簒奪者の恋 |
「かの地において、の君主は武に秀でた将は誰一人として供にして居りませなんだ。 「む、むぅ…」 「供の者は治世の才に長ける者ばかり…となれば、策略を練り、あの場で災いを成すには些か手駒に難があろう」 「だ、だが…その為に手に覚えのある者を伏せていただけ、とも考えられるのでは?」 食い下がった男を松永久秀の鋭い視線が真っ向から捉えた。 「かの国の配下は、前田慶次を始めとし、方々に名を馳せる者ばかり。 口調は穏やかだが、彼の目には冷徹な光が浮かびあがっていた。 「お、お待ち下され!! 皆様方は前田慶次があの地に密かに来ていたと、そう仰せになるのですか!?」 家康が口を挟めば、単純に疑問を抱いていたらしい者が言葉を返した。 「不思議はなかろう、あの風来坊がの君主についてはいやに肩入れをし、片時も傍を離れぬというではないか。
「とんでもない濡れ衣です!! 宜しいですかな、皆様方。よくよくお考え下され! 懸命に発言する家康へと、久秀の視線が向いた。
「かの地には雑賀衆頭領が身を寄せている。何者かを暗殺したいのであれば、銃を用いた暗殺で事足りよう。 穏やかで理知的な口調が、彼の弁の正当性を更に強調した。 「く…ぐぬぬ」 「それともあの騒ぎの中で、それを成し得たと…方々はそう仰るのか? ならば根拠を伺いたい」 「松永殿の弁は分かりましたが、根拠はそちらにもないのでは?」 懸命の抵抗を受けた松永久秀は、見る者がぞっとするような冷笑を口元に浮かべた。 「なくは、ない」 「何?」 手にしていた扇を腰にさして姿勢を改めた久秀は、突然上座へと向かい平伏した。 「当方、件の騒ぎにて最初に斬り伏せられた者の身柄を拘束しております。 「な、なんと……」 久秀の言葉に周囲が大きくざわめいた。 「帝のお許しを頂けるのであれば、その者、この場へとすぐにでも差し出す所存にございます」 一斉に場が湧きたった。 「これはその者を拘束した時に、その者を縛っていた帯にござる。 献上された盆の中を見れば、確かに帯の一部が血に汚れて黒く変色していた。 「わ、我が君の物にござる!!!」 「やはりそうでしたか」 家康が一も二もなく肯定すれば、反撃の時は今とばかりに声が上がった。 「待て! それは供の女子が付けていたもので、の姫は…」 だがそれすらも久秀は華麗に退けた。 「影武者ですよ、珍しくもあるまい? 「しかし、それではあの会の意味が…」 「君主本人は来ていた。ならば決定権は、君主にあることは明白。 「なっ…何故…?」 巨大軍事大国の主がもう一人来るという事態を恐れたのか、方々でどよめきが起きた。 「お忘れですかな、かの地は名代を立てた。 「まさか明智殿まで?」 「おい、冗談じゃないぞ…」 「…そのような事になったら…」 『東西の軍事大国が、天下分け目の合戦を始める火種になる!!』 誰もがそう感じて、身の毛がよだつとばかりに息を呑んだ。 「さて」 大げさに佇まいを改める。
「私は皆様方に伺いたい。どこの世界に、自ら帯を解いてまで他人を助けようとする首謀者がいるのか。 「う…ううう…」 「…言われてみると…確かに……」 ぐうの音も出なくなった者達の眼差しが宙を泳ぐ。 「徳川殿、失礼した。家の弁がまだあるようであれば、簡潔にお願いしたい」 「は、はあ…あ、有り難う存ずる。それではあと一つだけ…。 「もうよいか?」 「はい…の主張は以上です」 このように松永久秀は事あるごとに、家の後衛に立ち、異を唱える者を黙らせ続けた。 「あ……な、なんと、仰せでございますか? 松永殿」 「…先の件での礼は宜しい。当然のことをしたまでの事」 「は、はぁ…」 「それよりも、私は殿と見合いがしたい、そう申し上げた。不服ですかな?」 「あ、い、いえ……いや…そ、そのような事は…」 正に寝耳に水。驚天動地とはこのことだ。 「し、しかし…しかしですな、松永殿。 額に浮いた汗を拭い、懸命に言葉を探す家康に、松永久秀は侮蔑にも似た視線を向けた。 「徳川殿、勘違いして貰っては困る」 「は、はぃ…調略という事は重々承知しております。が…その…当家の姫は…」 「そうではない。誰が側室にしたいと申し出た?」 「え…?」 下げていた顔をほんの少し上げれば、久秀は遠くを見つめていた。 「私は、殿を奥方にしたいと、そう願っている」 「め、滅相もございません!!! 家柄が違い過ぎまする!!!」 家康が頭を下げて懸命に食い下がった。
「気にする必要はない。姫君と私の差を埋める為に必要な官位や名声、雑事は全てこちらで片付ける。 「…あ…は、はぁ…?」 『な…なんということだ……この者、朝廷まで意のままに出来るというのか?』 言葉に詰まる家康の耳を久秀の独白が掠めた。 「…いい加減、貴公らには任せおけぬ。我が君はこれより我が手で保護する…」 「…は?」 「いや、なんでもない。先に申し上げた通り、雑事はこちらで済ます。 「は…はぁ…」 「よろしく、頼みましたぞ。徳川殿」 最後に見た松永久秀の眼差しには、否を唱える事を許さぬ強い光を讃えていた。 『何故か? …どういう事なのか? あの者の、あの眼差し…』 久秀がいなくなった後、一人残された室の中。 『あれは、欲でする目ではない…。あれは……三成らと同じ目だ。 こくりと喉を鳴らす。 『だが……あの男は違う……三成や他の者以上に……様に狂っておる…』 脳裏に浮かんだ同僚達がの為なら「火の中、水の中」と豪語するというのならば、松永久秀は既にその先の修羅の世界すら凌駕したとでもいうような眼差しを見せた。 『…あやつ、一体何者なのか…? そもそも…様を"我が君"と…そう呼びはしなかったか…?』
家康は松永久秀がいた上座を見上げ、混乱する意識を懸命に正そうと試みた。
「立花ァ千代?」
「はぁ…毛利殿の配下であったのですが、先の戦いにおいて、当家でお預かりしておりまして…。 「構わぬ」 「は?」 「構う事はない。殿が欲しているのであれば、いかようにもされるがよい」 「よろしいのでございますか?」 「無論だ。毛利も堪え性なく当家を出た今、義理立てされる謂われはない。何よりも…」 「…はぁ…」
「陪臣の力など松永家には必要ない」といわれるのであれば、まだ良かった。 「後に殿の下へと天は還る。私の下に戻ろうと、殿の下に残ろうと形は変わらぬ。
あの瞬間は、何を言われているのかよく分からなかった。 『あやつは、何を、知っている? 一体、何者なのか!?』 家康の腕が今度こそ大きく震えた。 『あやつも儂や秀吉殿や信玄殿と同じだとでも言うのか? 事態を重く見た家康は、その日の内にには内密にして信玄と秀吉の下へと書状を送った。
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