松永久秀の暴走

 

 

 時が迫っていた。
大陸の東に散在して残る力ある家々は、明智光秀の力を恐れて彼と同盟し、時にひれ伏した。
大陸の西は松永久秀が毛利領を手にした事で、ほぼ平定した。
二大国に挟まれる形になる大地の南をマスターが治め、北には中立の小国が点在している。
 事を起こすのであれば、マスターの国ではない。
世に対して日和見を決めている国で起こせばそれでよい。

「時が迫っています」

 Cube-Bが言い、

「迅速に計を成さねばなりません」

 Cube-Fが答える。
二つの球体が天を同時に仰ぐ。
 星がゆるりゆるりと動く。
太陽が昇り、沈んで、月が満ち欠けを繰り返す。
 キチキチと音を立てて、二つの球体が北を見やる。
遠い北の果ての上空に鎮座するCube-Iから新たな情報が届く。
人知れず、北の大国が着々と軍備を強化し、領への侵攻準備を整えて行く。
明智光秀率いる討伐軍が大地を併合し、の命を奪う為に動き出す瞬間が、すぐそこまで迫っている。

「止めねばなりません」

 Cube-Cが言い、各地にて人知れず任務を遂行し続ける球体が同意を示した。

「かの国の躍進を阻まねばなりません」

「久秀を使いましょう」

「無理です、今の久秀は動きません」

「何故?」

 距離を感じさせぬ会話が人知れず夜の空で続く。

「この時の為に、我々は三十三年も前から準備を続けてきました。使うのであれば今です」

 Cubeには人の感情などないし、理解も出来ないのだろう。
臆面もなく未来ある聡明な少年を唆し、対抗するに足る力を蓄えて来たと、そう述べた。

「懸想していても構いません。役割は果たさせます」

「そうです」

「毒を以て毒を制す」

「最良です」

 人の言葉にあるように、邪魔な者を排除する為には、もう一人の邪魔な者を使えば良い。
二匹の狼が潰し合い、破壊しつくし、混濁した世にこそ、天女は降臨するものだ。
 その為に、彼を選んだ。
その為だけに、今まで彼を導いて来たのだ。
 天に愛された者が汚れる必要はない。危険を冒す必要もない。
マスターが迅速且つ安全に天下を手にする為には、生贄がいる。
自身の役割を知らず、疑いもせず、マスターの為に汚れ、何も知らぬまま消えて行く。
そんな操り人形が一人いれば、それで事は足りる。
 明智光秀、松永久秀、残るのは、どちらでもよい。
二つの大きな力が潰し合い、疲弊したところをマスターの家臣が叩けば、大計はなる。
この計が成就するまであと一歩というところまで来ている。

「明智? 今はどうでも良い。それよりも問題は京の都で開かれている問診会だ」

 なのにここに来て、計画が狂い始めた。

「何故ですか、久秀。そのような会での結果は、が天下を掌握すればいかようにも修正が利きます」

「それでは無意味なのだ、人の心に刻まれた記憶は決して消えぬ」

「…久秀…」

「からくり、お前たちには分かるまいな? ここは私に任せよ。
 我が君が聖女として世に君臨する為だ、まずは問診会の決議をひっくり返す。
 明智との戦、将軍家並びに帝の禅譲はその後だ」

 それも看過出来ぬレベルで狂ってゆく。

「何を考えているのですか? 久秀」

「時はすぐそこまで迫っているのに…」

「どうして、今になって?」

 悠長だ。
三十三年もの時間を掛けて地盤を築いたというのに、あの男はここぞという時になって手を拱いている。
明智を潰す為の一歩を踏み出さずにいる。

「どうして……人とはこうも無駄が多いのか…」

 理由は分かっている。恋慕の情だ。
幼かった彼にマスターの姿を見せたあの日から、彼の世界の中心はマスターになった。
その方が都合が良かったからこそ、甘言を使い導き続けた。
 彼を動かす為の餌が、マスターの安寧であればこそ、彼は従順な手駒だった。
何も疑わず、何時しか姿を見せるマスターの為、自ら進んで茨の道を切り開いた。

「かの方は、貴方の救いを待っています」

「分かっている、これは必要な事だ。大事を成すには犠牲は付き物だ」

「その通りです、かの方には出来ない事です」

「当然だ…あのような儚げな面差しの方に、戦など出来ようはずもない」

「かの方の代わりに、英断を下せる者が必要です」

「私があの御方の剣となり、盾となる。
 かの方が降臨する前に、かの方が治めるべき大地を造るのだ」

「久秀、貴方の働きがかの方を救う唯一無二の方法……辛くとも、今は、耐えるのです」

「任せるがいい。からくり。かの方は……様は、私が救う」

 幻想を見せている間は、なんら問題はなかった。
こちらが示唆する通りに彼は人を動かし、

「久秀、主家を裏切るというのか!!」

「それがどうした? 自らの主は、誰しも自らが決めるものだ。
 私は今も昔も、そしてこれから先も、ただ一人、主君の為に生きている。それを違えるつもりはない。
 ただその主が、貴様ではなかったというだけの話だ」

 先祖伝来の主家を滅ぼし、

「北条をけしかける」

「お舘様! 家が北条領を併呑しました…!!」

「構わぬ」

「し、しかし…」

「構わぬといった。聞こえぬか?」

「は、はは…」

「次は毛利だ」

「な、も、毛利をとると申されるのか!? 毛利とは十年来の同盟国ですぞ!?」

「天下を呑むとはそういう事だ、違うか?」

「は、は…はぁ…」

「………それでよろしいのですかな?」

「官兵衛か。案ずるな、どの道全てはあるべき場所へと回帰する。貴様が憂う事ではない」

「…左様ですか」

 マスターの為の領地を作り続けた。

「あの、姫様は気にしないって言ってます」

 予定が狂い始めたのは、あの懇談会。
あの場で彼と彼女が一時であっても同じ場所に立ったこと。
その瞬間から、彼の中では何かが変わってしまった。

「レプリカは本物には取って代われない」

「おそらく、生の声を聞き、感じ入ったのでしょう」

 あれ以来、久秀は体裁を気にするようになった。
かつてのように、手段を選ばず、合理的に行動する事はなくなった。
マスターに嫌われることを恐れた彼は、マスターの心だけを欲し、顔色を伺い、出来る限り、品行方正に事を進めようとするようになった。
 今の彼には天下ではなく、マスターしか見えていないのだろう。
三十三年も待ち、想い続けて来たのであれば仕方がないことだ。
 だがそれでは困る、時が迫っている。
このままでは定めを変えることが出来なくなってしまう。
 自分を生みだした世界は、マスターによって生み出される。
このまま無為に時が流れて、明智にを滅ぼさせるわけにはゆかない。
マスターを救い、自分を生んだ世界を取り戻す為には、なんとしても明智光秀を滅ぼす必要がある。
天下をマスターに抱かせる以外に、救いの手はないのだ。
 松永久秀はその為の尖兵だ。
ただの尖兵に、余計な欲を出されては困る。
尖兵がマスターの目を恐れ、研ぎ澄ました牙を隠そうとするのであれば、なんとしてもその牙を曝け出させ、使いたくなるように仕向けなくてはならない。

「荒療治が必要です」

 かつて久秀と出会った湖の底から真紅のからくりが姿を現す。
真紅のからくりの周りに、Cubeが集う。

「この策略が最善です」

「成功確率は…89%」

「他の方法を模索している時間はありません」

 集ったCubeが口々に語り、最後に真紅のからくりが答えた。

「計画を修正します」

 

 

「ひっ、久秀様!!!」

「なんだ? 騒々しい」

 自領へ戻っていた久秀の下へと三好三人衆が駆け込んでくる。

「そ、それが…珍妙なからくりが…」

「何?」

 久秀が顔色を変えて立ち上がり、口伝に聞いた中庭に姿を表せば、中庭の池の上にあの箱が浮いていた。

「…何用だ、からくり。まさか…我が君に何か害が及んだか?」

 久秀の言葉に、彼の傍に集っていた家臣団が顔色を変えた。

「久秀様、このからくりをご存じで…?」

「気に病むな。私の参謀だ」

「え、あ…左様で…?」

「害はない」

「は、はは」

 久秀が身じろぐ家臣の間を通り抜け、中庭へと降りる。

「どうしたのだ、からくり」

 掌を伸ばして赤い箱に触れて問いかければ、Cube-Aが久秀の後方をとった。
三好三人衆を始め家臣が慌てて抜刀し、久秀の下へと走る。
害があってはならぬ、主君を護ることこそが武士の務めと、彼らは未知なる物への恐怖を呑みこみ必死だった。

「案ずるな。皆は知らぬがかれこれ三十三年の付き合いだ」

 振り返りもせずに、久秀は手の動きだけで部下を諌めた。

「あ…は、はあ…」

 抜刀していた武士が次々に刀を鞘へと収める。
だが誰一人として柄から手を放そうとはしなかった。

「からくり、何があった? かような騒ぎを避けるため、姿は隠し続けるはずだが?」

 久秀はそれも無理のない事と割り切り、真紅のからくりへと問いかけた。
すると真紅のからくりは城の白壁に向けて、隠し続けていた映像を映し出した。

 

 

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