瀬戸際の逃亡

 

 

 懇親会の場において暗殺騒動が起き、その最中、不可解なからくりがの君主のみを救い出した。
この情報は城下の警備にあたる各国の家臣団にもすぐに齎されることとなった。

「ほほう、が動いたのか」

 松永久秀の供として彼の仮住まいたる武家屋敷に出向いていた黒田官兵衛は、この情報を耳にするとここぞとばかりに動き出した。時に機敏な彼は、己の宿願を果たす時は今を置いて他にはないと、即断したのだ。

「人を集めよ。今度こそ、の姫を討つのだ」

「官兵衛殿、このような勝手をしてもよいのだろうか? 久秀様はかの姫を気にかけているのでは?」

 同じように供を仰せつかっていた蒲生氏郷が問えば、彼は顔色一つ変えずに答えた。

「蒲生、そなた秀吉様から受けた恩義を忘れたか」

「い、いや、そうじゃないが…」

「我らの主は秀吉様、ただ一人。松永は足掛かりにすぎぬ」

 その足掛かりの機嫌を損ねては面倒になるのではないかと氏郷は言いかけ、そのまま言葉を呑み込んだ。
底冷えするような冷たい眼差しを見せた官兵衛が独白めいた言を紡いだからだ。

「…久秀は何時でも討てよう。最悪、私が刺し違えてでも滅ぼせる。が、あの魔女はそうはゆかぬ。
 千載一遇、機を逃せば、次はあるまい…」

「わ、分かった。追撃しよう」

 立ち上がった氏郷を官兵衛が呼び止める。

「…待て。我らは後詰となればよい。念には念を入れねばな…」

 怪訝な面持ちを見せた氏郷をその場に残し、官兵衛は館を後にした。

 

 

 情報の錯綜に継ぐ錯綜が引き起こした騒乱が種火から業火へ姿を変えようと燻り出す。
己が主君の為と血気に逸り、一方で懇談の場であれば下手は打てぬと手を拱く各国の家臣達。
彼らが身を置く城下町は、騒動の中心地となった城内からは距離がある為、正確な情報がまだ蔓延していない。
 だからこそ、一触即発。皆が緊張し、慎重に互いの動向を伺うしかない。
その張りつめた水面に、今まさに一石が投じられようとしていた。
 疑心暗鬼が巻き起こした騒乱からやっとの思いで逃れた小国の君主達とその家臣団に、黒田官兵衛は狙いを定めた。
君主達は予想だにしなかった来客に当初は困惑していたが、官兵衛が丸腰であることを明確にした上で、松永久秀の配下であることを告げると、緊張を微かに解いたようだった。
 滅ぼすつもりで官兵衛が現れたのだとすれば、名乗られる前に殺されている。
そうではないという現実が、彼らに聞く耳を持たせた。
 また”松永久秀”のネームバリューが効果をなした。懇談会の主催者でもあり、権力をほしいままにする松永家からの接近は、この状況であればまたとないチャンスだ。
気に入られれば、今この瞬間を生き延びることが敵うだけでなく、世に名を馳せる道も開くかもしれない。
 助命と、立身出世。
目先の欲に駆られた男たちの目から理性が薄れつつあるのを確認した後、

「此度の一件、首謀者が何者なのか、方々に教えて差し上げよう」

 官兵衛はまことしやかな虚言を吐いた。

「なんだと!? 全てはの謀だと、そういうのか!!」

「いかにも」

「し、しかし、どこにそのような証拠が…」

「この騒乱の中、何故あのような得体のしれぬからくりが現れ、かの者のみを救い出せたのか。
 考えてみれば造作もなきことよ。今日、この刻限に何が起こるのか、知り得ていたからであろう」

 官兵衛の言葉を受けた君主達が顔を見合わせる。

「実にしたたかな女だ。自身は頭巾で顔を隠し、身代わりを立て一人安全な場でこの騒動を引き起こした。
 最弱の国、この場において最下位の官位、女子であればかような謀は用いるまいという我らの思惑を
 まんまと利用した」

 煽られた男達の顔が見る見る内に怒りで真っ赤に染まりだした。
謀る者達の心の動きを確認しながら、彼はじわじわと誘導してゆく。

「コケにされたものよ。飼いならした虎すらこの場には必要なしと、考えたのか。
 武辺者すら、この場にはいないと言いたいらしいな」

 ダメ押しの一言で我を失った君主達が手に手に武器を取る。

「おのれぇ!!! あの狸が接触してきたのも策略の内か!!!」

「騒動の前から姿を消したのも、全てこの為か!!!」

「なんという女だ!! 誰か、馬を引け!!!!」

「あの小娘!! 血祭りにあげてくれる!!!!」

 掌握、完了。

「精々励むがよかろう。卿らがかの魔女の首を献上すれば久秀様もさぞ喜ばれるだろう」

「!」

 追撃隊と化した者達の背を見送り、官兵衛は満足げに一度だけ頭を振った。

「実に単純で結構なことだ」

「ち、父上…今のはまずいのでは…? 久秀様が望んでおられるのは…」

「ああ、そうだ。かの魔女そのもの。だが、秀吉様の安寧の為には、あの魔女は障壁でしかない。
 この手で殺せぬのであれば……」

 怜悧な光を眼差しに湛えて、官兵衛は両の手を大きく広げた。

「人を操り、殺すまでよ!」

 熟し始めた策の先を見通し一人満足する官兵衛の横で、黒田長政が喉を鳴らした。
と、同時に彼の頬を玉粒大の汗が伝い落ちる。
彼は父の采配と、容赦のなさを見、恐怖したようだ。

「魔女を殺し、罪は愚者に。潰えたは、そのまま松永が吸収する。
 傀儡となっていた秀吉様が、咎を受ける可能性はない。
 ……後は秀吉様が松永を倒しさえすれば……クックックック……」

 押し殺した笑いをもらす官兵衛の横顔が、この時ばかりは死神に見えた。

「準備、整いましてござる」

 官兵衛と長政の背後に、影が一つ舞い降りた。

「この地よりへの最短距離を割り出し、先々に罠を仕掛けよ。かの者の足を留め、確実に討ち滅ぼすのだ」

「御意」

 飼いならした影が消えると同時に、城下のあちこちに設置された警鐘が鳴り響いた。
音を聞きつけて街が戦の気風を纏い動き出す。

「さぁ、追撃の始まりだ。此度こそ、逃がさぬぞ。魔女よ」

 

 

 立地のはっきりしない城下町の中を、敵の目から逃れながら疾駆する。
不快な揺れ一つないの中では、機械的な音声が淡々と現状を示唆していた。

"マスター"

「どうしましたの?」

"立花ァ千代の出血では、本国まで持ちません。早急に治療する事をお勧めします"

「でもここにはお佐治は…」

「おい、さっきから何を一人でブツブツ喋っている?!」

 三成の詰問を受けてが思わずアクセルを強く踏み込んだ。驚いたのだ。
慌ててサイドブレーキを引けば、スピードは減速した。
だが反動で車内に収容された面々はあちこちに額を打ちつけた。

「み、三成様、おどかさないで下さいまし!!」

「…す、すまぬ…」

 安定を欠くことを嫌ったが引かれたサイドブレーキを自動的に元へと戻した。
身勝手に動いていると改めて自覚した三成が僅かに眉を動かす。
彼が問う前に、

「時に、このからくりは一体…?!」

 後部座席での手を取った家康が問いかけた。
なんと答えたものかと、返事に詰まったが、視線を左右にチラチラと揺らす。
混乱しているのが手に取るように分かる仕種だ。
 彼女の抱えた緊張を解こうと三成が自分のことを棚に上げて「黙れ」と叱責すれば、がおずおず問いかけた。

「あ、あの…立花様は…」

「むぅ…出血が酷いようだが…」

 の手を握り懸命に取り呼びかける家康には、ァ千代の傷口を圧迫する事は出来ても、治療を施す余裕はない。
ならば三成はどうかと考えるが、彼に医術の心得がない事は周知の事実だ。時は刻一刻と迫る。

"マスター、如何しますか"

 悲壮感溢れる車内の空気に堪りかねたは、意を決したように手を動かした。

"マスター?"

 つけていた耳当てを外し、首に引っ掛ける。
一度深呼吸をしたは、自らの胸を撫で下ろすと、言った。

さん、この方々は絶対に様を裏切ったりはしませんわ。私が保証します。
 私、ここにいるだけで精一杯ですの。この後のことは、三成様や家康様の方が的確なご判断が出来るはずです。
 様もァ千代様の事も、お二人とご相談なさって下さいな」

 困難を丸投げしたのではない。男尊女卑のこの時代、的確な判断を下せる二人の武士を差し置いて自分が判断することの危険性を彼女は知っていた。故に自らが手にしてる主導権を敢えて手放したのだ。
 緊張を伴った静寂が車内に広がる。
三成はもとより、家康までもがを怪訝な眼差しで見つめていた。
するとは思い出したように付け加えた。

「ええと、命令ですわ」

「了解しました、マスター」

 淡々とした返事が車内に響き、家康、三成、ァ千代が目を見張る。

「な…これは一体?!」

「なんと、からくりが喋るとは!!」

「どういう仕組みだ?!」

 目を白黒させている三成と家康には構わずに、と塊は話し続ける。

「彼はさんと申しますの。様の私物ですわ。
 今日の暗殺を予見して、皆様が旅立たれた後にお城に現れましたの」

「そうか、それで助けに来れたんだな…」

「はい。それよりもお話の続きですわ。さん、先程の事を皆様に伝えて下さいまし」

「了解しました、マスター。
 立花ァ千代の出血では、本国まで持ちません。早急に治療する事をお勧めします」

「!!!」

「無茶を言うな、ここに佐治はいないぞ!!」

 家康が息を呑み、三成が珍しく声を荒げれば、が淡々と答える。

「私が応急処置を施します。
 ですがその為には現在展開している機能を制限し、エネルギーの供給を再分割しなくてはなりません」

「…は、はぁ…?」

 羅列される言葉の意味が分からないのか、首を傾げるの後方から三成が身を乗り出して来た。
彼は助手席に滑り込むと言った。

 

 

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