| 
                   
                  
                  
                 後方の治療が始まる頃、スピードに乗り始めたの逃走劇は正念場を迎えていた。 
                
				見慣れぬからくりが城下町で騒音を奏でて逃走するとなれば、否応なしに目立ってしまうものだ。 
                
				口封じに躍起になる手勢の追走は執拗で、四方八方から大筒の砲弾と銃弾とが浴びせかけられた。 
                銃撃は車体に届く前に弾かれて落ちたが、大筒からの砲撃はそうもゆかない。 
                その都度、目視した三成の声に合わせてがハンドルを切って回避するしかなかった。 
                
				 やがて逃走劇は城下町を越えて、街道に入り、更にそこから夕闇が迫る峠へと舞台を移した。 
                松明を介して火急が伝えられたのか、峠には物々しい警備が敷かれ始めた。 
                どのような情報が流れたのかは、定かではない。 
                だが懇談の場での暗殺未遂。 
                
				その後の見慣れぬからくりを使った形振り構わぬ逃避行となれば、そちらに目が向くのは当然だった。 
                体よく濡れ衣を押し付けられたような感のある追走だが、背に腹は代えられない。 
                対話で解決を…とは、この場では言ってはいられない。 
                 相次ぐ追撃を振り切りるべく、は懸命にハンドルを切り続けた。 
                「くそ…どこまで付いてくる気だ!!」 
                「マスター、乾の方角、一の関より砲弾の発射を確認。20秒後に着弾します」 
                 ァ千代の治療の最中、が警告する。 
                すかさずはブレーキを強く踏み込んで、ハンドルを右へと切った。 
                
				死角となる位置を追走していたのか、騎馬に乗っていた兵士が車体に弾かれて山道から森林の中へと転落する。 
                 暇なく避けた山肌に大筒の砲弾が着弾し、山を打ち崩した。 
                
				巻き込まれる前に砂煙を上げながら、左右に大きくくねる道を逃げ続ければ、徐々に一の関が見えてきた。 
                「どうしましょう?!」 
                「構わぬ、このまま突き抜けろ!!」 
                 三成の言葉に後押しされたは、小さく頷いて、ブレーキの上に乗せ掛けていた足をアクセルへと乗せた。 
                「止まれ!! 関所破りは大罪ぞ!!」 
                 そんな事は言われずとも分かっている。 
                けれどもここで躊躇している暇はないと、はアクセルを踏み込んだ。 
                が加速する。 
                砦に構えられた火縄銃と大筒とが相次いで火を噴いた。 
                「大筒だけを避けろ!!」 
                「でも、道幅が…」 
                「速さを調節するのだ!」 
                 言われるままブレーキとアクセルとを使い分けて避け続ける。 
                「ひ、く、来るぞ!! 逃げろっ!!」 
                 一の関をの車体で突き破り、夜道を第二の関目指しては走り続けた。 
                「このままでは済まさぬぞ!! 各所へ通達、動ける者は追撃せよ!!」 
                 打ち破られた砦に誂えられた櫓から飛び降りて難を逃れた兵が絶叫した。 
                警鐘が鳴り響き、次の関所へと伝えるべく、篝火が灯る。 
                
				闇の中での点灯であれば、その伝達力は現代のEメールに匹敵するといって過言ではない。 
                今やこの逃亡劇は国境を越えねば終止符を打つ事が出来ぬ様相を呈し始めた。 
                 だが意外だったのはの性質だ。 
                一の関を破った事で吹っ切れたのかなんなのか、はいわゆる現代でいうところのスピード狂だった。 
                ハンドルを握ると性格が変わるというアレである。 
                 運転に熱中し始めたは、三成のサポートを受けながら巧みにハンドルとブレーキとアクセルとを操作し、逃走し続けた。40kmに固定と言われた時速はぐんぐん上がり、ついに80kmの大台に乗った。 
                「…お、おい…」 
                「…、これは些か早過ぎるのでは…!?」 
                
				 騎馬の追走はなくなったが、先程からいやに曲がり角の通過が危うい気がする。 
                
				後部座席は左右に振られ、からくりの足に当たる部分がギャリギャリと音を立てて、車体が跳ねている。 
                どう考えても、危険極まりない運転なのではないかと、三成、家康が青褪める。 
                だがは楽しげに口の端で微笑み、更にアクセルを踏み込んだ。 
                「逃げますわ、ァ千代様のお命と様が心配ですもの。 
                 きっと何かあったらさんがどうにかしてくれますわ」 
                 確かがハンドルを握る時、そのが治療の為に機能を制限すると言ったはずだ。 
                だがまさかのスピード狂、服部の脳裏からは、その事はとっくの昔に忘れ去られているようだった。 
                「待て待て待て、いくらなんでも曲がりきれんぞ!!」 
                 三成が身を乗り出して叫ぶと同時に、 
                「え?」 
                「ぬわわわわわわわっ!!!!」 
                「やっぱりかーーーーー!!!!」 
                 の車体は土埃で横滑りし、見晴らしのいい山道を飛び抜けて、数メートル下の街道へと向かって落っこちた。 
                瞬く間の浮遊感の直後に、全身を打つような激しい衝撃が車体に、車内に伝わる。 
                「うぐっ!!!」 
                「っ!!!」 
                
				 微かに舌を噛んだ家康と三成が顔を顰める中、意識が遠のき始めていたァ千代に意識が戻る。 
                着地の震動で受けた衝撃で目が覚めたようだった。 
                
				 三成が窓から見上げれば、追走していた騎馬が峠の上で様子を見るように旋回する事はなく、そのまま坂落としで差し迫って来るところだった。 
                「!!」 
                「はい、参ります!!」 
                 懲りることなくはアクセルを踏み込んだ。 
                タイヤが土煙を上げて旋回し、が進みだす。 
                追ってきた武士の投げ放った槍が発進したの停止した位置に突き刺さる。 
                 騎馬を駆って追いついてきた武士達は、すぐさま投げ放った槍を回収。 
				操る騎馬のスピードを緩めることなく追撃を開始した。 
                「回り込んで追い込め!! 何が何でも捕まえるぞ!!」 
                「また落ちては事だ、制御できぬような速度にするな!!」 
                「申し訳ありませんわ」 
                 三成が吼えて、視線を後方へと向けた。 
                ァ千代の治療が進む。 
                家康はの腕を取るばかりでなく、ァ千代の治療に影響が出ないようにと、足と手を使いァ千代の体を押さえて震動から懸命に二人を庇っていた。 
				 助手席の前に浮かんでいた立体図に走った青い指針線が切り替わる。 
				
				瞬時に現在地を割り出し、そこから本来のルートに戻れるように経緯を検索して、図面に反映させたのだ。 
				それに倣い、三成が指示する。 
                「」 
				「はい、なんですの」 
				「次に見える分かれ道で左に進め、元の道に戻れる」 
				「はい」 
                 素直に従い、分かれ道が見えてくるとハンドルを切った。 
				
				曲がりくねった道を時速50kmに固定して駆けて、本来通るべきだったはずの道へとは戻る。 
                
				追走する騎馬が後に続き、関と関の間に作られた砦から出てきた騎馬隊が追撃に加わった。 
				
				第二の関の進路上に馬止めを展開される前に追撃隊を振り切って、第二の関も通過した。 
				関の中で仕留めようと四方八方から銃撃される。 
				貫通こそ許さなかったが、関を突破してから数メートル進んだところでの車体に異変が現れた。 
                「なんだ、どうした?!」 
                
				 逸早く察した三成が顔色を変えて問うのと同時に、二の関から放たれた最後の銃弾がに被弾した。 
                弾は当たり所が悪かったのか、精巧な機体のあちこちをショートさせた。 
                車内に火花が散り、目に見えて分かるくらいにスピードが落ちる。 
                
				ァ千代の応急処置を辛うじて終えたからくりが、その場で痙攣を起こし、バタバタと倒れて行く。 
                「、どうしたのか? これは一体?!」 
                 家康の声に、も不安そうに叫んだ。 
                「分かりませんわ!! 踏んでも力が出ませんの!!」 
                 バックミラーで確認すれば、騎馬隊がすぐそこまで迫って来ていた。 
                「、一旦手を放すぞ!!」 
                 三成が言い、補助していた腕を放した。 
                車体が微かにぶれる。 
                「きゃぁ!!」 
                「ぐおっ!!」 
                「うあっ!!」 
                
				 左右に小刻みに揺れ車体が揺れたせいで、再び頭を打ちつけた家康が唸り、ァ千代とが悲鳴を上げる。 
                だが構ってはいられないとばかりに三成は、吼えた。 
                「からくり、扉はどうすれば開く?!」 
                
				 フロントガラスに答えと思しき図面が浮かび上がれば、三成はそれを頼りに動いた。 
                
				助手席の扉に手をかけると、タイミングを見計らって開閉すれば、並走していた騎馬がその咄嗟の判断で足を潰されてその場に転倒した。倒れた騎馬はうまい具合に後続の騎馬をも巻き込んで潰えた。 
                
				後方へと流れて見えなくなる騎馬に安堵した彼は、扉を閉めて、再びハンドルへと手を添えた。車体が安定する。 
                 辛うじて時速30kmを保てていたは、数キロ進むと途中で停止した。 
				がギアを入れ替えて、小さく深呼吸する。 
                「どうしたのじゃ?!」 
                
				 後部座席で二人を庇っていた家康が顔を上げれば、運転席と助手席の二人が顔面蒼白にして前方を睨んでいた。 
				二人の視界の先には、長さ50mはあろうかという吊橋があった。 
                無論、橋を支えるのは固く結われた数本の荒縄だけだ。 
                しかもその向こうには、第三の関から出て来たらしい騎馬が迫って来ている。 
                「…進退極まったか…」 
                「…他に道は…」 
                『降りて走るか?! いや、どの道追いつかれる。達を背負っては、一戦交えるにしてもままならぬだろうし… 
				 何よりもこのからくりを捨て置いては後顧の憂いになる』 
                 瞬時に判断して、三成は問う。 
                「おい、からくり!! 渡りきる法はあるか!?」 
                 途絶えた音声の代わりに、フロントガラスに文字が浮かび上がった。 
                
				淡い翡翠と同じ色合いで綴られた文字は、先程の弾丸による被害の状況を伝えた後、自己修復に入る旨と吊橋を渡りきる方法があるにはあることを示唆した。 
                「…やるしかないな…」 
                 体勢を立て直した騎馬が後方から迫っている以上、他に方法はない。 
                決断した三成と同時に頷いた。 
                がギアを入れ替え、アクセルをゆっくりと踏んだ。 
                がのろのろと進み、吊橋を渡り始める。 
                当然のことながら、橋板はギシギシと軋み、橋板を繋ぎ止める縄が重みで嘶く。 
                
				 窓から確認すれば谷は大きく口を開けていて、下が見えない。落ちてしまえばひとたまりもない状況だ。 
                自然と、誰しもが息を呑んだ。 
                緊張が高まり、鼓動が跳ね上がる。 
                車外に広がるの奏でる躍動音が、絶壁に反射して煩いくらいに響いた。 
                その音が、緊張を更に過酷なものへと変えていた。 
                 左右を気にしながら進み続けるの中でサイドミラーを見た三成が、見よう見真似でのようにシートベルトを嵌めた。彼は後方の家康へと言葉少なく言った。 
                「……家康、多少傾くやもしれぬ…」 
                
				 彼の言わんとしている事を悟った家康が後部座席用のシートベルトに半身を通して体を固定した。 
                彼は掴まれる部位を探し出してそこに手をかけると、もう一方の腕でとァ千代とを掻き抱いた。 
                程無く、三成の抱いた懸念は現実のものとなった。 
                 吊橋が大きく揺れた。 
                
				後方に迫って来た騎馬隊が、橋を落とすべく、橋を支える綱を切ろうとしているのだ。 
                 人の重みであればまだしも、車一台の重量に耐えられるはずもなく橋は傾く。 
                意を決したがアクセルを強く踏み込んだ。 
                ずるずると横に流れそうになる橋の上を、が駆けた。 
                
				その震動で橋を支える綱は途切れ、支えを失った車体は、大きく口を開いた谷底へと真っ逆様に落ちかけた。 
                「進めるだけでいいのです、進んでくださいな!!」 
                 が叫んで、両の瞼を閉じて更に強くアクセルを踏み込んだ。 
                
				瞬間、フロントガラスに淡い翡翠の文字が浮かび上がり、ギアの前に競り出してきた赤い小箱が光った。 
                "押"の文字と共にフロントガラスにはジェスチャーの映像が投影される。 
                三成がすかさず掌で押し込めば、の車体から二本のワイヤーが放たれて、前方の岩肌へと食い込んだ。 
                宙を泳ぐことなく振り子の要領で絶壁へと着地した反動で、最後部のドアが開く。 
                当然、宙吊り状態になった家康の体には、人三人分の負担が圧し掛かった。 
                「ぐっ…うぉぉぉぉ…!!!」 
                
				 ァ千代の治療に使った薬剤を包んでいたシートやビニールゴミが、大きく口を開けた宵闇の中に舞い落ちて行った。 
                
				細々としたからくりは最初からそのようにプログラミングされていたのか、瞬時に動き出して家康の肩やァ千代の爪先へと貼りついた。 
                 車体が安定を求めてゆらゆらと揺れる。 
                その余波で、ァ千代の足に絡みついていた小さなからくりが一つ、車外へと落ちた。 
                からくりは車から数メール離れると、自動的にその場で爆ぜた。 
                「!!!」 
                 家康が目を見張り、バックミラーでそれを確認したもまた息を呑む。 
                
				フロントガラスに浮かんだ淡い翡翠色の文字がこの時代にあってはならぬ物を送り届けるにあたり、痕跡を残さぬ事が第一であると設計されてた以上、当然の結果だと伝えていた。 
                「そんな…」 
                 が動揺し、足に込めていた力を緩めれば、車体が重力に抗う力を失って小刻みに揺れた。 
                
				家康の体に貼りついていたからくりが落ちそうになれば、朦朧とした意識の中にいたァ千代が手を伸ばして、宙に弾んだからくりを絡め取った。 
                 左の腕と両足でとァ千代を掻き抱いて、右腕だけで支え続ける家康の額には玉粒の汗が噴き出してくる。 
                「、予断は出来ぬ!!」 
                「は、はい!!」 
		  
		  
                 |