簒奪者の恋

 

 

 日差しの強い夏の出来事だった。
歳の頃ならこの春六つになったかならないかという頃合の少年がたった一人で山に入り薬草を摘んでいた。
彼は父の言いつけを守り、懸命に目を凝らして大地に向かい、目的の草を探して歩き回り続けた。
 時は乱世、群雄割拠の時代。
一度戦場へと出れば、何時怪我をするかは分からない。
手持ちの薬が底をついた時、物を言うのは自身の知力と選別眼だけだ。
それを早い内から養っておくことは、武家に生まれた男児であれば当然のことであった。
だから彼は父の言いつけも至極当然の事と受け入れて、勤勉に励んだ。
 ただ、少年は、この強い日差しが苦手で、それには辟易していた。
森の中では所狭しと蝉が鳴き、短い一生を謳歌しようとしている。
青々と茂った木々の葉が作り出した自然の音楽ホールの中で聞き続けるには、この音は、あまりにも下品だ。
 彼は夏よりも冬が好きなのだ。
静々と時を刻む冬。
小さな芽が春に向けて力を蓄える季節。
けたたましい音に阻害されることなく、物思いに耽ることが出来る唯一の季節だと、彼は思う。
それ故、今日の研鑽も、彼にとっては到底楽しいものとは言い難いものであった。
 とはいえ彼は勉学を嫌ってはいない。
知らない事を知ることは悪いことではないし、色んな知識を蓄えることは、時として武芸を凌駕する事を知っている。
 ただ勉学に取り組むのであれば、心地よく励みたい。
その為には、今彼がいる場所はどうしても適しているとは言い難い気がした。

「はぁ…」

 小さな体に似合わぬ大人びた溜息を洩らし、手にしていた駕篭を、木陰を探してそこへと降ろす。
籠の隣に腰を降ろして、彼は乳母が用意してくれた弁当箱を開いた。
竹細工の弁当箱には所狭しと握り飯が並んでいた。
竹の水筒を取り出して、喉を潤しながら塩むすびを頬張る。
大根の葉で作った漬物を摘まんで口に押し込んでいると、足下に雀が数を舞い降りて来た。

「食べるかな?」

 少年は弁当箱の底についているご飯粒を足元へと落とした。
雀が警戒しながらも寄ってくる。
少年が害意を持っていない事に気がついたのか、雀は米粒を啄み始めた。
何度か米粒を恵んでやれば、腹を満たした雀が小さな翼を広げて飛び立った。
せめてもの礼とばかりに彼の周りで羽ばたく雀を穏やかな眼差しで眺めて、彼はにっこりと笑う。
 そんな少年の視界の中を、一筋の光が過った。
驚いた少年は出所を探すように辺りを見やった。
自分以外の人の気配はない。では空で何かが光ったのか? と思い、天を仰いだ。
 天光が差し込む色鮮やかな緑の重なりの中に、不可思議な光がチカチカと瞬く。
光は何かを探すように、緩々と移動していた。

「?」

 目の錯覚かと目を擦り、もう一度見上げるが、錯覚ではなかった。
そして彼が感じた違和感に、森の住人達も気がついたようだ。
あれほど騒ぎ立てていた蝉がぴたりと鳴き止んだ。
傍に居たはずの雀は姿を消し、重苦しい静けさが森を支配する。

「………」

 少年が恐れを抱くより早く、天に現れた光は空を駆け、森の奥へと落ちた。

『大変だ! こうしてはいられない!!』

 大きな音がして、大地が揺れた。
驚いたのか鳥達が天へと舞い上がる。
少年は弁当箱と水筒を取り落とし、立ち上がった。
 館へと戻らなくてはと、背を向けると同時に、敏い彼の好奇心が耳元で囁いた。

"何も知らないのに、だれに何をほうこくするの?"

 少年はゆっくりと身を翻し、こくんと喉を一つ鳴らす。
彼は高鳴る鼓動を押さえつけるように胸を一つ撫で下ろすと、単身、森の奥深くへと分け入った。

 

 

 夏の昼下がりとはいえ、音を無くした森の中を進むのは、とてつもない重労働だった。
何者かに害される事がないように、森の住人同様、彼自身も気配を消して進む必要があったからだ。
それでも彼が足を前へと進めることが出来たのは、一重に彼の好奇心が人一倍強かったからだろう。
 乗り越えられなそうな岩を迂回し、坂を下りたかと思えばまた登って、懸命に己の記憶を頼りに進み続けた。
やがて、道は平坦になり、木々に視界を遮られるようになった。
がさがさと音を立てながら木々を追いやり、一歩一歩確実に進む。
時折、重なり合う葉の隙間から、きらきらと輝く何かが目に入った。
それが森の中にある池の湖面が放つ光だと気が付くのにはそう時間はかからなかった。
音がしたのだ。ぱしゃぱしゃと、何かが泳いでいるような、水を掻き分けているようなそんな音だ。
 少年は小さな掌で木の枝を掌で押しのけて、また一歩前へと強く足を踏み出した。
気を付けて歩いていたつもりだが、木々の陰になり窪みを見逃していたようだ。
彼は足を踏み外し、重心が前へ大きく傾いた。

少年は「あっ!」と声を上げると同時に、ゴロゴロと大地を転がった。
やがて少年は大きな池のほとりに頭から突っ伏す形で降りることになった。
 少年が痛みを堪えて顔を上げれば、そこには、彼の想像を超えた物が鎮座していた。

「あ……あ、ああ…あ……」

 見たこともない、大きな、大きな、赤い箱が湖面の上に浮いていた。
悲鳴を上げて逃れられれば、何もかも見なかった事にしてしまえれば、どんなにか良かっただろう。
だが彼はそれを見つけ、それもまた彼の存在を認識した。
 赤い箱から銀色の球が3つ、飛び出して来て少年の退路を絶った。
球の背には見たこともない文様―――Cube-B、Cube-D、Cube-F―――と捺印されていた。

『ころされる!!』

 咄嗟にそう思った少年は、身を縮め、両の瞼を閉じて願った。

「ころさないで!! だれにも言わないよ!!!」

 キチキチと聞き慣れぬ音を奏でる銀の球は彼の周りで飛び回る。
やがて銀の球が人の声を奏でた。

「対象を確認、座標を確認」

「…?」

 少年は恐る恐る、瞼を開く。
毬と同じくらいの大きさの銀の球の真ん中に、大きな翡翠と思しき緑色の光る石があった。
その奥で蠢く何かと目が合った。

少年は再び目を閉じて縮こまった。

「本当だよ! だ、だれにも言わないっ!! だから、ころさないで!!」

 ぎゅるぎゅると音を立てた銀色の球の中から触手の様なものが伸びて少年の体を捕らえた。
細いのに振り払いたくても振り払う事が出来ない。
銀色の冷たい触手に触れていると、魂を取られそうで自然と足が竦んだ。

「ひぃっ!!」

 少年は自分の背に、腹に、纏わりついて来たそれに脅えて息を詰めた。
利発な眼からは玉粒のような涙が溢れそうになる。
けれども彼は父母に教えられていた。
武士とは、男とは、簡単に泣いてはならない。
涙は男を弱くする。戦国の世であれば、弱さは命を失うことにも容易に繋がりかねない。
だからここぞという時以外は、絶対に泣いてはならない。
父母の教えを守り、彼は全身を覆う恐怖を前に懸命に抵抗し、奥歯を噛み締めて涙を堪えた。
 少年の体を覆った触手は、器用に動き回り、彼の着物についた埃を払い落し、次に頭髪についていた木々の葉を落とした。

「……あ、ありがとう…」

 害する意思はないのかと、伺う様な眼差しを向ければ、湖面に鎮座する箱がゆるりゆるりと寄って来た。
巨大な箱が動く度、箱の下に微風でも吹いているのか、湖面がさわさわと音をたてて揺れた。
 巨大な箱は、少年の前まで来ると、理知的な声を発した。

「初めまして。私の名はAtomic Industry omega.」

「……?」

 伺う様な視線を送る少年の頬についた土埃を触手が払う。
擽ったそうに少年が顔を顰めれば、箱は言った。

「貴方を探していました」

「私を?」

「はい。貴方に、助けてほしいのです」

「私に…何をしてほしいのですか?」

「御覧下さい」

 新たな銀の球―――――Cube-Aが宙を舞い、湖面の上に光を照射した。少年が驚いて尻餅をつく。
彼の背に佇んでいたCubeから出ている触手が彼の背を支え、次に水面近くへと押し出した。
たゆたう水面の上に光が駆け廻る。
 縦横無尽に走った光は、やがて水面の上に一つの風景を作り出した。

「……こ、これは!」

 そこにあったのは、砂塵に塗れた世界。
大地は常に躍動し、山は火を噴き、海は煮え滾る。
空に暗雲に覆い尽くされ、稲光が走りぬける。

「……ひどい……なんてことだ……」

「これはこの世界の、遠い遠い未来の姿」

「え!」

 Cube-Aが紡いだ言葉に少年は更に驚愕する。

「そ、そんな…ばかな!」

「いいえ、起きるのです。そしてこの有り様は、この国にも及ぶこと。
 このような世界では、人も、動植物も、命を繋ぐことは出ません。それは今の貴方にも理解出来ますね?」

「勿論です。でも……誰がこんなひどい事を…? こんなこと、一体誰が…。
 そうだ、こんな大きなことを出来るはずがありません、これは何かのまちがいではないのですか。
 なにかのまかやしでは?」

 水面に照射されていた光が消えて、Cube-Aが少年を見た。

「まやかしではありません。起きてしまうからこそ、私が作られました。
 貴方は私を理解することが出来ますか?」

「え?」

「貴方の世界では、私を理解し作り出す事は出来ない。違いますか?」

 じぃと少年はCube-Aを見上げ、次いで水面に鎮座する大きな箱を見る。
自分に触れる触手の冷たさ、素材を懸命に考えて、やはり理解出来ないと悟ると、素直に頷いた。

「いいえ……私には、よく分からない」

「道理です。この世界の人々に私を作り出すことは不可能です。
 それと同様に、私達の世界でもあの惨事を理解し、解明する事は困難なのです」

「そんな…では…これは本当の事…? …あのような未来が……私達の国に…待ち受けているというのですか?」

 希望溢れる未来を絶たれ、目の前が真っ暗になった。
そよぐ心地よい風も、青々とした空も何もない。
この一夏を謳歌しようと懸命に鳴いていた蝉の声も、湖面の中で自在に泳ぐ魚達も、まして人の姿も、遠い遠い未来には、何も、何一つない。

「それが…定め…この国に…待ち受ける…未来?」

 悔しいと言わんばかりに少年が己の唇を噛んだ。
懸命に涙を堪え、息を詰める。
小さな肩がわなわなと震え、彼の小さな掌が大地をぎゅっと強く掴んだ。
 Cube-Aは彼の心の動きを観察しながら、頃合だと言わんばかりに言葉を紡ぐ。

「ですがこの未来を回避する方法がただ一つだけ、残されています」

「!」

 Cube-Aの言葉に少年が目を見張った。
敏い彼の目が、打開策を求めてCube-Aを見上げる。
Cube-Aが水面に向き直り、再び光を照射した。
 また荒廃した世界が描き出される。
少年の顔が苦悶に歪む。
 先程と同じ光景だと、非難めいた眼差しを彼が送っていると、今度は映像の中に不意に一人の女性が現れた。

 

 

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