出雲の阿国 |
―――――南には魔女が住むという――――― かの魔女は天候を操り、隣国を尽く従属させた。
けれども、惑わされることなかれ。
―――――南には魔女が住むという―――――
魔女は冷酷だ。死までもを冒涜する。
―――――南には魔女が住むという――――― 怖れよ、かの魔女を。
―――――南には魔女が住むという――――― かの者は天命を受けし者と詐称する、天をも恐れぬ美しき悪魔だ。
―――――南には魔女が住むという――――― 刻みつけよ、人の子らよ。 ・
「皆様方は御存じですかな? 先頃、領内に現れた者が音曲に合わせてこのような歌を奏で聞かせているとか…」 「…謙信殿、お心当たりはございますか?」 「謙信の易に相違なし」 「そうですか……やはり、かの歌は…貴方の易に出た結末は…避けられぬのですね」 憂いを帯びた面持ちで、美丈夫は天守閣より眼下に広がる街を見やった。 「…明智殿」 「なんでしょうか、忠勝殿」 「某、かような歌には興味はござらぬ。だが、かの地で我が主が囚われの身とあれば話は別」
「稲もです。どうかかの国を攻め滅ぼした暁には、我らが殿への温情を賜れるようお願い致します!! 眉目秀麗な戦姫と彼女の隣に座す巨漢の武士の瞳には、屈辱に耐え忍ぶ者独特の強い光があった。 「分かっています。ですが、安易にかの国を攻める事は許しません」 「何故ですか?!」 いきり立つ姫の言葉を視線で制して、美丈夫は言う。 「かの者が魔女であれば、何を仕掛けてくるのか分かりません。 「…っく!!」 「耐えよ、稲。必ず、道は開ける」 「はい、父上」 己の拳をぎりぎりと握り締める姫から視線を反らして、美丈夫は白装束の長身の男を見やった。 「謙信殿、易に変化があれば、逐一教えて下さい。 室の隅に座していた妖艶たる美女が、美丈夫の憂いのある横顔を眺めて唇の端を歪めて嗤った。 「何ですか?」 「随分と、焦っているのねぇ、光秀…そんなに、あの人の力が欲しい?」 「……はい……」 「素直ね」 「ですが…それは、叶わない……ならば、我らに出来る事をするのみです」 「そう……」
妖艶たる美女は彼から視線を逸らすと、己の手の中で遊ばせていた賽を振った。 「あら……やっぱり、一筋縄ではいかないみたいよ」
カラカラと音を立てて器の中で転がっていた賽は、やがて互いにぶつかり合い、二つが六の目を出して止まり、最後の一つだけが器から飛び出した。 「…本当に、"魔女"かもね」 美女の独白を笑い飛ばせる者はここにはいなかった。
目が覚めた時、の傍にはそこにあるはずのない見知った顔が一つだけあった。 「……太閤…様…?」 「ああ、良かったんさ!! お目覚めになられましたか!!」 秀吉がの声を聞き、安堵したように顔を崩す。 「えっと…ここは…?」 視線を動かせば、見知った景色が目に入る。 「無事にお戻りになられて良かったんさ!!」 「私達……助かった…? あ…そうだ、皆は?!」 飛び起きようとして、同時に強い眩暈に襲われる。 「駄目じゃ、駄目じゃ。無理しちゃ、いかんのさ」 「で、でも……」 「みな無事じゃ。命繋いで、ちゃんとに戻ってるんさ」 「…そう…良かった…」 「様は、まずは静養じゃ。 城に戻ってくるまで、ずーっと眠っておられた。 「…あ…はい、ごめんなさい」
元より喜怒哀楽がはっきりとしている秀吉だ。言葉と同時に彼の顔色もくるくると変わる。 「ァ千代さんは?」 「佐治がつきっきりで看とるわ。早い段階で応急処置がなされていたんで、大事にはなっとらんのさ」 「そう……じゃ家康様と、三成は? 二人とも無事だった?」 「二人とも無傷っちゅーわけにはいかんが、死に至るような負傷もしとらんよ。お付きの兵や、くのいちもそうじゃ」 「そう、良かった」 が安堵の笑みを浮かべるのを見て、秀吉もニコニコ笑う。 「とてつもないごたごたにになってたような気がするけど…大丈夫だったのかな…」 「そうじゃのう…。今方々に使いを出して情報を集めとるんさ。事が事だけに朝廷も動いとる」 「そう…」 「様の疲れが取れた頃には、答えが出ているはずじゃよ」 だからこそ、今は休めと、秀吉は布団の上からの胸の上をぽむぽむと軽く叩いた。 「なら、早く…元気にならなくちゃね…」 「そうじゃな。皆、待っとるんさ」 ゆっくりと瞼を閉じ、全身から力を抜いた。 "人の定めを変えるは、神に在らず。人自身よ" "受け入れた時、開かれる道もあると知れ" 天魔と名乗ったあの男は言った。 『分かんない…どうしたらいいのよ? どうしろっていうの…?』
相談できる相手は時の狭間に消えて、掌中に残ったのは山積みの問題ばかり。 『大丈夫……まだ、私は大丈夫……まだやれる……今はただ…疲れてるだけなんだ…』 この世界に戻れば、頼もしき家臣達が自分を支え、護ってくれる。
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