在りし日の光景 - 幸村編

 

 

 逃亡劇が無事に収束して数日、は無事に意識を取り戻した。

「いやー、逃げてる間の事なんてなんにも覚えてないんだけど……生きてるっていいわぁ…」

 町娘と変わらぬ出で立ちでの城下街を歩いている。
"復興中の自領の視察"と言い訳して城から脱走するのは何もこれが初めての事じゃない。
 それが分かるから、の正体を知る一部の町民達は苦笑いだ。 

「こうしてまた皆と交流できるんだもんね〜。…やっぱ、生きってるっていいわぁ…」

 五体満足"今"を楽しめるのは、一重に守護についてくれた頼もしき将の働きのお陰であるが、何よりもを城に保護してすぐ関の警護に戻ってくれた幸村の功績が大きい。
 あれだけ大声で恨み言を吐いたのだ、追撃していた敵とて、簡単には諦めまい。
そう見当を付けた幸村が松風を駆って関所に戻った時には、暗殺依頼を帯びた忍びや浪人が国境を越えようとあれこれ画策しているところだった。
 幸村が一人一人検分し、問題のない旅人だけを受け入れて、怪しい者は片っ端から弾かなければ、意識を失ったままのを擁した浅井城で、密命を受けた者共と家臣団の間で防衛戦が勃発していたに違いない。
 
「でもなぁ…幸村さんのあれは一体どうしちゃったんだろう…? なんだか別人みたい…」

 出店で購入した一口饅頭を口に放り込みながらは独白する。
武士としての経験がそうさせるのか、神経を研ぎ澄ます幸村の立ち振る舞いは頼もしくもあり、カッコよくもあり、ときめきそうだがどうにも慣れられない。

「私の知ってる幸村さんは何時も頑張ってるかテンパってて叫んでるんだけどな〜」

 絶叫については、ほぼの素行のせいなのだが、その辺は無頓着だった。
無事に戦後処理を終えて城へと戻ってきた幸村を見た時は、まるで見知らぬ武人と出会ったような錯覚を抱いた。
思わず「初めまして」と挨拶したくなったくらいだ。

 が無事であったこと、戸惑いを露わにしたことによって、ようやく幸村は戦闘モードを解いた。
素に戻った幸村は何か不備であったかと、が慣れた誠実で頼りなさげな風貌の青年の眼差しを向けてきた。

「…まさかと思うけど、幸村さんあの戦のせいでジキルとハイド化とかしてないよね?」

「自来琉と刃異怒? とは…どういった方でしょうか??」

 誰に向けたわけではない問いかけに答えたのは、真田幸村本人だった。

「ん!? あ、幸村さん!?」

 ヤバい、城から出ていることを咎められるかと身じろいだの傍に歩みを進めて、幸村は首を傾げる。

「あれ? 怒らない??」

「そう…ですね。偶になら構わないかな、と。高坂殿もお傍に控えておりますし」

 国を興した時を思い返せば想像もつかない柔軟さだ。
がじぃっと幸村のことを見上げた。

「あの、私の顔に…何か?」

「ごめん、幸村さんちょっとかがんで?」

「はい」

 上半身を緩く傾斜させれば、が幸村の頬を軽く抓った。

「っ!」

「あ、ごめんごめん。ちゃんと本物だった」

「あの、何故私を疑われたのですか?」

 二心ありと思われるような振る舞いをしているだろうか? 
不安に駆られたのか、抓られた頬を軽く摩りながら幸村は問う。
一見すると飼い主に叱られた子犬のようだ。

「いや〜、なんか最近の幸村さん、私の知らない人みたいになる時があるから。
 もしかしたら風魔とか、どっかの忍びが化けてるのかな〜って。念の為にね」

「は、はぁ…」

「私はさぁ。ここで目覚めた時に出会った幸村さんに慣れちゃってるからさ。
 なんかこの間みたいな、張り詰めてる幸村さんはちょっとまだ慣れられなくて…」

 抓ったお詫びに…とが掌の中の包みを差し出した。

「最近巷で人気の一口饅頭なの。栗餡が美味しいのよ」

「はぁ。頂きます」

 最初は遠慮しようとした幸村だったが、供としての傍に音もなく立っている美中年―――高坂昌信が「美味しかったですよ」と口を挟むと迷いはなくなった。
 小粒の饅頭を一つ取り上げて口にする。
饅頭には栗のさっぱりした甘みにほんの少しの渋みが混ざる。

「栗の渋皮使ってるみたいでさ、美味しいよね。ただべたべたに甘いわけじゃないってのがいいと思わない?」

「左様でございますね」

 後世に記録を残さねばならぬ立場から、この高坂昌信は陰に日向にの傍に控えることが多い。
慶次の影に隠れがちだが、の傍にいる時間は慶次とどっこいどっこいになりつつある。
その事実に、二人の自然なやり取りを見て幸村は初めて気が付いたようだった。
 二人を追う視線が少し不安そうに揺れている。
ススス…っと昌信が音もなく幸村に寄って耳打ちした。

「某、恋敵に名乗りはあげませぬので」

「え、あ、その…」

 動揺する幸村を見ながらは一人でうんうんと唸った。

「やっぱりこっちなんだよね〜。私が馴染んでる幸村さんって」

「え?」

「なんだろうなぁ……どんな変化であんな急に凛としててカッコ良くて頼もしい幸村さんになっちゃたの?」

「ええええ???」

 幸村はの言葉を脳裏で反芻する。
戸惑われてはいるようだが、嫌われているようではないし、言葉を素直に鑑みるなら褒められているはずだ。
俄かに湧きたつ心を抑えて問いかけてみる。

「あの…戦場での私はお気に召しませぬか?」

「お気に召す召さないというより、なんかカッコ良すぎてズルイ」

「え? えええ? ず、ずるい…ですか?」

 「手前勝手な話だけどね」と前置きしたが散歩を再開する。
後に幸村と昌信が続いた。

「なんというか、ほら、私がポンコツ君主だからね。
 ぽやーっとしてる風の幸村さんに突っ込まれたり、怒られてる方が吊り合い取れると思うんだよね」

 ここに左近が居たらまず間違いなく「何言ってんですか」と突っ込んだに違いない。
だが残念ながら、この場においてその役を果たせるものはいなかった。

「そんな、様お戯れが過ぎます! 度重なる難局を退けられた御身がポンコツなどと…」

「いやいやいや、ポンコツだって。今日もこんな感じで高坂さん巻き込んで城抜け出してきちゃってるしね」

「職務放棄の自覚はあるのですね?」

 幸村が苦笑する。
ブリキの人形のようにぎこちない動きで歩みを止めたが、幸村を振り返った。

「怒る?」

「いいえ、大丈夫ですよ。今日は、ですが」

 柔軟な対応をされているのに、やはりどうにもこうにもしっくりこなくて居心地が悪くなる。

「幸村さんさぁ」

「はい」

「今後はずっとそのキャラで行くつもり?」

「キャラ??」

「いや、凛としててカッコいい武士モードなのかなーって」

「その…私は…常日頃となんら変わった意識はないのですが…」

「そっか〜」

「はい」

 互いに何とも言えぬ顔である。
傍から見ていた昌信がこほんと一つ咳払いした。
二人に視線が同時に彼に向く。

「よろしいでしょうか、姫」

「どうぞ」

 掌を差し出して促せば、昌信はの抱いた違和感をさらりと拭い去ってみせた。

「こう考えては如何でしょうか。幸村殿の変化は戦ではなくてですね」

「はい」

「声変わり、のようなものだと」

「ああ! なるほど!」

 幸村だけが理解に追いついていないようで、昌信との間で視線を巡らせた。

「男は大人になる過程で声が変わります。幸村殿が迎えた変化は武士としては特に珍しい事ではございませんから、
 姫が御心を痛める必要はございませんよ」

「え、様、どこか痛めいらっしゃるのですか!?」

 幸村はこういう時だけやたらと反応が早い。

「え、いや、大丈夫だけど…って、メッチャ反応早い! なんでこういう事になると、理解が早いの!?」

「ほらね、彼の本質は何ら変わっていませんでしょう?」

 昌信がくすくす笑いながらに安堵を促した。

「本当、何時も通りだ。私の取り越し苦労だったね」

 からから笑ったは残りの饅頭の包みに封をすると懐にしまった。
それから幸村の横へと進むと当たり前にように彼の腕を取った。
 驚いた幸村が僅かに肩を跳ね上げる。

様!? このような往来で、戯れが過ぎます!」

「えー、なんでよー。前に約束したでしょ〜?」

「や、約束…でございますか?」

「あれれ? もう忘れちゃった? 落ち着いたら、城下町でお汁粉食べて、買い物して、お城に帰ったら
 お風呂入る時に二人で替え歌歌おうね! って約束、してたじゃない」

 それは、かつての命を繋ぐために供物として天に差し出したはずの約束。
それを今この場で口にされると思っていなかった幸村の眉が八の字に歪む。

「え、何!? そんな、泣くほど嫌?」

「いえ、そうではなく!」

 掠れた声で否定して、己の瞼を幸村は拭い去った。

「嬉しかったのです、覚えていて下さったことが」

「約束? 忘れないよ、他でもない幸村さんとした約束だからね」

 二人のやり取りを微笑まし気に眺めていた高坂昌信が気を利かせたように距離を取った。

「幸村さんだって私と約束したら、絶対忘れないでしょ?」

「ええ、命を懸けて誓います」

「いや、命まで懸けなくていいけどさ」

 「大げさすぎる」と幸村の腕を引くに、他意があるわけがない。
あの日の告白は災害の余波で有耶無耶になっているに違いないのだ。
けれども幸村は知っている。

『…今さらだけどね……勝手な思い込みだけどね…。
 …何時も無茶出来たのは……何かあった時、必ず、必ず幸村さんが私を助けてくれるって……私、信じてた…
 …うんん、知ってたの……だから、無茶、出来てたんだなぁ……。
 ごめんね、何時も何時も巻き込んで……本当に…ごめ…ん…ね…』

 が大胆なのも、無茶をしがちになるのも、真田幸村という忠臣が傍らにあってこそだ。
時に大胆不敵になり過ぎるきらいはあるが、そこは自分が傍で補佐を務めればよいだけの事。
何も年がら年中、無休で目くじらを立てる必要はなかろうと思う。

『以前の私なら、辿り着けなかった境地かもしれない』

 楽しそうに城下町の散策を開始したに手を引かれて付いて回りながら、自分の成長に思わず笑みが漏れた。
一昔前であれば躍起になっての後を追い回していたはず。
安全な城に押し込めて、一国の姫として、主としての自覚を促していたはず。
 それはの本質を知らぬ者に謗られぬ為の配慮であるが、同時に、誰かの目に触れさせることでの心に"特別"を作らせない為の言い訳だったのかもしれない。
今になって建前に押し込めていた小さな小さなエゴが顔を出す。
  夢のように立ち消えた一時を経て、ようやく素直に認めることが出来た本音は、恐らくが自らの言葉で幸村の想いを肯定してくれたからだ。

「今日はどの音曲を奏でましょうか?」

「そうだな〜。今日はトランスかユーロビートがいいかな〜」

「おや? 今日の音曲は"君の為なら死ねる"や"レッツゴー! 陰陽師"ではないのですね」

「うん、今日は思い切り、ディスコミュージック系を熱唱したい」

「ではぐろーぶ殿の歌でも奏でますか?? ケイコ殿のぱーとは私が歌いましょう」

「やった! じゃ、私はマークパンサーね〜」

  ニコニコ楽しそうなの掌を幸村は自らも力を込めて握り返す。

「その前に、買い物でしたね。どちらに向かいましょうか?」

 二人が前に交わす会話の内容はよく分からない。
が、二人のとってはとても大切なのだと分かるから、高坂昌信は穏やかに微笑んで見守る。
この約束が余計なトラブルを生む原因になることなど、この時の三人は想像していなかった。

 

 

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