零れ落ちて行く者

 

 

「くだらぬな」

 背後から迫る鎌が、の首元目掛けて振り下ろされる刹那、闇の中に一つの声が響いた。

「!」

『!』

 続いて、カツンカツンと乾いた具足の音が響く。
何者かが闇の中から歩いてくる。
恐る恐るが見上げれば、の頬を掠めて鋭い一撃が迸った。
驚きで溢れていた涙も一瞬の内に引っ込んだ。

「ギァァァァァァァァァ!!」

 多くの声が折り重なった絶叫が上がり、続いての後方で、何かが落ちたような金属音が上がった。
音の大きさに驚いたが肩を跳ね上げる。
 混乱し、視線を彷徨わせていたが思わず瞼を閉ざした。
何者かが切り裂いた場所から、世界を覆っていた闇が裂けて、眩い光が漏れて来る。
その眩しさに、体が反射的に反応した。
明るさに慣れるべく何度となく瞬きをして、視力が明るさにようやく慣れてきた頃、は自分が何時も目にしている未来の中に居ることを知った。
そして同時に、自分の背に大振な鎌が落ちている事に気がついた。

『!!』

 驚き、怖れ慄いて、身を竦ませて後ずさればの肩が何かにぶつかる。

『!』

 慌てて距離を取ろうとするの視界に、黒い羽根が舞い落ちてくる。

『羽…根…? どうして…ここに…?』

 この羽根には見覚えがある。
何時だったか、自分の危機を何者かが退けた時に目にしたものだ。
妙な安堵が胸に広がる反面、身が竦むような怖さも覚えた。
は相手の様子を窺うように、恐る恐る顔を上げた。
の視線の先では、冷淡な眼差しを持つ男がまっすぐに前を見据えていた。

「…くだらぬ事を云う…」

『くだらない? 生きたいと、思う事が…?』

 思わず問いかければ、天を見ていた男の視線がへと向いた。
何もかもを見通すような目で真っ向から見据えられて、身震いした。
凄まじい覇気。圧倒的な存在感。
そして、ニヒルな微笑み。
 これら全てに、覚えがあった。

『……あなた…確か……あの子を……』

 この世界の化身ともいうべき白銀の頭髪を持つ幼子を球体に閉じ込めて、闇の中に覆い隠し笑っていた男。
彼こそが、この世界を脅かしていると思っていた。
けれど、その男は同時に、こうして自分を救った。
それも一度ではなく、二度もだ。
 彼の意図が分からない。
彼が聖か邪か、その判断がつかない。
 混乱することばかりだとは息を呑む。

「…全ては世迷言よ……うぬは気がつかぬか?」

『何に…ですか?』

 不思議な事もあったもので、彼の登場と同時に、あの液体と気配は姿を消した。
否、どこからか動向を窺っているのだろうが、彼に脅えるように息を潜めている。
後顧の憂いは断てた以上、今この瞬間に全神経を注ぐだけだ。
時は無限のようでありながら、有限だ。
目の前に立つ男との邂逅が、次にあるものとは限らない。
少なくとも、この男はあの影と対峙する力を持ち、現段階ではを害する意思を持たない。
ならばこの男の間合いに身を寄せて、彼の庇護の元、時が来るのを待った方が得策だ。

『…何が、世迷言なんですか? 彼らの言い分にも…一理あるような気がします…』

「ふっ……柔和な事よ……。時は、お前のような者も生み落とし、育むか…」

 の言葉に耳を傾けた男が目を細めて笑う。
彼の言葉はシニカルであるようにも感じたし、そのシニカルさの中に一抹の優しさがあるようにも感じた。
短い邂逅では、彼の全てを推し量ることは出来そうもない。
それだけ、深い何かを、大きな何かを纏った相手なのだと思った。
 測りかねるというの素直な視線を受けて、男は再度一笑した。
それから気持ちを改めたように口元を引き締めて、静かに、緩やかに、語り始めた。

「かつて一人の男が時空を飛んだ。生んだ歪みの中、数多の命が生まれた。また同時に、多くの命が費えた」

 それは知っていると、が頭を縦に振る。

「…生死の狭間…その最果てにあるが今生よ…」

 荒廃した世界、紛れもない結末を目の前に示される。

「…うぬが望まれし事は、この世界を変えること……歪みが生んだ命は、歪みの中に帰すが道理よ」

『…それは…最初から…生まれていなかった命だから…ですか』

「是非も、なし」

 男は愉快そうに笑う。

「…時に弄ばれし亡者が生を望むか。
 ならば、何故、あれらは未来を案じぬ?
 あれらの死は己が保身の結果が、自身に降りかかっただけの事であろう……違うか?」

 男の言葉には不思議な力があった。
詭弁の中に塗れた何かを暴きだすような力強さと、失われかけた何かが見出されるような清々しさがそうだ。

『貴方は……一体…?』

 舞い散る黒い羽根を一枚取り上げて、はぎゅっと握りしめながら問いかける。
男は答えずに、身を翻した。
再び黒い羽根が宙を舞う。

「うぬは帰れ……竹千代が泣いておる……ぞ」

『え?』

 家康の事を知っているのかと、目を丸くした瞬間、男は肩越しにを見下ろして言った。

「命は何れ消えゆくもの…されど、時に弄ばれし消滅であれば……再生も叶う」

『!!』

「全ては、うぬの選ぶことよ……今あれらの死を悼むことはない…」

 砂塵の中に消えた双子の姿が、の脳裏を掠めた。

『やり直せる…? 取り戻す事も出来る? 元の世界に戻れたなら…私には、全てを変えられる?』

 男の言葉に喜ぶと同時に、闇の中で向けられた言葉が胸を締め付ける。

『あ……で、でも…その…選択は…また、多くを犠牲に…』

「無価値」

『え?』

「…捩じれた今生で過去を振り返ろうとも何も生まぬ…。
 …うぬがすべきことは、この先何を失わず、何を生み出すかという一点のみよ。
 うぬがせねば、世界はこの結末を辿るのみ…ぞ」

『……そう…ですね……』

 がそう呟いて肩を落とした。
瞬間、を取り巻く世界の様が変わった。
小さな小さな島国の丘陵に欝蒼と覆い茂る木々の姿が現れたのだ。

『え? あれ、何時もと…違う?』

「うぬの導きを信じ……定めを変えんとするものの功績か…」

 男は独白する。
低い艶めいた声に耳を傾け、己の目で世界に齎される変化に胸を和ませる。
そんなの耳を男の声が擽る。

「……見失うな……世界に生きるは、人だけではない…ぞ」

『!』

「…うぬが託されし命は、人ではない…世界の命脈、そのものよ…」

 が目を大きく見開いて顔を上げれば、そこには既に男の姿はなかった。

『…貴方は……一体……誰なの?』

 大きく瞬きを繰り返して問うの耳元に、どこからともなく男の声が響いた。

「うぬは戻れ…竹千代が、泣いておる…」

 次の瞬間、世界は、の視界は暗転した。

 

 

様ーーーーーー!! 戻って下されぇぇぇぇぇ!!」

「っ! あっ、はぁ…!! はぁ、はぁ、はぁっ!!」

 目を大きく見開いて、ここがどこなのかを確かめるように辺りに視線を走らせた。
仰向けに寝かされるの背を膝に乗せて抱え込み、右手を握って懸命に呼び掛けているのは家康。
左手を握っている秀吉には、意識がない。

「え…あ、も、戻った…?」

 擦れた声を上げれば、家康が心底心配したというように強く強くの事を抱き締めた。

「秀吉様!!」

 の姿を見、秀吉の身を案じる三成の顔は顔面蒼白で、この世の終わりでも来たといわんばかりだ。

「姫!!」

様!!」

さん、大丈夫かい?」

 左近、幸村、慶次、皆一様にの身を案じている。
孫市に至っては、あまりにショックだったのか、息を呑みっぱなしですぐには声を出せない様子だった。

「何? 皆…どうし…たの?」

 胸に息苦しさを覚えつつ、男泣きの家康の背を両手で抱えて撫でて生を訴えつつ、問いかける。
すると皆は一様に顔を強張らせて、押し黙った。

「…何も…覚えていないのか?」

 秀吉の介抱をしながら三成が固い声で問うた。

「え、あ…うん……ごめん…何か、まずい事した?」

 視線だけでが問えば、三成は眉を八の字に曲げて己の唇を噛み締めると、視線をそらした。
問いかけに対する答えを口にするのもおぞましいと言わんばかりの表情だった。

「何? 皆、どうしたの? 顔色…真っ青よ?」

 の問いかけに対して、誰もが口を噤む。
城下や町に上がる日常を取り戻した証であるはずの喧騒が、まるで作り物の効果音のように遠巻きに聞こえている。
緊張に満ち溢れたこの場のすぐ目と鼻の先で繰り広げられる喧噪の示す明るさは、うすら寒いジョークのようだ。

「え、何? 本当にどうしたの? それに、なんで秀吉様が倒れて…?」

 視線を彷徨わせるの耳元に、静寂を破る声が届く。
声の主は、孫市だった。

「…死にかけた…」

「え?! 秀吉様が?!」

「いいや。秀吉じゃない。お嬢さん…死にかけてたのは、貴方の方だ」

 乾いた声で紡がれた言葉の意味を把握するのには、しばらく時間がかかった。
数分押し黙ってようやく意味を理解したは、引き攣った笑みを浮かべた。

「え…やだなぁ…そんな、皆…またまたぁ………冗談…だよね…?」

「…いいえ…」

 苦しげに幸村がいう。

「倒れられ、介抱しようとした時には、既に心の臓が止まりかけておりました」

「…嘘……でも私…こうして生きてるよ?」

「ええ、ええ…ほんに、ほんにようござる…ほんに…」

 男泣きしていた家康が涙を拭い、ようやくから離れた。

様、御身に陰りはありませぬか、どこも、何一つ、お変りはありませぬか!?」

『うぬは戻れ…竹千代が、泣いておる』

 あの世界で、あの男が紡いだ言葉の意味はこれだったのかと内心で思いながらは答えた。

「…え、あ…はい、大丈夫です。もう全然平気です」

「長い戦続きだったからね、体にも心にも負担が大きかったんだろうさ。しばらくは休んだ方がいいね」

 慶次が軽い調子で言いを抱き上げる。
普段ならば「平気ですよ」と笑顔で交わせるところだが、今日の慶次の纏う空気はそれをさせぬ強さがあった。
朗らかに、穏やかに、抱えた不安は吹き飛ばす。
そんな彼でも、かける言葉とは裏腹に、の身に降りかかる不穏な影を軽視してはいないということか。
は大人しく頷き、慶次の腕に身を委ねてその場を後にした。

「…家康…」

 気絶したままの秀吉の介抱を三成がしながら言う。

「信長公は……どこにいる?」

「三成殿?」

 三成は彼には珍しく視線に焦りを滲ませていた。

「彼は、本当に……本当にの救いになるのか?!」

 今まさに彼は最愛の人を失いかけ、敬愛する恩師の昏倒を見た。
冷静でいられなくなっても不思議はない。

「分からぬ…じゃが、儂も秀吉殿も、そう信じておる。言葉でなく、感じるのだ」

「…そうか……」

 三成が秀吉を抱き起した。
左近が自然な流れ手腕を貸そうとする。
それを撥ね退けて、三成は左近に対し言った。

「執務に影響は出せぬ。左近、他の者と連携し、政務を頼む」

「はい、承りました」

 左近が身を引き、三成の言葉を聞いていた幸村、孫市も続いて身を引いた。
そこでようやく止まっていた城上層部の時間は動き出した。

 

 

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お待たせしましたの、第7部! いよいよ始まるよ!!
こっからは佳境に向かってシリアスモード過多! 皆ついてきてねー!!(12.06.20.)