簒奪者の恋 |
"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"
何時からだろうか。
"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"
なだらかな丘陵一面に色とりどりの花が咲き乱れる。 「…綺麗…」 穏やかな日差し。
"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"
この心地よい夢に対して、気味の悪さを覚えたのは、夢を見始めてから一週間もした頃のこと。 「……お気に召しませぬか? 花はお嫌いですか?」 どこからともなく、声が響く。 「嫌いではないの」 「では、何故? お顔が曇っていらっしゃる」 「ただ、虚しいなって思った」 「虚しい?」 「ええ……これは、夢……現実ではないわ」 の言葉に声の主が息を詰める。 「私の身を置いている現実は、こんなに綺麗な世界ではないの」 「…嘆かれますな、必ずお救い致します。我が君…」 馴染みのない声に"主"と呼ばれる違和感。 「…だ、大丈夫だよ…私は…平気」 「誠でございましょうや?」 「うん、私の傍には皆がいてくれる」 「……………皆、とは?」
「慶次さんも、幸村さんも、左近さんも、孫市さんも、三成も……それだけじゃない。 「人徳であらせられる」 言葉とは裏腹に、返された声は硬かった。 「ところでね、一つ聞いてもいいかな」 「はい、なんなりと」 「ごめんさいね、とても失礼な事だと思うんだけど……」 「どうぞ」 「貴方は、誰? 私、きっと貴方を知っている気がする。でも思い出せないの」 言の葉を発した次の瞬間、の見ていた景色は、ステンドグラスが砕け散るかのような音を奏でて崩れ落ちた。 「!?」 驚き、暗転した世界で立ち尽くす。 『違う……これは、夢の中だ……あの世界ではない……でも、なんでこんな夢を…?』 夢であるならば、実害はない。 「まだ寝ているのか? 全く、どうしてこうも寝起きが悪いのか」 「お前さんがそれ言うのかい?」 室の外で、三成と慶次の声がする。 「人のふり見て我がふり直そうとは思わないんだな、お前」 「黙れ、俺は常に定時には起きている。 「全くだ。孫市さん、まさかとは思いますが夜這いじゃないでしょうね?」 「左近殿もどうしてここにいるのですか? 持ち場が違うと思いますが」 「幸村、目が据わってるぜ」 「以前も申し上げたはずです、何か間違いがあるようであれば、命の保証は致しかねます」 孫市、左近、幸村の声が続いて混じる。 『あー、皆起しに来てくれたんだなぁ……早く起きなきゃね…』 作りだされた麗しい景色よりも、彼らの傍がいい。
"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"
自然と瞼が開くと同時に、耳元にはあの和歌の響きだけが残った。
目覚めて一度大きく伸びをしてから身を起こした。 「皆おはよう〜」 「おはようございます、様」 幸村を筆頭に挨拶を交わし、執務室へと歩を進める。 「聞いているのか?」 「エ? あ、うん。聞いてるよ。大丈夫、平気」 三成の問いを苦笑いでやり過ごし、逃亡計画を現実に移すべく思考を巡らせようとすれば、左近がそれを阻んだ。 「すいませんがね、姫。今日ばかりは逃亡されちゃ困ります」 先手を打たれて、が息を呑んで歩みを止める。 「さんの事で、姫には骨折ってもらう事になりそうなんですよ」 「え…ちゃん、どうかしたの? そういえば最近、姿見かけなかったけど…。 「実は…ちょいと面倒な事になってましてね。対処法間違えると、更に面倒になりそうなんですよ」 「え゛、そ、そうなの? 一体、何? どうしたの…?」 「…実は…」
時は少し遡り、阿国が領に訪れる前の事。 「…当家と致しましては、この度の件は誠に遺憾。 「徳川殿、分を弁えられよ」 「は、はは…」 「他の国々が相応の配慮をしておるのに、そなたの主は何をしておられる?」 「はっ……それは…その…」
何か口を開こうとすれば各国の代表に、家柄や官爵を盾にやり込められてしまう。 「女子であろうとも主は主、かような時にこそ、出馬せねばならぬのが世の道理であろう」 「はっ、誠にもって…申し訳ございませぬ。で、ですが、先の騒動において当家の姫にも災いが…」 「だまらっしゃい!!」 「は、ははっ! も、申し訳ございませぬ!」 一事が万事この調子で、全くもって、こちらの主張は聞いてもらえない。 『いかん、このままでは事実無根の罪を擦り付けられてしまう……どうすれば…』 そんな力関係が一転したのは、評定が開かれて三日後。
「遅れを取り失礼しました。何故か私にはこの件についての招集がかかりませなんだ。 「何故松永殿まで?」 「…話が違うぞ…」 「…気にする事はない、当初よりの手筈通りで…」 ざわめく人々を詮議を取り仕切る者が視線で黙らせた。 『何故!? この男までもがこの場に…!?!?!』
彼の登場を受けて、いよいよ益々もって、大変な事になったと家康は胆を冷やした。 「では続きを、徳川殿。貴殿の主は何故参内されぬのか。後ろ暗いことがあるからであろう?」 「い、いえ、そのような事は…」 「黙らっしゃい!!」 「は、っは…も、申し訳ありませぬ」 「先の騒乱が如何に重要か、家は理解しているのか?! あのような場で騒ぎを起こせば」 また糾弾が始まった。 「待たれよ」 静観するものと思われていた松永久秀が口を開いたのだ。 「どうかされましたか、松永殿」 「この詮議、些か不自然さを感じる」 「何?」 「何故、誰一人として、徳川殿の弁を聞かぬのか」 「それは…」 「これでは家が首謀であると最初から決まっているかのようではありませんか。 「う、うむ…」 「それとも……何か、裏で決まり事でもあるのですかな?」 「め、滅相もない!!」 「それは失礼」 「と、徳川殿。何か申し出たき議があれば、これへ」
「は、はは!! 有り難う存ずる。先の騒乱にて死傷者が出た事につきましては、誠に遺憾! 「では家は全くの無関係と申されるか?」 家康は深々と頭を下げて、懸命に弁舌を揮った。
「はは!! 先に戦を終えたばかりの当家には、皆様方の主を害して得られる利などはございません。 「しかしかの地では騒動の最中、珍妙なからくりが突如として乱入。 「あの混乱の中でござる!! 命を考えるは当然にございまする。関所破りの非礼は、平にご容赦願いたい!!」 「何を…」 「徳川殿の弁は一理あると思われますな」 「ま、松永殿…?」
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