恋人繋ぎ - 三成編

 

 

 逃亡劇が無事に幕を下ろして暫く、体調が回復したの元へ一通の投書が届いた。
それは家恒例の目安箱に投函されたもので、よくよく読めば石田三成宛の苦情だった。
彼はここの所、酷くご機嫌斜めで、関わる側からすると大変執務がやり難いのだという。
 三成の仏頂面とつっけんどんな対応など、今に始まったことではないのだが、一日三回開封する目安箱に投函された苦情が大体三成宛で、一通、また一通と増えるとなると放置も出来ない。
 誰か一人が三成を誹謗中傷する目的で投函しているならば、少し困りものではあるが放置したかもしれない。
が、投函される投書の筆跡は全て別人で、内容も全く異なる物だった。

「誹謗中傷じゃなくて、これ完全に泣き入ってるよね…?」

 内容を幾つかのカテゴリに分けてみたところ、板場からの苦情数件、執務関係の苦情が数件、民間からの相談という名の投書が数件、人間関係―――今でいう所のパワハラ・モラハラ的な―――相談が数件だった。
 どれも大概言葉足らずの三成が何時ものようにやらかしているだけである。
普段であれば表情が動かぬだけに皆慣れていて、「何時ものことだ」と周りの方が受け流すのだが、今回の三成は選ぶ言葉も不味ければ、その時の表情もヤバいということで、投書にまで発展してしまったようだ。
罵詈雑言というより「あの人は大丈夫なのか?」という問い合わせの色が強い投書を前に、は目を丸くした。
 ここは君主として、しっかりと是正せねばなるまい。
は自分も言葉の暴力でボコボコにされる可能性を考慮しつつ、立ち上がった。
 気分は臨戦態勢。どんな罵詈雑言が飛んできても負けはしない。 
下々の頼りにされている以上、三成の最終的な上司としてしっかりと彼と話し合って、理解して貰い、態度を1mmでいいから改めてもらわなければならないのだ。

「と、いうことで頑張ってみるけど、ダメだった時はフォローよろしくね、半兵衛さん!!」

「はい、は〜い。お任せあれ」

 知らぬ顔の策士、竹中半兵衛をセコンドに据えて、は三成の執務室へと自ら乗り込んでいく。
いやに軽い調子だが、この軍師、時にあの左近を圧倒する時がある。
面倒なことになったら彼に丸投げしてしまえばきっと間違いはないだろう、という目算がにはあった。

「三成〜、いる〜?」

「何の用だ?」

『おっほう!』

 出会い頭に睨まれた。

「あの…私、君主なんだけど? 一応…」

 礼を尽くす尽くさないどころの話じゃない。

「それで? 要件は?」

 執務机に片肘をつき、曲げた掌に顎を預けている三成の目は据わり切っている。

「いや、あのね。あんたのその態度が周りを不快にさせつつ心配させてるから改善してほしいんだけど…」

 どうせ何らかの罵倒をされるのならば、言葉を選ぶだけ無駄とばかりには直球を投げてみた。

「そうか」

「うん」

「それは悪かったな」

 口先で謝罪はするものの、三成の態度は改まらない。

「ン〜? 私の話、聞いてた?」

「ああ。しっかりと」

「で、是正は?」

「気分じゃない」

「はい?」

「今、そう言う気分じゃない」

 面倒臭そうに溜息まで吐いて、そっぽを向いた。

「ンンン??? 喧嘩売ってる?」

「そんなつもりは毛頭ない。しばらくほっといてくれ」

「ン〜、それ、無理だよね? あんたと関わる人は大勢いるし、仕事でも心配されてるんだから、あんたの気分で
 どうこうは出来ないよね? 分かる?」

 の蟀谷にうっすらと血管が浮く。
耐性のあるでも今の三成の態度は聊か癇に障るものがある。

「だぁから! 放っておけ!!! 俺にだって色々あるんだ!」

 やっていられないとばかりに三成が強く執務机を叩いて立ち上がった。
何をされるのかと身構えたの前を通り過ぎて、執務室を後にしようとする。

「ちょ、何逃げようとしてるのよ!!」

 自分への攻撃ではなく、逃亡の一手を選んだ三成に追い縋る。
が彼の腕をとれば、三成はあからさまに眉をしかめた。

「痛い」

「え。あ、すみません」

 そんなに強く掴んだつもりはなかったのだが、とが手を放せば、見下ろしてきた三成の目は冷えに冷えた。

「なるほどな、自覚すらないのか」

「え? はい?」

「苦情の件は理解した、是正はしたくない。俺は一人でもやれる。
 俺と合わないというのならば勝手に辞職でもなんでもしろとそいつに言っておけ」

 無茶苦茶すぎる言葉に、流石にはカチンときて三成の前に回り込み、掴みかかろうとした。

「はいはいはーい、ちょっとたんま!」

 すかさず二人の間に竹中半兵衛が割り込む。

「はいはいはい、ちゃん一先ず落ち着いて。
 三成殿〜。逃げないで部屋に戻って、ちょーっと俺の話も聞いてくれる??」

 やり難そうな表情になった三成の背を、ぐいぐいと半兵衛が押し戻す。
それから部屋の中央に座卓を出して来て三成を着席させると、向かい合わせにを座らせた。
更に中間に自分が座り、お茶をゆったりとした仕草で入れて、二人に振る舞った。

「はい、どーぞ、召し上がれ」

 「いただきま〜す」と言い置いて、勝手に人の部屋の高級茶葉で一息入れた半兵衛は、茶葉の齎す甘苦い風味にうっとりとした表情を見せた。

「さっすが三成殿。いい茶葉揃えてる〜」

「それはどうも」

 出された物は素直に飲む三成は、湯呑を珍しく片手で取った。
音もたてずに飲む三成の様子をジト目で見ていた半兵衛が唐突に言う。

「三成殿さ、キレてるのちゃんのせいでしょ?」

「ブフォ!!!」

 言い当てられて噎せる三成の前で、が自分を指示した。

「え、私? 私、なんかした?」

 身に覚えがないと瞬きを繰り返すを前に、手拭で己の口元をぬぐった三成は仏頂面だ。
使った手拭をすぐに裏返しに畳んで懐にしまうあたり、彼の几帳面さがよく分かる。

「ン〜、この場合は…何もしてないのがむかつくって所かな〜?」

「え? 何? どういうこと??」

 心から分からないという様子で、がそわそわする。
三成は黙秘を貫いたままだ。

「あのねぇ、三成殿。俺もちゃんも周りの人もさ、仙人じゃないんだから言葉にしないと、三成殿の気持ちは
 汲みたくても汲めないんだよねぇ。そこのところは分かってる??」

「言ってどうなるというのだ」

「どうって、どうにかなるかもしれないし。ならないかもしれないし」

「ならないのなら言っても意味ないだろう」

「いや、まぁ、そりゃそうなんだけど…でも言ってくれなきゃ何も進展しないじゃない?」

 三成の顔色を窺うように、が少し身を乗り出した。
すると三成の眉間に深い皺が寄った。

「傲慢だな、相変わらず」

「はぁ!?」

 臨戦体制に移行しようとするを、半兵衛が諫めた。

「はいはいはい、落ち着いて。ちゃんもお茶一口飲んで、そうそう、ぐっとぐぐ〜と。
 ほらね〜? 三成殿の購入してる茶葉、この城の中で一番美味しいでしょう〜?」

「……俺の部屋は喫茶室ではないのだが?」

 そういう理由で度々来訪されているのが伺える感想だった。
三成の悪態を無視して、半兵衛は三成を見やる。

「で、三成殿はちゃんの何が不満なの?」

 本人を前にしてそれを聞くのか? と言わんばかりの三成に、半兵衛は言う。

「周りもさ、三成殿に態度を改めて貰いたいけど、三成殿にだって我慢ならない事はあるんだよね?
 で、それを言い出せないからイライラが募る…って、そーゆーことでしょ?」

 言い当てられているのか三成は貝になったままだ。

ちゃんは言ってほしいみたいだけど、三成殿としては言った所でちゃんが対応してくれるとも思えないから
 益々鬱積が溜まってる…っていうのが、俺の読みなんだけど…どうかな〜? 当たった??」

 一層深く刻まれた眉間の皺が肯定を示した。

「よしよし、素直でよろしい」

 言い当てて満足そうな半兵衛に対して、自分が元凶となっていたことを知ったは目を白黒させるしかない。

「えーと、その…私が悪かったなら謝るからさ。その…せめてヒントをですね…頂けると有難いのですが…」

 しどろもどろ、自分が上司だと言っておきながら完全に下手に出ているの様子がおかしくて仕方ないのか、半兵衛は終始にやにや顔だ。

「なんと言ってほしい?」

「ふぇ?」

「考える事すら億劫なのだろう? そんな女に言って何がどうなるというのだ」

「んんん…あのね、三成。何が原因か分からないけどさ。
 分からないからこそ、そんな風に拒絶されるのは困っちゃう。
 しかも三成の場合は他人にまで迷惑かけてるしね。間接的とは言え、自分がその理由になってるというのは、
 流石にちょっとね…。気になっちゃうというか…なんというか…」

 援護射撃を求める様に半兵衛をちゃぶ台の下で小突いた。
半兵衛は察しているとばかりに口を開く。

「まぁ、十中八九三成殿のブチギレの原因はちゃんにあるんだし。
 本人も殊勝な気持ちでこう言ってるんだし、言うだけ言ってみたら?
 どうにかならない可能性はあるけど、投げてあげないとその問題を本人は自覚しないし、考慮もしないでしょ。
 言わずに察しろ、改善しろ〜は、やっぱり無理あると思うよ〜。俺」

 話ながら「よいしょ」と掛け声をかけてから半兵衛は茶箪笥から勝手に茶菓子の煎餅をとってくる。
他人の執務室という遠慮はないらしい。

「それにさぁ、気に入らないことがある度に自己完結するまでその子供じみた態度でいるつもり?」

「子供ではありません」

「だよね〜? なら、話してみて」

 なるほど。こうやって扱えばいいのかとは秘かに学習する。
はぐらかそうとするものの、半兵衛の見通してますよ〜と言わんばかりの視線を向けられると、やり難いようで三成は奥歯をぎゅっと噛んだ。

「ほらほら、飲み込まなーい。三成殿が言わないなら、俺があることない事、想像でちゃんに助言しちゃうよ〜?
 それでもいいの〜? 却ってこじれるよ〜〜?」

 出て行けと言った所で聞き入れそうになく、むしろ長居する気満々で半兵衛は煎餅を齧っている。
ここで仮に振り切って部屋を出たとして。この二人のことだ、ほとぼりが冷めた頃に戻ったとしても、部屋からいなくなっている可能性は低いのではなかろうか。
 だけならば強行突破で室外に出て、そのままとんずらしてしまうことが可能だが、相手はあの竹中半兵衛だ。
一筋縄でいくはずがない。

「はぁ…」

 三成は諦めたようにがっくりと頭を垂れた。
ちゃぶ台の上に片肘をついたらそのまま掌を曲げて顔を乗せる。珍しく足は胡坐だった。

「な、なによ?」

 普段からきっちり姿勢を正す品行方正な男が見せる、ヤケ丸出しの姿に、は多少なりともたじろいた。

「言っていいのか? 本当に?」

「え、ええと…一応…どうぞ…」

 掌を差し出して先を促せば、三成は片手で飲みかけの湯呑を取り上げて軽く傾けた。
口先を多少なりとも濡らし、滑りを促しているようだ。
音を立てずにお茶を飲み干して、湯呑を改めてちゃぶ台に置いた。
それが堰を切った合図だったのか、三成は重い口を開いた。

「あのな、俺はお前に旅先で何と言った?」

「目立つな?」

「そうだな」

「でもあの騒動は仕方ないじゃない? 人が殺されそうだったんだよ?! 見て見ぬ振りすればよかったの?」

「そこじゃない」

 言い訳をぴしゃりとやり込められて黙れば、横から半兵衛が「はい。やり直し〜」と茶々を入れてくる。

「ええと…それじゃ…なんだろう…?」

 思い返すようにが口を閉ざした。
ああでもない、こうでもないと百面相の様に表情がくるくる変わる。
それを見てイラつきはしないかと半兵衛が三成の様子を伺えば、その心配はないようだった。
三成の眉間の皺が僅かに緩んでいる。

「えーとえーとえーと…すみません、せめて何か一つヒントをですね…」

 上目遣いで質問してくるに、やれやれという様子で三成は答えた。

「寝室に狼を上げるなと、俺はそう言った」

「あ、はい。そうでしたね」

「で、あの狼はなんだったっけなぁ?!」

 語尾にかなり力が籠っている。

「あー、そう…ですねー。あの子は〜。その〜」

「え、何々? 狼がどうしたの??」

 そこは読めてないとばかりに半兵衛が首を突っ込んでくる。
は視線を彷徨わせながら答えた。

「その…滞在先に狼が居まして…ペットなんだろうな〜と思ってずっとモフモフしちゃってったりなんか
 したわけなんですが〜」

「そうだなァ、立花の話ではなんだ。同衾どころか、貴様風呂にも一緒に入ってたそうだな?」

「だって!! あれ、どう見ても狼だったじゃん! 人懐っこいだけのイヌ科の動物だったじゃん!!!」

「そうだな、で、顔べろべろ舐められるわ。楽しそうに押し倒されてじゃれ合っていたわけだが…」

 そこで一区切りした三成の目の瞳孔はかっ開いていた。非常に怖い。

「で、どうだった? 相次ぐ暴漢からの襲撃をその狼に救われた気分は…? アァ?!

「いや…それは…その…」

 灼熱の炎でも背負い、目から殺人光線でも撃ち出しそうな三成の気迫に負けたは、半兵衛の背中に逃げ込んだ。

 

 

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