君はペット - 風魔編

 

 

「だから大きさはともかくとして、この子も可愛くてしょうがないの!」

 は徐に太腿の上の風魔を抱きしめて頬擦りした。
本拠地に置いて来た虎の話を引き合いに出された時はイラっとしたものだが、こうして全身で愛でられると鬱積もどこへやら吹き飛んでゆく。

「まぁ、しょうがないか」

 獣相手であれば…と三成は自身の感情に折り合いを付けたようだった。

「だが寝室には入れるなよ?」

 寝具が毛だらけになっては片付ける者も楽ではないと三成は釘を刺した。

「はーい」

「真剣に聞いてないだろう?」

 付き合いが長いせいか、声色だけでの真意を悟る三成の追及に、は視線を泳がせる。

「ったく…しょうのない」

 程なく室の外から「失礼いたします」と声がかかって、家康が入ってくる。
入れ替わりに三成が腰を上げた。
彼を避けたのではなく、単純に先に家康が風呂に入って来ただけで、次が三成の番というだけの話だった。
 家康はの膝の上でのほほんと寛いでいる大きな狼を目にするとぎょっとした。
が、が好きなようにさせているので何も言いはしなかった。
 疑似的ではあるが親子のような関係を築いている彼からしたら、愛娘もどきが珍しく上機嫌なのだ。
なかなかどうして、諫める気にはなれない。

『まぁ、それはもう三成殿が告げていよう』

 二人の性格から起きていておかしくない結果を想定して口を噤む。
三成としては諫め役が完全に自分一人であることに物申したそうだったが、やたらと忍耐に定評のある男を相手に嫌味や愚痴の類を言っても建設的な結果は得られないのは目に見えている。
 三成は諦めたように深い深い溜息を吐くと、室を後にした。

「怒らせちゃったかな?」

「いえ、お気になさらず宜しいかと」

「そうかな?」

「ええ、三成殿とて様の心労は察していましょう。今回のはまぁ……嫉妬でしょうな」

「えー、嫉妬ー?」

 が狼の背を撫でつければ、家康は苦笑した。

「かつて慶次殿が三成殿抱いた焦燥に似たようなものですよ。お気になさいますな」

「そっか。なら後で頭部が禿げ上がるくらい撫でとけば怒りの中和も出来るかな?」

「ふふふ、どうでしょうなぁ。照れそうなものですが…」

「三成は気難しすぎるんだよねー。君みたいに素直ならいいのにねー?」

 時に狼を撫でつけて構い倒しながら、の長閑な夕食の時間はゆったりと過ぎて行った。

「さて、じゃそろそろ君のご飯ね〜」

 自分の分の夕食を腹に収められるだけ収めて、は吸い物のお椀に蓋をした。
箸を燻製肉の乗った膳に向けて肉を摘まみ上げる。

「いくよ〜〜〜?」

 の声に合わせて放り上げられる燻製肉を、身を起こした狼が空中でキャッチする。
はぐはぐと顎を揺らしながら咀嚼すれば、飲み込むのを待って次の燻製肉が宙を舞った。

「すごいすごい!」

 パチパチと拍手してが喜ぶから、ついつい付き合って延々と燻製肉を食べ続けてしまった。
狼に変化していても元々は人間、臓器の許容量は変化しない。
これ以上は流石にしんどいとでも言うのだろうか唐突に部屋の隅に移動すると、風魔はそこで丸くなって見せた。

「あらあら、もうお腹いっぱい??」

 くぁ〜っと大きな口を開けて欠伸を1つ見せた。

「そっか。ご馳走様なのね」

 は最後の燻製肉を自分の口に放り込んでから、膳を片付けた。
家康が膳を引き取り、廊下へと出す。

「さてと、それじゃ〜、そろそろ寝ますか〜〜」

 の独白が合図になったように、宿に勤める女中が入室してきてあっという間に寝床を整えた。
女中は部屋の隅で丸くなる狼に一度ぎょっとしたが、のペットだと判じたようで、深く追求することなく、室を後にした。
 ァ千代の寝室が隣であると家康から報告を受けたは、満足したように相槌を返した。
歯磨きをして、枕元に明日着る着物を支度したら、布団の上に腰を下ろした。

「長旅でお疲れでしょう、明日はゆったりとゆきましょうぞ」

 配慮してくれた家康に感謝を述べて、彼が室を出たのを確認してから布団にもぐった。
部屋の隅で丸くなっていた狼がむくりと起き上がって寄ってくる。

「ん? 入る??」

 掛布を少し持ち上げてやると、収まりきらぬ巨体が滑り込んでくる。
ふかふかの毛玉を抱き枕の要領で抱き締めたは、それから程なくうとうとと舟をこぎ始めた。
 二時間ばかり寝ただろうか。
隣室から漏れる灯りに気が付いたが瞼を擦った。

「ん〜、ん?」

 は寝ぼけ眼のまま、布団から起き上がった。
這うようにして部屋の隅を目指した。そこに置いている水差しを取り上げると、一口白湯を飲んだ。

「ふぅ〜」

 それで人心地ついたようで、仄暗い室に差し込んでくる薄明かりの元を探すように視線を向けた。

「あれ? ァ千代さん、もしかしてまだ起きてる?」

 誰に問いかけるでもない独白を、は漏らした。
寒かったのか、布団の中へと戻ってくると、手を伸ばして、境界線になる襖を横へと引いた。
枕元の行燈に照らし出される立花ァ千代の視線は暗く、葛藤しているのが一目瞭然だった。

「寝れないの?」

 声をかけるにァ千代は驚き、ばつが悪そうに眉を八の字に顰める。

「そっかぁ…なら、この子、貸してあげる」

 宛てが外れた。誰かに邪魔されることもなく、に抵抗されることもなく、呼吸が交わせる距離での寝顔を心行くまで堪能できると思っていたのに、そうはならなかった。
 ァ千代の言葉も聞かずには一方的に話を進めて、風魔をァ千代の元へ押しやった。

「え? あ? は??」

「じゃ、そういうことで。早く寝てね? 蝋燭もただじゃないのよ。ァ千代さん。おやすみなさい」

 戸惑うァ千代に体よく風魔を押し付けて、は満足とばかりに襖を閉めた。

「なんなんだ…あの女は…?」

 独白するァ千代を部屋から追い出される形になった風魔が恨めしそうに見やった。
当然、一人と一匹が同衾することはなかった。

 

 

 逃避行を経て、城に戻って数日経った日の夜の事。
は自分の布団の上にででーんと横たわる狼を見ると何とも言えぬ表情を見せた。

「何やってんの? 風魔」

 声をかけられた狼は悪びれることなく、前足での布団をてしてしと叩いた。

「え、本当に何? どういうこと??」

  悲鳴こそ上げないでいるが、立ち位置は部屋と廊下の敷居の傍。
後ろ手は襖に掛かっていて、何時でも逃げ出せる状態だ。
狼は何をするでもなく、ただじぃっとを見上げて、布団をてしてしと前足で叩き続けた。

「えーと……何? もしかして添い寝しろ…って、そういうこと?」

 が眉間に皺を寄せながら問えば、狼は分かっているじゃないかとばかりに喉を鳴らした。
大きなしっぽがふぁっさふぁっさと揺れて、喜怒哀楽でいう所の歓喜を示した。

「あのさぁ、風魔さぁ…もしかしてバカなの?」

 は呆れたように脱力した声色で言いながら、室内に向けて歩き出した。
狼が横たわる布団の横まで進むと、そこへ腰を下ろす。

「旅先で見かけた時ならいざ知らず、今の私はあんたの正体に気が付いてるのよ?
 なのになんであの旅先でじゃれ合ってたみたいに、ここでも過ごせると思うのよ?」

 どういう神経をしているのかと半眼で問えば、むくりと狼が身を起こした。
しゅうしゅうと薄い白煙が立ち昇って、ほどなくその向こう側に慶次並みの巨漢を持つ風魔小太郎の姿が現れる。

「我の子猫が無事に帰郷した故、甘やかしてやろうと思ったまでの事」

「え、子猫って私?」

「他に誰が居る?」

 座興の次は子猫扱いなのかとは何とも言えぬ表情を見せた。

「それに聞きたいこともある」

「何?」

 何でも聞いてみろと言わんばかりには腕組みした。
警戒というよりは挑まれてもいなして見せるという余裕を含んだジェスチャーだ。
 風魔が両手を上げて腕を振れば、いかつい篭手が伸びて、の二の腕を掴んだ。
抱え上げられた体が軽く宙に浮き、次の瞬間には布団に叩きつけられた。
 力加減はしているのか、痛みはない。
ドスン! と音が上がった為に、部屋の外から様子を窺う声がした。

「大丈夫! ただのストレッチ!!」

 これで第三者に敷居を跨がれ、風魔の姿を見られると面倒なことになる。
それが分かっているからは口先で誤魔化した。
 風魔がその態度に満足したようで、ニィと笑う。

『でも…目は全然笑ってないのよね…』

「風魔、一体何? 今回は何がしたいの?」

 以前、無軌道な風魔に無体を働かれかけたことを思い出す。
この男に限って、あの時と同じ展開はないのではないかと思うが、過信は出来ない。
だからついつい声は固くなるし、無表情になった。

「謎かけをしよう」

 風魔はの喜怒哀楽の激しさを好む傾向がある。
ならば喜怒哀楽を押し殺せば、少なからず彼の好奇心を刺激しないで済むはずだ。
風魔を煽らずに済むように、が視線だけで様子を伺えば、風魔は言った。

「子猫の背の古傷、作ったのだーれだ?」

 低い抑揚で紡がれる声に楽し気な色はなく、どちらかというと鬱積が滲んでいた。

「…古傷…って、あんたが作ったやつ?」

「それではない」

 が数回瞬きをしながら、小さく首を傾げた。
言い逃れを許すつもりはないのか、風魔が圧し掛かって来た。
まじまじと風魔と見つめ合うこと数分、ようやく思い当たったのか、が目を丸くした。

「え…傷って…もしかして…あの傷? あんたが風呂場で舐めたやつ?」

「ぴんぽんぴんぽーん、正解だ。さぁ、答えろ。あの傷は、どこで誰につけられた?」

 何故そんな事を聞くのか。は不思議そうな視線を風魔に向けた。

「どこで、誰に、つけられた?」

 一言一言を区切る声は抑揚を持たず淡々としているが、裏腹にの二の腕を掴んでいる手に籠る力は強くなる。
言い逃れを許すつもりはないのだと否応なしに分かった。
 腕に感じる圧迫が煩わしいのか、は視線で圧迫を解けと訴えた。

「どこって…故郷でだけど…」

「誰に?」

「えーと…上司の奥さん」

「何故?」

「人違いで」

 本来であれば自分が刺されるべき対象ではなかったことと、刺した本人は厳しすぎる罰をその身に受けた事を簡潔に述べれば、風魔は満足したように腕から手を離して身を起こした。

「その女の受けた罰はどんなものだ?」

「全てを失った」

「全て?」

「ええ、不誠実な夫も、待望の赤ちゃんも彼女は失った。これ以上、何を取り上げたら満足?
 私はこうしてきちんと生きているし、背に古傷が残っただけよ」

 無軌道でありながら、自分の好き嫌いには実直な風魔の事。
下手に刺激するような言葉を述べれば、遠い昔に収束したはずの事件を蒸し返さないとも限らない。
時空を超えているとはいえ、相手は神出鬼没の忍者だ。忍術で狼にまで姿を変えられるような相手に”もしかしたら”を想定してしまうのは仕方のない話だ。

「その女に怒りも恨みもないのか」

「ないね。彼女には同情してる。原因を作った不誠実な上司と当時の友達には色々言いたいことはあるけど、
 それはもういいとも思ってる」

「何故」

「こっちの世界に来て、私も成長したって事」

 風魔が怪訝な眼差しを見せた。
が風魔を引き寄せて彼の後頭部を諫めるようにぽんぽんと撫でつけた。

「あの事件が起きた時、そりゃ傷ついたわ。悲しかったし、混乱したし、怒りもした。
 でも…もう随分昔の話でさ。こっちに来てから毎日色んなことがあって色んな人と出会って、別れて…」

 「別れて」と言った時のの声はとても小さくて、生死を分けた話をしているのだと容易に察することが出来た。

「毎日が私の想像を大きく超えてるのよ。そんな生活送ってるとね、それどころじゃないのよ。
 あの傷は、今となってはとても些細で、どうでもいい事って気がする」

 ふぅ…と一つは溜息を吐いた。

「それにさぁ」

 風魔を落ち着かせているようで、実際は自身の気持ちの整理もしているのだろう。
は話ながらも、思いを巡らせているようだった。

「こっちに来て、失くしたと思っていたものは、私全部見つけて手に入れてたのよね」

「満足か?」

「ええ。私を裏切った友達より、ずっと素晴らしい親友が出来た。
 向こうでの友達は私を傷つけたけど、こっちで出来た友達は命懸けで私を救いに来てくれた」

 のことを言っているのだなと、風魔は納得した。

「友達の質なんて比べるものでもないとは思うけど、比べようがないくらい落差は凄くて。
 現実として私はついこの間、それを体感しちゃったばかりだからね。
 自分が感じちゃった率直な感想に嘘は吐けないよね」

「では不誠実な上司は?」

 なんとしても蒸し返したいのか、なんなのか、風魔の追及は緩まない。
はそれについても迷いのない返事をした。

 

 

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