出雲の阿国

 

 

様、うちと一緒に出雲に住のか?」

「……ハイ?」

 鳩が豆鉄砲でも食らったように、の目は瞬きを何度も繰り返した。

「うちと一緒に、出雲でゆったり暮らしまひょ」

「エ…?」

「出雲はええとこどす。こないな田舎より、よっぽど様に御似合やわぁ」

 いつの間にか馬乗りになられ、ずずいと美しい巫女に迫られる。
当然のことながらの頭はパンクしそうなくらい混乱していた。

「あの…なんで…? え、何言って…?」

「せやから、うちと一緒に出雲に往きましょ、言うとりやす」

「え、いや、ちょっ…ちょっと待って…? この流れおかしくないですか?
 話の流れ的に、ここはどう考えても慶次さんを強奪してゆく…って、そういう話になるべきだと思うんですけど?」

 みしみしと耳元で茶店の柱が軋む音がする。
パラパラと何かが肩に落ちて来ている気がする。
それも茶店の大黒柱の木片と思しき、何かが。

「はぁ…そないお話もあるやもしれまへんけど……今、うちが欲しいんは様や。慶次様は様の次で宜しいわ」

「え…つ、次? 次ってなんですか? 次って…?」

「次は次や。そうですなぁ…簡単に言ってしまえば…様が本妻、側室が他の方みたいなものですえ?」

「あ…あ…あの…言ってる事の意味が、よく分からないんだけど…?」

「そんな心配せんと、順番の事は心配あらしまへんえ。
 いっくら慶次様が移り気ゆうても限度がありますのや。
 様がうちと来はったら、慶次様の方から追いかけて来はります。何も問題あらしまへんぇ?
 ですから出雲でうちと様と、慶次様と、三人で仲よう、楽しく暮らしましょ」

 ベキィと音を立てて、大黒柱に亀裂が入った。
それに気がついてはならない。何かの気のせいだと、自分自身に言い聞かせながら、は懸命に言葉を探した。
抱え込んだ劣等感や、焦り、怒りはどこへやら、今のの背には言いようのない恐怖だけが広がっていた。
 それを気取ったのか、阿国の白く美しい指先がの顎へと伸びる。

「そう脅えんと、悪いようにはしませんえ? うちに全て任せておくれやす」

「いやいやいや、あの、私、女ですし…っていゆうか、任せるって何をどのように…?」

「女子言うんは存じとります。うちかて女子や。せやけど、そないなこと些細な事や」

「いや、全ッッッッッッ然、些細じゃないと思うんですけど!!!!!!」

 額に玉粒の汗が浮き、背筋にはぴったりと悪寒が貼りつく。
の動揺、混乱、恐怖をものともせず、阿国は真昼間の往来で迫り続ける。

「不安になることはありまへん。女子の事は女子が一番よう分かっとりやす」

「はぁ…そうですねって、流されちゃまずい! ええ、ええと…ええとですね……その……えーと、その…だから…」

 朱塗りの唇がの唇に近付き、睦言を囁き続けた。

「殿方の事は、すぐに忘れさせて差し上げますよって。
 さあ、力を抜いて…気持ちを楽にしてうちに全て任せておくれやすぅ」

「ちょっ、ええええええええっ?!」

 の中の混乱が頂点を極めた。
が両の瞼を閉じて悲鳴を上げれば、次の瞬間、大地がドオォン!! と大きく音を立てて振動した。
驚いて閉じた瞼を開ければ、自分の上にいた阿国の姿はなかった。
視線を周囲に走らせれば、阿国は往来にて番傘を構えてゆるりと立っている。

「阿国さん、ちょっとやり過ぎだぜ?」

「慶次様〜、やはり来てくれはりましたなぁ」

「え、何? 私、餌だったって事?」

 椅子の上で身を起してが問えば、阿国はにこにこ笑顔をに向けて言った。

「それはちゃいますえ〜、様誘い出して出雲に連れ帰るんがうちの目的どす。
 護衛いわはるし、慶次様と一緒におったら、何時か会える思うとりました。
 せやけど、なかなか出てきはらへんから、ぎょうさん困ったわぁ」

「え、いや…なんで? どうして?」

 理解が出来ないとが瞬きすれば、慶次がを呼んだ。

さん、元より阿国さんはこういうお人なのさ。性別やら氏素性やらは一切関係ねぇ。才知ありゃ、誰でもいい」

「…だ、誰でもいいって…せ、性別って結構大事だと思うんだけど…?」

「頭の切れる阿国さんが、この時期、に来るなんざ、どうにも合点がいかない。
 大方こんなこったろーと思ってたぜ」

「え…じゃ…最初から…それで?」

「ああ。だからこそ、俺としちゃ二人を引き合わせるのが嫌だったんだよ」

「まぁ、慶次様酷いこと言いますなぁ。
 様の前で人聞きの悪いこといわんといておくれやす。嫌われてしまうわ。
 うち、これでも厳選してますのえ?」

 二人はじりじりと往来の中で距離を測り出した。

「厳選ねぇ…他にもいい奴は山といると思うがね? なんでさんに白羽の矢が当たったんだい?」

「そうですなぁ……様は女子の身で一国を成し得た大器や。様と出雲へ帰れば、神さんも喜びます」

「え、そんな無茶苦茶な…」

 が独白すれば、阿国はを見つめると、にっこりと微笑んだ。
の背に貼りついていた怖気が一層強くなる。

「いいえ、無茶あらしまへんぇ。これは様の為でもあのますのえ?」

「そ、そうなの?」

 が瞬き、慶次が眉を動かせば阿国は小さく頭をふった。

「慶次様は巻き込まれ体質いわはりますけど、そうじゃおへんえ。
 様が神聖やからこそ、聖も邪も引き寄せてしまうだけや。
 出雲は神さんの土地や、様と相性が悪いはずあらしまへん。
 様が政をするんは、こんなド田舎よりも…神さんの加護がある出雲がええに決まってます。
 様は家臣の皆さんの事気にされとるようやけど…皆さんは後から勝手についてきはったらよろしいわ」

「そんな道理はでは通せないぜ?」

 二人の会話を聞いて、は一つの事実を悟った。
阿国の狙いは慶次、邪魔者がではない。
当初から、阿国の狙いは、邪魔者が慶次だったのだ。

「あ、あの! ええと、お、阿国さん!! ごめんね、私ちょっとそういう趣味は…!!」

 図式を悟ったが慌ててやんわり断ろうとするが、阿国は当然聞きやしない。

「さっきの啖呵、ほん痺れたわぁ。益々、ご一緒したなりました」

「いやいやいや、私みたいな一般ピープルを連れて行っても神様が迷惑するだけだし!!!」

「気にしまへん。うちがご一緒したいんですわ」

「だから、それならに下りなって言ってるだろ?」

「いややわぁ。うちは様の一番になりたいんどす。
 あんさんらと同じ位置には興味おへんえ。いんどくれやす」

 先に仕掛けたのは阿国だった。
強く踏み込んで番傘が宙を切る。

「生憎、こっちも引けねぇ!! 本人が嫌だって言ってる以上、連れてかせるわけにはいかねぇさ!!」

 慶次が一歩後退して鉾を揮えば、二人はあっという間に鍔迫り合いへとなだれ込んだ。

「ちょ…ちょっとぉ、お願いだからこんなところで止めてよー!! 暴れないでぇぇぇぇ!!!!」

 「女性相手に本気にならないで」と慶次に言おうとしたのは束の間だった。
阿国の身のこなしが名立たる副将以上と知ると、は城下町が被る損害の額を気にし始めた。

「それは慶次様にいうておくれやす〜」

「阿国さん、力づくで摘まみだされる前に余所へと流れな」

 双方一歩も譲らぬ鍔迫り合いを繰り広げながらの会話である。
奇妙奇天烈なことこの上ない。

「ああ! もう、どうしよう? こういう場合は…どうしたらいいのよっ!!」

 その場に立ち上がったがうろうろと歩き回った。
右へうろうろ、左へうろうろ、また右へうろうろ。
更に左へと踵を返した瞬間、の眼前には見慣れてしまった黒と赤の甲冑が現れた。

「……………」

 この後の展開がどうなるのかを予測したが、思わず目頭を押さえる。

「……なんであんたは…こういう時に限って……」

 脱力感から来た独白を無視して、の体に荒縄が掛けられる。

「ちょっと、降ろしてよぉぉぉぉぉぉ!!!」

 簀巻きにしたを肩に担ぎあげて、現れた男は名乗りを上げた。

「我は風魔……混沌を呼ぶ風…」

 「それはもういいー!!!」とが泣き叫び、声を聞きつけた慶次の顔色が変わる。
その一瞬の隙を突いて、鍔迫り合いを阿国が制した。

「はいっ!」

「ぐおっ!」

 連撃が見事に決まり、慶次がよろめく。
彼が体勢を立て直す前に、風魔は阿国の前へと進み出ると、簀巻きにしていたを投げ渡した。

「行け」

「助かりますわぁ。ほなら慶次様のことお頼み申します〜」

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 を抱えて、阿国はそそくさと退場し始める。

様、今は混乱してるだけどす。
 うちがこれからゆっくり、じっくり、緊張解してさしあげますよって、安心しておくれやす〜」

「私は、男の人がいい〜!!!! ってゆーか、せめてお友達からでー!!!! 

 泣き叫びながら連れ攫われてゆくを追おうとする慶次の行く手を、茶化したいだけの風魔が阻む。
当然、これに慶次が激怒しないはずもなく、そこで損害額など度返しにした派手な大立ち回りが勃発した。

 

 

「やれやれ…降りて来てみたらこの騒動ですか…」

「あら……色っぽいお方やわぁ…」

「ま、手間が省けて僥倖だがね」

 邪魔する者がいなくなった阿国の逃走経路に現れたのは城から降りてきた左近だった。

「すいませんがねぇ、その方、返してもらいますよ?」

「さ、左近さん、お願い助けて!! 女の人なので手荒にしないようにしつつ!!!」

「やぁ、うちの事き気してくれはるんどすか、お優しいわぁ。益々、連れて帰りたくなりますえ」

「ううううう…もうどうしたらいいのよぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」

 混乱するを阿国は軽々と放り投げた。
立て直しが済んでる長屋の屋根の上へと尻からが落ちる。
美しいが怖気しか呼び覚まさないような笑みで、阿国はに対して言った。

「そこでのんびり観戦してておくれやす。すぐ済みますえ」

「……なんで? どうして? なんなの、この人?! 何時もこうなの?! これが普通なの?!
 巫女なんじゃないのーーー!?」

 が喚けば、左近が刀を構えながら毒づいた。

「金と色欲に塗れた巫女が清いわきゃないでしょうに」

「人聞きの悪いこといわんといておくれやす」

「しかし目の付けどころは悪くないね。
 姫を落とせば芋蔓式にの全てが転がり込む…一体誰の差し金なんですかね?」

「うちは神さんの遣いどす。強いて挙げるなら、これは神さんの御意志やわ」

「どんな邪教ですか、それ」

 番傘と大きな刀が十数回、宙でぶつかり合った。

「…てんごいわはりはって…いややわぁ…」

 阿国が左近と距離を取って、チャージを発動。闘気を身に纏った。

「どうやら本気みたいだ、俺も本気にならないとまずいかね」

 刀背打ちにすべく返していた刀を、左近が手早く直した。
互いに一歩も引かない、真剣勝負になったわけだ。

「丁度よろしおす。あんたさんいわして、様にどちらといるんがいいんか、知っておいてもらいましょ」

 そこからはチャージと奥義を駆使した武技の応酬だった。
当然辺り一面被害という被害を受け続けている。

「…うそ…ちょ、どうしよう……どうしたら…」

 にっちもさっちもゆかなくなった膠着状態を打ち崩したのは、騒ぎを聞きつけて城から出て来た三成だった。

「鬱陶しいのだよ!!!!」

 彼は「卑怯と呼びたくば呼べ」と、言わんばかりの勢いで阿国に背後から無双奥義を叩き込んだ。

「あ〜れ〜!!」

 阿国の体が宙を舞い、大地に落ちる。

「いい加減にしろ!!! 復興最中の当家で、これ以上物を壊すな!!!!!」

 夜叉のような面持ちで三成は怒鳴り付けた。
唖然とする左近、の視線が大地に沈んだ阿国に向く。
打ちどころが悪かったのか、阿国は目を回していた。

「全く……左近、松風を貸してやるから、松永領にでもその女を捨てて来い」

 三成は扇を閉じて身を翻すと、が座っている屋根の軒下へとやって来た。
袴に扇を挟み、両手を広げる。

「ほら、降りて来い」

「え…飛べって事?」

「他に方法があるのか? ちゃんと受け止めてやるから、飛べ」

「…う、うん…」

 視線を上げれば、まだ遠方で慶次と風魔がやり合っているのが見えた。
彼らの側に赤い鎧を着た人影が近付いているのが見える。
向こうには幸村が参戦するのも時間の問題のようだ。

待っていても救いが来るかどうかは怪しい。となれば、他に選べる方法もないのだろう。

「よいっしょ……っと」

 は「落とさないでね」と言いおいてから、屋根の上で横に寝そべった。
反動をつけてコロコロと転がり、待ち受けている三成の両腕の中へと落っこちる。

「さて、捕獲は成功だな。城へ戻るぞ」

「え、この姿のままで?!」

 が目を丸くすれば、三成はしれっとした顔で答えた。

「簀巻きも結構な事ではないか」

「どこがいいって言うのよ!?」

「何よりもお前が逃亡しないところがいい」

 全くもってその通りの即答に、はぐうの音すら出なかった。

 

 

 程無く、家を突如として襲った恋愛騒動は一旦の決着を見た。
左近が三成の指示した通り阿国を国外退去に処し、幸村の増援で慶次が風魔を撃退したからだ。
 家の抱えた問題が、ようやくの件一つになったと思ったのも束の間。
人知れず次の災禍の種は、既にの事を掌中に収めていた。

『…時は…来たれり……』

 三成に連行されるの姿を見て、あの鏡を売った老婆が嗤う。
喧騒漂う城下町の中で、老婆の影がゆらりゆらりと白んで行く。
 老婆は目的を果たしたと言わんばかりに、そのまま領から姿を消した。
だが街中の喧騒を生んでいる人々は、誰一人としてそれに気が付くことはなかった。
彼女は行商でも何でもない。密かに送り込まれたくのいちの変じた姿だった。

 

 

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慶次さんがいるなら阿国さん絡みのドタバタは一度はやっておきたかった…それだけです。
それはそれとして、松永劇場、いよいよ始まりますよー。皆楽しんでね!(19.11.27.)