる。

「貴方は元々ただの鍼灸師だ。それを祭り上げたのは、この時代の人全てです。
 こんな戦にまで引っ張り出されて、姫の方が、迷惑千万でしょうに」

 伝う涙を両の親指で拭えば、あるがままに任せたが口を開こうとする。
それを掌で止めて、左近は言った。

「自分が契約の対価に選んだ…ってのはなしです。
 これは契約外ですよ。こんな苦難が付いて回ると知っていたら、貴方はきっと他の選択も考えたはずだ」

 言葉を呑んだから左近は自ら距離を取った。

「…姫、長生きして下さい。でもって幸せな天下、築きましょう」

「うん、そうだね」

 膝をついては死者を悼み黙祷する。
そんなの横顔を見降ろした左近は、寂しげに笑った。自嘲の笑みだった。

『聖女の伴侶に…鬼軍師は似つかわしくないね…』

 何かを諦めたと言わんばかりに、左近はの背から視線を逸らす。

様〜!! どこにおいでですかいの〜?」

 陣の中から秀吉の声がする。
聞きつけたが顔を上げて、立ち上がった。
櫓から顔を出して、手を振って答える。
 「先に降りるね」と言い残して櫓を後にしたから背を向けて、左近は天を仰いだ。

「……似つかわしくなくても……想うのは自由、だよな?」

 誰に問いかけるでもなく、彼は眉を寄せて瞼をきつく閉じる。
その日、彼は軍師という職に就いていながらにして、初めて自分の選択を悔い、涙した。

 

 

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