出雲の阿国 |
阿国の出現に端を発したの機嫌の悪さは、それから数日経っても緩和される事はなかった。 「体よく所払いをしたいんだが、これがまたなかなか上手くは行かなくてねぇ」 との回答があった。 『…皆が執務に忙殺されているって時に、何してるのよ!!!!』 自身の抱え込んだ怒りが女としての嫉妬なのか、はたまた職務怠慢へ対する怒りなのか、判別が出来ぬこともあってのイライラは頂点を極めつつあった。 「…で、聞いているのか? お前は」 「え、あ、ごめん。なんだっけ?」 「暗殺疑惑の件だ」 の苛立ちが伝染でもしているのか、三成がムスっとした顔で一通の書状を放り出した。 「それで、どうなの? 誤解は解けそう?」 「結論から言えば、誤解は解けた」 「本当? よかった〜」 拍手でも打って喜びそうなを視線とわざとらしい咳払いで三成は黙らせる。 「何、なんか問題でも…?」 「大有りだ。どこかのクズがこの話を朝廷に持ち込んだ事はお前ももう知っているな?」 「うん。床に臥せってる時に秀吉様がそれとなく教えてくれた」 「そうか。ならば話を続けるぞ」 「うん」 三成は評議机の上に広げた書状の一文一文を扇で示しながら諳んじた。 「先も言ったように疑惑は晴れた。 「被害者…ってことは、あの斬られてた人、生きてたんだ?」
「そうなるな。その者が朝廷からのお召しに応え、評定で全ての経緯を証言したと噂で聞いている。 いい事をすれば必ず自分に巡り巡って帰ってくるとはこのことだろう。 「喜ぶにはまだ早い」 「え…?」 「先の件が何者かによる策略だった場合は話が変わってくる。 「そんな!」 「理不尽か? だが乱世とはそういうものだ」 三成の弁には言葉を失い、視線を伏せた。 「でも…今回の場合は平気だったんだよね?」 「ああ。今回は、な」 引っかかる言い回しには自然と口を噤み、三成の言葉を待った。 「……今回の場合、何よりも決定的だったのは"力ある者"が家康の証言の後ろ盾に立った点にある」 「力ある者…? 誰が助けてくれたの?」 「松永久秀だ」 「え…あの…松永さんが?」 関で見かけた、穏やかな眼差しを持つ理知的な男の顔がの脳裏に過った。 「同盟だから、助けてくれたって事?」
「どうだかな。家康の書状では、今回の暗殺は明智を狙ったものだと判明した。 「というと?」 「松永久秀が一枚噛んでる事自体が、気に入らぬのだよ」 「どうして?」 「あいつがけしかけた上で、の後ろ盾に体よく収まったのではないかと、家康は読んでいる。 は眉を寄せた。 「ねぇ、ずっと不思議だったんだけど、なんで家康様と三成って松永さんが嫌いなの?」 「嫌いなのではない。信用する理由が皆無なだけだ」 即答だ。取りつく島もない。 「それってさ、彼が不忠者だから?」 「そうだ。主家に牙を剥くなど、そうはある話ではない。 「それも…そうか……毛利さんのところともずっと同盟だったはずなのに土壇場で裏切ったしね」 「奴の次の標的は、明智であり、同時にでもあるのやもしれぬ」 「…なんか困ったね…」 「ああ、盛大に困っている」 珍しく三成が溜息を吐いた。 「朝廷からが睨まれず、嫌疑が晴れたのは度々松永久秀が口を挟んだからだ」 「擁護の立場で?」 こくりと三成が頭を縦にふった。 「朝廷も松永久秀を敵には回したくないのだろう。 「ただの戦争じゃなくて宗教大戦争にまで発展しかねない?」 「だろうな。平然と主家を潰した男だ。
三成の弁は至極尤もではある、尤もではあるのだが、どうにもこうにもしっくり来ない気がした。 「あいつが口を挟んだ事で、一先ずこの件に関してはは難を逃れた。そこは安堵してよいだろう。 「うわぁ……タダより怖いもはないって言うし……なんか、後々大変な事になりそう?」 「可能性の話だがな」 「どうしよう…?」 「見返りさえ求められればどうとでも出来るが、奴はそれをして来ない。それが厄介だ」 「ますます、困ったね…」 「その通りだ」 二人で唸って頭を抱えていると、室の外から左近の声がした。 「そんなに深く思い悩む事はありませんよ。そうなった時に考えればいい」 「左近さん!」 「左近」 二人同時に顔を上げれば、飄々とした様子の左近が暖簾をくぐって室に入って来た。
「お二人とも生真面目に取り合い過ぎだ。こういう時は、事が起きるまでほっとくに限る。 「道理だな」 三成が頷き、も「それもそっか」と相槌を打つ。 「で、横からすいませんけどね。姫」 「あ、はい。どうしました? 何か問題でも起きた?」 書状を三成が片付け始め、の視線が左近へと向く。 「どうぞ、入って下さい」 「?」 左近が声をかければ、青白い面差しの立花ァ千代が評議場の敷居を跨いだ。 「ァ千代さん…もう動いていいの? 安静だったはずじゃ…?」 驚くの前、左近の一つ後方へと腰を落としたァ千代は、流れるような立ち居振る舞いで畳に三つ指をついた。 「先の騒乱において、我が身を救いたもうた温情、感謝致します」 「え? あ、いえ…あの時は、御互い様って言うか、なんていうか…」 小さく下げた頭が僅かに上がり、視線で「黙れ」とすごまれる。 「立花は礼節を知る。受けた恩には必ず報いる」 「はぁ…」 「これからは立花が剣、殿と共にあろう」 「え、それって……家に仕官してくれるって、そういうことっ?!」 が目を丸くし、左近と三成の顔を見やれば、二人は同時に表情で「そうだ」と答えた。 「いいの? それで、ァ千代さんは平気なの? 松永領にご家族とか…」 「心配には及ばぬ。乱世であれば、身の処し方は弁えている」 「そっかぁ……有り難う! なんだか嬉しいよ」 「そうか?」 「うん! だって、ごたごた続きであまりいい事なかったからね。 「そういうものか。ならば僥倖だ」 「役職の事とかは、ァ千代さんが完全に回復してから考えるからね」 「あい分かった。このような身では後れをとるは必定。今は恥を忍び雌伏の時としよう」 「うん。元気になったら滅茶苦茶頼るから、そのつもりでいてね」 「任せおけ。では、私はこれで失礼する」 「うん。有り難う! これから宜しくね!」 再度ァ千代は礼をし、速やかに室を離れた。 「これで更に一つ問題が片付いたな」 「ですな」 「後でこの事、松永さんに伝えないとならないよね?」 「そこはご心配なく、もう手は打ってありますんで」 「そっか、なら良かった。ありがとね、左近さん」 「…というより、信じてもいいのか?」 一時は安堵もしたものの、本当に信じてもいいものかと三成が独白する。 「殿と同じです、不器用な生き方をされてるお方だ。 「そうだよ、信じようよ。 「……それもそうだな…」 「三成、気を張り詰め過ぎは体にもよくないよ?」 「お前に言われる筋合いではない」 「何よ、もー。心配してあげているのに」と室の中から朗らかな声がする。
『…我が身が囚われた時より、この結末は天より定められていた事なのやもしれぬ……。 左近の示唆したとおり、埋伏の毒の可能性はないらしい。
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