安全地帯 - 慶次編

 

 

「いやいや、そういう話じゃないかもしれないけどさ。
 実際のところ、他人同士が夫婦になった時にスッと型に綺麗にはまるのはさ。
 日頃の過ごし方と距離感の賜物だと思うんだよねぇ」

 経験者は語るというやつだろうか。
いやに実感のこもった半兵衛の弁に、は目を見張る。

「慶次殿は常に飄々としてるけど、あれで結構思慮深いお人だからさ。その辺、意外と巧いと思うよ?
 言うなれば空気みたいにね、ちゃんの人生に、自分は”在って然るべき人”って、刷り込んでるのかもね」

 半兵衛の弁を受けて、が「在って然るべき人」と繰り返す。
すると半兵衛はしみじみと述べた。

「うん。改めて考えてみなよ。違和感、ないんじゃない?」

 悩む間もなく、が頷く。

「そういう居心地のいい相手と離れ離れになれば寂しくもなるさ。
 似てる人に会ったら、重ねて見ちゃってもおかしくないって」

「でも、でもね、なんだかそれだと…慶次さんが…なんか凄まじい策士に聞こえるんだけど?」

「策士じゃなくて、本能じゃない?」

 自分の披露した考察を前には狼狽する。
逆仲人をするつもりのない半兵衛は素知らぬ顔で取り繕った。

「ほ、本能?」

「うん。慶次殿の中では今優先順位の一番にいるのがちゃんってだけの話なんだと思うよ。
 猛獣って自分のエリアを荒らされたり踏み込まれるの嫌うからね〜。その中心地に”物”を置いているのなら
 気にもしないんだろうけど、それが”人”だった場合、自分勝手に出て行っちゃうかもしれないでしょ。

 そうならないように、常に居心地良く、そこから動きたくならないように気を付けてるだけなんだと思う。
 そういうのは思慮というよりは生存本能のなせる業だよね」

「…それは悪いことではないし、危険な事でもない?」

ちゃんにとっては、危機感覚えるようなことは一つもないよね。主従の関係としても、男女の仲としても。
 悪乗り大好きだけど、軸は一本どっしり据わってる慶次殿だからねぇ。仮に何かあっても引き際も弁えてる
 だろうし、現にちゃんは慶次殿に対して安心感しか持ってないでしょう?」

「そういえば…そうだねぇ。…そっか。そういうもんなんだ…私と慶次さんの関係って…」

 納得しつつあるを見て半兵衛も安心し始めたようだ。

「そんなもんだよ。今回ちゃんが京で感じたのは………そうだなぁ…さしずめ、懐郷病だね」

「懐郷病?」

 聞きなれぬ言葉に問い返せば半兵衛が簡潔に説明した。

「故郷を懐かしく思う気持ちのことだね」

「ああ、ホームシックのことね」

ちゃんの世界ではそういうんだね」

「…そっかぁ…慶次さんが…私の故郷か…」

「この世界において、ちゃんにとっての唯一の安全地帯…ってちゃんの本能が分かってるんだね、きっと」

 「そっかぁ…」と独白したの頬が僅かに桜色に染まる。
それを半兵衛は見逃すことなく、告げた。

ちゃん。乱世はね、親子も兄弟も、気を抜けばすぐ離れ離れだ。
 だからね、『この人だ!』 って思ったら絶対に離れちゃダメなんだよね」

「今回のは失策だったってこと?」

「それは何とも言い難いかな。数日だけど、離れ離れになったことでちゃんにも慶次殿にも、
 今まで見えなかったものが見えたり、感じたり、気が付けるようになったはずなんだ」

「うん、そうだね…そうかもしれない」

 半兵衛はの心の動きに配慮しながら言う。

「俺ね、思うんだけどね。慶次殿は勝手気ままな風来坊だからね。
 ダメって言われても絶対勝手についてくと思ってたんだよね」

「でも違った?」

「うん、ちゃんが出立する前、慶次殿と約束してたでしょ? 『無茶しない。すぐ帰ってくるよ』って」

 ふと、二人の脳裏に出立前のやり取りが浮かび上がった。

 

 

『いいかい、さん。あっちに行ったら三成と家康から何があっても離れちゃならない』

『うん』

『俺は傍にいてやれないんだからね? 目立つことしちゃ、ダメだぜ?』

『うん、気を付ける』

 慶次は幼子に言い聞かせるように柔らかく言い募る。
そんな慶次に対しては『もう、慶次さんってば心配性だなぁ』などと軽口を叩く。

『慶次さん、手を出して』

 小さく頭を傾げた慶次の掌を取り、小指を立たせると自身の小指と絡ませた。

『指切りげんまん、嘘ついたら針千本の〜ます』

 ゆったり互いの手を揺らしてから、は笑って見せた。

『はい、約束ね』

『そうかい、さんの世界の約束かい?』

『うん』

 今度は慶次がゆっくり手を振った。

『約束だ。何があっても無事に帰ってくるんだよ? 無茶しない、目立たない。
 それでもどうしても辛くて苦しいことがあったら、もしそんなことに巻き込まれちまったら…何も考えず、
 とにかく帰ってくること。そんで、すぐに俺のところに来ること。いいね?』

『はい』

 例えどんな凶事が襲いかかろうとも、全てを受け入れて、包み込み護ると、暗に宣言された気がした。
は安堵を顔一杯に貼り付けて再び腕を揺らした。

『指切りげんまん』

『嘘ついたら針千本だ』

 二人の声が重なり、どちらからとなく手を放した。

 

 

「あの約束を信じてるんだろうね」

 回想を断ち切るように半兵衛が言う。

「それに他でもないちゃんが望んだことだから、言うこと聞いたんだろうな〜」

 軽く一つ伸びをして見せて、半兵衛は言った。

「いいじゃないの、安全地帯。慶次殿はちゃんの守護者なんだし。あんなに長いこと離れ離れは初めてでしょ?
 懐郷病にだってなるさ。欲求不満になったって当然でしょ」

「そっか、当然かぁ」

「当然だね。もうさ、細かいことは抜きにして、心の赴くまま、満たしてもらって来たら?」

「み…満たしてもらうだなんて、そんな…」

「照れない、照れない。慶次殿なら、あっさり受け止めてくれるだろうし、意外と慶次殿の方が飢えてるかもよ?」

「う、飢えてるって、何によ!?」

「え〜、それはさ〜、可愛い飼い猫放牧してたら寂しくなっちゃうでしょ〜、誰だって」

 半兵衛の言ではまるでと慶次はじゃれ合う猫と虎といったところなのだろうか。
がむぅと唸り、膨れ面になった。

「簡単だよ、きっと」

「何がよ」

「飛び込むの。今までは意識してなかったから行きやすかったんだろうけど。
 いざ離れてみると、なんだか急に気恥ずかしくなってしまって、調子が掴めないんでしょ?」

 的を射ているかもしれないとが押し黙る。
すると半兵衛は「初々しいな〜」などと茶化しながらも、至極真面目に助言した。

「大丈夫だよ、二人にしか通じない合図があるじゃない」

「合図?」

「うん。枕持って行って、一言でいい。『冬になったね』って言えば、きっと通じると思うよ?
 今夜、試してみたら??」

 それ以上半兵衛はこの件に関して何も問わず、言うこともなかった。
は一頻り考え、悩んだ末に「やってみよっかな」と呟いた。

  

 

「慶次さん、冷やし中華始めました!」

 執務を終えて自室に慶次が戻ったと聞いたは、昼間半兵衛と話した内容を反芻し、何度も何度も声をかけるタイミングと言葉とを脳内でシュミレーションした。
 その回数が軽く100の大台に乗る前に慶次の部屋を訪れて、開口一発、ぶちかましてみた。
結果、惨敗。布団の上で胡坐をかいて書物を読んでいた慶次は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になっていた。

「…………悪ぃ、さん。俺、その意味わからねぇ」

「ですよね…」

 やっちまったー! と脳内で盛大に叫んだが、無言で身悶えするのを見物しながら、慶次は言う。

「まぁ、それはそれとして。改めて言わせてもらうぜ? お帰り、さん」

「有難う、慶次さん。ただいま」

 大人の対応をしてくれた慶次に手招きされて、は部屋の敷居を跨いだ。

「で? 何を始めたって?」

「ああ、もういいの。それは言い間違いってことで軽く流してくれる?」

 とぼとぼと歩みを進めて、肩から崩れ落ちるように慶次用の大きな布団に座り込んだ。
広げていた書物を閉じた慶次が上半身だけを捩って、箪笥の奥からぐい飲みと酒瓶を取り出す。

「折角だ、やるかい?」

「うん、ありがと。頂きます」

 畳にぐい飲みを二つ並べて、濁り酒を注ぐ。
溢れる前に手に取ってに手渡し、軽く淵と淵を打ち鳴らした。
 慶次は豪快に喉の奥へと濁り酒を流し込み、は舐めるように飲む。
考えてみれば酒の肴もない。余計なことを考えて、気が利かな過ぎだと密かに凹むに慶次は言う。

「で。土産話は何かないのかい?」

「土産話?」

「ああ。肴になんか聞かせちゃくれないか」

 慶次のリードに合わせて、はぽつりぽつりと話し始めた。
関で明智家と鉢合わせしたこと。
そこで初めて松永久秀を見たこと。
三成達は彼を嫌うが、自分にはそこまで悪人には見えなかったこと。
京の宿舎で飼われていた人懐っこい狼のこと。
ァ千代と三成と家康と過ごした数日間のこと。
会合の席で鉢合わせした暗殺のこと。
救いに来てくれたのことなど、意識が途絶える寸前までに体感したことを余さず伝え続けた。
 慶次は話の腰を折ることなく、耳を傾け続け、合間合間に口を濡らす程度の酒をぐい飲みに注ぎ続けた。

「そうかい、叔父御に救われたかぁ」

「うん、慶次さんそっくりだった」

「まぁ、あの人も元は傾奇者だしな」

 豪快に笑いながら慶次も飲む。
早さこそないが着実に深くなる酒量に、はほんのりほろ酔い、上機嫌だ。

「やっぱり従兄弟だからなのかな〜。利家さんに『あんたがの姫か?』って聞かれた時、慶次さんと話してる
 ような錯覚があって、すんなり認めてしまったんだよね」

 流石にこれには慶次も驚いたようで目を丸くする。

『まぁ、小父御なら平気か…』

 咄嗟の判断が齎しかねないマイナス要素に冷やりとしたのは束の間、すぐに意識を改めた。
無論釘をさすべきだと分かってはいるのだ。だがはこうして命を繋いで領に戻って来た。
再び領を跨いで事を起こさねばならなくなったなら、その時は看過はしない。
自分がの傍らにあって、降りかかる危険から守ればいいだけのこと。
 他国の将となった叔父にの面が割れたことで生じるリスクは、一先ず棚上げすることにした。
案ずるより産むがやすしという言葉もある。何より小言の類は、三成の専売特許だ。
彼にその辺は全て任せてしまうに限る。

「自分で残って、って言ったくせにあのごたごたの時、やっぱり私は慶次さんの姿を探してて」

「うん」

「いなくて当然なのに焦って、怖くなって、沢山泣きたくなって…」

「そうか、そうか」

 小さく寄った眉の動きを見逃さず、慶次が掌を伸ばす。

「他国の将なのに、護ってくれた利家さんに慶次さんを重ねて見て、少しだけ安心した」

「離れていても思い出すのは俺か、こりゃ男冥利に尽きるねぇ」

 肩を抱いて引き寄せれば、が自然と慶次の胸板に額を寄せた。

さん。もう大丈夫だぜ、俺はここに居る」

「…うん…」

 手にしていたぐい飲みを下ろして、は慶次の膝に己の掌を乗せた。
慶次がぐい飲みを下ろして見下ろせば、自然と互いの視線が絡み合った。
円らな瞳が懐かしそうに、寂しそうに慶次を見上げている。

「それはそうと、さん」

「なぁに?」

 安堵させるように慶次はにか! っと笑い、言った。

「冬だね」

 当たり前のように広げられた両手に、ぽかぽかと心が温かくなる。
は破顔し、導かれるまま慶次の胸に今度は全身を預けた。
慶次が心地よさそうに抱きとめると同時に、の腕も慶次の背にしっかりと絡みつく。

「………お帰り、さん」

「…ただいま、慶次さん」

 二人はどちらからとなく瞼を閉じた。

 

 

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