簒奪者の恋

 

 

「徳川家康が、武田信玄、豊臣秀吉両名へ密書を送りました」

「内容は?」

「軍事力がものをいう事態になるのではないかと、懸念しているようです」

「そうか。臆病な狸は困ったものだな」

 京の都にある私邸で、松永久秀は悠久の物語を紐解いていた。彼の趣味だ。
そんな彼の背後に、音もなく銀色の球体が現れた。
ふよふよと浮遊する球の中央には、翡翠と思しき石が嵌めこまれている。
戦国の世にあってはならないフォルム、質感を持つそれは、淡々と人の言葉を紡いだ。
銀の球の背にはCube-Aと捺印されている。
Cube-Aは日の本の各地に放った他のCubeから各地の情勢を仕入れ、必要な事だけを久秀の耳へと入れた。

「排除しますか?」

「いや、必要ない。我が君は、家康・秀吉・信玄をお気に召しているご様子。力で奪えば悲しまれよう」

「ではどうするつもりです?」

「そうだな……我が君自ら、私の元へ来たいと思うようにし向けよう」

「本願寺を使うのですね?」

「ああ、だがくれぐれも気をつけねばならぬ。彼らは過激だ。
 過ぎたる力は時として人の命を危ぶませる。
 我が君には悪夢はいらぬ。極楽浄土こそがお似合いだ」

「了承しました。本願寺を動かします」

「そうしてくれ」

「久秀」

「何かな?」

「時が迫っています。明智に天下を取らせてはなりません。
 迅速にに天を抱かせるのです」

「そう急くな、からくり。分かっている。
 全ては我が君の為…日の本の為。その為に、私は生きている」

 久秀が視線を書へと落とすと同時に、Cube-Aは姿を消した。
時空を歪めて擬態するかのように世の風景に紛れたCube-Aは、音も立てずに迅速に移動した。
 京の都から一瞬のうちに移動したCube-Aが現れたのは、松永領、旧毛利領、領と隣接する大地。本願寺の荘厳なお社の本殿の中。
 その中に色とりどりの袈裟を掛けた僧が集い、夜の務めに励んでいる。

「指令です」

 Cube-Aが姿を現して簡潔に用件を述べた。
本堂に集う僧の中には、僧というよりは兵士に近い風体を持つ者が多い。
彼らはCube-Aの姿を見ても驚くような事はなく、敵意に満ちた眼差しを向けた。
これより述べられる司令を不服としているのか、苦々しい顔をする。
それを一人の男が視線だけで制した。

「承った。じゃが人は殺せぬ、これ以上の殺生は出来ぬ…我らは僧だ」

「貴方方に選択の余地はありません。
 顕如の存命を望むのであれば、司令の通りに動くことです」

「…くっ……」

「また今回の件では、貴方方の法力で人が死ぬ事はありません」

「嘘を吐け!!! 久秀が主家に弓引いた時はそう言って死んだではないか!!!」

 僧の一人が吼えた。
Cube-Aは動じない。

「その質問には不可抗力であったと答えます。
 彼の主は確かに死にました。ですがそれは呪いのせいではありません。
 身体的な急変によるものであり…」

「どちらでもよい。我らが顕如様の身を思い、手を汚した事には変わりはないのだ」

 中央で体を丸めて苦しげに呻く僧の周囲に、若い層が集う。

「何時か、我らにも罰が下ろう…」

「では、それまでは働いて下さい。それが貴方方に課せられた仕事です」

 Cube-Aは必要な事だけを告げて、本堂から消えた。
また夜の闇の中を縫って移動する。
 やがてCube-Aは深い山間の中に出来た自然湖の中へと吸い込まれるようにして姿を消した。
月明かりの下、歪んだ水面の底には、真紅の大きな大きな箱が沈んでいた。

 

 

 時は戻って、領では…。

「玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」

 机に突っ伏して、伸びをしながらが呟いた。
補佐をしていた三成が聞き洩らさずに、手を止める。

「何? 今、何と言った?」

「んー……えーっと……。"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"だね」

 伸びをして、遠くを見上げるように諳んじれば、三成が勢いよく顔を上げた。

「ん? どしたの?」

 視線だけ三成に向ければ、彼は酷く驚いた表情でを見つめていた。

「……そうなのか?」

「はい?」

「その和歌が、お前の…心か?」

「あー、ううん。そうじゃないの」

「何?」

 身を預けていた机から上半身を起し、伸びをしながらは言う。

「最近、変な夢よく見てね。その中でこの和歌をよく聞くのよ。なんか、気になっちゃってね…。
 ちゃんの事といい、変な夢といい、わけ分かんない事ばかりでなんか疲れちゃってさ…。
 ちゃんを救えるのは、私だけ。でもやり方間違えたら、徳川家と家の信頼関係にひびが入る…
 …でしょ? どう考えても、これ、頭が痛いよね」

「それが君主の仕事だ、弱音を吐いていても始まらぬ」

「分かってるけどさー。
 あーあ、早く家康様が帰ってこないかなー」

「狸に何をさせる気だ?」

「別にそんなに大それたことはしないわよ? ただ口利き手伝ってほしいのよ。
 左近さんと慶次さんの話では、えーと…何って言ったっけ?」

「梶の方だ」

「そうそう、その人、随分と家康様に夢中らしいからさ。
 私がとやかく言う前に家康様から言ってもらおうと思ったのよ」

 三成が動かしていた手を止めて、筆を置いた。
腕を組んで、溜息を一つ洩らす。
彼は彼なりに考えているようだ。

「まぁ…妥当な案ではあるな」

「はー、早く帰ってこないかなー。早くちゃんと笹団子が食べに行きたいよ〜」

「逃亡計画なら、許さんぞ?」

 ぎろりと睨まれては苦笑する。
そしてふと、思い立ったかのように三成に問いかけた。

「ねぇ、三成」

「なんだ?」

 三成が再び筆をとって動かし始めた。
美しい文字がさらさらと紙の上に綴られてゆく。
その美しい流れを横から盗み見ながらは問うた。

「さっきのさ、和歌の訳って、分かる?」

「…ハァ?」

 動いていた筆が止まり、三成が顔を上げた。
表情は険悪そのものだ。

「いや、だってさ…反応したからさ…意味分かるのかな〜って思って…」

「お前は意味を知らんのか」

「んー、古典とか英語とか、苦手なんだよねー」

 三成が肩を揺らして溜息をついた。
そしてふと、何かを思いついたかのように目を細めて笑った。

「玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」

 彼は再び筆を置き、ゆっくりと立ち上がった。
動きを視線で追うの背へと歩みを進めると、その場で膝を落として、突如として背後からの事を抱き締めた。

「!?」

 驚いて身を固くしたの肩に額を預け、感情をたっぷりと込めていう。

「命が終わればよいと思う。これ以上生きていると、想いを打ち明ける事を堪えている心が弱ってしまう。
 もはや、俺には耐えられぬ」

「えっ、えっ、えっ!?」

 真っ赤に頬を染めたから離れて、三成は鼻でふふんと笑った。

「…そんな、歌だ。恋歌だな」

「なっ、からかったのね!?」

「からかう? 俺は問われた事に答えただけだぞ」

 が振り返り、三成の襟首を引っ掴んだ。
途端、三成の視線が鋭くなる。

「そも、この歌を受け取ったのは貴様だろう。俺が送ったわけではない。お角違いの怒りを向けられては迷惑だ」

「う゛……そ、それは…そうだけど…」

 勢いを失ったが手から力を緩めると同時に、三成はの掌をとった。

「思わせぶりな態度だったと、苛立ったか?」

「そんなんじゃないわ」

 言い終える前に、今度は逆に三成に距離を詰められてぎくしゃくした。

「俺ならば、和歌などは詠まぬ。お前相手であれば、こうして実力行使に出た方が早い」

 赤面して瞼を閉じかけたの目の前で、彼はしれっとした顔で掴んだ掌に一つ口付けを落とした。

「み、みみみみみみみみ、三成っ!!! からかわないでよ!!」

 真っ赤になって叫ぶの顎を三成の指先が捉える。
唇と唇が触れ合うほどに距離を詰めて、彼は言った。

「なんだ? 弄ばれているとでも思っているのか? 心外だな。
 誠意を尽くせというのであれば、今すぐにでも…」

「いい、もういいから!! 一旦離れてよっ!!!」

 真っ赤になり、目尻に涙まで溜めたから三成は離れる。
彼の横顔は、勝ち誇ったような色を湛えていた。

「ふん、初心な事だ」

「う、うるさいなぁ、もう!! どっか行っちゃえ!!」

「言われなくても行く。仕事は山積みだ」

 机の上に突っ伏して唸るをその場に残し、三成は積み重ねられた書を片手に室を後にした。
照れて身動きが取れなくなっているに対する彼なりの配慮なのだろう。

「おや? どうされましたか? 様」

 三成と入れ替わるように幸村が書状の束を片手に暖簾をくぐり入ってくる。
赤面した顔を上げてはぎこちなく応対する。
 気心の知れた勇将達との有体な出来事を、天高くに浮遊する銀色の球体―――――Cube-Eが余さず記録する。
伊賀の忍が警戒する高みより更に天高く、身を潜める球体がある。今生において理解しえぬ技術で身を隠すその存在に気が付く者はいない。それはこの時代であればこそ、当然だった。

 

 

 同夜、月が天高くに鎮座する頃。
城上空に浮遊するCube-Eが不穏に動き始めた。
Cube-Eを中心に、目に見えぬ波動が波紋のように発生し、城を覆い尽くす。
 それに呼応するように、の私室にある箪笥の一角で何かがゆらりと光った。
それは月の満ち欠けに連動するかのように、夜が深まれば深まるほどに、光を増して行った。

「ん……うぅ…んん…ん…」

 寝苦しい夜だった。
春先のはずなのにいやに全身が火照った。

「う…あぁ…ん…う…」

 箪笥の中から溢れた光は、を中心に据えて、私室の中に線でも引くように駆け回った。
やがて光の線はプリズムのような光の繭を作り上げた。

「…う…うぅ……あ…はぁ……っ…んっ」

 寝返りを何度もうち、首を左右へと振った。
起きたい、起きられない。
自分の睡眠のはずなのに、何故かそれがままならない。
 あの穏やかな夢の時もそうだ。まるでどこか見知らぬ世界に囚われたかのように、夢だと分かる世界で足掻き、もがき、迷い続けるばかりで逃げ出す事が敵わない。

「は…ぁ…はぁ…あ……あっ…うっ…うう…」

 夢が一定の風景を紡ぎ出すようになるまで、の苦しげな呻き声は漏れ続けた。

「はぁ……はぁ……はぁ………あ…ぁ……っ……ん…」

 光の繭が浅い眠りにあるを包み込む。
と、同時に、夢うつつのは、多くの男達の声を聞いた。

『声がする……誰の…声…? 何? よく、聞こえな……』

 何を話しているのかは分からない。
というよりも読経に近い気がする。
けれどもそれ以上の追及や探究心を持続させることは出来ない。
 を包んだ光の繭が、形を変える。
繭が美しい蓮の花の形をとり、花弁が大きく開いた刹那、

「……っ……スゥ………スー…スー」

 の意識は、深い深い眠りの中へと落ちた。
穏やかでありながらどこか仄暗さを纏う夢幻の迷宮が、大きく口を広げての陥落を待っていた。

 

 

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