松永久秀の暴走

 

 

「…脅えなくていい、俺達が護る。必ず、お前が逃げ切るまでは、護りきる…」

「そ、そんな…逃げ切るまでって……それじゃまるで……」 

 その先を言葉にするのが恐ろしくてが言葉を濁せば、三成は言う。

「…ああ、そうだ。お前の想像する通りだ。
 が負けようと、民や兵、俺がどうなろうと…そんな事はどうでもいい」

「良くない、良くないよ…」

「いいんだ、俺は…ただ、お前さえ…生きて、落ち伸びてくれれば、それでいい」

「三成、何言って…」

 上ずる声で、溢れる涙を拭う事も忘れてが懸命に何かを言おうとする。
けれどもなかなか想いが言葉にはならない。
歯痒さを噛み締めていると、三成の声が耳に触れる。 

「…頼む…頼むから、これだけは…聞き分けてくれ……」

 陣幕の中でが三成に強く抱きしめられている。

「俺は、怖い……敗北し…お前が敵の手に落ちることを考えると……たまらない…。
 先の話が想像であればいい。だが、その想像は、刻一刻と現実になるべく差し迫って来ている。
 これが俺自身の身に起きるのであれば、まだいい。どのような辱めも、苦痛にも耐えて見せよう」

 否定しようにも否定しきれぬ現実がある。
反意を示そうにも、彼を説き伏せる言葉が見つけ出せない。
三成は一層強くを抱きしめて、声を漏らした。声は擦れていた。

「だが俺は、お前に手を出されては…俺は………俺は、気が狂う…」

 三成の告白を受けたが瞳を大きく見開き、息を呑む。
頬が僅かに紅潮しているのは気のせいではあるまい。

 

「これは、一体…?」

 同じように見ていた家臣達の間に動揺が走った。
壁の中に、この場にいるはずのない者の姿が、音声を伴って現れたのだから当然だ。
 だが動揺したのは、家臣だけではない。
久秀もまた、息を呑んで白壁を食い入るように見ていた。
 映像が乱れて、次の映像が映し出される。

 

「ほらね、彼の本質は何ら変わっていませんでしょう?」

 昌信がくすくす笑いながらに安堵を促した。

「本当、何時も通りだ。私の取り越し苦労だったね」

 からから笑ったは残りの饅頭の包みに封をすると懐にしまった。
それから幸村の横へと進むと当たり前にように彼の腕を取った。
 驚いた幸村が僅かに肩を跳ね上げる。

様!? このような往来で、戯れが過ぎます!」

「えー、なんでよー。前に約束したでしょ〜?」

「や、約束…でございますか?」

「あれれ? もう忘れちゃった? 落ち着いたら、城下町でお汁粉食べて、買い物して、お城に帰ったら
 お風呂入る時に二人で替え歌歌おうね! って約束、してたじゃない」

 他愛無い会話を交わしながら二人は仲睦まじく寄り添いながら、町の喧騒の中に消えてゆく。

「今日はどの音曲を奏でましょうか?」

「そうだな〜。今日はトランスかユーロビートがいいかな〜」

 二人の間で交わされる言葉の意味はよく分からない。
だがこれだけははっきりしている。
二人が交わす言葉は、到底主従の間で交わされるようなものではないということだ。
 二人だけの時間を、主従という枠を超えて、二人は紡いでいるのは誰の目に見ても明らかだった。

 

 久秀の顔色が蒼白に染まる。
渇いているのか、ひゅうひゅうと喉が鳴った。
久秀の動揺をものともせず、からくりが映し出す映像は次から次へと移り変わってゆく。

 

「お前が腹を括ってやるって言うなら、俺が命がけで護ってやるよ。だから、そんな目は止めろよな?」

 孫市の言葉には苦笑し、何度となく頷いた。

「うん、お願いね。女はしたたかにならなきゃ、ダメなんだもんね?」

「ああ。そうだぜ〜。
 辛い事、苦しい事と向き合うなら、自分の支えになり護ってくれる男の一人や二人、先んじて用意しておくもんだ。
 因みに、俺なら今はお買い得だぜ?」

「考慮しときます」

「つれないねぇ」

「私は一足先に、国元に戻るけど…皆が元気に戻って来ること、信じて待ってるから……。
 だから、死なないでね?」

「ああ、分かってるよ。これ以上、奴らの好きにはさせないさ」

「うん。信じてる」

 交わされた視線には強い信頼が満ち満ちている。
言葉を交わさずとも理解し合える距離感。
これでは主従ではなく、まるで…まるで…。

 

「……どういう……ことだ?」

 久秀が擦れた声で問う。
からくりは、まだ答えない。
決定打を与えるべく、彼の知らなかった現実を突きつけ続けるだけだ。

 

「…許されると…本気で、思ってるんですか?」

「私達は、神様じゃないの。誰にも、どうにもできない事は必ずあるの」

「分かってますよ、だから俺は…潔く…諦めようと…。
 …せめて…役に立つだけ立って役目を終えようと…決めたんだ」

「…それは、誰のため? 私の為だなんて言わないでよね? だってその選択じゃ、私の心は救われない」

 痛いところを突いてくるものだと左近は顔を顰める。

「…姫…」

 堪らなくなったのか、強く強く左近がを抱きしめた。

「そんなこと…言ったら駄目でしょう…。
 …男ってのは馬鹿な生き物だ…そんな事言われたら…期待して…思いあがって……本当に止まらなくなりますよ?」

「…戻って来てくれるなら、それでいい…」

 戻ると宣言されて、ようやく安堵したというようには瞼を閉じた。
しっかりと抱き合い、互いの温もりと香りに酔いしれる。
これは難局を越えた喜びからくる表情ではない。
離れがたい男女が、その思いを共有しているからこそ、出てくる安堵の表情だ。

 

 なんだ、これは。一体、なんなのだ?
何故、縋る? 自分以外の男に、どうして彼女が縋っている??
 見せられる現実に心が付いてゆかない。
理解できないし、到底受け入れられない。

 

「もう!」

 膨れっ面れで文句を言いながら、は慶次の背へと凭れ掛かった。
背中全体で慶次の体温、鼓動を感じれば、妙に安らぎを覚えた。
"護られている"と実感した事で気が抜けたのかも知れない。

「…不思議ね」

 再び杯を取り上げて、慶次は煽る。
もう一方の手はの膝の上に放り出されたままだ。
そうしていると落ち着くのか、その指先をが撫でたり絡めたりして遊んでいる。

「本当に、不思議……どうして、何時も分かっちゃうの?」

「私が、限界近付く時……必ず近くにいるのは、慶次さんだ……不思議だなぁ」

「俺じゃ、不服かい?」

「ううん、何時もね、思うの。貴方で良かった、他の人じゃなくて良かった…って」

「光栄だねぇ」

「でも…悔しいな」

 視線を落として探れば、は拗ねた子供のような顔をする。

「頼るのは、何時も私ばっかり。なんか不公平」

 紡がれた言葉が嬉しくて、慶次は笑う。

「いいや、これでいいのさ。どんな鳥にだって、羽を降ろす場所は必要だ」

 慶次の低い声に安堵を得たのか、は慶次の大きな胸板に身を預けて小さく頷いた。

「泣きたい時は泣けばいい。他人の目なんか気にする必要はない。俺がこうして隠してやるからね。
  いいかい、さん。俺は何時如何なる時も、あんたの傍にいる。この手は、あんたの為だけのものだ。
 だから辛い時は我慢なんかしなくていい。俺だけには言っていいんだからな」

  の泣き声が夜の闇の中に溶けてゆく。二回目の朝帰りが決定した瞬間だった。

 

「どういう事だと聞いている!!!」

 わなわなとうち震え、久秀は血走った眼差しで振り返った。
からくりは無機質に言葉を紡いだ。

「時が迫っていると申し上げたはずです」

「それとこれと、どういう関係がある!!」

 常に涼やかな眼差しを絶やさず、感情の揺らぎなど微塵も出さない。
そんな久秀の突然の激昂に、家臣達は皆度肝を抜かれたのか、思わず後ずさった。
からくりは久秀の感情のぶれには頓着していないのか、淡々と答えた。

「大いにあります。時間をかけすぎです、久秀。
 時間がかかればかかるだけ、かの方が他の者と共にいることになります。
 他の者が我が君に懸想し、かの方がその者に絆されても無理はありません」

「なん…だと…?」

 久秀は大きく眼を見開いた。
今まで彼が持ち合せた事のない、あらゆる感情が、彼の全身を支配していた。

「貴方の労をかの方に早く理解させる為にも行動を起こすのです」

「何を言っている? 今俺が聞きたいのはそんな話ではない!!」

「久秀、落ち着きなさい。
 かの方は、貴方が傍にいないから、他人に頼るしか術がないのです。
 頼られた者は、かの方の弱さにつけ入ります。
 このままではかの方の純潔は、その者達に食い物にされるばかりです」

 ぶるぶると久秀の腕が震える。
掌の上にくっきりと血管が浮き上がってくる。

「久秀、急ぐのです。天下を手に入れ、マスターをお迎えにあがるのです」

「……からくり……」

 久秀が赤い箱に背を向けた。
久秀の横顔から怒りが消えてゆく。
一方で、目には修羅が宿った。
 初めて目にする主君の変貌に、家臣達は皆ずっと息を詰めて、身動ぎ一つしなかった。
否、しかなったのではない。したくでも出来なかったのだろう。

「お前は、かつて私に言った……私こそがあの方の助けだと…」

「肯定します」

「では、今のはなんだ?」

 久秀の手がゆっくりと動く。
帯刀しいている細剣の柄へ掌がかかる。

「時は移ろうのです、久秀。先に言ったように、時間をかけすぎです」

「……掛け過ぎているだと? 俺の半生を掛けた計を……掛け過ぎていると…お前はそう言うのか?」

「貴方はよくやっています。マスターも貴方の労を知れば、必ず感じ入ります。
 ですが迎えに行くのは今ではありません。今は明智を討つことが先です」

「奴が我が君を害するからか」

「その通りです。真の恐怖を打ち払ってこそ…」

 からくりの言葉はそれ以上続かなかった。

 

 

- 目次 -