安全地帯 - 慶次編 |
「いやいや、そういう話じゃないかもしれないけどさ。 経験者は語るというやつだろうか。
「慶次殿は常に飄々としてるけど、あれで結構思慮深いお人だからさ。その辺、意外と巧いと思うよ? 半兵衛の弁を受けて、が「在って然るべき人」と繰り返す。 「うん。改めて考えてみなよ。違和感、ないんじゃない?」 悩む間もなく、が頷く。 「そういう居心地のいい相手と離れ離れになれば寂しくもなるさ。 「でも、でもね、なんだかそれだと…慶次さんが…なんか凄まじい策士に聞こえるんだけど?」 「策士じゃなくて、本能じゃない?」 自分の披露した考察を前には狼狽する。 「ほ、本能?」 「うん。慶次殿の中では今優先順位の一番にいるのがちゃんってだけの話なんだと思うよ。 「…それは悪いことではないし、危険な事でもない?」 「ちゃんにとっては、危機感覚えるようなことは一つもないよね。主従の関係としても、男女の仲としても。 「そういえば…そうだねぇ。…そっか。そういうもんなんだ…私と慶次さんの関係って…」 納得しつつあるを見て半兵衛も安心し始めたようだ。 「そんなもんだよ。今回ちゃんが京で感じたのは………そうだなぁ…さしずめ、懐郷病だね」 「懐郷病?」 聞きなれぬ言葉に問い返せば半兵衛が簡潔に説明した。 「故郷を懐かしく思う気持ちのことだね」 「ああ、ホームシックのことね」 「ちゃんの世界ではそういうんだね」 「…そっかぁ…慶次さんが…私の故郷か…」 「この世界において、ちゃんにとっての唯一の安全地帯…ってちゃんの本能が分かってるんだね、きっと」 「そっかぁ…」と独白したの頬が僅かに桜色に染まる。 「ちゃん。乱世はね、親子も兄弟も、気を抜けばすぐ離れ離れだ。 「今回のは失策だったってこと?」 「それは何とも言い難いかな。数日だけど、離れ離れになったことでちゃんにも慶次殿にも、 「うん、そうだね…そうかもしれない」 半兵衛はの心の動きに配慮しながら言う。 「俺ね、思うんだけどね。慶次殿は勝手気ままな風来坊だからね。 「でも違った?」 「うん、ちゃんが出立する前、慶次殿と約束してたでしょ? 『無茶しない。すぐ帰ってくるよ』って」 ふと、二人の脳裏に出立前のやり取りが浮かび上がった。
『いいかい、さん。あっちに行ったら三成と家康から何があっても離れちゃならない』 『うん』 『俺は傍にいてやれないんだからね? 目立つことしちゃ、ダメだぜ?』 『うん、気を付ける』 慶次は幼子に言い聞かせるように柔らかく言い募る。 『慶次さん、手を出して』 小さく頭を傾げた慶次の掌を取り、小指を立たせると自身の小指と絡ませた。 『指切りげんまん、嘘ついたら針千本の〜ます』 ゆったり互いの手を揺らしてから、は笑って見せた。 『はい、約束ね』 『そうかい、さんの世界の約束かい?』 『うん』 今度は慶次がゆっくり手を振った。
『約束だ。何があっても無事に帰ってくるんだよ? 無茶しない、目立たない。 『はい』
例えどんな凶事が襲いかかろうとも、全てを受け入れて、包み込み護ると、暗に宣言された気がした。 『指切りげんまん』 『嘘ついたら針千本だ』 二人の声が重なり、どちらからとなく手を放した。
「あの約束を信じてるんだろうね」 回想を断ち切るように半兵衛が言う。 「それに他でもないちゃんが望んだことだから、言うこと聞いたんだろうな〜」 軽く一つ伸びをして見せて、半兵衛は言った。 「いいじゃないの、安全地帯。慶次殿はちゃんの守護者なんだし。あんなに長いこと離れ離れは初めてでしょ? 「そっか、当然かぁ」 「当然だね。もうさ、細かいことは抜きにして、心の赴くまま、満たしてもらって来たら?」 「み…満たしてもらうだなんて、そんな…」 「照れない、照れない。慶次殿なら、あっさり受け止めてくれるだろうし、意外と慶次殿の方が飢えてるかもよ?」 「う、飢えてるって、何によ!?」 「え〜、それはさ〜、可愛い飼い猫放牧してたら寂しくなっちゃうでしょ〜、誰だって」 半兵衛の言ではまるでと慶次はじゃれ合う猫と虎といったところなのだろうか。 「簡単だよ、きっと」 「何がよ」 「飛び込むの。今までは意識してなかったから行きやすかったんだろうけど。 的を射ているかもしれないとが押し黙る。 「大丈夫だよ、二人にしか通じない合図があるじゃない」 「合図?」
「うん。枕持って行って、一言でいい。『冬になったね』って言えば、きっと通じると思うよ? それ以上半兵衛はこの件に関して何も問わず、言うこともなかった。
「慶次さん、冷やし中華始めました!」 執務を終えて自室に慶次が戻ったと聞いたは、昼間半兵衛と話した内容を反芻し、何度も何度も声をかけるタイミングと言葉とを脳内でシュミレーションした。 「…………悪ぃ、さん。俺、その意味わからねぇ」 「ですよね…」 やっちまったー! と脳内で盛大に叫んだが、無言で身悶えするのを見物しながら、慶次は言う。 「まぁ、それはそれとして。改めて言わせてもらうぜ? お帰り、さん」 「有難う、慶次さん。ただいま」 大人の対応をしてくれた慶次に手招きされて、は部屋の敷居を跨いだ。 「で? 何を始めたって?」 「ああ、もういいの。それは言い間違いってことで軽く流してくれる?」
とぼとぼと歩みを進めて、肩から崩れ落ちるように慶次用の大きな布団に座り込んだ。 「折角だ、やるかい?」 「うん、ありがと。頂きます」 畳にぐい飲みを二つ並べて、濁り酒を注ぐ。 「で。土産話は何かないのかい?」 「土産話?」 「ああ。肴になんか聞かせちゃくれないか」 慶次のリードに合わせて、はぽつりぽつりと話し始めた。 「そうかい、叔父御に救われたかぁ」 「うん、慶次さんそっくりだった」 「まぁ、あの人も元は傾奇者だしな」 豪快に笑いながら慶次も飲む。 「やっぱり従兄弟だからなのかな〜。利家さんに『あんたがの姫か?』って聞かれた時、慶次さんと話してる 流石にこれには慶次も驚いたようで目を丸くする。 『まぁ、小父御なら平気か…』
咄嗟の判断が齎しかねないマイナス要素に冷やりとしたのは束の間、すぐに意識を改めた。 「自分で残って、って言ったくせにあのごたごたの時、やっぱり私は慶次さんの姿を探してて」 「うん」 「いなくて当然なのに焦って、怖くなって、沢山泣きたくなって…」 「そうか、そうか」 小さく寄った眉の動きを見逃さず、慶次が掌を伸ばす。 「他国の将なのに、護ってくれた利家さんに慶次さんを重ねて見て、少しだけ安心した」 「離れていても思い出すのは俺か、こりゃ男冥利に尽きるねぇ」 肩を抱いて引き寄せれば、が自然と慶次の胸板に額を寄せた。 「さん。もう大丈夫だぜ、俺はここに居る」 「…うん…」 手にしていたぐい飲みを下ろして、は慶次の膝に己の掌を乗せた。 「それはそうと、さん」 「なぁに?」 安堵させるように慶次はにか! っと笑い、言った。 「冬だね」 当たり前のように広げられた両手に、ぽかぽかと心が温かくなる。 「………お帰り、さん」 「…ただいま、慶次さん」 二人はどちらからとなく瞼を閉じた。
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