出雲の阿国

 

 

 阿国の出現に端を発したの機嫌の悪さは、それから数日経っても緩和される事はなかった。
というのも肝心の阿国が城下町に居座ってなかなか国外へと退去しなかったのである。
初日に類を見ない慶次の優しさに触れた阿国は、味をしめたかのように居座り続け、何かと理由をつけては慶次にすり寄り、彼を連れて街中を徘徊していた。
 どういうことかとの代理として幸村が慶次を問い詰めれば、

「体よく所払いをしたいんだが、これがまたなかなか上手くは行かなくてねぇ」

 との回答があった。
彼としては現状に難儀しているようで、決して歓迎ムードではないらしい。
とはいえ、その言い訳が七日も連続で続くようになると、流石に嘘臭さの方が強くなってくる。

『…皆が執務に忙殺されているって時に、何してるのよ!!!!』

 自身の抱え込んだ怒りが女としての嫉妬なのか、はたまた職務怠慢へ対する怒りなのか、判別が出来ぬこともあってのイライラは頂点を極めつつあった。

「…で、聞いているのか? お前は」

「え、あ、ごめん。なんだっけ?」

「暗殺疑惑の件だ」

 の苛立ちが伝染でもしているのか、三成がムスっとした顔で一通の書状を放り出した。
差出人の名には徳川家康とある。
 三成と家康は早々と治療―――――三成は簡単な手術で、家康は骨接ぎだった―――――を終えていて、よりも早い段階で執務に復帰していた。
 本来であれば家康がの傍を離れるのは極力避けたい事ではある。
が、今回はそうも言っていられなかった。
 が臥せっている間も世の中の時は止まってはくれない。
なにしろ先の騒乱は各国の主要な人物が集った場で起きた暗殺騒動である。
民間にこの騒動が広まる前に鎮火しようと躍起になるのは、どの国とて同じだ。
特に家は首謀ではないか? との疑惑をかけられた為に、より一層、真摯且つ迅速な対応をする必要があった。
 暗殺疑惑の釈明の場へ人間関係のデストロイヤーである三成を出向かせるのは、余計な火種を抱える事にも成りかねないと踏んだ秀吉と家康は、泣く泣く苦渋の決断を下した。三成は領下での采配を揮い、かの地へは当事者でもあった家康が家の代表として赴くことになったのだ。

 家としての弁は「事実無根である」という主張、唯一つだ。
この弁を一切崩さずに、朝廷と各国に理解を求めねばならない。
真に事実無根であるから楽なように思いがちだが、そこは戦国乱世。
どこにどのような落とし穴があるか、分からない。

まして今回は死者を多く出した騒動である。質疑応答には熟慮した回答を随時示さねばならなかった。
 事と次第を考えれば妥当な人選だ。
が、家が密かに抱える問題を思えば、悪手以外の何物でもなかった。

「それで、どうなの? 誤解は解けそう?」

「結論から言えば、誤解は解けた」

「本当? よかった〜」

 拍手でも打って喜びそうなを視線とわざとらしい咳払いで三成は黙らせる。

「何、なんか問題でも…?」

「大有りだ。どこかのクズがこの話を朝廷に持ち込んだ事はお前ももう知っているな?」

「うん。床に臥せってる時に秀吉様がそれとなく教えてくれた」

「そうか。ならば話を続けるぞ」

「うん」

 三成は評議机の上に広げた書状の一文一文を扇で示しながら諳んじた。

「先も言ったように疑惑は晴れた。
 明智家配下の前田利家殿の証言も多少加味されてはいたが、決定的だったのは被害者本人の弁だ」

「被害者…ってことは、あの斬られてた人、生きてたんだ?」

「そうなるな。その者が朝廷からのお召しに応え、評定で全ての経緯を証言したと噂で聞いている。
 お前がその男を救った時に使った帯が物証にもなったから、全ての計略は当家と何ら関わり合いのない
 濡れ衣であるとの主張が勝って当然だ」

 いい事をすれば必ず自分に巡り巡って帰ってくるとはこのことだろう。
は「そっか、良かった〜。あの人死なないで済んだんだ」と素直に喜んでいた。

「喜ぶにはまだ早い」

「え…?」

「先の件が何者かによる策略だった場合は話が変わってくる。
 いかに物証、証言があろうとも、真実が覆ることが世には往々にしてあるのだよ」

「そんな!」

「理不尽か? だが乱世とはそういうものだ」

 三成の弁には言葉を失い、視線を伏せた。

「でも…今回の場合は平気だったんだよね?」

「ああ。今回は、な」

 引っかかる言い回しには自然と口を噤み、三成の言葉を待った。

「……今回の場合、何よりも決定的だったのは"力ある者"が家康の証言の後ろ盾に立った点にある」

「力ある者…? 誰が助けてくれたの?」

「松永久秀だ」

「え…あの…松永さんが?」

 関で見かけた、穏やかな眼差しを持つ理知的な男の顔がの脳裏に過った。

「同盟だから、助けてくれたって事?」

「どうだかな。家康の書状では、今回の暗殺は明智を狙ったものだと判明した。
 あれだけ急速に軍事力で領地を拡大していれば、恨みの一つや二つは買っていて不思議はない。
 辻褄が合うには合う。が……それだけではないという気がしないでもない」

「というと?」

「松永久秀が一枚噛んでる事自体が、気に入らぬのだよ」

「どうして?」

「あいつがけしかけた上で、の後ろ盾に体よく収まったのではないかと、家康は読んでいる。
 そしてその見解は、俺の見解とも一致する」

 は眉を寄せた。
うーんうーんと唸りながら、眉間をぐりぐりと親指でこねくり回した。
考え事をする時の独特の癖だ。

「ねぇ、ずっと不思議だったんだけど、なんで家康様と三成って松永さんが嫌いなの?」

「嫌いなのではない。信用する理由が皆無なだけだ」

 即答だ。取りつく島もない。

「それってさ、彼が不忠者だから?」

「そうだ。主家に牙を剥くなど、そうはある話ではない。
 余所に流れた後に主家に弓引くのであればまだしも……奴のように下についていながらにして
 それを成し得るというのは、並大抵のことではないのだぞ。

 想像してみろ、お前が俺や秀吉様、家康に裏切られ死を受けるようなものだ。
 無論俺や秀吉様はそんなことはしないが。

 そんなあり得ぬことを、奴は何食わぬ顔をしてしたわけだ。信じろという方に無理がある」

「それも…そうか……毛利さんのところともずっと同盟だったはずなのに土壇場で裏切ったしね」

「奴の次の標的は、明智であり、同時にでもあるのやもしれぬ」

「…なんか困ったね…」

「ああ、盛大に困っている」

 珍しく三成が溜息を吐いた。

「朝廷からが睨まれず、嫌疑が晴れたのは度々松永久秀が口を挟んだからだ」

擁護の立場で?」

 こくりと三成が頭を縦にふった。

「朝廷も松永久秀を敵には回したくないのだろう。
 奴に靡く貴族も少なくはないし、奴の背後には本願寺・顕如もついている。
 下手に拗らせれば…」

「ただの戦争じゃなくて宗教大戦争にまで発展しかねない?」

「だろうな。平然と主家を潰した男だ。
 今更朝廷も帝も、怖れるような男ではあるまい」

 三成の弁は至極尤もではある、尤もではあるのだが、どうにもこうにもしっくり来ない気がした。
関で見かけた彼の風貌や物腰からは三成達が言う様な危険性はどうしても感じる事は出来なかったのだ。

「あいつが口を挟んだ事で、一先ずこの件に関してはは難を逃れた。そこは安堵してよいだろう。
 だが代わりに、は奴に更に恩を売られたことになる」

「うわぁ……タダより怖いもはないって言うし……なんか、後々大変な事になりそう?」

「可能性の話だがな」

「どうしよう…?」

「見返りさえ求められればどうとでも出来るが、奴はそれをして来ない。それが厄介だ」

「ますます、困ったね…」

「その通りだ」

 二人で唸って頭を抱えていると、室の外から左近の声がした。

「そんなに深く思い悩む事はありませんよ。そうなった時に考えればいい」

「左近さん!」

「左近」

 二人同時に顔を上げれば、飄々とした様子の左近が暖簾をくぐって室に入って来た。

「お二人とも生真面目に取り合い過ぎだ。こういう時は、事が起きるまでほっとくに限る。
 目に見えないもの相手にゃ、備えられないことだって往々にしてありますからねぇ。
 今は出来ることから片付ける、その方が賢明ってものですよ」

「道理だな」

 三成が頷き、も「それもそっか」と相槌を打つ。

「で、横からすいませんけどね。姫」

「あ、はい。どうしました? 何か問題でも起きた?」

 書状を三成が片付け始め、の視線が左近へと向く。
左近は小さく首を左右に振った後、薄らと口元に笑みを浮かべた。

「どうぞ、入って下さい」

「?」

 左近が声をかければ、青白い面差しの立花ァ千代が評議場の敷居を跨いだ。
女性らしい着物ではなく袴姿での参内に、はほんの少し度肝を抜かれた。

「ァ千代さん…もう動いていいの? 安静だったはずじゃ…?」

 驚くの前、左近の一つ後方へと腰を落としたァ千代は、流れるような立ち居振る舞いで畳に三つ指をついた。

「先の騒乱において、我が身を救いたもうた温情、感謝致します」

「え? あ、いえ…あの時は、御互い様って言うか、なんていうか…」

 小さく下げた頭が僅かに上がり、視線で「黙れ」とすごまれる。
は自然と言葉を呑んだ。
書状を片付けた三成が腕を組み、じろりとァ千代を睨む。
ァ千代はそんな三成の鋭い視線をものともせずに、ゆっくりと顔を上げた。

「立花は礼節を知る。受けた恩には必ず報いる」

「はぁ…」

「これからは立花が剣、殿と共にあろう」

「え、それって……家に仕官してくれるって、そういうことっ?!」

 が目を丸くし、左近と三成の顔を見やれば、二人は同時に表情で「そうだ」と答えた。

「いいの? それで、ァ千代さんは平気なの? 松永領にご家族とか…」

「心配には及ばぬ。乱世であれば、身の処し方は弁えている」

「そっかぁ……有り難う! なんだか嬉しいよ」

「そうか?」

「うん! だって、ごたごた続きであまりいい事なかったからね。
 一人でも味方が増えるとか、いい事があるとそれだけで気持ちも上向いてくるじゃない」

「そういうものか。ならば僥倖だ」

「役職の事とかは、ァ千代さんが完全に回復してから考えるからね」

「あい分かった。このような身では後れをとるは必定。今は恥を忍び雌伏の時としよう」

「うん。元気になったら滅茶苦茶頼るから、そのつもりでいてね」

「任せおけ。では、私はこれで失礼する」

「うん。有り難う! これから宜しくね!」

 再度ァ千代は礼をし、速やかに室を離れた。
視線で左近、三成が見送り、肩で息を吐く。

「これで更に一つ問題が片付いたな」

「ですな」

「後でこの事、松永さんに伝えないとならないよね?」

「そこはご心配なく、もう手は打ってありますんで」

「そっか、なら良かった。ありがとね、左近さん」

「…というより、信じてもいいのか?」

 一時は安堵もしたものの、本当に信じてもいいものかと三成が独白する。
すると左近が答えた。

「殿と同じです、不器用な生き方をされてるお方だ。
 埋伏の毒は彼女の自尊心を大きく傷つける策でしかないでしょう。
 信じていいと思いますよ」

「そうだよ、信じようよ。
 もし本当に策略とかだったりしたらさ、あの時身を呈して助けてくれたりなんかしなかったと思うよ」

「……それもそうだな…」

「三成、気を張り詰め過ぎは体にもよくないよ?」

「お前に言われる筋合いではない」

 「何よ、もー。心配してあげているのに」と室の中から朗らかな声がする。
やいのやいのと賑々しい声が上がったところを見ると、また三成とが何やら言い合いを始め、左近がそれを上手く緩和しているのだろう。
 室の外の白壁に寄りかかりながら、ァ千代は瞼を閉じて小さく苦笑した。

『…我が身が囚われた時より、この結末は天より定められていた事なのやもしれぬ……。
 父上、宗茂…許せ。には…立花の剣がいる。あの娘は、どうしても捨て置けぬのだ…』

 左近の示唆したとおり、埋伏の毒の可能性はないらしい。

 

 

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