瀬戸際の逃亡

 

 

 支えがある内に現状を回復させねばならぬと、気を取り直してがアクセルを踏んだ。
車体が絶壁の上をワイヤーを巻き上げながら登り出す。
その間に三成はシートベルトを外し右腕を家康へと向かい伸ばした。左腕一本でのサポートをしたままだ。

「! 三成、そなたまさかあの時に…」

「言うな」

 三成と家康の視線が宙で絡んだ。
三成が言葉少なく言い、首を横へと振れば、家康は小さく頷いた。
家康の視野の中に映った三成の着物―――――肩には、薄らと赤黒い染みが広がっていた。
車内の暗さで判別がつき難かったが、彼もまた手負いだったのだ。

「お前が死ねば、は闇から戻らぬ。俺はそれが嫌だっただけだ」

 三成はそういい、家康の二の腕に己の腕を絡めた。

「俺が支える、お前は何があっても、を離すな!!」

「元よりそのつもりじゃ」

 男二人が妙な連帯感に包まれている頃、絶壁の上では、辿りついてた新手の追撃隊が色めき立っていた。
奈落の底へと葬ったはずのからくりが、蜘蛛の糸のような二本の見たこともない質感の糸を頼りに這い上がってくる。
その様は戦国の世であれば異様どころか妖術の類のようでもであり、恐怖の対象でしかなかった。

「早く断ち切れ!!」

 手に手に刀を取り出してワイヤーに向けて振り下ろすものの、刃毀れするばかりでワイヤーは断ちきれない。
追撃班は二手に分かれて、取り組み始めた。
片やワイヤーへの破壊工作に爆薬を取り出し、片方は這い上がってくる車体へと銃の照準を合わせようとした。

「三成様!!」

「なんだっ?」

 に呼ばれて顔を上げた三成が、眉を顰めた。
手を離す事は出来ず、迎撃する術もない。これでは格好の的だ。

、灯りを消し闇に紛れよ。充分に引きつけた後、灯りで敵の目を眩ませるのだ」

「分かりましたわ!!」

 がすぐさまヘッドライトを消灯した。
元々車体の色が漆黒であったこととも幸いして、対岸からは夜の闇に紛れた格好になる。
だがその判断から来た事態の好転も束の間だった。
縄を切った第一・二の砦から出て来た兵達が、闇雲に火矢を射かけて来たのだ。
致命傷になる事はないが、火矢が車体にカンカンと音を立ててぶつかっては奈落の底へと落ちた。
それで凡その位置を判じた絶壁の上の兵達が銃の照準を再度合わせようとする。

「…どうしましょう…」

 ゆるりゆるりと登り続ける車体の中に吊るされる家康の体力もそろそろ限界だ。
が懸命にアクセルを踏み続けて、訴えた。

さん、早く治って下さいまし!!」

 嘆くの声にが答えて、フロントガラスに翡翠の文字を浮かび上がらせる。
それは漢数字で書かれたカウントダウンで、"零"が刻まれると同時に、機能回復が見込めるという意図が汲み取れるものだった。

「家康様、もう少し、もう少し耐えて下さいませ!! きっと、きっとさんが助けて下さいますわ」

「…うぅ…ぅぅ…ぐっ…ぐぁっ…!!」

 鈍い音が上がり、三成の肩に一気に負担がかかる。
三人分の体重を無理な体勢で支え続けたせいで、家康の肩が外れたのだ。

「うっ!!」

 怪力と言われるだけあってこれくらいの加重であれば、物の数ではない。
だが今は手傷を負い、片腕を舵から離す事が出来ない。
その状況にあって、大人三人分の重みを支え続ける事は如何に三成であっても至難の技だ。
 車内が綱渡りを続けている頃、更に絶壁の上では動きがあった。

「おい、誰か油を持ってこい!!」

 対岸からの火矢を見て思いついたのか、機転を利かせた兵が絶壁へと油を流す。
松明が容赦なく壁を伝う油へとくべられた。
当然壁は火を纏い燃え上がる。
灼熱の業火の中に浮かび上がる黒色のからくり。
ここぞとばかりに対岸と、上空からの狙撃が始まる。

、灯りをつけろ!! 隠す必要はない!!」

「はい!!」

 フロントガラスに刻まれたカウントダウンが進み、"零"の文字を刻むと同時に、最後部の羽根が自動的に閉まった。
限界を訴えていた三成が腕を離せば、家康共々三人はそこへと落ちる。
一度大きく車体が揺れた。

「お待たせしました、マスター。無事ですか、東照大権現」

 意識のないと手負いのァ千代を庇って一番下に落ちた家康が、外れていない方の腕を振って答えれば、それと時を同じくして車体の横を絶壁の上にいた兵士の屍が落ちて行った。
何があったのかと瞬きした、三成の視線の中に灼熱の炎を背に立つ一人の男の姿が浮かび上がった。

「風魔だと?!」

「助けて下さるのでしょうか?!」

 車体を見下ろした風魔が踵を返して印を結んだ。
絶壁の上で吹雪が逆巻き、瞬時に燃え上がっていた炎を鎮火する。

「な、何者だ!!」

 手に槍を、刀を構えて風魔を取り囲む兵に向かい、彼は至極不機嫌そうな眼差しを向けて答えた。

「我は風魔……混沌を呼ぶ凶つ風…」

 彼が絶壁の上で兵と切り結び始める頃、車体は安定したスピードを持って絶壁を登り始めた。

「あれは我が座興……うぬらには…過ぎたる者よ…」

 一人、また一人と屠り、

「壊しつくしてやろう」

 最後の一人を無双秘奥義で滅した刹那、ワイヤーを巻き切ったが絶壁の上へと躍り出た。

「行きます!!」

 がギアを入れ替えて、強くアクセルを踏み込んだ。
が風魔の横を駆ける。
それを見送った風魔は、車内のに外傷がないことを確認すると、薄い笑みを口元に貼り付けた。

「逃すな!! 跳ね橋砦に兵力を集結させろ!!!」

 出遅れた追撃兵の一部が飛ばす指令が絶壁に反響する。
指令を受けた兵が篝火に丸薬を投じれば、各砦と、関に備え付けられた篝火の色が赤から青へと変色した。
なんらかのサインだと判じた風魔の横顔が再び引き締まる。
彼は何も言わず、次々に染め変えられてゆく篝火の後を追うかのように、闇夜に溶け落ちた。

 

 

 一方、同時刻、領。

「はぁ?! からくりが勝手に動いた?! しかもさんを喰って?!」

 意味不明な報告を受けた左近は、評議場で目を瞬かせていた。
過日起きた国家機密扱いのからくりの消失と、関所破りの聞き取り調査を開始したものの、いまいち状況が読めずに彼を始め多くの将が目を白黒させていた。
聞き取りに応じている兵にもなんと形容していいのかが分からず、混迷を極めているようだ。
 そこへ浅井城からの急使が駆け込んで来た。
息も絶え絶え、助勢を求めた急使の訴えた内容は次の通りだ。

 

 

『市、星が美しいな』

『はい、長政様』

『某は、我が君に降れたことを嬉しく思う』

『長政様?』

 に身を寄せる多くの将兵のように、長政にも同じ変化が現れたのだろうかと、ほんの少し不安そうにする市に、長政は藤の花を手渡しながら言った。

『我が君に降って、困難は多々あれど、某はこうして市と共に信義に反さず穏やかな時を生きている。
 このような幸せが某に訪れるなどとは夢のようだ』

『ああ、そういう意味ですか』

『他にどんな意味があるんだい??』

 不思議そうに問いかける長政の前で市は穏やかに微笑み、首を左右に振った。

『なんでもありません』

『そうか?』

『はい、市もまた嬉しく思います。長政様と共にいられる事、こうしてに身を寄せられた事を…』

 そう言って市は再び夜空を見上げた。
天には数多に煌く星々。
本当に美しいと、うっとりと浸っていた。

『………あの、長政様?』

『なんだい? 市』

『…流れ星が…』

『流れ星??』

 再建し終わった天守閣の屋根に二人で登り身を寄せ合って見上げ続けた空に異変が起きた。
流れ星が、物凄いスピードで迫ってくるのだ。
二人は目を見張り、慌てて屋根から天守閣へと降りた。
それと同時に、三階の一角に流れ星が突き刺さった。
顔を合わせて二人が現場に駆け付ければ、そこには城壁と思しき残骸と、数多の家具や備品の破片が飛び散っていた。
それらの破片の中で、城壁にめり込んでいるのは見たこともない銀色の筒だった。
直撃は避けたものの、一歩間違えれば即死だったと、現場で寝ていた兵は室の対極に飛退いて震え上がっている。
 階下では警鐘が鳴り「敵襲か?!」との声が上がる中、市が進み出て筒を取り上げた。
中を改めた彼女は、瞬時に弾かれるように反応して叫んだ。

『長政様、これを!!』

『…? な、これはっ!!!』

 市が筒から取り出した書状を受け取った長政は、瞬時に反応を示し、二階へと降りた。
厩を見下ろせる窓へと噛り付いた彼は、物資輸送の為に兵馬を率いてやって来ていた慶次・幸村・兼続・秀吉へと向かい、大声で叫んだ。

『秀吉殿、待たれよ!!』

『ん? どうしたんじゃ、長政殿』

 多くを語らず険しい表情を見せた長政の様子から危機を悟った慶次と幸村が、厩に入れたばかりの愛馬を再び連れ出す。その間に長政は銀色の筒に書を納めると、階下の秀吉へと向かい投げ上げた。

『今すぐ発たれよ!! 北の街道を開放致す!! 某は本国へ急使を立て、兵馬を整えて後詰となります!!』

 受け取った秀吉が中を改めれば、愛弟子三成からの救援を求める文が収められていた。

『なんちゅうこっちゃ!! こうしゃおれん!! いくで、三人とも!!』

『何があったのだ?』

 慶次が松風と共に連れて来た愛馬に騎乗しながら発した兼続の問いに、秀吉は長政へと向けて筒を放って帰しつつ簡潔に答えた。

『暗殺さ』

『何!?』

『落ち着くんさ、様は巻き込まれただけじゃ。じゃがどうにもまずい事になっとる。
 とにかく助けに行くんじゃ!! 動かせるだけの騎馬で打って出る、皆、不要なもんはおいてくんじゃ!!
 今回は速さがもの言うでの!!』

『出るぜ』

『北西の関所ですね? 先に行きます!!』

 慶次、幸村が相次いで城を後にし、準備を整えた騎馬を統制して秀吉、兼続が後に続く。

『待ってて下され、様!! 秀吉が今、行くでよ!!』

 

 

 知らせを聞き、同封されていた文を改めて三成の文字に相違ないと判じた左近はすぐさま意識を切り替えた。

領各所に緊急令!! 見慣れぬからくりが現れたら迎撃せずに保護せよ!!」

 風雲急を告げる事態を知った城は、ようやく慌ただしく動き出した。

 

 

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正念場はここから!!(12.10.03.up)