在りし日の光景 - 幸村編

 

 

 待ち焦がれた騒乱の音が上がった。
それは三成が戦地から送った書簡が示したのからくり―――の到来の証に他ならない。
 度重なる防衛戦を経たの現在の方針は和平交渉重視だ。
余程のことがない限り、こちらから仕掛けるのはご法度である。
であれば、それが目に見えるその瞬間まで、こちらから仕掛けるわけにはいかない。
視線は閉じたままの扉の先を見据え、神経は戦の気配に集中する。
 高揚状態にあるのは幸村だけではないらしい。
半蔵は物見やぐらに跳躍し、孫市も率いてる雑賀衆と共に関の四方に待機した。
幸村と共に轡を並べる慶次はいきり立つ松風を宥めているし、兼続の表情も険しい。

「早く…姿を見せろ…」

 何処からともなく聞こえた渇望に近い声は、敬愛する姫を守り抜くという確固たる意志を秘めた兵のものだ。

「おのれ、小癪な!! 撃って撃って撃ちまくって、撃ち落とせ!!!」

 怒号が迫る。
松風が蹄で何度となく大地を蹴った。号令を急かしているのだ。

「半蔵様、助けて!!!!」

 やがて頑なに閉じられた他国の関の石壁を飛び越える様に、が現れた。

「開門!!!!!」

 総指揮を執る秀吉が号令するより早く、車内の愛妻―――の姿を見た半蔵が動いた。
彼は妻の唇を読んだのか、からくりの着地地点目がけて落ちてくる大岩に向かって苦無を放った。
すぐさま印を結んで術を発動させる。
 彼の術の後押しをするように兼続が放った護符が大岩に貼りついた。

「滅!!!!!」

 半蔵の忍術と兼続の法力が同時に発動して、大岩は真っ二つに割れた。

「雑賀衆!! 一斉射撃開始!!!」

 孫市の声を受けて始まった雑賀衆の連射によって割れた岩が銃弾の雨によって削り、砕かれてゆく。

「真田幸村、いざ参る!!!!」

 同僚の邪魔をせぬようにと一呼吸置いて、整列していた紅蓮の騎馬隊が突撃を開始した。
むろん先頭は幸村と慶次だ。

「皆、進路を開けるんじゃ!! 様を受け入れるで!!!」

 秀吉の号令に合わせる様に武田の騎馬隊が中央を開けた。
着地したの後輪が荒い大地に取られて小さく横滑りする。
だが車内でそれにが反応を示して、ハンドルを切った。ブレた車体が正面を向く。
 ゆっくり滑り出したの前方の窓が開いた。
箱乗りの要領で姿を現した三成が、追撃の為に現れた敵の騎馬隊を支那都神扇で退けた。
 敵方の関との関の距離は、直線距離でおよそ400m。
の速度ならあっという間に逃げ切れるはずだが、舗装された道ではない。
増して互いに牽制するように関のあちこちに投石機や砲台を配備し、地雷まで埋設している。
逃走経路としてのコンディションは最悪だ。
 案の定、地雷の余波での後輪がスタックした。
悪路でタイヤのグリップ力が弱まり、アクセルを踏んでもタイヤが空転して前に進まない。
 車内に座すが何事かを知ったのか、顔に悲壮を貼り付ける。

『半蔵様!! さんの足が動きません!! このまま動くと大地を掘ってしまいます!!
 足元に何か噛ませて押し出せば、あるいは…!!』

 騒乱の音にの声はかき消される。
だが半蔵はの言葉を一言一句漏らさず唇の動きを読んで理解すると、兼続と慶次に向かい指示を出した。

「からくりの足が止まる、慶次、兼続! 協力してその場より押し出せ」

「何!?」

 車内のからに、から車外の半蔵を経た指示通りに、兼続は護符をの下へと滑り込ませた。

「ぬぅん!!!」

 兼続が印を切れば護符が光り輝き、そこに板材代わりの透明な床が現れる。

「いくぜ!!」

 誰より秀でる松風の機動力を生かした慶次がに最初に到達して背を取った。
松風から飛び降りて、に背を預けた。
慶次を守るように武田騎馬が、敵兵と慶次の間に滑り込む。
二重の騎馬の壁を背に慶次が両手をにかけた。

「お前さんも踏ん張りな!!」

 応えるようにがライトを二度点滅させた。
未来の技術で作られた車と言えど、重量ばかりはどうにもならない。
兼続が生み出した透明な床はの重量に押し負けてしなった。
 こうなると慶次の腕力をもってしても如何ともし難いようで、の後輪は空転するばかりだ。
そこで箱乗りしていた三成が下りてくると、慶次の横に立った。 

「行くぞ、!!」

「はい!!」

「「ぐううううう!!!!」」

 家の腕力値トップ二人がかりで後方から押し上げる。
そこに兼続が混ざった。
彼は押すのではなく、護符を更に滑り込ませて、足場の補強を試みた。
 三人がかりの対応が利いたのか、の駆動力が戻った。
慶次、兼続が戦場に復帰すべく身を翻す一方で、三成はの隣に戻った。の機能が再び失われるようなことになれば、再びがハンドルを握らねばならず、その補助が必要になるからだ。

さん、出して下さいまし!!」

 助手席に三成が戻ったと同時に、がクラクションを二度鳴らしてから走り出した。
対話こそ許されていないが、この場に残る家臣団を鼓舞するようなタイミングだった。
 庇うものが無くなった武田騎馬が四散すれば、二重の壁の向こうには幸村の姿があった。
彼は二重の騎馬隊の指揮を執りつつ、自らも槍を大きく奮い、攻め寄せる追撃兵を押し返していたのだ。

「後顧の憂いは消えた!! 駆けよ、武田騎馬!!」

 幸村の声が将兵の気風を押し上げる。
走り去ってゆくの背はまだの関に届いていない。
関を越えた逃走を見届けるまで、防衛線を解くことは出来ない。
 何としてもからくりを止めたい追撃兵と、防衛戦に定評のある家家臣団が中立地帯で激突した。
互いに一歩も引かず、一進一退の攻防を繰り広げる。

「まさかこのまま小競り合いが本格的な戦に発展しないよな?」

 速度重視で物量では心もとないと、関の中でぼやく孫市に、秀吉が答えた。

「言うな! 長政殿が後詰になっちょるし、左近も動く! 持ち堪えてまえば、わしらの勝ちじゃ!!」

 斎藤城攻防戦を経て、幸村は少し変わった。
戦場において槍を奮うと、トランス状態に入りやすくなった。
あの過酷な千日戦争は、幸村の生存本能を大きく刺激して彼の中に普段とは異なる性質を育んだ。
今回の小競り合いも、否、目と鼻の先にを擁するからくりがあるからだろうか。
幸村の中の闘志が、生存本能と呼応し、強い化学変化を起こした。

「関に駐屯する者に告ぐ! 潔く引くがいい!! 我が名は真田幸村!!!
 先の毛利戦において一騎当千の早駆けをした武士なり!!!
 ここから先へは一歩も進ませぬ、向かい来る者どもよ、修羅道に落ちる覚悟はよいか!!!」

 幸村は一際大きい名乗りを上げた。
追撃隊の一部が明から様に怯む。彼らは千日戦争に従軍し、生き延びた兵にに違いない。
 他国に帰順せざる得なかった彼らとて、仇討ちを考えなかったわけではない。考えなかったわけではないが、千日戦争で武田主従にあれ程の粘りの戦を展開されて、最後は電光石火の逆襲を見せられた。
あの時と違い、自分達が防衛しなくてはならないこの関には、立花ァ千代の姿はない。
 更に加えて、防衛線を押し上げてくる幸村の後方には、天下御免の傾奇者の姿まである。

「いやだ……いやだ!! 俺は生き延びた、死ぬ為に膝を折ったわけじゃない!!!」

 長年仕えた主家ではない。
不本意な形で膝を折っただけだ。
命懸けで抵抗したところで、貰える恩賞はいくらになる?

『奴さんら、やる気なくしたねぇ』

 元毛利兵を中心に動揺が走り、追撃兵の足並みが崩れた。
慶次の予見通り、関の中から疎らではあるが逃走する者の姿が見てとれた。
すかさず秀吉は声を張り上げた。

「停戦じゃーーーー!! わしらに侵攻意思はない!! 引いてくれんかーーー!!」

 停戦を呼び掛けた秀吉のはるか後方にはもうもうと土煙が舞う。
幸村が指揮する武田騎馬隊に翻弄されている間に、家の関所を無事に突破。
と重臣を連れて国元への帰還を果たしていた。

「…ぐぅぅぅぅぅ!!!!」

 悔し気に唸る侍大将も、本国に帰還されたら手が出せない。

「貴様ら覚えていろよ!! 他国の関を破ってタダで済むと思うな!!!」

 正に恨み言。
関に駐屯していた敵方の侍大将は歯ぎしりしながら追撃令を解いた。

 

 

 本国に這う這うの体で帰還した一行は、旧城―――現在は浅井城―――に身を寄せていた。
の動力源となった立花ァ千代は応急処置をしたとは言え、度重なる無双発動と出血多量の影響で気絶。
唯一意識のある徳川家康は脱臼と度重なる感電で意識朦朧としていて会話は不成立。
 助手席に腰を落ち着けて迎撃と運転補助を長時間勤めていた石田三成は肩に銃創を作り、やはり疲労から気絶。
武術の心得が全くないのに、今回の逃走劇で一番の功労者となった服部は、長時間の運転の疲れで、浅井城に到達すると同時に、気が抜けたのか一気に眠りに落ちた。
 に至っては恒例の意識喪失だ。
帰還を果たすには果たしたが、御覧の通り、城壁に激突したの中に身を隠した面々は散々たる有様である。

様!! ご無事ですか!!」

 幸村の姿を認めたと同時に、の後方の扉が開いた。
音もなく開いた扉の向こう側に、家康にしっかと抱き寄せられているの姿を見つける。
外傷らしい外傷はない。それに安堵はしたが、あの発作が起きていると幸村は一目で見抜いた。
を横抱きにして、家康を背負う。
二人の手が解けぬように己の鉢金で繋がれた手をぐるぐる巻きにした上で浅井城の敷居を跨いだ。

「姫様!?」

様!!」

 女中達を連れて飛び出してきたお市に目配せをした上で述べた。

「乗り物酔いです、秀吉殿を室にお願い致します!」

「畏まりました」

 の気絶が病気だと風潮されぬように、わざと声を大きくして乗り物酔いを強調した。
その場に言わせた大多数の者は、幸村の機転から出た言葉を鵜呑みしたはずだ。
浅井城の城壁にひびを入れて止まったの風貌は、この時代においては異質以外の言葉では言い表せない。

「そりゃあんなのに乗せられたら姫様だってたまったもんじゃないよな…」

 移動するなら駕篭や輿がいいに決まっていると、遠目からを見る人々は口々に言った。
異形と形容されて可笑しくないからくりに意識を集めることは得策ではない。
だがが例の発作を引き起こしている以上、背に腹は代えられなかった。
トラブル続きので、が病を受けているなどという噂が立ったら大変なことになる。

「私室に参ります」

 幸村は周囲の目をものともせずガンガン突き進んだ。
他人の城となっても、元はと言えば勝手知ったる我が城だ。
との出会いの地となったこの城が、いくら内装と住人を変えようと、彼には関係がない。
 幸村が目指した元の私室は、現在は浅井夫妻の私室なのだが、彼はその事を全く気にしていなかった。
部屋の奥へと勝手に上がり込み、押し入れから布団を引き出すと、その上にを横たえた。
 ここまで上がってくる間に階段で何度が家康が唸っていた。
その都度、何かと何かがぶつかるような音がしていたような気がするが、きっと気のせいだ。
 幸村はの為に未だ微かに唸っている家康を、すぐ横に下ろして転がした。

『よし、手は離れていない』

 と家康の間にどういった縁があるのかは分からない。
分からないが、これだけははっきりしている。
彼と秀吉がいればを脅かすこの意識喪失は、早急に終わりを告げるのだ。
 本来であれば頭にしこたまたんこぶを作って畳の上で打ち上げられたトドの様にピクピクしてる家康を叩き起こし、に呼び掛けて貰いたいところだがそうもいかない。
無茶をして家康自体が使い物にならなくなったら本末転倒になるから無理は出来ない。
 発作も、肩代りも、出来るものであれば自分が身代わりになるのに、ままならない。
だが同時に、こうも思う。の傍に集う者には必ず何かしらの役目があるのではないかと。

「スマン、待たせたわ!」

 お市から声がかかった秀吉が飛んできた。

「秀吉殿、ここをお任せしてもよろしいか?」

「ん? お、おう。構わんぞ」

 普段の翻弄されがちな純朴な幸村と思えぬ凛とした振る舞いに秀吉が目を見張る。

「私には私なりの役目があると思うのです。
 秀吉殿は、様を。私は戦後処理に回ります」

「そうか、頼むんさ!」

 一つ頷いて幸村はの傍に身を寄せると耳元で囁いた。

「しばしここを離れます、どうかお許しください。様」

 秀吉に一礼してから幸村は階下へと降りた。

「…なんぞあったんか? あやつ、変わったのぅ…」

「戦場で一皮剥けたんだろうさ」

 幸村と入れ替わりで慶次が階下から上がってきた。

「お、慶次」

「護衛だからね、俺は。戦後処理は幸村に任せるさ」

「そうか」

 戦装束は脱がず、慶次はの傍に腰を落とすと、傍らに天之瓊鉾を置いた。
護衛が到着したことで安心したのか、秀吉がの掌を取った。

「ぐぅ!!! 様…わしじゃ…!! 秀吉じゃ!! いずこにおわす!!!
 わしの声が届くなら、戻ってきてちょー!!!」

 秀吉は家康と違っての見たものを語る。
呼び戻すのは不得手かもしれないが、そうも言っていられない。
挑戦出来る事であれば、挑戦するのみだ。
 秀吉が熱心に呼びかける事数回、繋がったの指先が小さく動いた。

 

 

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